第19話 『ショックによる幻覚症状』
「…え、風呂?」
全く想像していなかったことを言われ、レインは少し考える。
今包帯を回した後に風呂に入られると包帯が取れてしまう。それに完治していないからお湯に触れるとかなり痛むはずだ。
「……明日にしとけ。絶対に後悔するぞ」
「今、入りたい、ですの。一日でも、風呂に、入らない、なんて、考えられない、ですの」
「そうか…なら別に入ってくれても構わないが。苦しいなら俺になんでも言って、なんでも頼ってくれ。俺ができないこと以外なら全力で助ける」
メリーはベッドから降り、足を引きずりながら風呂場へと歩いて行く。メリーは風呂場の扉に手をかけると小さい声で呟いた。
「その時は、一番に、あなたに言うわ」
メリーは風呂場の向こうへと消えた。レインはその言葉を聞き逃さなかった。
もう決めたんだ。絶対に生かしてこの任務を終わらせてやるって。カノルのためにも。
すると、レインが座っていた椅子の前にカノルが見えた。さっき会話した時のように二人とも椅子に座って向かい合った状態になっていた。
目を擦ると、カノルは消えてしまった。はっきりとカノルが見えていたはずなのにたった一つの、一瞬の出来事で失ってしまった。幻影が、いや、存在そのものが消えてしまった。なんだか、罪悪感と自分の愚かさに満たされていく。ライバルだから、友達だからではない。一人の大事な命として守り抜くべきだった。
「三つ目の話…聞いて欲しかったな。もうすでに叶ってしまったことだけど自分の口から言い出したかった…」
レインはカノルの座っていた椅子に向かって一人で語りかける。カノルは見えないがレインの気持ちは抑えきれなかった。
「…さっき言ったが、俺はカノルを尊敬してたんだ。俺よりも優秀で伸びも早くて、今にリーナスを取られるー、なんて思った時もあった。おまけに責任感まであってすごく羨ましかったんだ」
レインはカノルのいたはずの場所に目線に目を合わせる。周りから見ればただの空気に話しかける変人。だが、何故かレインにはカノルの姿がぼやけて見える。
「俺はお前と同じレベルになりたくて、憧れの存在をライバルとして見てたんだ。ライバルなら競いやすいかなって。でもそんなことはなかった。カノルは優しくて、俺だけがライバル視していただけであってお前は友達とまで思っていてくれたなんてな」
気がつくとレインの目は洗脳されたかのように状態になっていた。今はもういないカノルに向かって、いや、カノルのいた空間に取り込まれるような感覚に陥っていた。
「なあ、まだ間に合うのかな…。やり直しって聞くのかな…。最初に戻って『友達になって』って言ったら友達としてまた人生を歩めたり出来るのかな…?」
カノルの幻影はニコッと笑う。レインは椅子から落ちた。何もされていない。ただレインの中の精神の不安定により転げ落ちた。転げ落ちてもまた這いつくばるかのようにカノルの座っていた椅子に向かって語りかける。
「俺はお前が友達って言ってくれた時ものすごく嬉しかった。なんてったって人生で二人目の友達だったからさ。過去のトラウマを覆すことが出来るような人がいたなんて…。俺はそんなカノルが羨ましいよ」
レインはさらに壊れたかのようにぶつぶつと話し出す。
「俺だけ話してたってつまらないだろ…。なんか話してくれよ…!なあ!戻ってきてくれよ……」
「ちょ、レイン?」
メリーが風呂場の扉からバスタオルを巻いたまま出てきた。まだ入っていないのか雫一つついていない。
レインはメリーの方を振り返り、薄ら見えるカノルを指差しながら声を上げる。
「カノルが声を出さないんだよ…。何を聞いても。無視するばかり…!優しいカノルは何処に行———」
メリーはレインを手のひらで叩いた。それも強く。正気に戻るように。メリーは今にも泣きそうな顔でレインに怒鳴りつける。
「何よ!さっきまで私を慰めていたくせに私がいなくなった瞬間、いないはずのカノルに話しかけて鈍感にも程があるのですわ!」
「ご、ごめ———」
「ごめんじゃないのですわ!何一人でカノルの幻覚を見ているのですの!見れるなら私だってずっと見ているのですの!幻覚なんて見ていても先に進まないの!鬱になって病んで死んでいくだけですの!」
メリーはレインの顎を前に出し、今にも触れてしまうかのような距離で怒鳴る。そうまでしないとレインは堕ちてしまう。
「カノルの仇を打つには幻覚を見ていたら始まらないのですわ!」
レインは呆気に取られメリーから目を逸らす。カノルのことを考えすぎていたレインはもう一度考え直した。
「……メリーの言った通りだな。でもあのカノルは本当に幻覚だったのか…?」
「まだそんなことを言って…。私にはカノルが見えないですわ!」
メリーは自分に巻いているバスタオルをギュッと掴む。
「てか、お前風呂に入ったんじゃ…」
「……一人じゃ厳しいのですわ…。手伝って欲しくて呼ぼうとしたらこの様ですの」
「……それは悪かったな」