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羽衣を撃ち落として

短編で出したものを連載にしてまとめました。中身は変わってません。

昨日というモノは今日の昔。地層のように今日が厚く積み重なり昨日に変わる。

では、明日はどうだろうか。“彼女”に明日という概念はない。

彼女には昨日と今日しかなかった。“これまで”と“いま”。その二つだけがあるばかりだった。

彼女がその少女を空から撃ち墜とすまでは。



薄明。夜と朝が交じる地平を見ながら雪原をなにかの皮を鞣したコートに身を包む人型のナニカが弩を無造作に手に佇んでいた。細く吐き出された息が棚引く。


厚く垂れ込めるような雲の切れ間。点が、見えた。蚤のような黒い点。


それは渡り鳥だ。遥か上空。気流に乗って飛ぶそれに彼女は弩を構える。矢などつがえていない空の弩から。しかし、確かに放たれた矢が空を往く鳥を撃ち落とした。


彼女の前方。女性の歩幅ならば二十歩先に雪原に奇っ怪な形をした鳥が墜ちてくる。

一つ目の首が長い奇っ怪な鳥を彼女は単純に一つ目鳥と呼ぶ。羽根の根本に毒があり、肉も酷く硬い。好んで捕らえる者は居ないがこの雪原では貴重な食糧だ。


彼女は必要以上の猟はしない。あと一羽。あと一羽撃とうと空に目をすがめる。点が見えた。飛びかたが可笑しいが考えるより早く機械的に弩を構えていた。


矢を放った瞬間、それは目を見開き鳥が墜ちてくる位置に駆け出した。墜ちてくる。鳥が。いや、肩を鋼の矢に射ぬかれ意識を失った人間が。


彼女は弩を投げ捨て。右手を前に突きだし指を鳴らした。人間の落下位置の地上から押し上げるような強い風が吹き。落下の勢いが弱まる。

柔らかい音で着地したそれは両腕が鳥の翼をした少女だった。


濡れたような黒髪に乳白色の肌。服装は“鉄の国”の貴族のそれだがその顔立ちは彼女が知るどの国の人間にも当てはまらない造り。フードの下で彼女は、無表情に困惑を滲ませながら。


よっこいせとしゃがみこみ。ずむっと少女の頬を指で突つく。かなりの勢いでめり込んだ指先が痛かったのか少女は眉間にシワを刻んだあと。

薄く目蓋を開いて視線をさ迷わせ、黒曜石の如き瞳から涙を一筋流すと拳を天高く突き上げた。


『っシャア!!王宮脱出だいせいこーう!!どーだ!見たか日本人の底意地を···!!好きでもない最低男と添い遂げるぐらいなら!!いっそ食糧扱いの方がマシ!!という訳で。あの最低男に捕まる前に。可及的速やかに食べてください。』


このとき少女にとって不幸なことが三つ起きていた。先ず第一に少女の言葉は彼女の部族の言葉とかなり近いものであったが単語の使われ方が違っていたり、そもそも意味が違ったりしていた。


少女はこのときまだ知らなかった。「食べてください」は彼女の部族の言葉では「私と結婚してください」という意味になることを。


第二の不幸。彼女が呪いで女になっている男性であったこと。いや、それは。不幸と呼ぶには相応しくはない。彼、もとい彼女は性別の入れ替えを差して苦にしてはいない。


ならば、第二の不幸。それは彼女の部族は女性を尊重する社会を築いていたことだろう。

彼女の部族では結婚とは女性に選択権があり女性から結婚を申し込まれることは名誉だとされていた。


あくまでも選択権があるのは女性というだけで本意でなければ断れるとは言え、結婚を申し込まれるということは伴侶足り得る立派な大人と認められるということを意味していた。


滅びた部族の。種族の唯一の“生存者”であり。“成人の儀を行えないまま独り四百年を生きてきた”彼女はきょとりとしたあと少女の言葉にダバーッと涙を流し出す。


ギョッとした少女はあたふたして。よいしょよいしょと起き上がり小さな子に声を掛けるように彼女に訊ねた。


『どうしたの。あんべ悪いの?うーん。ダメか。通じないかぁ。お腹が。ぽんぽん痛いの?』


ちなみに彼女の部族の言葉で「ぽんぽん痛い」は「お腹が空きました」になる。プロポーズの定番文句であった。


お腹が空いた=貴方が仕留めた獲物を食べたいという意味になる。遥か昔仕留めた獲物を意中の女性に贈り、プロポーズしたことから発生した定番の。ようは彼女の部族では告白の定型文だった。


第三の不幸は少女の見た目は、彼女の好み。そのど真ん中だったこと。単純に。さくて愛らしいものが彼女は好みだった。


ということで自分の理想を形にしたような少女に結婚を申し込まれたと誤解した彼女はわっしょーいと少女を腕に抱え足取り軽く自分が暮らす小屋に連れ帰った。


少女、三春日和はなんかヤベェ人に捕まったかなと雪原を軽快に駆ける謎の狩人の腕のなかで固まっていた。一年前、鉄の国というところに異世界。現代日本から召喚された彼女。


実はアラサーである。何故か、此の世界に来たときに若返った。日和は十代の肌艶だなとお肌のきめ細かさで自分が若返ったことを察した。


あと何故人類の夢に若返りがランクインするのか理由も察した日和。十代の肌はとってもしっとりすべすべでした。閑話休題。鉄の国に異世界から没シュートされた日和。


別に転がってきたボールを拾ったらそこに置いてあった紙袋が爆発した拍子に此方に飛ばされた訳ではなく。此の世界の魔術師によって召喚された。日和が喚ばれた理由は異世界から来た“稀人”が“扉人の母になる”と予言されたからだ。


鉄の国。いや、此の世界には世界を滅ぼす“歪”という存在があり。それは時に動物。時に人間として此の世界に生まれてくる。

その歪を唯一消滅させることが出来るのが。此の世界の善なる神の使者だとされる“扉人”だった。


その扉人が異世界から来た今代の扉人は“稀人”の娘の胎に宿るという予言がなされ。鉄の国はどの国より先んじて扉人を確保すべく召喚を試み。その結果、日和が此の世界に召喚された。


扉人というのは此の世界にあって善なる神の恩寵を与えられた崇拝の対象であるが。同時にその強大な力を我が物とすれば世界征服すら思うままだと時の権力者からすれば垂涎の対象だった。


だが、扉人を己の意のままにするのは難しいだろう。ならば扉人を宿す娘はどうだ。扉人とは違い。稀人と言えど、ただの娘。与し易かろうと。鉄の国は日和を召喚した。


彼女は、日和は別に元居た世界に不満など抱いてはいなかった。家族が居て、友人が居て。無茶難題を振り撒いてくる上司に頭は痛むけれども。


毎日を、今日という日を確り生きるそんな人間だった。平凡で、普通な。ただの人間であることを厭わない。そんな女性が扉人の母となれと。


見知らぬ世界。見知らぬ人間に突然子を宿すことを強制されたならばどうなるか。日和は表面上恭順な振りをしたがその胸中で激しく怒りを燃え上がらせていた。


アラサーにその話題はタブーです。かっくらすけるぞ。このでこすけがと郷里の訛りで大変メンチをお切りになられていた。


というか結婚は好きな人としたいです。いないけど。好きな人。

少なくとも私は自分を値踏みしてくる男はノーセンキューですと日和は口を真一文字に引き結んだ。


十代まで若返っていることが幸いし。まだ子を宿すには早いと判断され。王宮で日和は彼らの都合が良いように情報規制を受けながら養育されていたが、夜になれば書庫に足繁く忍び込み知識を詰め込む。


言葉自体は術の不発に見せ掛けて、通じてない振りをしていたが日和を召喚した術者の細工で最初から通じていた。


だが文字に関しては日和に知識を与えないように術の範囲外にされていたにも関わらず。


まったく知らない文字が読み解けることに言い様のない不気味さを感じながらひとつの魔術を覚えるに至る。

禁書の棚にあった変身魔術の教本。下手をすれば人間には戻れなくなると記されていたけれども。


『家畜のようにこのまま此処で飼われ続けるなんていや。私は、私を。“三春日和”という人間を好きになってくれた人と添い遂げたい。』


扉人の母になるという。そんな理由で私を見ているこの国の人間に。


『私をただの一欠片もあげたくなんかない。絶対に!!』


日和は、日和に相応しい相手だと鉄の国の王族や諸侯と顔合わせをされたが。その全員が全員、扉人の父となれば待っている輝かしい将来が目当てだったし。


最有力候補として日和の世話役となった鉄の国の王族。第一王子は見目よく、日和に物腰が優しく接していたが日和の姿がないと知ると手当たり次第に侍女だろうと口説き。


その場でことに運ぶほど好色で。それでいて暴力癖まであった。首を絞められ、絶命仕掛けるなんて日常茶飯事だと侍女たちが溢した言葉に日和は。必ず、此処から逃げると決めたのだ。


王子が自分を大事にするとは思えなかったし。子供が生まれたとして暴力を奮わないなんて思えなかった。


(風向き、よし。雲、多し。逃げ出すならいましかない!!)


首から下げた小さな守り袋を日和は握り締めた。


一年間、恭順に振る舞いながら知識を磨き続け。鉄の国の王の在位六十年を祝う祝祭日。警護の目を掻い潜って日和は鳥になり、空に逃げ出した。


羽ばたく、力強く──!変化したあとの身体の使い方まで魔術の教本は教えてはくれなかったけど。

ただ、本能が。強い意思が日和の翼を動かしていた。


どのくらい空を飛んでいたのだろうか。どうにか気流に乗ってはいる。日和が変身した鳥は長距離を飛ぶ渡り鳥であったけれども長時間飛び続けたことから体力が尽きようとしていた。


限界だ。もう飛べないと日和が力尽きる。その間際、地上になにか光るモノが見えた。

真っ白な雪原。それに紛れるように佇むフードの付いた白い外套を纏う狩人。近くを飛んでいたやけに大きな鳥が墜ちた。


嗚呼、鳥を撃ち落としているのだ。狩人の弩の照準が自分に向いていると何故だか日和には分かった。きっと鉄の国は大騒ぎで日和を探しているだろう。


召喚は幾つかの条件が満たされないと不可能であるという。新たに異世界から都合が良い人間を呼ぼうとしても。その条件が邪魔をして召喚出来ない。


そもそも異世界人を召喚することは此の世界において“禁忌”だった。ごく偶に時空の歪みから異世界人が此の世界に現れる。彼らは稀人と称されるが。


彼らは様々な能力。技術を持つが故に資源として各国が争奪戦を繰り広げ、ついには意図的に召喚術で稀人を連れてくるまでになったが。


五百年前、それが此の世界の善なる神の怒りに触れ。善なる神は“悪の神”となり大厄災を起し、此の世界の人類の“半数”が消滅した。


そのときに残った五つの国は。異世界人、稀人を故意他意問わず召喚することを禁じ互いを監視することを決めたが。


鉄の国はこの五つの国より後に出来た新興国。更に言えば盟約など交わしてはいなかった。


そして大厄災から五百年も経てばその被害の記憶は記録に変わる。鉄の国は記録は誇張であり。たいしたことにはならないと記録を軽視し日和を召喚したという背景がある。


話を戻そう。鉄の国は必ず居なくなった日和を探す。そして今度は絶対に逃げ出さないよう。自我を、意識を奪うことぐらいはする。禁書の棚にはその手の魔術書もあったのだから。


そして廃人染みた日和をあの男は王子は嬉々として抱くのだろう。強い嫌悪が日和の身体を震わせた。


(アレに捕まるぐらいならば、いっそ鳥として狩られて食われた方が遥かにマシだわ───!!)


弩から放たれた不可視の矢が日和の肩を射抜くと同時にその姿が露になる。真っ黒な鋼矢。こんなモノをあの小さな弩から放ち。しかもこれほど上空を飛ぶ小さな鳥に当てるなど並大抵の狩人ではない。


日和は相手に取って不足なし。焼くなり煮るなりして。せめて美味しく食べてくんないかなーと墜ちていく。途中、変化が解ける。不意に落下速度が緩くなり。雪原にどさりと着地した。


束の間意識を手放していた日和はあのフードの狩人に顔を覗きこまれていた。なんでか、ほっぺが痛い。なんでだろ。目を瞬かせて全身に感じる冷気にハッとした。


雪、そうか。鉄の国に雪は降らないという。降っても積もる程ではない温暖な地域だと。

つまり鉄の国から日和は脱出は出来たのだと日和は痛みから来るアドレナリンで高いテンションで拳を握った。


『っシャア!!王宮脱出だいせいこーう!!どーだ!見たか日本人の底意地を···!!好きでもない最低男と添い遂げるぐらいなら!!いっそ食糧扱いの方がマシ!!という訳で。あの最低男に捕まる前に。可及的速やかに食べてください。』


日和は食べられることに対して腹を括ったのだけれども。狩人は目深に被ったフードの下で。ダバーッと涙を流し始めた。日和、泣く子には滅法弱い。


日和は下に年の離れた弟が三人居る長女。わたわたとしたあと肩に矢が刺さったままで痛いけど。よっこいしょと身を起こし。眉を下げ、そっと頭を傾げながら狩人に出来るだけ優しく問う。


『どうしたの。あんべ悪いの?うーん。ダメか。通じないかぁ。お腹が。ぽんぽん痛いの?』


狩人がサイレントに震えだした。あ、なんか怒らせちゃったかな。どうしよう。ものすごーく痛い殺され方したら。日和がへちょりと眉を下げるなか。


わっしょーいと何故か腕に抱え上げられて運ばれ始めた。


(すごく、その。足取り軽快。雪原に最初に打ち墜とした一つ目の怪鳥。置きっぱなしで良いのかな。弩は確り背中に背負ってるけど。)


フードのせいで影が出来て顎下しか見えない狩人はわっほーいとすごく嬉しそうで。そこまで喜んでくれるなら食べられる甲斐もあるなと日和は食べられることを前向きに捉えた。


狩人が日和を連れてきたのは廃村。そのなかに生活感のある木造の家があり、鱗の生えた馬が近くでのんびりと草を食んでいた。


狩人に気付くとのっしのしと近づき。ヌッと日和を覗き込んだ。むふーっと湿って生暖かい息のあと。ごすりと日和に頭を擦り付け。またのっしのしと歩いていき馬小屋らしきところに入っていった。


すごいな、異世界。ばん馬サイズだし。あの馬、鬣が雷だった。ちょっと肌がピリついたと日和は目を瞬かせた。


狩人はそんな日和を見てごすんと勢いよく頭に頬擦りする。へぷっと情けない声を出した日和。あまりの勢いで頭がぐらぐら揺れる。


一頻り、頬擦りしたあと狩人は満足げに息を吐き出し木造の家に日和を器用に抱えたまま入っていく。日和はスンと鼻を鳴らす。よく乾いた木の匂い。吊るされた薬草の青臭いけど落ち着く匂い。


日本人の日和からしたらホッとするようなそんな匂いで溢れた住居の大きな囲炉裏があった。暖まる空気が通る場所に置かれた壁際の木造のベッドに。狩人は日和をそっと座らせ。


肩に刺さったままの矢に触れる。あまりの痛みに跳び跳ねた日和を見て。狩人は思案したあと自分の腕を日和に噛ませた。


なんとなーく意図を察した日和はあぐっと狩人の腕を噛む。瞬間、焼けつく痛みに日和は意識を手放した。


パチパチ、はぜる。炭火の音。日和は重い目蓋を開き。ぼんやりと囲炉裏でなにかを焼く誰かの背中を見た。がっしりとしているけれど細い。木綿のような質感の。でも温かそうな見慣れない燕脂色の服は重ね着で細かな意匠。


(似た服を、昔。遊牧民の人達の暮らしを紹介する博物館の展示展でみたことがあったなぁ。)


すごく細かな刺繍。暗がりで銀色に仄かに光って綺麗だ。銀色。この人の髪も銀色で。すごいな。王宮で使われてた銀食器よりも銀色。


(···というより、すごく良い匂いが囲炉裏で焼かれてるナニカからする!すごく美味しそう!)


きゅるると物悲しい音が日和の腹からした。日和から背を向けていた誰かが振り返る。乱雑に緩く編まれた艶やかな銀髪が弧を描く。


けぶるような睫毛に縁取られた瞳は虹色の遊色を内包した蛋白石。オパールを嵌め込めたような不思議な色をしていた。


鼻梁は高く筋が通り、唇はやや薄いが形が良い。特徴的なのは長耳とミルクチョコレートのような肌。もし、仮に美という概念を絵にしろと言われたら日和は間違いなく目の前に居る彼女を模写するだろう。


それほどまでに彼女は美しい顔をしていた。驚くほど無表情。無。いや虚無なことを除けば。


(美人の真顔、とても怖い。)


日和は思わず身を起こそうとして、へなへなと重力に負けて横たわる。手に力を込めようにも両腕はまだ翼のまま。


とんでもない美人は衣擦れひとつ立てずに日和に歩み寄り。ひょいっと軽々と抱き上げて囲炉裏のところまで連れていくと。


日和を胡座を掻いた膝に抱えて囲炉裏で焼いていた串焼きをずいっと口元に持っていく。


簡素な肉を刺しただけの串焼きだけれども。鉄の国では食べるものや飲み物にも警戒して極力口にしなかった日和は自覚はなかったけれども餓えていた。


あぐっと差し出された串焼きにかぶりつく。羞恥心より空腹が勝った。香草が練り込まれているのかスパイシー。かなり硬いけど、肉の味が濃い。


むぐむぐと口を動かして頬を膨らませる日和に美人は無表情だけど雰囲気が華やぐ。

勧められるまま二本目を食べたところで日和はハッとして。美人さんが食べる分が無くなるんじゃとおずおずと見上げる。


美人は、日和の視線に気づき。ぐいぐいと結構な勢いで新しい串焼きを日和の口に押し当てる。

この勢い。田舎の祖母を思い出すとあれやこれやを食べっせと出してくる祖母が日和の頭に浮かんだ。押しがつよいぞぅ。


(飲み物、欲しいな。)


肉に口の水分を持っていかれた日和はじっと美人の目を見たあと。囲炉裏端に置かれた木製のカップを見て。また美人の目を見ると日和の言わんとすることを察したのか。美人はカップを手にとって。


ぐびーっと飲んだ。意味が通じなかったかーと日和が悄気て項垂れると顎をぐいっと持ち上げられた。ついで柔らかなモノに抉じ開けられた口が冷たく甘い水で満ちた。反射的に飲み込み。


胃の腑に落ちていった水に。日和は間近にある恐ろしく整った顔に頭を引いたけれど。なにか思案した美人は今度は啄むように日和の唇を食んだ。


二度、三度。繰り返したあと。戸惑いと擽ったさに日和が薄く口を開くと美人は躊躇わず舌を差し込んだ。


『ま、あの。ん、そーいうのはちょーっと早いと思いまっ!!ンム!?』


ややあって酸欠で死ぬかと思ったと日和は美人の腕のなかでぐったり力が抜けた状態で抱えられていた。


美人は相変わらず無表情だけど。ものすごーくご機嫌だと雰囲気が物語る。ごすごすとなかなかの力強さで頬擦りもされている。この時点で日和も食糧的な感じの待遇じゃないなとうっすら、察した。


ややあって美人は日和を抱えあげてベッドに運ぶ。日和の服に手をかけたところまでは良いが煩雑な作りの鉄の国の貴族子女のドレスに梟のように首を傾げ。


パチンと指を鳴らすと同時に日和の着ていた筈のそれが離れた床にバサリと落下したことに硬直する。これでよしと言いたげに頷き美人は自分もぺいぺいと着ていた服を脱ぎ。


日和を抱き締めるように抱え。上かけを引っ張って自分たちを覆うと足を絡めてぐりぐりと日和の胸に頭を擦り付ける。


この人、なにがしたいんだろうか。蛋白石の瞳をとろんとさせ日和をぎゅうぎゅうと抱き締める彼女に日和は戸惑うけれど。久し振りに警戒しなくて良い空間では緊張が長く続かず。微睡みが日和の意識を優しく包む。


(知らない女の人と裸で抱き合ってるけど。彼処に居た時よりもずっと落ち着くし、人肌が安心出来る。)


久し振りに沢山ご飯も食べられて。嗚呼、なんだか上手く頭が回ってくれない。


(これからのこと。たぶん考えなきゃなんだけど。すごく眠くて、わやわやだ。)


すがるように日和の背中に回された彼女の腕。日和の胸に耳をつけるように頭を預ける彼女に。

日和は貴女の名前はなんだろうと。最後にそれだけを考えながら久方ぶりの穏やかな眠りに着いた。


此の世界でひとりぼっちのわたしたち

【名前を知る前に貴女の肌の温度を知りました】


「·····嗚呼、“今日”がずっと続けばよいのに。」


暗がりで呟いた“彼女”は日和の甘い肌の匂いに包まれながら。蛋白石の瞳を目蓋の下に隠した。

 

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