第2話 生きて
「父さん! 母さん!」
燃える建物や崩れた瓦礫を避けながら、トウリは家の前までたどり着いた。
山から見たときにはまだ崩れていなかった家は大きく傾いていた。辛うじてまだ火の手があがっていないものの、それも時間の問題だろう。
「いた!」
そしてその崩れた軒先に、下半身が埋もれた両親の姿を見つける。
「父さん! 母さん!」
必死に両親の体を揺する。
父の筋肉質な背中は血だらけ。母も血を流しているようで、2人の下に大きな血溜まりができていた。
「うっ」
「母さん!」
母の僅かな呻き声に反応して、トウリはすぐに母の顔を覗き込んだ。
「トウ、リ」
「母さん、わかる? もう大丈夫だから、すぐに助けるから!」
どう見ても絶望的な状況。それでもトウリは母にそう語りかけずにはいられなかった。
「あぁトウリ、よかった、あなたは無事なのね」
「待ってて、今瓦礫を退かすから!」
母の上を押しつぶす瓦礫に手をかける。
動かない。
肩にかけたままの術銃を一度床に下ろし、角度を変えてもう一度瓦礫に手をかける。
動かない。
そのさらに上に乗っている細かい瓦礫を退かす。また手を伸ばして力を入れる。
動かない。
どうすればいい。もっと上の方の瓦礫から退かすか。奥の方で燃え広がる炎が目に入る。もうすぐ、この家にも火の手が回る。時間がない。どうすれば。
「トウリ」
母の声で思考から引き戻される。母の元へと戻る。
「どうしたの母さん、どこか痛い?」
「トウリ、顔をよく見せて」
言われた通りに、顔を近づける。
「あぁトウリ、立派になったね。ほら、こっちへいらっしゃい、涙を拭いてあげる」
母の弱々しくも優しい手に触れられるまで、トウリは自分の頬を流れる涙に気づいていなかった。途端に鼻も詰まり、息もしづらくなる。
だがそれも、母の手に撫でられて、少しずつ落ち着いていく。
そして再び、母は息子に語りかけた。
「トウリ、今から言うことをよく聞きなさい。母さんはね、昔南のエルトワ王国で留学したことがあるの」
こんな時に、一体何の話をしてるんだろう。そんな疑問を押さえつけて、トウリは一音も逃さないように耳を傾けた。
「そこでね、ソニア教授っていう人にお世話になったの。きっと今でも教鞭を執っているわ。その人に私の名前、『ハンナ』を伝えれば、きっとあなたが私の息子だということが伝わるわ」
だからそれがどうしたのさ。トウリは、これから続く言葉を、なぜか聞きたくないと強く願った。それでも、耳を傾け続けた。
「トウリ。私たちを置いて逃げなさい」
「いやだ!」
トウリは、かつて母に向かって、こんな大声を出したことがあっただろうか。
いや、ない。
それでも、母はトウリを撫でる手を止めなかった。そして、トウリもまた、その手から逃れる術を知らなかった。
「トウリ、よく聞いて。これは、決して自然で起こるものじゃない。人為的な爆発。恐らく、もう一発来るわ」
なぜ母がそんなことを知っているのか、どうしてそう思ったのかなんていう疑問は、トウリの中では浮かばなかった。ただ、母が言うなら、きっとそうなのだろうという確信だけが生まれた。
「じゃあ急いで瓦礫を退かすから」
「それじゃ間に合わない」
どこか、その可能性は知っていた。
爆発を見たときから、こうなるかもと、分かっていた。
だが、必死にそれに蓋をして、体を動かした。だが、ついにそれから目をそらすことが、許されなくなった。
別れの時間が、訪れる。
「トウリ。あなただけでも、逃げなさい。エルトワなら、きっと新しい居場所を見つけられる」
自分の嗚咽が、母の言葉に被らないように、必死に堪える。
それでも漏れ出す音は、母の優しい笑みが、隠してくれる。
「生きなさい。あなたが望むままに生きて。あなたならきっと、大丈夫だから」
そっと手招きされて、再び顔を近づける。そして母が、頬に別れを告げてくれる。
短く、だが暖かい、最後の贈り物。そっと頬に手を当てられ、そして離すように押される。
「さぁ、いきなさい。父さんも母さんも、いつまでも、あなたのことを愛している」
トウリは再び流れ出そうになる涙を服の袖で拭う。
床に置いていた術銃を拾い、肩にかける。そして、ゆっくりと立ち上がる。
「母さん……」
言葉を飲み込み、頭を振る。
離れたくない。でも。
「僕も、ずっと、大好きだから……見守ってて、ね……」
大きく息を吸い込む。
もう、お別れだ。
「行ってくる!」
そう言って、トウリは走り出した。
本当は止めたい足を、止めずに、本当は振り返りたい体を、振り返らずに。
そんな我が子を見送りながら、ハンナは最期まで自分を守ってくれた夫へと語りかけた。
「あぁ、見て、あなた。私たちの子が、あんな立派に育ったよ。あの子なら、きっと、大丈夫だね」
そしてトウリは村を離れていく。森の中へ。山の向こうへ。生まれ育った地を離れて。自分の知っている世界を離れて。自分の唯一の居場所を、置いていって。
赤い閃光が、辺りを包む。大きく爆ぜる音。熱い突風が、トウリの背中に当たる。
それでも、振り返らない。
ただひたすらに、走る。
爆発の音、家や木々が燃える音。
それらがかき消えるぐらいの大きな声をあげながら、走った。




