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いつも「死ね死ね」言ってくる幼馴染の前で本当に死んだら、めちゃくちゃ泣かれた話

作者: 十日兎月

カプチーノくらいのほろ苦い話にするつもりが、微糖コーヒーくらい苦くなってしまったかもしれない話。





 俺はまゆりのことが好きだ。



「好きだぁ! まゆりぃぃぃぃぃぃ!」



 と、人目も憚らず大声で叫ぶくらい好きだ。

 どこが好きかというと、少し吊り目だけど猫みたいにクリクリとしている瞳とか、整った鼻梁とか、少し癖っ毛気味の栗色のミディアムヘアーとか、小柄だけど胸が大きいところとか、実は体がめちゃくちゃ硬いことを気にしているところとか、つまりは全部好きなのだ。

 きっとこんなに好きなのは、幼馴染の俺くらいなものだろう。

 それくらい、俺はまゆりのことが大好きだ。

「そして今日も大好きなまゆりと一緒に同じ高校に登校する俺なのであった。後ろ姿も超絶可愛いよ、まゆり!」



「っ! いい加減にしてよ、もう!」



 と。

 日課であるまゆりへの愛を発していると、当のまゆりが急に立ち止まって俺の方へと振り返った。

「毎日毎日! わたしと会うたびに大声で好きとか言わないでよ! 恥ずかしいでしょうが!」

「そう言われても、まゆりのことが好き過ぎて叫ばずにはいられないんだよ。まゆりの顔を見ただけで俺の想いを告げずにはいられないんだ!」

「だったら自分の部屋で好きなだけ叫んでいればいいじゃない!」

「ダメだね! それじゃあ俺のこの猛る気持ちを抑えることはできない! なぜなら、世界中の人間に届けたいほど、俺はまゆりのことが好きだから!!」

「や、やめてってば! 周りの人が見てるでしょ!?」

「俺は一向に構わないっ!」

「わたしが構うの! もう、死ね!」

 そう怒鳴ったあと、まゆりは逃げるように足を早めて行ってしまった。

 おかしい。普段通りに愛の告白をしただけなのに、なぜか怒らせてしまった。虫の居所でも悪かったのだろうか。

 まあ、まゆりの怒った顔も可愛いから全然いいんだけれどね! むしろ大好物まである。

 というわけで、懲りずにまゆりの横へと走って追い付き、

「なにをプリプリしているんだい、マイエンジェル」

 と爽やかな笑みを浮かべながら声を掛ける。

「怒ったまゆりも可愛いけれど、笑顔のまゆりはもっとステキだよ」

「死ね!」

 いきなり『死ね』頂きました。

「いやいや『死ね』って。俺は褒めているんだよ? それなのに『死ね』はどうかと思うなあ」

晴彦はるひこがわたしを怒らせるようなことを平気で言うからでしょ。何度言っても全然やめてくれないし……」

「そりゃあ、やめるつもりなんてないし」

「死ねばいいのに」

 と、害虫でも見るかのような目で吐き捨てるまゆり。

「……あのさ、まゆり。毎回言ってるけど、女の子が口癖みたいに軽々しく『死ね』って口にするのはどうかと思うよ? まあ、まゆりのために死ねるなら本望だけど!」

「じゃあ死んで。今すぐ死んで。可及的速やかに死んで」

「『死ね』のジェットストリームアタックや!」

 ここまで来ると、もはや口癖というよりは、もはや芸の域だな!

 しかし毎度のことながら、まゆりの「死ね」には聞いていて小気味いいものがあるな。いや決して俺がマゾだからってわけじゃなくて、一種の清涼剤って言うか、気分をスカッとさせるものがある。ある意味俺にとってライフワークと言えるかもしれない。

「ん? つまり俺は、まゆりの『死ね』を聞くために生きていると言っても過言じゃない……?」

「これ以上気持ち悪いことを言ったら、もう晴彦とは口利かないから」

「それは困る!」

 俺にとっては死すら超える苦行だ!

「じゃあもう変なことは言わないで。言ったら死ぬまで口を利かないから」

「くっ。俺はただ、素直な気持ちを伝えているだけだと言うのに……っ」

「それが迷惑だっていつも言ってるでしょ。告白だって過ぎれば脅迫でしかないんだから」

「脅迫なんて、そんな大袈裟な……」

「大袈裟にしてるのは晴彦の方でしょ」

 そう言って、突き当たりの角を曲がって、塀に囲まれた細い道へと進むまゆり。

 この道、登校する時や下校する時に毎日通っているけど、狭い割に意外と車通りが多くて危ないんだよな。ちょくちょく自転車も走ってくるし、気を付けて歩かないと。

「じゃあ『好き』以外になんて言えば……」

「普通に話せばいいでしょ。普通にしてくれたら、わたしも『死ね』なんて言わないし」

「そっかー。普通かー。俺的には今の状態が普通なんだけどなあ」

 と、そこまで言ったあとに「ん?」と俺は首を傾げた。

「あれ? でも俺が『好き』って言い始める前から、ちょっと冷たい感じになってなかった? 具体的に言うと、高校に入学する前くらいから、だんだん素っ気なくなっていったような……」

「た、ただの勘違いでしょ! わたしは前からこんな感じだったもん!」

「そうかなあ? 中学の頃はいつも笑いながら俺と話してたような気がするけどなあ」



「──っ。もう、知らない!」



 と、機嫌を損ねたように、まゆりはプイッと顔を背けた。

 あれ? なんかまた怒らせた? なぜに?

 まあいいか。別におかしなことは言ってないはずだし。きっと元から虫の居処が悪かったのだろう。

 それに、俺には一発でまゆりの機嫌を直すとっておきの秘策を持っている。秘策なので今回しか使えない手ではあるが、絶対まゆりに喜んでもらえるという自信が俺にはある。

「ふふふふ……」

「……なに? 脈絡なくニヤニヤして。気持ち悪いから死んでくれない?」

「え、笑っただけで死なないといけないの?」

 さすがに理不尽すぎない?

「いやいや、ちょっと良いことを思い出してさ。ほら、もうすぐまゆりの誕生日じゃん?」

「ああ、そういえばそうだっけ。正直、正月に近い誕生日って微妙なんだけどね。だいたい正月と誕生日を一緒にされて祝われることが多いし」

「俺的にはけっこう羨ましく見えるけどなあ。普通の日よりも特別感があって、みんなにも覚えてもらいやすいし」

 それはともかく、と正月の話をいったん脇に置く俺。

「実は、まゆりに渡す予定のプレゼントのことを考えてたら、ついニヤニヤしちゃってさ」

「わたしに渡すプレゼント……?」

「そうそう。いつも誕生日はまゆりにプレゼントを渡してるけど、今回は豪華だぜ〜」

「そう。じゃあ期待しないでおくわ」

「おう。期待して──くれないの!? なんで!?」

「だって、いつも変なプレゼントばかりなんだもの。去年は大量の薔薇だっし、一昨年はわたしと晴彦の顔がプリントしてあるTシャツだったし」

「え? なにがダメなん? 薔薇は女の子ならみんな好きな花だろうし、Tシャツだって俺達の仲の良さをアピールできる最高の一品じゃん」

「薔薇は嫌いじゃないけど、大量に貰っても保管場所に困るだけだし、自分の顔がプリントしてあるTシャツなんて完全に論外だから! ちょっとは送られる側のことを考えてよ! 普通に迷惑!」

「そ、そうだったのか……」

 全然気が付かなかった。素直に反省。

「ん? いやでも、去年も一昨年もちゃんと貰ってはいるよな? いらないのなら捨ててくれてもよかったのに」

「……いくら変なプレゼントでも、好意でくれた物を捨てるなんて、さすがに気が引けるし……」

「そういうまゆりの優しいところ、しゅき♡」

「〜っ。勝手に言ってれば!」

 俺の言葉に、まゆりはまたしても頬を紅潮させながら足を早めて背中を向けた。んもう、まゆりったら照れ屋さんなんだから〜。

「しかし安心してくれ、まゆりよ。今回はマジで自信あるから。なんなら、もう用意してあるし」

 言いながら、通学鞄から包装された小箱を取り出して、まゆりに見せる。

「ほら、これこれ。これが今回の誕生日で送る予定のプレゼント」

「……そういうのって、誕生日の日にサプライズで渡すものなんじゃないの?」

「どのみち誕生日の時に渡すんだから、サプライズもなにもないだろ。それに中身はまだ見せてないし、全然セーフっしょ」

「それはそうだけど、なんか釈然としない……」

「え? それって中身が知りたいってこと? いくらまゆりの頼みでも、さすがにそれは聞けないなあ。誕生日になってからのお楽しみなんだから」

「別に知りたいなんて言ってないし……」

 ウザっ、と鬱陶しそうな顔をするまゆりに「またまたぁ」とこれ見よがしにプレゼントを掲げる俺。

「本当は中身を知りたいんでしょ〜? さすがに包みは開けられないけど、ヒントくらいなら教えてもいいんだぜ〜?」

「だから別にいいって。ほんとウザい……」

「そうかそうか。そんなに知りたいのか。じゃあ少しだけヒントをあげよう。最初の頭文字は──」



「だから! 別にいいってば!」



 と。

 怒声と共に振り払われたまゆりの手がプレゼントに当たり、そのまま近くの塀まで飛ばされてしまった。

「あー! なにすんだよ、まゆり〜っ」

「は、晴彦が悪いんでしょ。別にいいって何度も言ってるに、見せびらかすようにわたしの視界に入れてくるから……」

「だからって、なにも叩き飛ばすことはないじゃんかよ〜」

 慌ててプレゼントを拾いに行こうとする俺に、まゆりは一瞬戸惑ったように眉尻を下げたのち、

「し、知らないっ!」

 と、すぐに踵を返して十字路の道をまっすぐ進み出した。

「あっ。ちょっと待って──」

 くれよ、と言おうとして、俺は石像のように固まってしまった。



 左から来たトラックが、スピードを緩めないでそのまま直進しようとしていたからだ。

 すぐ目の前に、まゆりがいるというのに。



「────っ!?」

 全身が総毛立つ。あれはマジでヤバい。めちゃくちゃヤバい。

 なにがヤバいって、運転手が居眠りでもしているのか、頭がハンドルにもたれるように項垂れていたのがウインドウガラス越しに見えたからだ。

 気付けば、俺は無我夢中で走り出していた。

 横から走行してくるトラックに、未だ気付いていない様子のまゆりの元へ駆け付けるために。



「まゆりっ!」



 走りながらまゆりの名前を叫ぶ。けれど、先ほどのやり取り気にしてなのか、まるでこっちの方を振り返ろうとしない。もうすぐそこまでトラックが迫っているというのに。

 しかも最悪なのは、そのことにまゆりが全然気が付いていない点だ。たぶん俺の方を振り向きたくない一心で、前方にしか意識がいっていないのだろう。

 俺のせいだ。調子に乗ってプレゼントを見せびらかしさえしなければ、まゆりがあんな風に意固地になることもなかったのに。

 いや、悔やんでいる場合じゃない。早くまゆりを助けないと。

 ──たぶん、ここまでの思考で数秒といったところだろうか。それくらい、俺は切羽詰まっていた。もう、まゆりの元へ駆け付けることしか頭になかった。



「まゆり!! 危ないっ!!」



 怒号と共にまゆりへと手を伸ばす。俺の手がまゆりの背に触れる。そのまま押し出すように、俺はまゆりを勢いよく突き飛ばした。

 次の瞬間。



 とてつもない衝撃と共に、俺の体が宙に浮いた。



 空が見える。真っ青な空だ。今日は天気予報でずっと快晴と言っていたから、きっと気持ちのいい日になるだろう。

 そんな温かな日差しが降り注ぐ中で、宙に浮いた体が重力を思い出したようにアスファルトの上へと頭から落下する。

 意識があったのは、そこまでだった。




 ふと瞼を開ける。すると、すぐ眼前でまゆりが見たこともない悲壮な表情で何かを叫んでいた。

 だが何を言っているかはわからない。というより、それ以外の音すら聞こえなくなっていた。

 ……ああそうか。トラックに轢かれて頭を強く打ったせいか。それで聴覚がおかしくなってしまったのだろう。

 なんだか視界もいつもよりぼんやりとしていて、少し狭い。救急隊員っぽい人が忙しなく動いているのはわかるので、たぶんまゆりか、もしくはトラックの運転手が電話で呼んだのだろう。

 ああ……それにしてもすごく眠い。いや、これは眠気なのだろうか。なんだか夜寝る時よりも瞼が重く感じる。

 まだまゆりが何かを叫んでいるみたいだから、目を開けたままにしておきたいのに。



 まあでも、別にいいか。

 まゆりが無事でさえいてくれたら、それで。



 なんて胸を撫で下ろしている内に、だんだんと視界が狭くなってきた。瞼が下りてきているわけじゃない──まるで黒の絵の具で塗り潰すように視界が暗くなっているのだ。

 そうこうしている内に、視界がほんの数ミリ程度まで狭まり、やがて俺の意識は暗転した。



 ■ ■ ■



 夢を見ていた。俺が小さかった頃の記憶だ。

 その時俺は、まゆりと一緒に地元の夏祭りに遊びに来ていた。幼稚園児くらいの頃の話だから、当然親も同伴だったが、ほとんどまゆりと一緒に行動していたと思う。

 その時のまゆりは花柄の浴衣を着ていて、わたあめを片手にはしゃいでいた。

 正直言うと、この頃から俺はまゆりのことが大好きだったけれど、今みたく口に出すことは恥ずかしくてできなかった。でも態度に出やすい俺のことだから、まゆりにはバレていたかもしれない。

 ただその件で、まゆりが揶揄ってくることも言及してくることもなかった。

 あの頃は今と違って二人でいつも遊んでいたくらい仲良しだったから、きっとその関係を壊したくなかったのだろうと思う。今でこそ辛辣な言動ばかりしてくるけれども、昔のまゆりは優しくて気遣いもできる良い子だったのだ。態度ではバレバレなくせして、必死に自分の気持ちを隠そうとするバカな俺とは違って。

 そんな俺が今みたいに素直な気持ちを口で伝えるようになったのは、一体いつの頃だったか。



 ああ、そうだ。まゆりの爺ちゃんが認知症になってからだ。


 あの頃のまゆりと爺ちゃんは、正直あまり仲が良くなかった。いや、爺ちゃんの方はいつもまゆりのことを気にかけていたくらい愛情を注いでいたけれど、一方的にまゆりがそれを拒否していたのだ。

 別段、最初から爺ちゃんのことを嫌っていたわけではない。むしろ大好きな方だったくらいで、よくまゆりから「きょう、おじいちゃんがおやつを分けてくれたの〜」と訊いてもいないことをわざわざ話してくれるくらい爺ちゃんのことが大好きだったのに、あることがきっかけで嫌いになってしまったのである。

 あの日──まゆりの誕生日パーティーの時に、爺ちゃんが来なかった日から。

 爺ちゃんの名誉のために言っておくと、決して故意にすっぽかしたわけではない。この頃から爺ちゃんの認知症が進み出して、夜に徘徊するようになってしまったのだ。

 そしてそれは、タイミングが悪い事に、まゆりの誕生日の時にも起きてしまった。

 そのせいもあり、まゆりの婆ちゃんやまゆりのおじさんやおばさんが帰ってこないお爺ちゃんを探すために夜通し外を探し回っていたため、誕生日パーティーが延期となってしまった。つまり、仕方のないことだったのだ。

 そのことは、まゆりも知っている。だがどうしても許せなかったらしく、誕生日パーティーの日から爺ちゃんを避けるようになってしまったのだ。

 本当は爺ちゃんのことが大好きで、頭では爺ちゃんはなにも悪くないとわかっているのに。

 そしてそれは、夏祭りが過ぎた数ヶ月後、爺ちゃんがまゆりを含めた家族全員を忘却してしまった日まで続き、

「……ごめんなさい。ごめんなさい、おじいちゃん。きらいなんて言ってごめんなさい。ほんとうはおじいちゃんのことがだいすきなの。きらいなんてウソだったの。わたしのおたんじょうびに来てくれなかったから、すごくかなしかっただけなの……。

 こんなことなら、おじいちゃんが元気な時に、もっとお話しておけばよかった……」

 と、のちにまゆりが泣きながら後悔していたのを、今でも鮮明に覚えている。



 あの悲しいことがあってから、俺は自分の気持ちを隠さず、正直に伝えようと心に決めたのだ。



 閑話休題。

 話を夏祭りの日に戻そう。

 幼かった頃のまゆりとあちこちの屋台に回って、射的だとか水風船釣りとかでお互いにはしゃいでいる時だった。ふと、まゆりが足を止めたのは。

 どうしたの、と訊ねる俺に対し、まゆりは無言でとある方向を見つめていた。

 視線を辿ると、りんご飴を売っている屋台の前で、二十歳くらいの浴衣を着たお姉さんが彼氏らしき男と楽しそうに笑い合っていた。

「あのおねえさんが気になるの?」

 そう問うた俺に、まゆりはこくりと頷いて、

「おねえさんの●●●●●がすごくキレイで、いいなあって」

 まゆりの言葉を聞いて、俺は再度お姉さんを凝視していた。

 それから「よし」と決意を固めたあと、俺は唐突にまゆりの手を握って言った。



「だったら、おれが──」



 ■ ■ ■



 目が覚めると、真っ白な空間の中に立っていた。

 いや、はたして『目が覚める』と表現していいのものだろうか。どちらかというと、気が付いたら真っ白な空間の中で突っ立っていたという感じだ。あたかもさっきまで白昼夢でも見ていたかのように。

 だがよくよく周りを見てみると、たまに白衣やナースウェアを着た人が目の前を通り過ぎていく。ということは、ここは病院か。

 なんで病院にいるのだろうと疑問が鎌首をもたげたが、すぐにトラックに轢かれたことを思い出す。

 そっか。あのあと救急車でここに搬送されたのか。

 でも、それにしては変だ。トラックに轢かれたにしてはこうして普通に立てているし、痛みだって全然感じない。これは一体どういうことだろうか?

 なんにしても、いつまでもここで立っていても仕方がない。だれかに事情を訊いてみよう。

 そう思って近くにいた看護師を呼び止めようとしたものの、なぜか声が出なかった。

 あれ? なんでだ? もしかして頭を強く打ったせいで脳に異常でも起きたのか?

 それよりも不思議なのが、俺がそばに寄っても全然こっちに気付いた様子がない点だ。あたかも俺の姿なんて影も形も見えていないかのように。

 なんなんだ、これ? 何がどうなっている? 俺の身に何が起きているんだ……?

 いや、自分のことも気になるけど、あれからまゆりはどうなったのだろうか。

 意識を失う前は無事に見えたけど、勢いよく突き飛ばしたせいでどこかケガしているかもしれない。俺と違って女の子だし、色々と心配だ。

 正直、今は自分の身を案じるべきな気もするが、兎にも角にもまゆりの方が気になる。いったん自分のことはさておくとして、今はまゆりを探そう。

 とはいえ、一体どこから探したものか……。

 なんて思案していると、なんとなく誰かに呼ばれているような気がした。

 その誰かはわからないし、どこにいるかも判然としないが、はっきりと手を引かれるような感覚があるのだけはわかる。

 その不思議な感覚にいざなわれるまま、診察棟を離れて、救命救急棟と案内板に書かれた場所へと赴く。

 少し奥へと進むと、そこには数人の医者や看護師、そして後ろ姿だが俺の父ちゃんと母ちゃんが見えた。

 そしてすぐのベンチで、まゆりが俯きながら座っている。よかった。様子を見るに、どこもケガはないみたいだ。

 しかし、なんであんな茫然自失とした表情をしているのだろう。虚ろな瞳のまま、何やらボソボソと呟いているのも気掛かりだ。

 どうしてこんな状態になっているのかはわからないけど、とりあえず今はまゆりを元気付ける方が先だ。

 そう思って、まゆりに駆け寄ろうとして──



「晴彦ぉぉぉ! 晴彦ぉ、なんでぇぇぇぇ!?」



 突如響いた母ちゃんの泣き叫ぶ声に、俺はまゆりに駆け寄ろうとした足を止める。

「晴彦ぉ、お願いだから起きてぇ! 目を覚ますのよ晴彦ぉ! いつもみたいに『母ちゃん飯まだぁ?』って言ってよ〜っ!」

「先生! まだなんとかなりますよね!? 晴彦は……うちの息子は眠っているだけなんですよね!?」

「……残念ですが、息子さんは、もう……」

 一体なんの話をしているのだろう。

 それじゃあまるで、俺が死んだみたいじゃないか。

 どうせ何かのドッキリに違いないと、少し大掛かりなやり口に内心引きつつも、父ちゃんと母ちゃんのところに行ってみると──



 俺がいた。

 ストレッチャーに寝かされた、もうひとりの俺が。



 そのもうひとりの俺は、血の気の失せた顔で仰向けに寝かされていた。

 なるほど、確かにこれはいかにも死んでいると言った感じだ。その証拠に眉ひとつ動きもしなければ、胸もまったく上下していない。おそらく呼吸が止まって

いるのだろう。

 そこで確認して、俺はようやく現状を呑み込んだ。



 そうか……俺は死んでしまったのか……。



 なんか、全然あっけない人生だったな。それも居眠り運転したトラックに轢かれて死ぬなんて、思ってもみなかった最期だ。

 正直、未だに信じられない。夢でも見ているかのような気分だ。ああして泣き崩れる母ちゃんや必死に涙を堪えている父ちゃんの見たことも姿を前にすると、余計に非現実感がある。

 しかし、こうして生気のない顔をしたもうひとりの俺を目にしてしまうと、これが嘘偽りない現実なのだというのをありありと実感してしまう──させられてしまう。

 俺の人生設計だと、結婚したまゆりと老後まで末長く幸せに暮らして、最期はまゆりに看取ってもらう予定だったんだけどなあ。人生はままならないとは言うけれど、いくらなんでもこれはあんまりだろうよ。

 だって俺、まだ十六歳だぜ? まだ成人すらしていないのに死ななきゃいけないなんて、さすがに理不尽だって。神様が本当にいたら直接文句を言ってやりたい気分だ。むしろ罵倒まである。

 しかしまあ、そのかわりまゆりは無事に済んだわけだし、後悔はないかな。全然まったくないと言ったら嘘になるが、それでもまゆりが死ぬより遥かにいい。

 仮にまた同じ状況になったとしても、間違いなく俺は自分の命を犠牲にしてでも、まゆりを助けていただろう。

 たとえ、何百、何千と繰り返したとしても、それだけは変わらない。

 親より先に死んでしまったことに対しては、すごく申しわけなく思うけども。

 あ、そうだ。まゆりは俺が死んだことに対してどう思っているんだろう。

 今しがた見た限りは、だいぶ精神的に参っているような感じだったけども──

 そう思って背後を振り返ってみると、さっきまでベンチに座っていたはずのまゆりが忽然といなくなっていた。



 あれ? まゆりは……?



 ■ ■ ■



 最初こそ突然まゆりがいなくなって心底焦ったが、すぐに冷静になった俺は、とある場所へと向かっていた。

 正直言うと、まゆりの行き先にはなんとなく心当たりがあった。

 あの時──病院でまゆりを見かけた時、

「信じない……絶対信じない。嘘に決まってる……」

 と、幽鬼のような形相でボソボソ呟いていたから。

 あれは明らかに、俺の死を受け入れられていない言動だった。ひょっとすると、タチの悪い夢か幻だと思い込んでいるかもしれない。

 だとすると、おそらくまゆりは──



「晴彦! 出て来なさいよ晴彦!!」



 冬の寒空の下、まゆりの怒声が響く。

 そこは俺が轢かれたところ──普段なら何も変わり映えしない登下校道となるはずだった場所に、まゆりはいた。

 実況見分はすでに済んだのか、警察車両はひとつも見当たらない。そのせいもあって、野次馬と思わしき人も微塵もおらず、いつもの閑散とした風景が広がっていた。

「わかってるんだからね! どうせ晴彦のドッキリなんでしょ!? 病院にいるのは晴彦のそっくりさんが死んだ振りをしているだけで、本当はまだここに隠れているんでしょ!」

 と、電柱の陰やガードレールの裏などを丹念に調べながら、まゆりは依然として怒鳴り声を上げる。

「おじさんやおばさんだけじゃなくて、スタントマンまで雇ってわたしを騙そうとするなんて、ちょっとやり過ぎじゃない!? 晴彦のそっくりさんがトラックに轢かれた時、わたし、心臓が止まりそうになったんだからね!?」

 違うんだよ、まゆり。

 スタントマンでもなんでもないんだよ。

 ドッキリなんかじゃなくて、正真正銘、俺が轢かれたんだよ。



 俺はもう、死んでしまったんだよ──。



 そう教えてあげたいのに、幽霊となったこの体では声すら満足に発せられない。触れたくても透き通るばかりで、何も伝えられない。

「さっさと出てきなさいってば! いつまで子供みたいなことしてるのよ! こっちは学校を休んでまであんたのイタズラに付き合ってあげてるんだからね!」

 まだ俺がここに潜んでいると思い込んでいるのか、始終駆け回りながら大声を飛ばすまゆり。

 だが、それもいつまでも続くはずもなく、再び俺が轢かれた現場へと戻ってきたまゆりは、肩で息をしながら膝に手を付いていた。

「早く……早く出てきてよ。もう降参するから。わたしの負けでもいいから……」

 消え入りそうな弱々しい声でまゆりが呟きをこぼす。

 まゆり、俺はここにいるよ。すぐ近くにいるよ。

 そう声に出そうとしても、まるで消音にしたテレビのように口だけしか動かなかった。せめて物さえ掴めたら字を書くことすらままならない。

 そんな何もできない自分にもどかしく思っていると、まゆりが「あっ」と声を漏らした。

 その視線の先には、俺がまゆりにプレゼントするはずだった小さな箱が、塀のそばに落ちていた。

 朝、まゆりに叩き飛ばされた時に、誰かが拾うこともなくそのままにされていたのだろう。幸い目立った汚れもなく、潰れてもいなければ凹んでもいない。あるとすれば、多少包装紙が破れている程度だ。

 それを見たまゆりが、覚束ない足取りで俺のプレゼントを拾いに行く。

 そうしてまゆりは、壊れ物に触れるような慎重さで俺のプレゼントを手にしたあと、

「よかった。まだ残ってたんだ……」

 と安堵しながら、包装紙に付いた砂埃を指で払い始めた。

「あ、でも、まだ中身が……」

 そこは俺も気になっていたところだ。

 一応そこまで脆くはないが、かと言って頑丈な代物というわけでもないので、破損していないかどうか、ずっと気掛かりではあったのだ。

「開けても、いいよね? 中身が気になるし、それにわたしのプレゼントだし……」

 もちろん、と伝えられる状態ではないので、綺麗に包みを開けていくまゆりを黙って見守る俺。

 やがて包みを開け終えたまゆりは、あらわになった白い小箱の蓋をおそるおそる手に取って、

「えっ。これって──」

 蓋を開けた瞬間、虚を衝かれたとばかりに硬直するまゆり。

 まゆりがそこまで驚愕した理由、それは──



「……これ、わたしが小さい頃にずっと欲しかった髪飾り(、、、)……」



 そう──。

 これは昔やっていた夏祭りで、まゆりが通りすがりのお姉さんを見て、

「おねえさんのかみかざり(、、、、、)がすごくキレイで、いいなあって」

 と言っていたものだ。

 それを聞いてから、俺はずっとこの髪飾りを探していた。

 なにぶん名称も何もわからなかったので、最初の内は見た目の特徴だけで探し回っていた。

 のちに数年経って、俺が十二歳の時にとあるネット通販サイトでまゆりが欲しがっていた髪飾りを発見できたけども、高級品だったようで、小学生の小遣いで購入できるような値段じゃなかった。

 なので、ずいぶん先の長い話になるが、バイトができる年齢になるまで髪飾りの購入を見送って、そして最近になってようやく手に入れることができたのだ。



 まゆりに送る、最高の誕生日プレゼントとして。



 その髪飾りを、今、まゆりが手にしている。

 ずっと心待ちにしていた光景のはずなのに、微塵たりとも高揚した気分にはなれなかった。



 なぜならまゆりが、髪飾りを見つめたまま涙を流していたから。



「ずっと、覚えていてくれてたんだ……あんな小さかった頃の話を……」

 髪飾りを両手で包み込むように胸へと抱き寄せながら、まゆりは言葉を紡ぐ。

「バカだ、わたし……。こんな大切な物を叩き飛ばしちゃうなんて……」

 ポツポツと、いつしか空から小雨が降り始めていた。天気予報では、今日はずっと快晴だと言っていたのに。

 やがて小雨は大粒の雨へと変わり、まゆりの全身を濡らしていく。

 翻って俺はというと、さっきから雨が自分の体をすり抜けていくばかりで、まるで濡れる気配がない。

 もはや涙のせいなのか雨のせいなのかわからないほど、両頬がしとどに濡れているまゆりとは違って。

「ごめん、ハル。ごめん……」

 雨を避けようともせず、まゆりが涙を流し続けながら震えた声で言う。

 小さい頃はよく呼んでいた、昔懐かしい俺の愛称を口にして。

「いつも『死ね』なんて言っていたけれど、本当はハルのことがずっと好きだったの。でも、ハルが人前でもわたしに告白してくるようになっちゃって、どうしたらいいかわからなくなっちゃったの。両想いだってわかって嬉しかったけれど、周りに揶揄われるのが怖くて、素直になれなかっただけなの……」

 その言葉を聞いて、俺は思わず瞠目した。

 知らなかった。まさかまゆりも、ずっと俺のことを好いてくれていただなんて。

 それなのに俺は、そんなまゆりの気持ちにすら気付けず、ずっと毎日のように告白していたのか。

 バカだ、俺。なんでもっと真剣になってまゆりに気持ちを伝えようとしなかったんだろう。

 今まで口にした気持ちが嘘だったわけじゃない。全部嘘偽りない本気の気持ちだ。

 でも、自分のすべてを懸けるような一心で告白していたかというと、そこまでの自信はなかった。

 結局のところ俺は、自分の気持ちを押し付けることにしか目が向いていなかった──どうしようもなく救いようのない愚か者でしかなかった。

 それも何が愚かって、死んだあとになってこんな大事なことに気付いてしまった点だ。



 死んでしまっては、もうどうすることもできないというのに──



「ほんと、わたしバカだ……。お爺ちゃんの時にあれだけ後悔して、また同じことを繰り返してる。なんでもっと、素直になれなかったんだろ……」

 まゆりは悪くないよ。

 悪いのは俺だ。

 あれだけまゆりが嫌がっていたのに、俺が一方的に気持ちを伝えてばかりいたから。



 まゆりの気持ちも考えずに、自分のことしか考えていなかったから。



 俺がバカなことさえしなかったら、こんなことにはならなかったかもしれないのに。

 もっと一生に一度くらいの気持ちで自分の想いを告げていたら、あるいは──

「今度からはもう避けたりしないから……もう二度と死ねなんて言わないから、だからハル、わたしの前に出てきて。いつもの元気な姿を見せて……」

 まゆり。

 ごめん、まゆり。

 俺はもう、まゆりに何も言ってあげられない。

 今はただ、こうしてそばで見守ることしかできないんだ。

「ハル……ハルってばぁ。死んだなんて嘘でしょ? 嘘だって言ってよぉ……」

 未だ雨が降り続く中、まゆりは項垂れるようにガクッと地面に両膝を付いて、譫言うわごとのように「ハル、ハル……」と俺の名前を呼び続ける。



 そんなまゆりのそばに寄り添いながら、俺は静かに濡れない涙を流した。



よろしければ、感想、評価、レビューをして頂けると嬉しいです。


*1/11、加筆修正しました。

*1/12、まゆりのお爺ちゃんの死を認知症に変更しました。

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― 新着の感想 ―
切なくなって、涙が出てきました。
 職業柄、遺族の様子を見たことがあるのですが、晴彦君の両親等の言動、当時を思い出します。  まゆりさんと、晴彦君、お互いの気持ちがすれ違わなければ、明るい未来があったのかな。  十日兎月先生の作品、以…
個人的にあまり短編は読まない主義なんですが、面白いのがなくて短編でも見るかぁ、と思った矢先目に飛び込んでいました。 確かに前半の晴彦は少しテンションが高すぎたかもしれませんが、個人的にはとても見てい…
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