#59 教練
乗り込んだ艦は、フロマージュ共和国から供与された艦で、テレメール級と呼ばれる艦種だ。これはヴェテヒネンとほぼ同型の艦である。ただし、ヴェテヒネンと比べると機関や砲が大幅に改良されている。
模擬戦闘訓練用の相手は、3台のトラックに結びつけられた全長が70メルテの気嚢だ。それが、刈り取りの終わった麦畑のど真ん中を突っ切る農道の上を動く。
これを距離7800メルテ先から撃墜するのが、今度の訓練だ。
『目標までの距離、7800! 射程圏内!』
『教練砲撃を開始する。砲撃準備!』
「教練砲撃、準備!」
ここ砲撃室で、砲撃手があわただしく動く。火薬袋が運び込まれ、砲弾が設置される。
地上での訓練を何度も繰り返したというが、空での訓練は初めてだ。地上とは異なり、揺れる足元の上での装填作業は、並大抵のものではない。
私の横で、2人の計算士がカリカリと計算結果をメモに書き込んでいる。カルリーク上等兵と、シェロベンヴァー上等兵だ。いずれも、公国内で男爵が設立した計算学校の初代卒業生で、いずれも成績優秀だという。
なお、シェロベンヴァー上等兵は女だ。独立宣言の2年ほど前に、駐留するオレンブルク兵らが父親を殺害したのだと聞いた。それでひそかに行われていた計算士養成のために作られた計算学校に通ったという。どことなく、私と同じ境遇を感じさせる。
2人の内、最初に計算を終えたのはカルリーク上等兵だ。メモ用紙を持ち上げ、値を読み上げる。
「砲長、艦主軸右方向43.2度、仰角46.3度、装填火薬7袋、時限信管設定39秒!」
教科書通りの読み上げだ。それを受けて、砲撃手が動き出す。砲弾のダイヤルが回されて砲身に放り込まれると、ひと呼吸遅れて火薬袋が7つ、放り込まれる。尾栓が閉じられるが、閉まり切らない。火薬袋の詰め方が悪く、蓋が閉まらない。一度開けられて、再び閉じられる。
ようやく、砲身が回され始める。勢いよく回る砲身だが、一度戻される。回し過ぎて、ここの砲長が砲撃手に指摘していた。このため、発射準備に15秒も要してしまった。
「射撃用意よし!」
「砲撃始め、撃てーっ!」
ズズーンという砲撃音とともに、発射される。私は望遠鏡でその先を追う。
およそ40秒ほどで弾着時間を迎える。直前、パッと白い光が見えた。直後に弾着時間を知らせる観測士の声が伝声管から響く。
『だんちゃーく、今!』
しかしだ、何も起こらない。明らかに外れた。今、揚げられている気嚢には水素が詰められている。当たれば発火し、すぐにわかる。にもかかわらず、まったく発火しない。
そこで私はもう一方のシェロベンヴァー上等兵を見る。そのメモには、右42.1度、仰角45.7度、火薬7袋、信管時間は38秒と書かれていた。
私も、裏で計算していたが、砲撃角度の値がそれぞれ右42.2度、仰角45.7度。どちらかといえば、シェロベンヴァー上等兵の方が近い値を出していた。
『弾着ずれ、550メルテ!』
当初のもたつきもあったから、私の計算値を読み上げたところで当たる可能性はほぼゼロに等しいだろう。が、それにしてもずれが大きい。私はカルリーク上等兵にこう告げた。
「追い風の影響を、多めに見積もりすぎている。また標的の移動速度を考慮できていない」
「はっ! 肝に銘じます!」
私の指導を聞いて、敬礼するカルリーク上等兵。加えて私は、こう指示を出す。
「砲長、次の弾着はシェロベンヴァー上等兵に交代させて下さい」
「だが、ここは計算を終えた順では?」
「それでは間違っていても早く計算できた方が有利になってしまいます。ここは、交互に機会を作りましょう」
砲身の中の火薬カスが出され、次弾装填の準備が整っていた。そこで砲長が次の砲撃準備を指示する。
「教練、第2射用意!」
今度はシェロベンヴァー上等兵が動き出す。望遠鏡で標的を眺め、カリカリと鉛筆で何かをメモに書き上げる。そして計算尺を動かし、値を入れていく。
が、再度、望遠鏡で相手を観測する。最後にカリカリと何かを書き上げた後、それを読み上げる。
「砲長、艦主軸右方向44.7度、仰角45.1度、装填火薬7袋、時限信管設定38秒!」
それを聞いた砲撃手が、動き出す。ダイヤルを回して砲身に入れる。続いて火薬7袋が詰められ、尾栓が閉じられる。今度は引っかからなかったようだ。
ダイヤルを回すが、オーバーランをしないようダイヤルを見ながら回したため、少し時間がかかる。だが、先ほどよりは短い13秒で砲撃準備を終える。
「射撃用意よし!」
「撃てーっ!」
第2射が放たれる。ズズーンという音とともに、主砲が火を噴いた。標的に向けて放物線上に向かう弾は、目では負えない速さで飛翔していく。
実はこの艦の主砲は我が艦のものより改良が加えられている。砲身を回すダイヤルには、油圧式アシストがついている。これはつまり、それだけ砲身を速く回転させられるという仕組みだ。
我がヴェテヒネンのように歯車頼み、人力頼みでは、どうしても重い砲身を回すのに時間がかかってしまうが、この油圧式ならばハンドルを回す回数が少なくて済む。
ただし、一見するといいことづくめな気もするが、欠点もある。
それは、オーバーランしやすいということだ。つまり、規定の角度でぴたりと止めるのが難しくなる。
実はヴェテヒネンでも油圧式アシストの搭載を打診されたのだが、実際にそれを使ったキヴェコスキ兵曹長が扱いづらいとして断った経緯がある。そんなものを使わずとも、7秒で砲身を既定の向きに合わせられる腕があるから、もはや不要という判断にもうなずけるが。
『だんちゃーく、今!』
と考えている間に、弾着時間を迎えた。少し遅れて、標的から炎が上がる。艦内から歓声が上がった。
「おおーっ!」
初めての、空中からの命中である。喜びたくなる気持ちは、私にもよくわかる。が、あれは教練用の標的であって、敵ではない。
「回避運動のない標的相手で、命中するのは当然です! 次、カルリーク上等兵!」
「はっ!」
新しい標的が上げられると、訓練は再開される。先ほどの命中は、ほぼまぐれ当たりであった。その後はカルリーク上等兵、シェロベンヴァー上等兵ともに外し、5発目でカルリーク上等兵が命中させる。
そこから30発もの教練砲撃を終えて、撃墜は3。シェロベンヴァー上等兵が2で、カルリーク上等兵が1。総合命中率は10パーセントだが、回避運動できない標的相手ではごく普通か、やや低い成績といえる。ともかく、こうして公国で最初の教練砲撃を終えて、ようやく地上に戻ってくる。
が、計算士としての仕事はここからだ。
この30発の間、自身の番であろうがなかろうが、2人の計算士には弾道計算を続けてもらった。その結果を、ひとつづつ確認する。
実は私も同時に、30発分の弾道計算をしている。私とのずれを、この2人と比較する。
「これをみて、何かわかるか?」
私は若い2人の計算士に問うた。カルリーク上等兵が、口を開く。
「はっ、明らかに小官の計算値とのずれの方が、大きいです」
「その、原因については?」
「いえ、何も……」
若き計算士は黙り込んでしまった。すると、シェロベンヴァー上等兵が口を開く。
「カルヒネン曹長殿は講義にて、砲撃前に必ず敵をもう一度見よとおっしゃってました。私はそれを行い、最後の補正値にそれを加えてます。その分の差が、現れたのではと推察いたします」
もう一人の計算士のこの返答に、カルリーク上等兵はハッとした。私の話を解しそれを実践していたか否かの差が、二人の成績の差を生んだ。
「2人の計算技量に差はみられない。が、成績で見てもシェロベンヴァー上等兵が上回ったのは、その最後の観測を反映できたか否かの、たったそれだけの差だ」
私は二人の若き計算士にそう言い放つ。やや、しょぼくれるカルリーク上等兵。
「逆に言えば、カルリーク上等兵もその点を注意すれば、次の砲撃訓練からはより高い命中精度を出せるようになる、ということだ。今回の訓練を糧に、励んでほしい」
「はっ! 肝に銘じます!」
さて、計算士同士での振り返りを終えると、辺りはすっかり暗くなっていた。ということで、このまま2人の計算士と夕食を共にすることとなった。
相変わらずラム肉と、そして小麦を使った粥料理が多いが、そこで私はこの2人と計算談話をすることとなる。
「つまりイーサルミ王国には、世界最高速度の計算機があるのですね!」
「そうだ、ラハナスト先生が手塩にかけて作られたその計算機は、この先、世界を変えるだろうと私は思っている」
「ということは、戦争の形も大きく変わるのでしょうか?」
「戦争だけではない、もしかすると少し先の未来では、皆が計算機を所有する時代になっているかもしれないんだ。少なくとも、ラハナルト先生はそう予言されている」
とまあ、調子に乗って話を続けたものだから、そのままの流れで私はあれを口にしてしまう。
そう、ワインだ。
すると、いつも通りに記憶が飛ぶ。
「うう……」
目が覚めると、ベッドの上だ。ああ、またやらかしてしまった。にしても、ここはどこだ?
宿舎であることは、部屋の広さからもわかる。が、うちの砲長、マンテュマー大尉の部屋ではない。明らかにここには生活臭がある。棚には何冊かの本が並べられており、テーブルの上には軍服が置かれている。
その軍服の一方は私のものであるが、もう一方は……ヴォルガニア公国軍の服だ。
ちょっとまて、私は今、ヴォルガニア公国軍人と寝ているのか? 私はあわてて起き出し、計算尺で胸元を隠しつつ、隣を見る。
シーツをかぶった、ブロンド髪の誰かがそこに寝ている。明らかにそれは、マンテュマー大尉ではない。まさか、カルリーク上等兵か?
顔から血の気が引くのを感じるが、その人物が寝返りを打ってこちらを向くと、予想外の人物であることが判明する。
そう、それはシェロベンヴァー上等兵だ。
「ううーん、ああ、よく寝た」
そんな彼女が、目を覚ます。まどろんだ目で辺りを見渡し、ふと私と目が合うと、にやりと笑みを見せる。
「ああ、カルヒネン曹長殿、おはようございます」
私よりも大きな胸を露わにしながらむくりと起き上がり、目をこすりつつ彼女は言う。
「ええと、なんで私がここに?」
「曹長殿は昨夜、私と意気投合して、弾道計算のことを手取り足取り教えたいとおっしゃりながら、この部屋に転がり込んできたんですよ。覚えていらっしゃらないのですか?」
えっ、私、そんな大胆なことをシェロベンヴァー上等兵に言ったのか。まるで記憶にない。唖然として言葉が出ない私の、胸に当てられた計算尺を彼女はそっと手に取って、そしてそれを脇に置いてから私の胸にその大きめの胸の塊を当ててきた。
「すごかったですよ、昨夜の計算のお話は。ですがそれは、弾道計算ではありませんでしたね」
うっとりとした目で、私に抱き着いてくるシェロベンヴァー上等兵。私の背中に手を回し、上半身をべったりと合わせる。彼女の体温と、心臓の鼓動が伝わってくる。
どうやら、何かをやらかしたらしい。しかし、たいていはやられる側だった私だが、今回はどうやら攻めた側のようだ。おい、酔った自分よ、昨晩は何をやらかした?




