#60 挟撃
「お前、最近、付き合い悪いな」
砲長、すなわちマンテュマー大尉が、ベッドの上で私にこう言いだす。
「いやまあ、ちょっと責任を感じていますので」
「酔った勢いのことで、責任を感じる必要なんてあるのか?」
「そうは言ってもですね、砲長……」
「おい」
「あ、はい、アウリス。そうは言ってもですね、計算士としては優秀なんですよ」
「優秀な計算士とは、時々、一夜を共にしなきゃならないという法でもあるのか」
なんだか不機嫌だな。まあ、気持ちはわかる。このところ敵襲もなく、穏やかな日々が続いている。
そんな私も昼間は教練所で机上、艦上での教練講義を行っている。あれから5度、教練砲撃を行ってきたが、私が見ているあの2人の計算士の腕は上達し、徐々に砲撃精度が上がりつつあった。
が、その教練砲撃が2日に一度あり、その度に夕食を共にし、そこでワインを飲まされて、シェロベンヴァー上等兵のベッドの上で目覚める日々を送っている。
すると、砲長は2日に一度しか相手できないことになる。マンテュマー大尉にとっては、面白くない。
「左37度、仰角32度、火薬5袋、時限信管29秒!」
もう一隻の空中戦艦が就役し、ヴォルガニア公国空軍は2隻の艦艇を保有するまでになった。このため、私の乗り込むテレメール級戦艦、「ディアーナ」と名付けられた艦に乗り込んでいる。もう一隻、「ヴェヌス」も就役し、そちらにはカルリーク上等兵が乗り込んでいる。
つまり、こっちのディアーナには、シェロベンヴァー上等兵が計算士として乗っていることになる。
そのシェロベンヴァー上等兵が弾道計算し、砲撃手らによって動かされた砲身が、標的を捉えた。次の瞬間、主砲が火を噴く。
「撃てーっ!」
ズズーンという腹に響く音とともに、砲弾が標的に飛翔する。弾着時間とともに、その標的が燃え上がる。
「標的命中!」
このところ、シェロベンヴァー上等兵の命中率は向上しつつある。3発に1発は当ててくる。もはや、標的相手では訓練にならないレベルだ。
私は一日のうちに、ディアーナとヴェヌスへ交互に乗り込んで教練砲撃の指導を行っている。
で、今は一番艦であるディアーナに乗り込み、シェロベンヴァー上等兵の訓練を行っている。あと一撃で、弾が尽きる。
「左35度、仰角31度、火薬5袋、時限信管28秒!」
最後の一撃だ。その指示を聞いて、砲撃手が一斉に動き出す。弾を装填し、砲身を動かす。標的にその向きが定まるまで、9秒。
ここ数日の訓練で、彼らの動きと正確さは上がってきた。これが命中精度向上に、大いに役立っている。
だがしかし、実戦経験がまだない。
本当の敵は、トラックに引かれた標的のようにはいかない。意思を持ち、予測不能な動きをし、そして何よりも反撃してくる。
その相手に当てることこそ、訓練の最終目標だ。
我々の時は、2、3隻の敵が頻繁に現れた。それが、ほどよく「訓練」の代わりになったと今は思う。が、最近は5から10隻単位の大集団で出現することが多い。
そんな大艦隊を相手に、この先は戦うことになるのか。
『教練砲撃、止め! 教練砲撃戦、用具納め!』
「砲撃室、教練砲撃戦、用具納めよし!」
ディアーナの砲長が、砲撃戦の終了を告げる。これによって、我々は公都ヴォルガニアへと戻る。
「さすがはイーサルミ王国随一、いえ、オレンブルク軍をも震わせた西側同盟一の計算士、カルヒネン曹長殿です! こうして私が成長できたのも、夜な夜なのご指導の賜物です!」
などと、夕食で散々私はこの女上等兵に持ち上げられる。しかしだ、夜な夜なは余計だろう。寝る時まで私は、計算の話をしているのか? だが、そういう時は酔っぱらってて記憶を失っているから、果たして何を教えているのかわからない。
わかっているのは、2日に一度、全裸のまま彼女の部屋で目覚めることくらいだ。どう考えても、弾道計算を教えるのに全裸になる必要などないだろう。
そして今朝もまた、素っ裸で目を覚ます。横には、すでに目を覚まして私の寝顔を眺めていたであろうシェロベンヴァー上等兵の顔がある。
「お目覚めですか?」
毎度のことながら、にこやかな笑顔で私を見つめる。そして、私から計算尺を取り上げると、胸を合わせて抱き寄せてくる。
「……で、昨夜は何を?」
「新たな計算理論について、教えてもらいました。それから、構造計算についても、手取り足取りで」
彼女の口ぶりからすると、本当に私は夜な夜な何かを教えていたようだ。教練や講義で、構造計算の話などしたことはない。一体、私は酔っぱらうとどういう話をし始めるのだろうか?
「そうだな、酔うとやけに理屈屋っぽくなるぞ、お前は」
そこでその日の昼間、昼食の席で私は、砲長に「もう一人の私」のことを尋ねてみた。その結果、返ってきたのはこの言葉だ。
「ということは、砲長はそんな私に付き合ってくれているので?」
「お前は、小難しい話を聞いてくれる相手が欲しい、俺は自身の生理的欲求を果たせる相手が欲しい。利害が一致して、ちょうどいいじゃないか」
そういうのを利害の一致というのだろうか? 何か違う気がするな。
「なんだ、お前まさか、向こうでも小難しい話をしているのか?」
「そうらしいですが、砲長と違って私の話を喜んで聞いてくれてますよ」
そういうと、砲長はやや不機嫌の顔で私を見る。まさかと思うが、若い計算士相手に嫉妬しているのか、この男は。
いつもいじられているから、たまにはいじると面白いな。つい私は口元が緩むのを感じる。
しかし、だ。その日はワインを飲まされることなく、砲長の部屋に連れていかれた。
そして砲長、いやアウリスは、私をめちゃくちゃにいじった。ちょっと昼間にいじり過ぎて、嫉妬が限界を超えたようだ。
そんな夜も更けて、日が変わって朝になる。
私と砲長、それにヴェテヒネンの27人の乗員は皆、公国軍司令部の一室に集められた。
「気がかりな情報が、入ってきた」
開口一発、副長がそう切り出す。
「フロマージュ軍の諜報部からの情報だ。スラヴォリオ軍、およびオレンブルク軍がここヴォルガニアに対し総攻撃をかけてくる気配あり、というのだ」
この会議室の空気がピンと張り詰める。平和だった日々が、その終わりを迎えると宣告されたのだ。
「規模については不明だが、おそらくは相当数の艦艇が繰り出されると予想される。フロマージュ軍も増援をこちらに派遣中ではあるが、ヴォルガニア公国軍にも戦ってもらうこととなる」
そう、副長は言い放つ。それはつまり、シェロベンヴァー上等兵をはじめとするヴォルガニア公国空軍の多くの乗員にとって初めての戦闘ということになる。
「ここ数日以内には、必ず攻めてくることは確実視されている。各員、敵の襲来に備えよ」
その場にて一同は起立、敬礼する。副長も返礼して答え、その場は解散する。
「いよいよ、敵の襲来なのですね!」
ヴェテヒネンの定例会の後、その日はそのまま講義を行うこととなった。敵との決戦が迫っているため、私は特にオレンブルク艦の攻略法を中心に話をした。講義は日暮れまで続き、そして彼らと夕食を共にし、気づけばまたシェロベンヴァー上等兵の部屋で朝を迎えていた。
「そうだな、皆の訓練の成果が活かされる機会でもある。だが、相手は大軍と予想されるから、心してかからないと……」
「そこはカルヒネン曹長殿のヴェテヒネンが蹴散らしてくれますから、大船に乗ったつもりで構えますよ」
などと言いながら、また胸を押し付けてきてはぎゅっと抱き寄せてくる。こいつ、いい物を2つ、つけているな。私の勲章と交換してはもらえないだろうかと、いつも思う。心臓の鼓動が、伝わってくる。
「ですが、我らもいつまでもイーサルミ王国やフロマージュ共和国の力に頼ってばかりもいられません。ここヴォルガニア公国は小さな国ですが、それを守れるほどの力を我ら自身が持たなくてはなりません」
そんなシェロベンヴァー上等兵が、こんなことを言い出す。
「いや、イーサルミ王国だってフロマージュ共和国の力を借りてどうにかなっているようなもので……」
「とはいえ、3年もの間、自国民の兵士のみで戦い抜いてきたではありませんか。私もこのヴォルガニア公国を、自分たちの手で守りたいんです。でなければ私たちは永遠に、オレンブルクの悪魔どもに蹂躙されてしまいます」
「うん、でもそのためにはまず、近いうちに行われるであろう戦いで生き残らなければ」
「そりゃあもう、当然ですよ」
そういうと、シェロベンヴァー上等兵はベッドの上にバタンと倒れるように寝転がる。
「そういえば私、実はカルリーク上等兵から告白されたんですよ」
全裸で寝転がるこの女計算士が突然、そんな話をし始めた。
「えっ、そうなの?」
「そうなんですよ」
「で、貴官はなんと?」
「保留です」
「保留?」
「ええ、そりゃあそうでしょう。戦いが迫ってるんですよ。だから、保留したんです」
「いや、そういうのは別に戦いの有無に限らずだなぁ……」
「いえ、ダメなんです。私、戦いで生き残れない男とは一緒になりたくはありません」
「……つまり、貴官はその男に、今度の戦いで生き残ったらその告白を受けてやる、と?」
「はい、そう言ってやりました」
このシェロベンヴァー上等兵という人物は、あったばかりの時はもう少しおとなしい印象だった。が、むしろ今はたくましいというか、図々しいというか、肝の太さを感じる。
「まあ、そう言っておけば、彼は絶対に死なないでしょう。ですから、こうして曹長殿と寝るのも、これが最後かもしれませんね」
そういうと、彼女はがばっと起き上がり、私の胸にまたあの二つのふくらみを押し付けてきた。教練所での講義では私が先導しているが、ベッドの上ではむしろこの上等兵に先導されっぱなしだ。
しかし、私は感じた。当初、ヴォルガニア公国はオレンブルク相手に無謀なまでの戦いを挑んだものだと、そう思っていた。
が、トルバチュ男爵、シェロベンヴァー上等兵との出会いで、この国にもオレンブルクに負けないほどの人材がいるのだと実感する。この国の未来は、まさにシェロベンヴァー上等兵のような者が切り開いてくれるのだろう、と。
私も、イーサルミ王国の未来を担う者の一人として、負けてはいられないな。計算尺を握りしめながら、私は少しシェロベンヴァー上等兵に対抗心を感じた。
それから、2日後のことだ。
急報が、軍司令部にもたらされる。
「スラヴォリオ王国より、艦艇15隻の出撃を確認した。また、オレンブルク経由でスラヴォリオ陸軍が行軍中であるとの報告が、フロマージュ空軍の偵察艦より入ったとのことだ。その数、およそ4万」
先に動きを察知したのは、スラヴォリオ側の動きだ。
「あの、オレンブルク側には動きはないのですか?」
「今のところ、報告は入っていない。が、動いているとみて間違いないだろう。同程度か、それ以上か」
もしもオレンブルクも同規模だったとしたら、合わせて30隻の空中艦と8万もの軍勢を相手にしなきゃならないということになる。
「ふ、フロマージュ軍は?」
「空軍第4艦隊がこちらに向かっているとの報告が入った。まもなく到着するとのことだ。総勢、30隻。だが地上軍は今のところ、このヴォルガニア公国に駐屯する3万と、テッサフロリナに駐留する7万の内の半数が動かせるかどうか」
「ですが、ヴォルガニア公国の危機ですよ。その全軍をこちらに振り向けるべきでは?」
「そうはいかない。スラヴォリオ軍の狙いがヴォルガニアとは限らない。こちらに向かうと見せかけて、テッサフロリナを急襲する可能性もある。むやみに軍を動かせないというのが、フロマージュ側の事情だ」
なんてことだ。攻めてくると分かっていたのに、それほど準備を進めていなかったということか。その話を聞いた私は、少し憤りを感じる。
が、フロマージュ軍が頼りないことなど、つい最近知ったばかりではないか。仕方がない、今は持てる力でこれらに対抗するのみだ。
そして、その日の晩のこと。
今度は、オレンブルク側の接近に関する報がもたらされる。
接近するのは、およそ5万の兵力。そしてその後方からは、10隻の空中艦が迫っているとのことだ。
ヴォルガニア公国は、この2つの国から挟撃されることとなった。




