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第7話 越える

 観測術具をしまい、術銃を前に持ってその長細い輪郭を隠す。

 地面に這うように体を低くし、茂みに身を潜める。

 早く通り過ぎたい気持ちを押し殺し、体の筋肉を1つずつ動かすかのように、ゆっくりと、前へと進む。


 普通に歩けばすぐ行ける短い距離を、長い時間をかけて進む。

 父から、獲物に気取られないための移動方法などは学んだ。しかし、ここまで自分の動きに集中しながらの移動は、したことがない。


 気づけば、トウリの体の至る所から悲鳴が上がっていた。まともに寝られずに溜まっていた疲れが、慣れない動きと長時間の過度な集中により表面化する。

 それでもペースを変えず、ゆっくりと進む。トウリを動かすのはもう、生き残るという強い意思だけだ。



 そして、トウリはようやく、その短くも途方もなく長い距離を渡り切る。

 砦との距離を確認する。もうそろそろ、立ち上がっても大丈夫だろう。

 そう思った、その時。トウリは起き上がろうとした体を慌てて止めた。


 いる。


 気づいたのは、完全に偶然だった。

 枝葉の隙間から僅かに見える、枝にしては垂直で、幹にしては変に曲がった輪郭。

 恐らく前方からは巧妙に隠された存在を、トウリはその後ろである砦側にいるからこそ気づけた。

 木の形から逸脱した輪郭をより注意深く観察すれば、ようやくその姿を捉えることができた。器用に木の上に座り、こちらに背を向けている人物を見つける。

 辛うじて見えたのはその人物の首から肩にかけた輪郭で、今もエルトワ方面と思われる前方の監視をしているように見えた。


 その人物が誰なのか、何故そんな場所にいるのか、トウリには分からなかった。

 しかし、どう見ても明らかな脅威だ。

 脳内の警報が鳴る。このまま行けば、確実に見つかる。これ以上進むのは、あまりにも危険。大きな壁へと、ぶち当たる。


 ようやく、ここまで来たのに。今から戻るべきか。すぐに否定する。

 もうトウリに、そんな体力も気力も残されていなかった。

 ではあいつが動くまで待つしかないのか。木の上の人物は微動だにしておらず、全く動く気配がない。

 それに、もしこちらへと振り返れば、今のトウリの位置ではすぐに見つかる。そんな強迫観念に似た焦燥が、トウリの頬を伝う。


 どうする。どうすればいい。疲れた脳を無理矢理動かしながら視線を横へ動かす。

 横を通るのは。だめだ、例え出来たとしても、その先を進んでいるところを見つかってしまう。それではだめだ。

 焦りで、視線が泳ぐ。

 何かないのか。何か。


 そして、バチッとぶつかるように、視線が手に抱えたままの術銃を捉える。


 息が浅くなる。

 思い出すのは、自らの手で奪った、2人の兵士の姿。この旅で、何度も反芻した光景。何度も繰り返された、死の間際。何度も忘れたいと思い、決して忘れられない、自らの行動。


 そして、再び極限状態に置かれたトウリは、気づく。

 もう自分は、この記憶からは、逃げられないのだと。


 どんなに忘れたいと望んでも、どんなに考えないようにしても、あの2人を殺したという事実は、消えない。

 あの時抱いた憎悪も、破壊される自分の大切な居場所からただ逃げるしかなかった無力さも、忘れることはない。


 ならばそれらは、受け入れるしかないのだと、理解する。

 でないと、自分は、ここから動くことすら出来ずに、前に潜む人物に、殺されるだろう。


 トウリは、大きく息を吸い込み、強く目を瞑った。

 母は言った。生きなさいと。


 もう、理不尽に、奪わせない。絶対に生きてみせる。

 絶対に、突破してみせる。

 例えそれが、茨の道だろうとも。


 再び大きく開かれた目には、怯えの色は鳴りを潜めていた。

 そこにあったのは、静かに灯る、決意の炎。


 与えられた平和を、ただ謳歌するだけの純朴な少年はもう、いない。


 術銃に術力を流し込み、構える。

 巡る術力を感じる。

 木の上の人物の頭に照準を合わせる。

 距離と角度を計算し、少し上へとずらす。

 弾を生成する。

 鋭く、重く、そして確実に届く弾を。


 風が吹く。

 照準をずらす。

 そして躊躇なく、狙撃術式を放った。


 赤い飛沫が枝葉を濡らす。

 ドサッと落ちる音を確認して、トウリはゆっくりと立ち上がる。そして、その大きく立ちはだかっていた壁を跨ぎ、前へと進んだ。



 だが、トウリは気づいていなかった。

 気づけなかった。その場に潜んでいた、もう1人の人物に。


 彼女は随分前に木の上で隠れている見張りにも、その後ろで砦の横を通り抜けようとしていたトウリにも、気づいていた。

 しかし彼女もまた、見張りを見つけた時のトウリと同じように、動けずに居た。


 ここで移動してしまえば、良くて任務失敗、悪くて戦闘へと発展する。

 仲間のためにも、見つかるわけにはいかない。残念だが、あの少年は殺されるだろう。


 ひどく冷徹で残酷、しかし彼女の立場からしてみれば、当然の判断。

 せめて、その最期は見届けてあげよう。

 そう思って観察をしていれば、彼女は予想外の光景を目にした。突然木の上の見張りが血飛沫をあげて落ちた。


 衝撃だった。何があったのか理解できなかった。

 そして見張りが倒された瞬間立ち上がり、その体を跨ぐトウリを見て気づく。あの少年が、何かをしたのだ。


 彼女の目は驚愕から、確かな好奇へと変わった。

 だが彼女もプロ、警戒は怠らない。監視対象を砦から、少年へと移す。そして、こちらへとゆっくり進んでくる少年を見て、より注意深く気配を消す。



 そうしてトウリは気づかぬまま、気づけぬまま、進んでしまった。

 喉元にナイフを突きつけられるその瞬間まで全く気配を悟らせなかった、その人物の罠に。


「動くな。武器を落とせ」


 トウリは驚愕で大きく目を見開く。

 だがそれも束の間、目から光が消え、その場で崩れ落ちた。

 慌てて待ち伏せしていた女性が彼を受け止める。


心も体も限界だったトウリは、逃れられない死を前にして、気絶してしまったのだ。


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