#6 式典
「戦艦ヴェテヒネン所属、砲撃科、砲術計算士、カルヒネン伍長!」
「はっ!」
およそ私には場違いな軍司令本部にある大広間にて、ヴェテヒネン乗員26名に見守られながら、司令部付きの佐官らが立ち並ぶ列のど真ん中を進む。目の前の壇上には、いくつもの勲章をぶら下げた将官が立ち並ぶ。そんな中を、伍長ごときが突き進んでいる。生きた心地がしない。
てっきり、砲撃科全員で授与が行われるのだと思っていた。が、銀等級の勲章は司令本部内の一室でひっそりとおこなわれるものらしく、金等級以上の勲章授与のみ、式典が催される。だから、この場で授与を受けるのは私だけ、ということになった。
ちなみに、伍長が生きながらにして金等級勲章を授与されるのは、これが初めてらしい。一度だけ、伍長が生前にさかのぼって金等級を授与されたことがあるそうだが、当の本人はこの独立戦争緒戦の頃に、オレンブルク連合皇国軍のど真ん中に爆弾を抱えて突入し果てたとのことで、影も形も残っていない。ただ勲章授与の名誉だけが現世に残る。
で、生きたままの伍長として初めてこの壇上に上がった私は、カンニスト中将閣下の前に立たされる羽目になる。私が敬礼すると、中将閣下も返礼で応える。
そんな私を、いや、その後ろに並び立つ皆に向けて、カンニスト中将はこう告げた。
「本日、我々は一人の英雄を讃えるために集まった。ここにいるカルヒネン伍長は、単なる砲術計算士ではない。彼女の持つ知性と勇敢さと献身的な行動によって、我がイーサルミ王国の多くの国民の命が救われ、そしてわが軍を勝利へと導いた」
脇に立つ秘書官らしき人物が、化粧箱に収められた金色の紋章輝く勲章を、中将閣下に差し出した。それを受け取り、閣下が私の名を叫ぶ。
「カルヒネン伍長!」
「はっ!」
私は一歩、前に進み出る。勲章のピンが私の胸元に刺され、それが確かに私の軍服に取り付けられた。肩に伍長の位を示す三重線が描かれただけの、何の飾りもない殺風景な軍服の表面に、まぶしすぎるほどの勲章が際立って見える。それを見た私は、不意に涙が流れそうになる。
それを堪えて、私は中将閣下に再び敬礼をする。閣下が敬礼すると同時に、この大広間に拍手が沸き起こる。その拍手の渦の中、私はヴェテヒネン乗員26人がいる場所まで戻った。
「諸君らも知っての通り、王国内では厳しい戦いが続いている。この一か月余りのうちに3度も爆撃が行われ、多数の死者を出した。が、この伍長のように祖国愛からくる勇気と工夫によって、多大なる勝利がもたらされたこともまた事実だ。我々にはまだ、戦う力がある。皆の奮戦努力を期待する。国王陛下、万歳。我がイーサルミ王国に勝利を」
カンニスト中将のこの言葉に、皆が一斉に敬礼をする。これをもって、ようやくこの緊張の式典が終わりを告げた。
「より厳しい戦いに、我々は出向かなければならない」
その後の、司令本部の一室で行われたヴェテヒネン全員のブリーフィングで、艦長がこう言い出した。
「たった6隻の戦艦で、我が王国とオレンブルク連合皇国との1700サンメルテにも及ぶ長い国境線と、広大なる国土を守らねばならない。各員の一層の奮戦を期待する」
先ほどの中将閣下に刺激されたであろう艦長が、念押しのように我々乗員にさらなる奮闘努力を期待してくる。しゃべり口調が、いつもよりも「酔って」いるな。中将閣下に触発されたか。しかしこう言っては何だが、いくら勲章を受けたからと言って、それだけで強くなれるわけではない。
「カルヒネン伍長」
「はっ!」
と、突然私の名が呼ばれる。この予想外の事態に、私は慌てて返事をし、敬礼する。
「辞令だ。本日付けをもって、貴官を曹長に昇進するものとする」
勲章の次は、昇進だった。考えてみれば、勲章を受けたというのに伍長のままというのも妙な感じだ。私としては、むしろこの昇進の方がうれしい。なにせ、給料が上がる。
「はっ! 謹んで、お受けいたします!」
胸元で光る真新しい勲章を揺らしながら、私はこの辞令を受け取る。なお、先の戦死して金等級を受けた伍長は、三階級特進で准尉となったらしい。が、私はまだ生きているから、そういう特別な待遇はされない。私個人としても、生きているうちに2階級以上の特進は受けたくない。さすがの私でも、どこか縁起が悪いと感じてしまう。
「敬礼!」
さて、そんな私がこの軍服姿で歩くと、時折、見ず知らずの軍人から敬礼されることがある。私も慌てて返礼を返すが、相手が自分よりも上の階級の相手からされることがあり、戸惑う。
普段ならば、下の階級の者から見向きもされなかったというのに、どうしてこうなった?
どう考えても、この勲章のおかげだろう。金色に輝く放射状の印に、赤、白、青の三色のリボンが示す意味を、軍属ならば多くが心得ている。
が、中にはこんな反応をされることもある。
「おい! そこの曹長! 仮にもイーサルミ王国の軍人が、偽物の勲章を身に着けて歩くとは何事か!」
つまりだ、こんな低い階級の軍人が、金等級などつけているはずがない。だからこれは偽物だ、という理屈で、見知らぬ士官に絡まれてしまった。
「いえ、私はさきほど、カンニスト中将閣下より授与いただき……」
「もっとマシな嘘をつけ、この一兵卒が!」
少尉の階級章をつけた士官が、私の胸につけられた勲章に手を伸ばす。辺りの軍人や民間人が、この騒ぎで一斉にこちらに注目する。私は、勲章をかばう左腕をこの士官に掴まれる。
「待て!」
それを見ていた人々から、これを制止する声が聞こえてくる。その声の主が、人混みの中から進み出る。
胸には、佐官であることを示す飾緒付き。階級は少佐だ。見たところ、砲長と同じくらいの歳の人物と見えるが、その士官が私の腕を掴む少尉を睨みつつこう言った。
「その手を、直ちに離せ」
「ですが少佐殿、この士官はあろうことか、金等級の勲章の偽物を身につけているんですよ!」
「偽物ではない。午前の式典で、カンニスト中将閣下より授与されたものだ。彼女はカルヒネン曹長、敵艦三隻撃沈に貢献した計算士で、その戦績をもって異例の授与が決まった。実際、私はその場に居合わせた」
ああ、あの場にいた佐官らの一人がたまたまここに居合わせてくれていた。その少尉は慌てて私の手を離して敬礼する。
「で、ですが本当ですか? 未だかつて、下士官以下の者が金等級など……」
「苦しい戦時下だ、階級や前例にこだわらず、その功績に応じて讃えることに躊躇しないと、カンニスト中将閣下は仰せだ。逆に言えば、貴官にもその機会があるということに他ならない。こんなところで、勲章の真贋などを論じている場合ではないぞ」
「はっ」
「それに、だ」
「なんでしょうか、少佐」
「金等級の勲章を奪い取ろうとする行動は、戦時、平時、軍民を問わず極刑が倣いだ。今ならば、私は見なかったことにしておくが?」
少佐の言葉を聞いたその少尉は、敬礼してその場を足早に立ち去って行った。
「ありがとうございます、少佐殿」
危ういところを救ってくれたこの上級士官に、私は敬礼する。
「私は司令本部付き情報将校のラリヴァーラ少佐だ」
「戦艦ヴェテヒネン、砲撃科のカルヒネン伍長……いえ、曹長であります」
「貴官のことは、あの式典で目にしている。特に先日の敵艦隊捕捉と2隻同時撃沈の報は、我々情報分析の立場から見ても驚異の戦果だ。これからも、オレンブルクの魔の手から我が祖国を守り抜いてほしい」
「はっ!」
「ところで、貴官はもしや、クーヴォラ軍学校の出ではないか?」
私の窮地を救ってくださったこのお方から、思わぬ一言が飛び出す。
「はっ、おっしゃる通り、クーヴォラ軍学校、計算工学科出身であります、少佐殿」
「やはりな、ということは、貴官のその計算術はラナハスト先生直伝ということだな」
「少佐殿は、ラナハスト先生をご存知なのですか?」
「ご存知もなにも、私はラナハスト先生に計算工学を学んだ者の一人だ」
「まさか、少佐殿もクーヴォラ軍学校のご出身なのですか?」
「いや、軍士官大学だ。ラナハスト先生はそちらの教授でもある。だが、あの勲章ものの正確な計算術は、思った通りラナハスト先生によるものであったか。貴官と私の恩師がつながっていたとは、実に心強い」
思わぬ事実だった。私を救ってくれたこの士官は、同じ恩師を抱いていた。
「ということは、ラリヴァーラ少佐殿も司令本部では計算術を用いていらっしゃるのですか?」
「もちろん、そうだ。敵の侵攻予測に暗号解読、兵員配置など、作戦決定にはもはや計算術なしには成り立たない。我が軍がオレンブルクの30分の1の国力でも戦い抜ける理由は、ラナハスト先生が広められた計算術式のおかげである。世界中に最新の機械式計算機が普及しつつあるが、それでも先生の計算理論が敵との差を生んでいる。ゆえに、その理論を正確に実践する者が勲章を授与されたという事実は、実に誉れ高き……」
あれれ、話が止まらなくなってしまったぞ。ラリヴァーラ少佐がラナハスト先生を崇拝する気持ちは、私にも十分すぎるほど理解できる。が、それにしてもこのお方、饒舌だなぁ。なかなか話が終わらない。
「……ということで、この先も先生の恩に報いるため、我が王国のために頑張ってほしい」
「はっ!」
「しかしだ、ラナハスト先生の教えの真の理解者のなんと少ないことか。せめて貴官のような者が司令本部にもいれば、この戦局は大きく変えることができるのだが……」
「はぁ」
「あ、いや、つまらないことを言った。忘れてくれ」
少佐殿が、何気なく本音らしき言葉を出した。その言葉を最後に、私と少佐殿は敬礼をかわして別れた。
騒動の元である勲章を下げて、再び街中を歩く。その後、さすがにあの少尉のような人物には出会わず、すれ違う軍人は私に敬礼をしてくれる。あの騒ぎで、金等級をつけた曹長として知られたのかもしれない。
「カルヒネン曹長」
兵舎に戻ろうとした時だ。背後から、私を呼ぶ声がする。振り返るとそこにいたのはマンテュマー大尉だった。
「砲長、何か?」
「何かじゃない、貴官が街中で、騒ぎに巻き込まれたと聞いたぞ」
ああ、やはり人のうわさは広まるのが早い。砲長にまであの話が及んでいたとは。
「巻き込まれたというより、その渦中に放り込まれていた感じです」
「だろうな。しかし、金等級勲章を見て偽物と言い張るとは、よほど勲章を見たことがないのか、それとも貴官と不似合いすぎると感じたのか」
といいながら、私の胸のあたりをじろじろと見てくる。勲章を見ているんだよな、勲章を。
「が、勲章を受けた以上、それを外すわけにはいかない。栄誉であると同時に、この国を命を賭して守るという課せられたその責務の重みを感じる義務も生じる。あれくらいのことは、常に覚悟しておいた方がいい」
先ほどの少佐殿と違い、こちらは割と辛らつだ。仮にも私は女だ、もう少し気の利いた言葉をかけるべきではないか? 私は今、憮然とした顔を見せているはずだ。
にもかかわらず、この男は図々しい。
「カルヒネン曹長、いや、ユリシーナよ」
「なんでしょうか」
「これから、例の店に行く。一緒に行かないか」
例の店とは、おそらく店主と知り合いのあの店のことだ。どうしようかと思ったが、あの日、トナカイ肉の味がよく味わえなかった。勲章の式典を乗り切り、昇進も果たしたことだし、ささやかなお祝いとしてあれを再び味わうのも悪くはない。
「承知いたしました」
と、私はそれを受けてしまった。それが、いけなかった。
その後、確かに私はポロンカリスティスを堪能することができた。が、その味につい上機嫌になりすぎた私は、砲長が差し出したワインに口をつけてしまった。
そのあとの記憶は、ベッドの上で目覚めるまでない。気づいたら、あの胸の詰め物よりもはるかに重い勲章すらもはがされて、全身丸出しの状態でマンテュマー大尉の横で寝ていた。