第22話 『もう一人の俺』
メリーは「服に着替える」と言いだしたので、レインは風呂場をあとにした。何故だろうか心拍数が高い。
まだ全然眠くないな。この部屋、壁を変えることができるんだっけ。
レインはヴァルスの説明していたことを思い出す。レインはそれらしき物を変えるリモコンを手に取りボタンをいじった。
緑のボタンを押すと完全に部屋全体が森の中へと一変した。草木が生い茂るこの背景に足を一歩動かすとまるで自分が草木の上を歩くような音が聞こえた。鳥の囀り、風が木を揺さぶる音。何もかもが本物の森林のようだ。
次に青のボタンを押した。水中。いや、海中だ。集団で動く魚が身の前を通り、そう解釈した。さっきと同様一歩動かすごとに水を蹴る音が何処からか聞こえてくる。
ん?なんだあれは。真っ直ぐこっちに向かってきているものがある。
レインは黒い物体に目を凝らす。
鮫だ。
レインは慌てて次のリモコンのボタンを押す。何色のボタンかわからないものの部屋一面に都会の街並みが広がった。まるで昔の〈インザヘル〉のように栄えた都市。車の通りが激しく、数多くのビルには電気が灯っていた。なんだか騒音が聞こえる。だが、今と比べればこれもこれで悪くはないのかもしれない。
残りも試してみた。白いボタンは雪景色が広がり、赤いボタンはまるで自分が小さくなったかのような、そんな世界が広がり、黄色いボタンを押せば一面金色に輝く、絶対眠らせる気のない部屋が出来上がった。
その時金色に輝く部屋の一部が浮かび上がってきた。風呂場の扉が開いたのだ。中からメリーが出てくる。
「着替えたのですわ……ってなんですのこの部屋は!?」
「ヴァルスさんが部屋の見た目を変えることができるって言ってたろ。俺好みの部屋はなかったんだがな」
メリーは足を引きづりながら歩き、ベッドに座った。パジャマに身を包んだメリーはさっきとはまた変わった雰囲気がある。
「とにかくこんな金色では目がうるさくて眠れないですわ。なんかもっと落ち着いたものにしてほしいのですわ」
もこもこのパジャマに身を包んだメリーが訴える。
「好きでやってるわけじゃないから別に良いけど」
レインはリモコンに付いているリセットボタンのようなものを押し、部屋全体がさっきの部屋に戻った。
「メリーはもう寝るのか?」
「私は早く体を治したいから寝ますわ。レインはまだ起きているのですの?」
「ちょっとやりたいことができてだな」
メリーは少し悲しそうな顔をしてレインを見る。
あ、これまた強請られるやつじゃないのか?メリーの表情だけで何をしたいのかを察せるようになってきた。
「その、迷惑だと思うのだけれど私が寝付くまで手を握っていてほしいのですわ。やっぱり少し怖いのですの」
そうだろうな。俺だって今でも悲しい。ましてやメリーにとってはいつもそばにいてくれたパートナーが一瞬にしていなくなってしまったのだ。
レインはベッドの上に座るメリーの横にしゃがみ込んだ。
「全然構わない。今は互いに支え合わなければならないからな」
メリーはそのままベッドに倒れた。ふかふかのベッドの上にもこもこのメリーが転がった。レインはそのままメリーの上に布団を被せる。
メリーは微笑みながらレインに手を伸ばした。
「……ありがと」
レインはメリーの手を受け取った。柔らかい。さっき手を取った時は明らかに力が入っていてそんな言葉は思い浮かばなかった。だが、今は、今だから言える。
「メリーの手、ずっと握っていたいな…あっ」
しまった。声に出てた。今だから言えるとは心の中でということだったのだが、無意識のうちに声が出てしまう。そんな変態コメントからの反応が怖い。
「い、いいのですわ。……ずうっと握っているのですわ」
目を逸らすメリーの頬は少し赤くなっているのがレインは見逃さなかった。だが、レインは唖然としていた。
予想の斜め上行った甘口コメントが返ってきた。メリーならもっと罵倒するようなことを言ってくるだろうと勝手に思っていた。
「い、今だけだから……次、レインが触ることはない、かもしれないてすわ」
レインは耐えきれず両手でメリーの手を握った。レインの意思は止めようとするが、レインの本能、いや、男の欲が勝手に体を動かしている。
「レイン、なんか近くないですの?」
「黙ってろ。俺が早く寝付けるようにさせてやるよ」
いつの間にかレインはメリーに馬乗りになっていた。レインの頭の中にはメリーしかなかった。今のレインにはさっきまでのレインは残っていない。
メリーは怪我を負っていて抵抗しようとするも、動くことはない。
だが、メリーは気づいていた。初めてみた時に思ったこと。それは、カノルと似ていること。長くカノルと一緒にいたメリーなら今のレインが本物のレインではないとわかっていた。
「口を出せ」
何処かおかしいレインがメリーの口に近づく。このままではメリーの口はレインに奪われてしまう。
「…ち、違うですの!せめて自分の意思でしてほしいのですの!」
次の瞬間、メリーの足が上に上がり、そのままレインの急所にクリティカルヒットした。
「うごぉぉぁっ」
レインはそのまま床に吹き飛ばされた。地面に激突したレインは急所を抑えながらメリーに訴える。
メリーはというと、涙目で布団に半分以上埋まっている状態になっていた。
「お、俺、今何をっ……」
「け、怪我人を殺す気ですのっ!??」
「それはこっちのセリフだ…!」
レインは落ち着いてからメリーに問う。
「俺今から十分近く前の記憶がないんだが……。何があったんだ?」
「〈アビリティニスト〉の何者かにやられたか、レインの変態心が覚醒したかの二択ですわ」
「いや、流石に二つ目のやつはない!」
レインは自分の中からくり抜かれたかのように消えた記憶をなんとか思い出そうと試みるが頭が痛くなるばかりだった。
床に落ちたレインは立ち上がる。
「もう寝ろ。俺はこの原因を考えているから。安心して寝てくれ」
「ファーストキスを取られそうになってどうやって寝ろって言うんですの……」
「ん…なんか言った?」
「なんでもないですの!!」
メリーはレインが手を握らずとも布団に包まり、泣き寝入りした。
迷走。