#9 最先端
「いやあ、ほんと焦ったわぁ」
新型艦撃沈から二日後、私は王都郊外にある駐屯地の中の野戦病院に来ていた。そこで私は、予想以上に元気なマリッタと再会する。
「焦ったなんてもんじゃない! 私がどれだけ心配したと思ってるんだ!」
「ちょ、ちょっとユリシーナ、病院で大声を出さない」
思わず怒鳴りつけてしまった。それはそうだ。落ちていく調理場を見た私は、砲撃室で泣きわめき続けた。一生分の涙を流したと思うほど、泣いた。その涙を返してほしい。
が、騒ぐ私を辺りにいる負傷兵や医師、看護師らが怪訝な目で注視してくる。それを見て我に返った私は、マリッタが寝ているベッドの脇にある丸椅子に座る。
「……で、どうやって助かったんだ」
「そうそう、聞いてよ。私、4000メルテの高さから調理場ごと落っこちたじゃない」
「それは見ていたから承知している。その後の話が知りたいんだ」
「でね、調理場の中で私、ふわっと浮き上がったのよ。ああ、これでもう死んじゃうんだって思ってたんだけど……」
などと能天気に語るマリッタの話をまとめると、こういうことだ。
高度4000メルテから落下した調理場は、その真下に広がる針葉樹林の上に落ちる。
が、一本の太い幹の針葉樹に調理場が突き刺さる。その針葉樹の枝が折れながら調理場の運動量を吸収してくれたおかげで、その調理場の中にいたマリッタが地面に叩きつけられるのを結果的に止めた。
さらに、たまたま近くを通った陸軍のとある小隊がその音を聞きつけ、この落っこちてきた調理場を発見、マリッタは救い出されたというわけだ。
ただし、さすがに4000メルテもの高さから落下して無事で済むわけがない。右足の骨折と、数か所の捻挫、背中に大きな切り傷で、包帯まみれな姿をさらしている。
とはいえ、あの高さで落ちて、その2日後にこれだけへらず口が叩けるほどの元気な状態でいられるなど、まさに奇跡だ。
しかし、だ。その陸軍の小隊はただでマリッタを救い出したわけではない。脱落した調理場には6日分の食糧が搭載されていたが、その内の紅茶の葉と酢漬けキャベツ、煮豆の缶詰、干しトナカイ肉がごっそりなくなっていた。明らかにその小隊がくすねたことは間違いない。
空中戦艦は過酷な環境だ。寒い上空で何日にもわたって作戦行動をとることを余儀なくされている。水ですら貴重で、制限される。その分、食糧の質が陸軍と比べて良い。あんな食事でも、まだマシな方なのだ。そりゃあ取られて当然だろう。
もっとも、マリッタの命の代償と思えば安いものだ。にしてもだ、我々と比べて酷い食事を強いられているという陸軍をしても、あの硬いビスケットだけは持ち去ろうとは思わなかったようだ。あちらでも、あれが嫌われていることがよく分かる。
「で、私これから王都の病院に移されるんだって」
「それはそうだろうな」
「全治一か月だって言われたから、戦艦ヴェテヒネンの修理には間に合わないなぁ」
「ちょっと待て、お前まさか、再び戦艦ヴェテヒネンに乗るつもりか?」
「そりゃ当然、乗るわよ」
「いや、だって、あれだけ酷い目に遭ったんだぞ? 乗るか、普通」
「何言ってんのよ、私が何のために戦艦ヴェテヒネンに乗り込んだと思ってんのよ」
この通り、あれだけの目に遭いながらも、この調理師はまだ空中戦艦に乗ると言い張る。その神経の太さに恐れ入る。
「でさ、ヴェテヒネンはどうなってるのよ」
「気嚢の後ろ側、第7ガス袋が被弾し、ガスが抜けた。それ以外にも、右機関がラジエーター被弾により始動不能となった。あとは脱落した調理室の修復も必要だな」
「そりゃあそうだよね、私ごと落っこっちゃったくらいだから」
まるで他人事のように言っているが、その調理室と共にお前自身も落下したことを忘れるな。もう少し、恐怖を覚えたらどうなんだ。
「だから、こちらも修復にひと月近くはかかるな。お前とどっちが早く直るか、といったところだ」
「そうなんだ、負けてられないわねぇ」
「あのなあ、せっかく助かった命なんだぞ。少しは惜しいと思わないのか?」
「助かったってことは、この世でやり残した使命がまだあるってことじゃない。だから、再び乗るよ、空中戦艦に」
結局、マリッタのやつは最後まであの空中戦艦の調理場に戻ることを譲らなかった。
で、私は陸軍の野戦病院を出る。駐屯地内をこの勲章付きで歩くと、王都内とは違った雰囲気をひしひしと感じる。
我々空軍というのは、陸軍から明らかに嫌われている。風の噂では、大した戦果を挙げず、呑気に空を飛んでいるくせに、食糧の優遇された存在だと言われてるとかなんとか。それが陸軍から見た、空軍の姿のようだ。
戦果を挙げていないなどとは思わない。現に、おとといの戦いでは我が空軍の奮戦によって、王都への爆撃を防ぐことができた。
我がヴェテヒネンは新型のラーヴァ級を撃沈したが、ズヴェアボルグ、トゥイマが追っていた残りの3隻の内、ペロルシカ級1隻が撃沈、もう一隻のペロルシカ級も追い込み、爆弾を投棄させることができた。それを受けて、生き残った2隻は撤退していった。
これだけで、王都に住む何百、何千人の人命を救ったのだ。王都の王族、貴族をも守った。我々は決して、陸軍に劣らない戦いぶりを見せている。にもかかわらず、我々は理不尽にも彼らから疎まれている。
そういう空軍への冷たい視線を感じながら、私はこの駐屯地を後にする。
兵舎に戻ると、手紙が届いていた。中を開けると、それはラリヴァーラ少佐からのものだった。そこに書かれていたのは、私は勲章を授与したとき以上に心躍る内容だった。
それは、軍の中央計算局への招待状だった。
翌日、私はその手紙を持って、王都の貴族街にほど近い軍司令本部の脇に立つ建物へと向かった。そこは中央計算局と呼ばれる施設で、我が軍随一の機械式計算機が多数、稼働する場所として知られている。
今、私が握りしめている計算尺など比較にならないほどの、高度で高速な計算ができる機械が集まる、私にとっては夢のような場所。ごく限られた者しか出入りできないその場所に、私は招待された。これほどの栄誉はない。
そんな計算局の建物へ出かけた私だが、入り口に立つ警備兵に止められる。
「誰か!」
みれば陸軍の軍服をきた警備兵で、近づいてきた空軍服の私に小銃を向けてそう叫ぶ。が、私の胸にある金の勲章を見るや、銃を収めて敬礼をされる。私も返礼し、少佐からの手紙に同封されていた一枚の赤い紙を見せる。
「戦艦ヴェテヒネン所属の計算士、カルヒネン曹長であります。ラリヴァーラ少佐より、こちらの施設へ出向くよう連絡を受けました」
「はっ、少佐殿より伺っております。曹長殿、こちらへ」
よく見れば、その守備兵は上等兵だ。階級的には、私の方が上だった。普段、私のいるヴェテヒネンでは、大半が私と同じか上の階級な乗員ばかりなため、自身よりも階級の低い軍人との接し方を知らない。
この中央計算局は真四角なコンクリート製で、窓がほとんどない殺風景な建屋だ。近所に並び立つ貴族街の優美で荘厳な屋敷や、窓の多い軍司令本部の建物と比べると、味気ない場所にしか見えない。
が、そんな外観からは想像もつかないほどの、最新鋭の機械が稼働する軍の最高機密が集まる場所。そこに私は初めて、足を踏み入れる。
「作戦部からの敵進軍予測、まだ終わらないか」
「まもなく終わります」
「暗号解読の依頼がまだなんだ、早く計算してくれないか?」
慌ただしく、士官クラスの軍人たちが紙を広げては作業している。その脇には計算尺も置かれているが、私が注目したのは、その机の脇に置かれた大きな機械だ。
ある士官が、その機械のレバーを引く。その上にある0の数字が、レバーに応じて動く。その右横の数字レバーを動かし、さらに右隣にあるスイッチを押す。
ガチャガチャとけたたましい音を立てて、その機械の歯車が回り出す。やがてチーンという音が鳴って止まると、その下に表示された数値を士官は書き出している。
まさしくあれは、機械式の計算機だ。手回し式ならば私も見たことがあるが、それを電動の力で回しているのか。再びその士官は数値を入れ直し、スイッチを入れる。出てきた数値を書き出す。それを書き出した紙片を持って横のテーブルに向かうと、その上に置かれた地図に定規を当てては紙片を見て、また定規を当てて線を引いている。
それが、進路予測だということは私にも分かる。だが、かなり大規模なもので、我々が使っている予測式よりももっと複雑なものを用いている。そのメモ用紙に書かれた数値の多さが、それを物語る。
「見ての通り、ここでは作戦行動に必要な計算を行っている。例えばあれは、偵察情報を元にした敵大隊の行軍進路予測を行っている」
「は、はぁ……」
「進路予想の他にも、兵力配分の算出、暗号解読、費用算出など、軍事に関わるあらゆる計算をここで行う。オレンブルクに比べ、我々の方が計算技術が勝っており、ここでの計算精度が国力の少ない我が王国の軍事力を補っていると言っても過言ではない」
ラリヴァーラ少佐が饒舌にこの施設の意義を語る。高価で重い機械式計算機が何台も並べられており、空中戦艦所属の私などにとっては、皮肉にもこちらの環境の方が雲の上の存在だ。
そんな光景に唖然としていると、先ほどの数値を元に予測進路を地図上に書き込んでいる士官のところに、とある佐官が近づいて何かを指摘している。
「おい、ホッカネン中尉、ここの計算、間違ってるぞ」
「はっ、ヴァルビア大佐。ですがこのような数値が出ておりまして……」
「この地形で、こんなに進めるはずはないだろう。絶対に計算を間違えているぞ」
「ですが大佐……」
「まあいい、ともかくもう一度やり直せ。いや待て、ちょうどいいのがいるな」
と、その時、ヴァルビア大佐と呼ばれた佐官が私の方を見る。
「おい、そこの曹長」
「はっ、私のことでしょうか?」
「今、この部屋にいる曹長は、貴官だけだ。ちょうどいい、お前の実力を見せてもらおうか」
「は、はぁ」
「敵の行軍進路の予測だ。これを計算せよ」
「あの、小官は弾道計算を主に行う計算士でして、行軍進路予想は……」
「ここに予測式がある。あとはここに書かれた数値を入れるだけだ」
招待された私に、いきなり計算しろとこの大佐殿はおっしゃる。どうやらラリヴァーラ少佐の上官らしく、少佐殿も反論できない様子だ。仕方がない、そう思った私は予測式の書かれた紙を受け取り、計算尺を取り出す。
たった一本の線を引くのに、実にたくさんの数値を使うものだ。高低差、平地での行軍速度、天候の補正係数など、これらを式に入れて算出し、最後に足し合わせる。これを地図の前後、左右方向について2度行う。
「南北方向が21、東西方向が13とでました」
それを聞いた中尉殿が、それを地図上に書き出す。すると、最初に書き込まれたものと比較して、ぐっと短くなる。
「うむ……さすがは金等級、というところだな。まあまあだ」
それを見た大佐殿が、ひと言そう述べる。しかしだ、あの機械式計算機でやる計算を、計算尺でやってのけた。かなり大変な計算だったわりには、あっさりとした感想だな。この大佐殿は、服装からして陸軍側の佐官だ。しかも私が階級不相応な勲章持ちということで、疎まれているのだろうか。
が、この計算をしながら私は、ある部分に疑問が湧く。
「あの、ヴァルビア大佐殿、一つ、質問してもよろしいでしょうか?」
「なんだ」
「この天候補正係数ですが、今回の計算では曇りは0.5とされてます。が、こちらは同じ曇りなのに、0.3となっております。どうして係数がこれほど変わるのでしょうか?」
「ほう、いい質問だな。おいホッカネン中尉、この曹長に説明してみよ」
「はっ、ええと、この天候補正係数だが、同じ曇りと言っても、ただの曇りと雨後の曇りとでは、地面の状態が異なるんだ。だから、行軍速度の推定には直前の天気を加味した係数が用いられている」
「そうだな、加えて言うなら、この係数には人の感性も入っている。地面がぬかるんでいると言っても、土壌や道幅によって行軍速度に与える影響は異なる。そこは実際に行軍を経験し、そこに触れたものの勘で決めることが多いな」
「なるほど、勉強になります」
「そういう空軍の弾道計算式にも、補正係数があるだろう。貴官の場合、どうやって決めているのだ?」
「はっ、小官の場合は望遠鏡にて、敵戦闘艦のゴンドラを支えるロープの揺らぎを見て決めていることが多いです」
「なぜだ?」
「空中戦艦の弾は散弾式を用いることが多いですが、細かく分散された散弾は風の影響を受けやすくなります。そのため、敵艦周辺の風の影響を考慮する必要があり、その目安として敵艦のロープの揺れ具合を用いております」
「ほう、面白いな。空軍らしい。では……」
ところがだ、私のこの質問をきっかけに、計算談議が始まってしまった。その場に居合わせてしまった中尉殿も巻き込み、ヴァルビア大佐、ラリヴァーラ少佐と私が各々の計算手法について語り合う。
「なるほどな、ラハナスト先生の教えを忠実に守っていると、貴官はそう言うのか」
「はっ、先生は常日頃から、人の経験や感性、思想を大事にせよとおっしゃっておりました。ただの数式の答えだけでは正解にはたどり着けない、最後に正解を見出し、決断するのは人だ、と」
「その通りだ。その歳で、すでにその域に達していることに感心した。金等級は伊達ではない、ということだな」
計算工学と、ラナハスト先生という共通の師匠を持っていたことが、この場を和やかなものに変えた。改めて私は、ラナハスト先生に感謝する。
と、その話の流れで、大佐殿がこう言い出す。
「そうだ、ラリヴァーラ少佐。曹長を奥の部屋に案内せよ」
「ヴァルビア大佐、あの部屋は最高機密の施設です。カルヒネン曹長を入れてもよろしいのですか?」
「構わない。あれを見たところで、その仕組みが理解できるものではない。むしろこの先の時代を担う者に、あれを見てもらう方が良い刺激になる。ラハナスト先生の弟子となれば、なおのことだ」
「はっ、承知いたしました」
この突然の提案に、私は戸惑う。
「あの、少佐殿。この奥の部屋とは一体、何があるのでしょうか?」
ところがこの問いに、少佐殿はこう答えるにとどめる。
「行けば分かる。そうだな、計算機の未来、とだけ言っておこうか」
なにやら意味深なことを言い出す少佐殿だが、それはおそらく計算工学を学んだ者にとっては多大に魅力のある何かがある場所なのだろうと察した。
が、計算機の未来とは、なんだろうか?
底知れぬ表現だ。より速い計算機、ということなのだろうか? いや、それくらいのことなら最高機密などにはしないはずだ。ましてやここは軍事施設である。いかに人を効率的に殺戮するか、ということを生業とする場所でもある。そんな場所に秘匿された計算機の未来とは一体、なんだ?
私は少佐殿の後についていく。機械式計算機の並ぶあの部屋を出て、その奥にある大きな扉が見えてきた。頑丈な鉄の扉だ、よほどの機密があるに違いない。計算尺を持つ手が、震える。
少佐殿はその鉄扉に鍵を突っ込む。そのままドアのノブを回すと、重い扉がガチャッと開く。開いたところで、その鍵を抜いた。
「ここは自動施錠式の扉だ。この鍵を持ったもの以外には開けられないようになっている」
といいながら、扉をくぐって中に入る。扉は閉まると、ガチャッと鍵が自動でかかる音が響く。
しかし、この部屋は暑い。大きな扇風機が二台、うなりを上げて回っているが、それでももわっとしたこの空気をかき出せていない様子だ。
見れば、奥には細長い電球のようなものがたくさん並んでおり、それらが一斉に光っているのが見える。それらが青や赤の電線のようなもので結ばれているが、その線があまりにも多い。
よく見れば、あの電球のようなものはすべて真空管だ。ヴェテヒネンの無線通信機でも使われているそれが、所狭しと無数に並べられている。あれほど大量の真空管を並べて、一体何をさせているのだろう。
その真空管の並ぶ棚には、白衣を着た人が数人張り付いている。その棚の隣には机があり、そこには数本の真空管が刺さった機械が置かれている。
が、そんな機械以上に、その機械の脇に立つ人物を見て、私は驚く。
白衣のポケットに手を突っ込んだままその機械を眺めている、白髪で分厚く丸い眼鏡をかけてその人物。私はこの人に、見覚えがある。
そう、その人物は私の恩師、ラハナスト先生だ。