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第8話 邂逅

 差し込む柔らかな朝日に、トウリの意識が覚醒していく。ゆっくりと目を開くと、そこには久しく見なかった光景があった。

 てんじょう……天井? 強大な違和感に飛び起きる。ここはどこだ。

 寝起きの頭を、必死に動かす。


 そこは幾つものベッドが並べられた大部屋。

 他に人は居なく、トウリは扉から最も離れた窓際のベッドに居た。窓から差し込む光に目を向けるも、外の木々だけではほとんど場所の判別がつかなかった。

 ただ、最後に記憶している暮れかかった空模様から考えると、随分と寝ていたことが分かる。最低でも一晩はここで過ごしたのだろう。


 少しずつクリアになる思考で、直前の記憶を紐解く。確か、木の上にいる見張りを撃った。

 問題はその後。はっと思い出し、トウリは自分の持ち物を確認する。

 装備がなくなっている。術銃も、ない。

 そうか、捕まったのか。苦虫を噛み潰したかのように表情を歪める。


 だがふと気づく。捕まった割には、ここは牢でも何でもない。ベッドに拘束されている訳でもない。

 自分の体へと視線を下ろす。服装は随分と清潔な格好になっている。気絶している間に着替えさせられたのか。腕や脚を確認すると、至る所に包帯が巻かれている。逃げている間についた傷などは、いずれも手当されている。

 捕まったことと相反する待遇に、トウリは顔を顰めた。そして、扉の向こうから聞こえる足音に警戒を露わにしながら、この状況の説明への微かな期待を寄せた。


「おや、もう起きていたのか」


 静かに開かれた扉から、2人の人物が部屋に入ってきた。

 1人は医者と名乗る壮年の男性、彼は警戒心丸出しのトウリにゆっくりと近づき、穏やかな表情で傷の具合を診させて欲しいと申し出た。

 大人しく従った方が良いと判断し、トウリはコクリと了承した。


 そしてもう1人は、扉の前で医者の問診を待っている、声に聞き覚えのある女性。

 トウリは思わず身体に力が入ってしまい、既に何度か医者から力を抜くようにと言われている。テキパキと包帯を巻き直してくれている医者への警戒を忘れるくらい、彼は部屋の向こう側に居る女性を注視していた。

 彼女は恐らく、トウリを捕まえた、張本人。


「それじゃあ、儂はこの辺で」

「ありがとうございます、先生」


 そう言って医者は女性に礼を告げられて部屋を出る。パタンと扉が閉まる。

 瞬間、トウリはゾワリとした悪寒を感じた。女性は、ゆっくりとトウリの方へと振り向く。

 その視線から逃れるように、トウリは反射的にベッドから腰を浮かそうとする。だが、自分の体が言うことを聞いてくれない。その場を、動けなかった。


 この感覚を知っている。川辺で向かってきた男と同じ、いやそれよりもずっと鋭い、視線。

 殺気だ。

 トウリは、自分の息が浅くなるのを感じる。体は強ばったまま。術銃も、短剣もない。最悪の事態。

 だが、それでもトウリは、僅かな逃げ道を見逃さないように、その一挙手一投足を睨むように観察した。


「フッ」


 彼女の口から漏れた笑みで、緊迫した空気が一瞬にして霧散する。

 突然の落差にトウリはついて行けず、今度こそ完全に硬直してしまう。その姿に、女性はさらに笑みを深めた。


「いや、すまない」


 ゆっくりとトウリの向かいにあるベッドへと腰掛けた女性は、先ほどの鋭い視線などが嘘のような柔らかい表情でトウリに話しかけた。


「私が苦戦していた見張りをあっさりと取り除いたのが、君のような少年だったのが面白くてな。つい試したくなってしまった」


 そう言って女性は深く頭を下げ、謝罪を口にした。

 未だに状況について行けず、トウリはただ自分の身体が脱力していくのを認識するにとどまっていた。頭を上げても口をぽかんと開いている姿を見て、女性は再び笑みを零した。


「さて、自己紹介をしよう。私の名前はイリス。イリス・ミルレイだ。と言っても、君にはこう言った方がいいかな。昨日、君がフォルロット王国の見張りを排除したのを確認して、君を待ち伏せした人物だ」


 やはりそうだ。ようやく動き始めた思考と共に、トウリは再び身体に少し力が入るのを感じた。


「フフ、まぁ警戒する気持ちは分かる。だが少なくとも私は、君を害するつもりはない。すぐに信じろというのは難しいだろうが、うん、そうだな。君が気絶した後、ここまで運んできて医者を手配したのも私だ。そのことに免じて、どうか話だけでも聞かせてくれないだろうか」


 まぁ気絶させたのも私だがなと、イリスは困ったように目を細めた。

 彼女の言うとおり、トウリはまだ彼女のことを到底信用することはできなかった。だが、自分の中で少しだけ警戒が薄れ、代わりに戸惑いが大きくなるのを感じた。トウリは一度目を伏せて考える。


 ……どの道、この状況でここから逃げるのは無理だろう。ならば僅かな可能性にかけて、腹を括った方がましか。

 そう結論づけてトウリは再びイリスと視線を合わせ、了承する。


「ありがとう。まずは君の名前を教えてくれ」

「……トウリ」

「トウリ。うん、良い名前だ、教えてくれてありがとう。それじゃあトウリ君、どうして君はあの森の中に居たのかを教えてほしい」

「あの気絶させられた森?」


 イリスが渇いた笑いを零す。


「なかなか手厳しいね。そうだ、あの砦の横だ。突然戦場にどこからともなく現れた君を見つけた時の衝撃は、未だに忘れられなくてね」

「……戦場?」


 トウリは首をかしげる。一体何の話なのか、全く分からなかった。


「もしかして、君はあそこが戦場だということを知らずに居たのかい?」


 衝撃の事実にトウリは大きく目を見開いた。そんな危ない場所に居たのか。全身の毛が立つのを感じる。


「なるほど。どうやら、予想が外れたようだな。私はてっきり君はフォルロット軍から逃げてきた少年兵だと思っていたのだが」


 フルフルと否定し、トウリが口を開く。


「兵士じゃない」

「ならば益々疑問だな。どうして兵士でもないただの少年があんな場所に居たんだ?」

「……逃げてきたから」

「誰かに追われているのかい?」

「分からない、たぶん」

「たぶん?」


 要領を得ない話に、イリスは眉根寄せた。だがトウリはそれに気づけぬほどに息が浅くなっていることに気づき、彼女は少しの間待つことにした。


 流れる沈黙。それに反して、トウリの脳内はひどくうるさかった。

 湧き上がる記憶と不安に、トウリの目は座ったままのイリスを捉えきれずに泳いでいた。

 どうする。どうすればいい。話すのか。いやでも。

 逡巡する思考。暴走し始める感情。震え出す手。

 そして、その手の震えで、トウリはふと父の教えを思い出した。


「いいか、照準のブレを抑えるには、深呼吸だ。困ったときは深呼吸しろ。そしたら、視界が開けてくる。標的をしっかり捉えられるようになる」


 トウリは目を伏せ、大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。

 息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。手の震えが落ち着き始める。

 感情がゆっくり解けていく。思考がクリアになる。視界が開く。

 自分が何すべきなのか、標的が見える。


 伏せた顔を上げて、真っ直ぐイリスを見た。

 イリスはそれに気づき、優しく目を細めるように言葉を促した。

 息を呑む。トウリは、覚悟を決める。


「エルトワへ逃げるために、あの森に居た。僕の村で大きな爆発が起きて、村は完全に破壊された。爆発は、人為的なもの。生き残ったのは恐らく、僕だけ」


 予想の斜め上を行く回答に、イリスは驚きを隠す事が出来なかった。


「詳しく、教えてくれるかい」


 沈黙で停滞していた空気が、ゆっくりと流れ始めた。


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