#7 防衛
「先ほどは敵艦隊捕捉の報がもたらされた」
授与式から2日後のことだ。王都にとどまるヴェテヒネンの乗員26名が軍司令本部付きの軍港に呼び出される。そこで、司令本部付きの参謀長から、敵艦隊侵入の報を聞かされる。関係者なのか、私を助けてくれたラリヴァーラ少佐も同席している。
「ハミナ第3観測所から、オレンブルク艦隊4隻が国境を越えて我が王都方面に向かっているとの情報が入った。ヴェテヒネンは直ちに発進し、これを迎撃せよ。これは司令本部長であるカンニスト中将閣下直々の命令である」
艦長一同が、一斉に参謀長に向けて敬礼する。そのまますぐに我々は戦艦ヴェテヒネンのゴンドラへと向かう。
「カルヒネン曹長」
と、私は参謀長の後ろに控えていたラリヴァーラ少佐に呼び止められる。
「はっ、なんでしょうか?」
「今度の戦いでも、貴官の算術に期待する。必ずや、敵を撃沈してくれ」
「はっ、非力な身ながら、奮闘努力いたします」
「頼んだぞ」
ラリヴァーラ少佐が、私の肩を握り激励してくれた。上官というより、同じ恩師を持つ先輩である少佐が、後輩である私に期待してくれているのだ。これに応えなくてはと、私にも自然と力が入る。
『抜錨、繋留錘切り離し、戦艦ヴェテヒネン、発進!』
バサバサと、船体と錘を結びつけるロープが切られていく。300メルテの大きな船体が、空中に浮かび上がる。その下にぶら下がる2つの大きなゴンドラとともに。
「カルヒネン曹長」
「はっ」
その上昇中、私はマンテュマー大尉から呼ばれる。
「先ほど、ラリヴァーラ少佐殿と何か話していたようだが、知り合いなのか?」
てっきりこの先のこと、つまり砲撃の何かについて話すのかと思いきや、あの少佐について言及してきた。
「先日、私の勲章を偽物だと言いがかりをつけてきた士官から、私をかばってくださったお方です」
「そうか、あの騒ぎの時の。で、そこで肩を握られるほどに、親しくなったと?」
そんなところまで見ていたのか。あれ、もしかして砲長は私とラリヴァーラ少佐との間に、ただならぬものを感じていらっしゃるのか。このまま悶々とさせておくほうが、個人的には面白いのだが、作戦行動に支障が出てはまずい、誤解は解いておかねば。
「砲長は、ラナハスト先生をご存知で」
「我が王国における、計算術の大家だと聞いたことがあるな」
「私の恩師なのです」
「そうなのか。で、それが少佐と、何の関係があるのだ」
「ラリヴァーラ少佐も、ラナハスト先生から計算術を学ばれたのです。いわば、同じ恩師を持つお方なのです」
だから、気にする間柄ではないと私は言いたかった。のだが、かえって表情が曇っている。
「あの、少佐とはあの時に一度きりお会いしただけですよ。何も気になさることはありませんが」
「だが、ラナハスト先生という方とは、恩師と呼べるほど長い期間、関わっていたのだろう?」
「いやまあ、それはそうですが……」
あれ、砲長が嫉妬している相手は、意外にもラナハスト先生の方だったか。しかし、よりにもよって先生に嫉妬するなんて、何を考えているのやら。私はラナハスト先生の大勢の教え子の一人であり、それ以上の特別な関係などなかった。なのに砲長ときたら、そんな恩師にも……この男、意外と可愛いところがあるな。
『両舷前進微速!』
機関音が響き始める。2つの軽油機関が、ズンズンと音を立ててうなり音を上げている。高度はすでに3000メルテを超えた。遠くに、サルミヤルヴィ山脈の山々が、雲海から突き出している。
発進してから1時間後に、主要な乗員が艦橋に集めら、ブリーフィングが行われた。そこで艦長から、敵戦力に関する情報がもたらされる。
「敵は4隻、ペロルシカ級2、サラトフ級が1、というのは分かっている」
「残りの一隻は、なんなのでしょうか?」
「未確認の艦影、だそうだ。全長は推定で400メルテ。ゴンドラも3つ。戦闘艦か爆撃艦かさえはっきりしていない」
「砲がついていれば、戦闘艦だと判明するのでは?」
「いや、そう単純なものではない。観測員によれば、砲が一門、確認されているとのことだ」
「ならばそれは、戦闘艦では?」
「サラトフ級を超える大きさで、砲が一門はありえないだろう。だから、軍司令部ではこう判断している。あれは新型の戦闘爆撃艦だ、と」
それを聞いた一同は、驚愕する。戦艦と爆撃艦とを掛け持つ空中艦が、ついに現れたということになる。
爆撃艦というのは、反撃の武装を持たないため、こちらが回避運動を取る必要がなく命中率を上げることができる。戦闘艦ならば、最悪撃ち漏らしたとしても、それ自体は国土に被害を与えることができない。が、戦闘爆撃艦となれば、この両方の利点を兼ね備えた艦ということになる。
見逃せば、甚大な被害をもたらす。かといってそれを撃とうとすれば、反撃にあう。厄介な相手だ。
「諜報員からも、戦闘爆撃艦完成の情報が入っていた。その艦影から見ても今回、それがでてきたという可能性が高い。以後、この艦を『ラーヴァ級』と呼称する。各員、心してかかれ。以上だ」
艦長のこの一言で、集まった乗員は敬礼する。が、乗員はその場を離れることなく、皆でテーブルの上に広げられた地図を片付けにかかる。
その直後に、マリッタが食事を運んできた。
「さあ、腹が減っては戦になりませんよぉ。はい、食べた食べた」
そう言いながら並べられたのは、硬いビスケットに缶詰の干しトナカイ肉、豆スープに紅茶だ。早朝に緊急招集されたため、まだ朝食を食べていない。
が、特に豆スープの臭いが、空腹なはずの私のお腹の感性を失わせる。地上の食事に慣れ過ぎた身体に、このいかにも戦闘食な食べ物は正直言ってきつい。が、温かい今ならまだマシだ。冷めると、さらに不味さが際立ってくる。
私は石のように硬いビスケットを豆スープに突っ込むと、少しだけ水分を含んで柔らかくなったそれにかじりつく。歯が折れそうなほどの硬いビスケットを二欠け程口に含んだところで、豆スープを一気に流し込む。さらに干し肉にもかじりつくと、今度はその独特の臭みをごまかすため、紅茶で口の中を洗浄する。
ヴェテヒネンにおける食事とは、いかに味を感じることなく流し込むかが基本だ。栄養を確保するための手段、その程度の認識でしかない。
もっとも、塹壕ともなればさらに悲惨だという。大半が山脈と湿地で守られたこの国だが、ごく一部の国境沿いにある塹壕では、悲惨な食事と戦闘が繰り広げられていると聞く。片手を失い、残された右腕の震えが止まらない兵士を一度、見たことがある。あまりの食事の質の悪さに、逃亡を図る兵士もいると聞く。狂乱するギリギリの線を、やや狂気の方にはみ出したところで踏みとどまっている。それが、地上戦の実態だ。
それに比べたら、空中戦艦の生活なんてまだマシな方だろう。ただしここは、4000メルテもの高高度だ、撃沈されて一度落ちたなら、まず生きては帰れない。
これも考えようだが、短い恐怖であっという間に死に至るのだから、やはり幸せな方と言えるかもしれないな。
「ハルヤバルタ第11観測所より、最新の敵艦隊の居場所が送られてきた」
昼過ぎには、敵艦隊の最新の位置が更新される。国境と王都クーヴォラの中間にあるハルヤバルタ市管轄の観測所がそれを捉えた。ということは、オレンブルク軍は再びこの王都周辺を狙っていることになる。
「真っ直ぐ王都に来るつもりか、それとも、再び転進するつもりなのか」
副長が、広げたテーブルの上の地図を眺めながら、そう呟く。私はといえば、測量士と共に、敵の予想進路をその地図上に書き上げているところだ。計算尺で算出された偏西風の影響により、緩い曲線を描きながら王都に達する進路が割り出された。
「カルヒネン曹長、今度も転進すると思うか?」
いきなり、副長から意見を求められた。私はその曲線を目で追いながら、こう答える。
「転進する理由が、見当たりません」
「なぜ、そう考えるか?」
私のこの答えに、副長はその理由を尋ねてきた。
「前回のように、もしも転進してこちらの追撃を逃れるつもりならば、おそらくはこの地点での転進が考えられます」
「ハルヤバルタ第19観測所と、クーヴォラ第23観測所の間のこのわずかな死角、か」
「はい。ですが、ここで転進し、偏西風に乗ったところで、その先にはめぼしい軍事目標が見当たりません。せいぜい前線用の物資備蓄所が一つあるだけです」
「その備蓄所が狙い……にしては、あまりにも大掛かりな艦隊だな。あれだけの数を送り込んだということは、間違いなく都市か重要軍事拠点への爆撃だろう」
「その上、新型戦闘艦も備えています。ここは真っ直ぐ、王都に向かってくると考えられます」
「そうだな。が、転進する可能性もないとは言えない。僚艦とともに、この転進ポイントに集結すべきだろうな」
艦長がそう告げると、皆は敬礼して離れる。私は艦橋より後ろにあるゴンドラへ、あの不安定な通路を伝って移る。
それにしても、敵はどう見てもこの王都を狙っている。敵にしてみれば、あの新型戦闘艦の性能を試したいのだろう。もしあれが我々の予想通りの戦闘爆撃艦であったならば、なおのことだ。
「おそらく、戦闘は夕刻になるだろう。それまで砲撃科は休憩とする。早めに夕食を済ませておけ」
砲長がそう告げると、皆は思い思いの場所で休憩に入る。といっても、狭い艦内だ。あるものは王都ではやりの空想小説を開き、あるものは寝転がって仮眠を取り始める。が、私はいざ休めと言われても、することがない。仕方がないから、艦橋側のゴンドラへ移り、マリッタのところへ向かう。
「あ、ユリシーナ、ちょうどいいところに来た! これを26等分したいんだけど!」
といいながら、何かをドンと私の前に置く。出されたのは、キャベツの酢漬けの詰められた缶詰だった。
「ええと、直径が16サブメルテで、高さ20サブメルテだから、体積が4019立方サブメルテ。ということは、それを26等分すると……155立方サブメルテ、か」
「それって、大さじで何杯分よ?」
「大さじが一杯で15立方サブメルテだから、ちょうど10杯だ」
「おお、分かりやすいて早い! 助かるぅ!」
まったく、こんなところまできて、私は計算尺をふるうことになってしまった。これというのも先日、戦闘食の中では唯一マシなこの酢漬けキャベツの量が原因で、乗員同士でケンカが起きてしまったからだ。このため、マリッタが量に気を遣う羽目になる。
そんなマリッタが、早めの夕食に備えて準備をしているところに、私は話しかける。
「ところでマリッタ、お前、大丈夫なのか」
「なにが?」
「何がって、戦闘が起きれば、この間の時のように酔いに悩まされる羽目になるんだぞ」
「だーいじょうぶよ。あの時はちょっと、油断しただけだから」
「油断うんぬんで、船酔いというものは防げるものじゃないだろう」
「逆に、船酔いも慣れで直るって聞いたことあるよ」
「しかしだなぁ」
「私だって、戦うことができないんだから、それくらいは我慢するわよ。でなきゃ、私はどうやって家族の仇をとればいいの?」
このとおり、頑固な調理師だ。実はマリッタは一度、軍人を目指したことがある。が、軍の通例では女は前線に出られない。このため、主計局に回されて、そこで調理師となる。
が、空中戦艦への転属を希望するも、そこはなぜか民間人による調理師を採用することとなっていたため、マリッタはさっさと軍を辞めて、民間人としての実績を作るために一時、酒場に身を置いて、そこから戦艦ヴェテヒネンの調理場を預かる身となった。
「で、今度の戦いって、とんでもない敵が相手なんでしょ?」
「今度も何も、いつものことだよ」
「聞こえたよ、新型の戦闘艦が現れたって。それって、敵が焦ってるってことじゃない?」
「そうなのか? ただ単に、新しい兵器を試したくて送り込んできただけだろう」
「試すだけだったら、国境近くのハミナ市辺りを襲えばいいじゃないの。それがわざわざ奥地の王都まで進撃してきたんだよ。絶対に焦ってるって」
「そうかなぁ。王都爆撃だって、これが初めてってわけじゃない。別段、特別感はないなぁ」
「分かってないねぇ、ユリシーナは。焦る男は、そういう大事なものってのはここぞというときにドカンって出してくるものなのよ。だから私は、敵が焦ってんじゃないかって思うの」
オレンブルク連合皇国を、好きな女にすり寄る男と同じ扱いにしてもいいものなのだろうか。どうもこの辺りの感性が、私とマリッタとでは大きく異なる。同じ艦内で同性ということでよく行動を共にするが、それにしてもこれだけ違う性格の者同士で、上手くやれているものだと感心する。
で、その日の早めの夕食は、例の酢漬けキャベツに干しトナカイ肉、それにあの石のようなビスケットに、紅茶だ。テーブルの真ん中には、煮豆が山と積まれている。
傾き始めた西日を背に、私はそれらを詰め込む。が、酢漬けキャベツだけは普通に食べられる。これの取り合いでケンカになる理由も分かる。それに硬いビスケットを突っ込み、少しふやけたところで口に突っ込む。
もう少しマシな戦闘食を発明できなかったのだろうかと、いつも思う。戦闘食をもっとまともにすれば士気は上がり、オレンブルクごときに負ける気がしないのだが。
などと考えつつ、最後には味気ない豆をスプーンですくって口に放り込み、夕食を終える。再び第2ゴンドラに戻って、戦闘に備える。
「司令本部より入電だ。現在、敵転進予想ポイントに、我が艦の他、ズヴェアボルグ、トゥイマが合流するとのことだ」
今度の戦いでは戦艦が2隻、加わることになった。単艦での戦闘が続いたが、ようやく艦隊戦ができる。
が、相手も少なくとも3隻は砲撃可能な戦艦だ。しかもサラトフ級が2隻。あれには砲がこちらの倍の2門ついており、不利な戦いを強いられている。決して、有利とはいえない。
『軍司令本部より、入電!』
さて、どんな戦闘になるのやらと思っていたが、通信士が軍の司令本部からの命令を伝えてくる。
『戦艦ズヴェアボルグ、トゥイマはペロルシカ級2隻を、戦艦ヴェテヒネンは新型艦であるラーヴァ級を攻撃、これを撃沈せよ、以上!』
この艦は新型艦を撃沈せよとの命令が、司令部からもたらされた。