4話
いつもの交差点。通学途中、見慣れた風景。
人通りが多くて、肩がぶつかりそうになるくらい混み合っていた。
何気なくスマホを見ていた。
――これは、あの時の光景だ。
顔を上げると、人々の波にぽっかりと穴が空いた。
その中心に、帽子とサングラスで顔を隠した男――
右手に、包丁を握っていた。
人混みが一瞬でざわつき、逃げるように散っていく。
(やべぇ奴だ……)
男は周囲を睨みつけていたが、やがて――
俺のすぐ前にいた人を、じっと凝視した。
構えた包丁。男の足が動く。
(刺される!)
そう思った瞬間、咄嗟に体が動いてしまった。
「……っ!」
刃が閃いた瞬間、誰かの背中に腕を伸ばし、突き飛ばす。
ドクン、と音がした気がした。
熱くて鋭い感覚。それが胸の中心あたり、大事な臓器に刺さった感覚があった。
(……ああ、そうか)
(この時、俺は――)
――夢が終わる。
まぶたの裏が、だんだんと明るくなっていく。
うっすらと目を開けると、木漏れ日の揺れる天井が見えた。
「……生きてる、のか?」
身体は痛い。全身が軋むように重い。けど、確かに生きていた。あの獣との死闘のあとで、今またこうして目を覚ましたみたいだ
「お、起きたか。しばらく目を覚まさんかったから、どうなることかと……」
低く穏やかな声。視界の隅に、年配の男の顔が映る。
長い白ひげに、質素な服装。見た感じ、この村の年長者、あるいは村長か。
「おぬしのスキルカード、眠っている間に見せてもらったぞ」
(……まずい、か?)
一瞬、背筋に冷たいものが走った。
命銘。それに裏銘。もしそれが知られていたら――
だが、目の前の男は特に変わった様子もなく、むしろ礼を言うように言葉を続けた。
「筋力強化か。あの場で咄嗟に、あれほどの補助ができるとは……助けられたな。礼を言わせてくれ」
(……命銘の部分には触れてこない。もしかして見えてないのか?)
もしかしたらこの男や助けた青年はこの世界の住人で命銘や裏銘が見えるのは、転生者だけなのかもしれない。
「あんたのスキルカードも見せてくれないか」
「もちろん構わんよ」
老人は懐から、年季の入ったスキルカードを取り出した。
角がすり減り、ところどころ色褪せている。
「これが、わしのスキルカードじゃ」
手渡されたそれに視線を落とすと、カードにはこう記されていた。
スキルカード
名前:ハレン=リューグ
役職:村長
ステータス
【筋力】D
【敏捷】D
【知力】C
【魔力】C
【精神】B
スキル
・〈治癒(微)〉:軽度の外傷・疲労をゆっくりと回復させる。
やっぱり村長だったのか。スキルカードを一通り眺め、返された自分のカードにふと視線を落とす。
その瞬間、ある違和感に気がついた。
裏銘:『報恩』
効果
「行った善行の分を他者から取り立てることができる」:善行ポイント:1
(……あれ?)
〈報恩〉の部分、善行ポイント:1と書き加えられている。
(増えてる……。こんなの、前はなかったはずだ)
青年を助けたことで加算されたのか。
しかし――
(取り立てるって、一体どうやって……?)
そもそも“善行”の定義自体も曖昧だ。
命を救えば善行で、些細な親切では加算されない?それとも量より質か?
考えれば考えるほど分からない。
(……ま、とりあえずは)
善行らしいことを重ねておくか。
「……なにか、困ってることとかは、ないか?」
そう尋ねると、村長は少し驚いたように眉を上げた。
「……まだ体も治りきっていないだろうに。無理をしないでくれ」
落ち着いた声に、わずかに心配の色がにじむ。
「じっとしてるのも性に合わなくて」
そう返すと、村長は少し目を細めた。
「……そうか。なら、ひとつだけ頼んでもいいか?なに、おつかいのようなものなんじゃが薬草をある人に届けてほしくてな。息子、君が助けてくれた青年ももともと薬草を取りに森へ行っていたんじゃ」
「そのくらいなら丁度いい、是非やらしてくれ」
そして村長は頷いて、詳細を話し始めた。
「本当に助かる。届けてほしい人の名前はシン。ここから出て右手の方の丘の上に、小屋を建てて住んでいる。君に似て、率先して頼みを聞いてくれる優しい人だ。そこのものを届けてやってくれ」
「了解だ。」
「届け終わったら、是非この家に帰ってきて欲しい。息子ともども、改めて礼をしたい」
「分かった、行ってきます」
村長の家を出て、澄んだ村の空気を一つ吸い込む。
(右手の丘、あれか)
右手の丘に目を向けると、少し離れた高台に小さな木造の小屋が見える。
恐らくそれが、シンという人物の住まいだろう。
丘には一本の、真っ直ぐな路が伸びていた。この分なら迷わずにいけるだろう。
まだ身体に残る鈍い痛みを押さえつつ、そちらへ足を向ける。
そしてふと考える。
(シン――その人物は、果たしてこの世界の住人か、それとも転生者か、それに村長含めこれまであった人もブラフを張っている可能性もゼロではない)
考えていると、幼い声で尋ねられる。
「薬草くれませんか」
気づけば目の前にいた少女は、まるで頭の上に花の冠を載せるように、両手で丸を作ってスキルカードを掲げていた。
そのスキルカードには、
――“命銘”の文字が、確かに刻まれていた――