3話
耳を澄まし、叫び声が聞こえる方へと足を進める。風がそよぎ、木々の間から微かに何かが見える。
声が強くなるにつれ、急かされるように足を早める。
やがて、視界に飛び込んできたのは、弓を手にした青年だった。彼は後ろに大きなイノシシのような獣に追われながら必死に弓矢を放っている。
今はまだ距離があるから、かろうじて弓で応戦できている。だがその間合いも、刻一刻と縮まりつつあった。
完全に距離を詰められたら、弓を使う彼に勝ち目はない――それは明白だった。
(試してみるか)
「筋力強化!」
カケルが叫ぶと同時に、魔力が青年の体を包み込んだ。青年はその異様な感覚に驚き、目を見開く。
――分かる。こっちにも伝わってくる。明らかに、力がみなぎる感覚。
これが命銘の能力か。
足元にあった石を拾い、思い切り力を込めて獣に向かって投げつけた。石は獣の横腹に直撃したが、大したダメージにはならなかった。
だが――それで十分だった。
イノシシのような獣がこちらに顔を向け、突進のターゲットを俺に変える。どの道武器らしい武器を持っていない俺では大した攻撃はできないだろう。
(来いよ……)
「今だ、もう一度弓を!」
青年は驚いた顔をしつつも、しっかりと弓を引き絞り、矢を放つ。
矢は、今度こそ――獣の頭部に正確に突き刺さった。
続けざまにもう一本、次の矢も放たれ、それも獣の首筋に突き刺さる。
だが。
獣は――止まらない。
「マジかよ!」
それどころか、怒りを爆発させたように、前脚で地面を踏み鳴らすと、鋭い角で土を大きく弾き上げた。
砂混じりの土塊が飛び散ってくる。
反射的に顔を腕で庇った、その一瞬。
――それは致命的なワンモーションだった。
「くっ……!」
気づいた時には、すでに巨獣が俺を捉えていた。
避けきれない。衝突と同時に俺の身体は背後の木へと叩きつけられた。
「がはっ……!」
木と獣の間に挟まれ、腹にとてつもない衝撃と痛みが走る。
口から血が噴き出し、意識が遠のきかける。
痛みを誤魔化すように、ふっと乾いた笑いが漏れた。
「……ははっ、いってぇな……」
(もっぺん死ぬか……?これ)
笑ったところで痛みが消えるわけがない。
だが、
(また無様に犬死にすんのも、おもしろくねぇ…)
眩む視界の中で、獣の首元に刺さった二本の矢が見えた。
――まだ、“筋力強化”の効果は続いている。
残った力を振り絞り、俺は矢を左右の手で引き抜いた。
そして――
「てめぇもいっぺん死んでみろよ!」
痛みと怒りを込め振りかぶった矢を、そのまま獣の両目に突き立てる。
獣は凄まじいうなり声を上げ、全身を震わせ――そして、崩れ落ちた。
(クソっ、きっついのもらっちまった……)
その瞬間、興奮で麻痺していた痛みが一気に全身を駆け巡る。
背中から腰、足元まで、まるで火が走るようにズキズキと痛む。さっきの戦闘で痛みを感じる余裕がなかったが、今はその痛みが思い出させるように体中に襲いかかってくる。
体に力が入らない。無意識に息を荒げながら、木に寄りかかるようにして、ゆっくりと膝を折る。
そのまま、意識は静かに途切れていった。