#63 夜戦
『繋留錘切り離せ! ヴェテヒネン、発進!』
冬の夕暮れ時、この比較的南の地であるヴォルガニア公国ですらも冷たい風を感じる季節となった。浮かび上がった我が艦の後部プロペラが、その冷たい風を切るように勢いよく回りだす。
そのまま上昇を続け、高度は3000メルテに達する。ちょうど日没を迎え、地平線上にうっすらと橙色の光を見つつ、その反対側には明るい星が瞬き出す。
そういえば、人は死ねば星になると聞いたことがある。シェロベンヴァー上等兵も、今ごろはあの光の一つとして我々を見下ろしているのだろうか? ちょうどここは、南天に輝く棒渦巻銀河の端が見える場所でもある。もしかすると、棒渦巻銀河の中にいるのかもしれないな。
いや、待てよ。そういえば私は2回、死んだ人物に会っている。もしも星などになっているのなら、どうしてあの時、あの海沿いの島の上などに現れたりするものだろうか?
待て待て、そういえば私はあれが、本当の死者ではないのではと疑っているところではないか。だいたい、私の父があんなことを言うはずがないし……っと、何を考えていたんだっけ。思考が、あらぬ方向に向き始めてしまった。
「おい、何ぼーっとしてんだ。例の新しい機械が、動き始めたらしいぜ。お前、行かなくていいのかよ」
リーコネン上等兵が私を呼ぶ。ああ、そうだった。例の電波探知機ってやつが動き出したんだった。私は通路を伝って前方ゴンドラへと向かい、艦橋へと入る。
そこでは、艦長や副長、観測員らが例の機械を取り囲んでいた。
「うむ……分からんな」
「ええ、分かりませんね」
その丸い窓――ラハナルト先生が作られた電子手順計算機にもつけられていた表示装置とほぼ同じもの――には、くるくると線が回っている。
その線が通り過ぎるたびに、何やら雑な点が現れる。これが実際にそこに存在するなのかなのか、単なる雑電波なのかが判別できない。
ただ、雑電波にしては同じ場所に光り続けている。私は望遠鏡を取り出してその方角を見る。暗くて見辛くはあるが、月明かりを頼りにその場にあるものを捉える。そこにあったのは、大きな雨雲だ。
「この光点ですが、もしかしてあの雨雲を捉えているのではありませんか?」
私がそう言うと、観測員がこう言った。
「そういえば、雨雲によって影が出ることがあると技師が話してました」
「なんだそれは。それじゃ雨の日は役に立たんということじゃないのか?」
「ええ、そういうことになりますが……」
遠く3万メルテ先にあるものまで捉えられるという、まさに「神の目」ともいえる機械だと聞いて期待していたが、そういう欠点も持っているのか。確かに、副長の言っていることもわかる。
だが、それでもこの機械は画期的だ。雨雲さえなければ何かを捉えてくれるというのだから、観測員の目だけを頼りに探すことを思えば遥かに有用だ。
「ところで、だ。こうして夕刻に発進し、夜通しこのヴォルガニア公国上空を飛ぶことになったのだが、これで何がわかるというのかね?」
と、そこに艦長が副長に向かって、こんな質問を飛ばした。
「ええとですね、もしも夜に敵の偵察艦などが侵入することがあれば、これで捉えられるのではないかと考えまして」
「それはつまり、敵の偵察艦が現れなければ、今回の航海は目的を成しえないと?」
「いえ、それ以外にも、例えば今回のように雨雲が雑音として認識されることもわかったわけですし」
「それはすでに技師が説明済みだったのであろう。我々が知りたいのは、これで敵艦を捉えた時にどう映りこむか、ということだったはずだ。今夜に限っては、我が艦が上がると聞いてフロマージュ艦が一隻も上がっておらん。これでは電波探知機のテストにならんではないか」
珍しく、艦長が副長を叱りつけている場面に出くわした。副長らしからぬ失態だな。そんな場面に立ち会いながらも、私はこの電波探知機の表示装置に目をやる。
くるくると回る線が、たくさんの点を映し出している。それはまさに靄のように表示装置の4分の1ほどを覆っている。
これほど雑光点が多いと、雲に隠れた艦は見つけられないことになるな。目視で探すよりはマシというレベルか。だが、それほどの機械ならばここまで秘密裏にする必要などないのではないか?
ふと私は、その雑光点の中にひときわ大きな点を見つける。なんだろうな、これ。それはこの同心円が1000メルテづつで区切られていることからすると、大体2万メルテ先にいることがわかる。
雷でも鳴っているのだろうか? 電波探知機というくらいだから、電気を発している雷なら大きく反応するのかもしれない。が、雷雲であればここからもそれが光って見えるはずだし、そんな雷光など見えていないところを見ると、これは雷ではない。
気がかりなのは、これが徐々にこちらに向けて移動しつつあるということだ。私は、計算尺の目盛りを当ててみた。
その様子を、艦長と副長、そして観測員が不思議そうな目で見る。それはおよそ毎秒40メルテの速さで動いているようだ。そして、まっすぐヴォルガニア市へと向かいつつある。
「おい、カルヒネン曹長、何か気になるものでも見つけたか?」
副長が私に問う。私は答える。
「この光点です。毎秒40メルテ、飛行船並みの速さで、まっすぐヴォルガニア市に向かっているように見えます」
それを聞いた観測員が、伝声管で気嚢の上にある観測所を呼び出す。
「艦橋より観測所、電探にて船影らしきものを識別、方位、艦主軸右方向15度、距離19000!」
『観測所より艦橋、しばし待機を』
それからしばらくの間、沈黙が続く。その間にも、この怪しげな光点は移動を続けている。それが距離12000を切ったあたり、ちょうど雑光点の靄の中からその点が飛び出したあたりで、観測員からの返答が来る。
『艦影、視認! 距離12000、速力、毎時150サンメルテ! アブローラ級です!』
偶然ではあるが、敵の偵察艦を発見した。にわかに艦内が騒がしくなる。
「敵偵察艦を発見! これを迎撃する!」
これは偶然にも、私にとってはシェロベンヴァー上等兵への弔い戦となる。単艦で、しかも夜間航行。接近戦目的ではなく、本来の偵察艦としての任務のために夜間飛行しているのだろう。当然、こちらの情報を読まれれば、その分こちらの兵士が死ぬことになるかもしれない。
だから、反撃のない偵察艦だからと言って、容赦する必要はない。
「相手は偵察艦だ、一度外したら、当てられないと思え」
砲長がそう訓示するが、そんなことは今までの戦いで分かっていることだ。改めて言われることでもない。
『距離7900! まもなく、射程圏内!』
それを聞いて私はすぐに計算に入る。まずは敵の位置を望遠鏡で確認して……
にしても見えにくい。ほぼ月明りだけを頼みにあれを捉えるしかない。私はどうにかそのぼんやりと見える偵察艦を捉え、メモに取る。
『距離7800!』
ちょうど射程内に入り、私は望遠鏡で敵を捉えて補正し、弾道計算を終える。その値を、いつも通り読み上げる。
「右17度、仰角45、火薬袋7、時限信管33秒!」
偵察艦は小さいため、少し散弾の散布範囲を広げておいた方が当たる確率を上げられる。このため、少し早めに炸裂させる。
「射撃用意よし!」
「砲撃始め、撃てーっ!」
ズズーンという音とともに、真っ黒な闇を一瞬、主砲の先端が噴き出す炎が照らす。この見えない闇の中、砲弾が飛翔していく。
しばらくの間、沈黙が続く。が、やがてパッと闇夜の中で弾頭が炸裂する光が見えた。
私は望遠鏡で、それを追いかける。どうやら、空中の炸裂光を見て我々の砲撃を認識したのだろう。全速で引き返す偵察艦。
『だんちゃーく、今!』
ところがだ、不意打ちを狙ったというのに、弾着時間を迎えても爆発する気配がない。そのまま、偵察艦は雨雲の中へと消えていった。
「くそっ、外したか!」
悔しがる砲長だが、元々、夜間に偵察艦を砲撃しようとしたのだから無理がある。たまたま電波探知機という機械がそれを捉えたから見つけられたようなもので、あれがなければ見逃していた。
とはいえ、ヴォルガニア市の上空に進入することだけは避けられた。それだけでもまだ、良しとすべきだろうな。
いや……ふと私の中で、それでは納得できないという気持ちがわき出してくる。
たとえ敵の偵察を阻止できたからと言って、私にとっての「復讐」は終わっていない。
私にとって初めての、そして大事な教え子を失ったのだ。その怨念はまだ、晴らされてはいない。
私は砲長に、こう言い放つ。
「これから艦橋に向かいます! 弾道計算の結果は、そこから知らせますので、第2射の準備をしてください!」
「あ、おい!」
私は通路を伝い、艦橋へと戻ってくる。いきなり現れた私を見て、副長が私に尋ねる。
「おい、まだ戦闘態勢だ。次の弾道計算に備え……」
「副長、この電波探知機を見ながら、弾道計算を行います!」
「はぁ!? こ、これを見ながらだと!?」
「敵偵察艦はすでに、雲の中にいてみることができません。が、この電波探知機ならばそんな敵を追うことができます」
私も、無茶な事を言っていることは承知の上だ。電波探知機のみを頼りの砲撃、まだ当然、誰もやったことがない。が、私は敵を捉え、これを撃沈しなくては気が済まない。雲の中にいるからと、逃す気にはなれない。
「わかった、どのみち今回の夜間航行の目的は電波探知機のテストだ。これを活かしてどのような攻撃ができるかを見極めるのも、今回の目的の一つでもある」
「はっ!」
副長と、それを聞いてうなずく艦長の許可は得た。私は電波探知機の表示装置に目を移す。そこには、先ほどの偵察艦の光点が映っている。
雨雲に入り、速力が下がっているのが見て取れる。いくら偵察艦でも、雨雲内はそれほど高速に移動できないと見える。晴天下で偵察艦を追う我々の方が、速度は速い。
このため距離は一気に詰まり、再び射程内にそれを捉えた。
「距離7800!」
横にいる観測員が、その光点までの距離を読み上げた。私は計算尺を滑らせ始める。
この電波探知機の良いところは、その速力と方角が一目でわかることだ。それはつまり、この先の予測位置を簡単に割り出せる。
カリカリと鉛筆でメモを取り、計算尺を滑らせては計算値を書き込む。望遠鏡の代わりに、計算尺でその表示装置にある光点の予想位置を出し、それを補正値として書き込んだ。
「右13.2度、仰角44.3度、火薬袋7、時限信管36秒!」
そばにあった伝声管で、計算値を読み上げる。ここからは見えていないが、おそらくは砲撃手が砲弾と火薬袋を放り込み、そしてハンドルを回し始めている頃だ。
私が叫んで7秒後、伝声管から声が聞こえてくる。
『射撃用意よし!』
『撃てーっ!』
ズズーンという砲撃音が、いつもとは違い方向から聞こえてくる。一瞬、主砲の放つ火で明るく照らされたこの艦橋内もすぐに暗くなる。あとには、メモを照らすための手元灯と電波探知機の表示装置の放つ光だけが、この艦橋内を照らす。
今回は少し信管時間を遅らせて、散弾の散布範囲を狭めた。この電波探知機による測距精度の高さを信用してのことでもあるが、あの雨の中、早めに炸裂させると散弾の持つ熱が下がってしまう。そうなると、気嚢の水素を着火させられないのではと懸念したというのも理由ではある。
『だんちゃーく、今!』
やがて、弾着時間を迎える。果たして、当たったのか? 敵の艦がいるであろう方向に望遠鏡を向けるが、何も見えない。
が、電波探知機からは、光点が消えた。
当たったのか? しかし、ここからでは何も……と思った次の瞬間、炎を上げて落ちていくものが見える。
『敵艦、撃沈確実!』
観測員からの報告が響く。夜間砲撃で、それも雲の中を航行する偵察艦に命中させることができた。
「まさか、電波探知機を使うとこれほどの離れ業ができるとは……敵の偵察行為の阻止も手柄だが、この戦い方は、この先の戦闘を確実に変えることができる」
今日は艦長がよくしゃべるな。しかし艦長が今おっしゃった通りだ。望遠鏡を使わずして、私は狙いを定めることができた。これは画期的なことだ。
そして私にとっては、ささやかながらシェロベンヴァー上等兵への弔いの一撃であった。




