#57 謁見
私は今、とんでもない場所にきていた。
そこは、ヴォルガニア公国の宮殿。その大広間の只中に、艦長、副長とともに私は並び立つ。艦長と副長はまだわかるが、どうして私がここに?
もちろん、イーサルミ王国でも宮殿入ったこともない。それどころか、貴族の屋敷にすら入ったことすらない。そんな平民の私が、いきなり公国の宮殿である。
どうして、こうなった?
と、その前に、ヴォルガニア公国の成り立ちを思い出してみた。
ここに来る途上、ヴォルガニア公国に関する資料を一通り読んだ。
この国は元々、オレンブルク皇国の一角であり、ヴォルガニア公爵が治める領地であった。
穀倉地帯であったのは昔からであり、それゆえにこの土地はスラヴォリオ王国とオレンブルク皇国との間で度々争いの種となっていた。
そんな場所が、どうしてオレンブルクから別れて公国となったのか?
一言で言えば、ここで取れた麦を両国に供給できるようにするため、あえてオレンブルクから独立した国として分かれたのである。領主であるヴォルガニア公爵の名をとって、ヴォルガニア公国。もっとも、実際はオレンブルク連合皇国の属国であって、独立した国家というわけではないのだが、事実上の敵国であるスラヴォリオ王国との争いを緩和するべく設立したという経緯を知る。
なお、このヴォルガニア公国の近くに「ヴォルガリンクス」という名の都市がある。ヴォルガニア公爵の出身地がそのヴォルガリンクスだったため、自らの名をその都市名から取ったともいわれている。
が、そんな国が本当に分離独立を宣言した結果、オレンブルクから軍事的制裁に出られてしまった。実際はオレンブルクの国の一部だったものが離れようとすれば、当然そうなる。
そんな国家の元首であるヴォルガニア公王が、私のすぐ前に立っている。
その脇に立つ側近が、広間に集まった大勢の貴族らに向けてこう宣言する。
「かつてよりの盟約に従い、我が公国を救うべく、イーサルミ王国の英雄がここに馳せ参じた!」
側近の言葉に、貴族らから拍手が沸き起こる。ちなみに、この王国でも我々とほぼ同じ言語を話す。というか、オレンブルク全体でほぼ共通の言語だ。イーサルミ語、ヴォルガニア語、オレンブルク語と別れてはいるが、実態はほぼ同じである。
ゆえに、話している言葉も理解しやすいのだが、理解できないのは「盟約」のことだ。
そんな盟約、本当にイーサルミ王国とかわしていたのか?
あまりにも離れた両国にとっては、そんな盟約など存在しないか、あっても形式上のものに過ぎないだろう。もしかすると、オレンブルク連合皇国とそれら属国との間にかわされた盟約のことを言っているのかもしれない。
などと、呑気に考察している場合ではない。
そのヴォルガニア公王が、なんと私に握手を求めてきた。公王陛下は大変にこやかな顔で私をご覧になり、そして私の胸元をご覧になる。
もちろん、ご覧になったのは私の胸そのものではない。胸に光る、2つの勲章だ。
どういうわけか、私はここでは「英雄」ということにされてしまってるようだ。それを象徴するのが、この2種類の金色勲章らしい。
小さな胸に似合わないこの勲章のおかげで、これまで助けられたような、面倒ごとを押し付けられる原因になっただけのような、実に複雑な代物だ。今はどちらかといえば後者か。
その後、すぐ脇にある離宮にて社交界が開かれる。広く煌びやかな会場には、多くの電球で照らされ、床にはオレンブルク南部で作られた「オレンベスク」と呼ばれる複雑な文様の絨毯が敷かれている。
その上に並べられたテーブルは、それほど華美なものではない。軍司令本部に置かれたテーブルのような、実務的で簡素なものが使われている。その上には、数々の料理が並べられている。
ワインもあるが、この場であれに手を出さない方がいいな。それよりも、食べ物が気になる。マナキシュと呼ばれる、薄いパンの上にラム肉やチーズ、香辛料をまぶしたものが上にかけられている。他にもターブレと呼ばれるサラダ、ウリアム、クナーファというドリア状の食べ物が大皿にあり、それを各自の小皿にとって食べるという形式の会場となっている。
社交界という場は豪華ではあるものの、料理やテーブルが庶民的、事務的な雰囲気で、貴族の社交界としてはあまりにもありふれたものがそろえられている印象を受ける。
「遠くの国から英雄を招いておきながら、貧相な場で申し訳ない。つい昨日まで、オレンブルク軍と戦闘していたために、物資や調理人の多くを失ってしまった」
「あ、いえ、そんなことはありません。このようなところにお招きいただいて、実に栄誉あることであると感じております」
王族付きの侍従長らしき方が、申し訳なさそうに私にそう話す。しかし、出された料理はいずれも私にとってむしろ庶民的なものの方が、かえって緊張がほぐれるというものだ。
が、周りにいるのは貴族だらけだ。貴族に許された場であるから当然なのだが、その中にあって平民の私などは場違いも甚だしい。
実は艦長、副長は「準男爵」の称号を持っている。我がイーサルミ王国では佐官以上は貴族相当の称号として、この準男爵号が贈られる習わしとなっている。
だから純粋な平民は、この場では私だけだ。しかも、得意技は計算だけ。そんな話題についてこられる貴族など、いるはずがない。
「貴殿が、噂の計算士かな?」
そんな私に、話しかけてくる貴族が現れた。
「は、はい、カルヒネン曹長と申します」
「やはりそうか、心眼必中の艦、青首と呼ばれ恐れられるまでの空中戦艦の、その脅威の命中率を担保する計算士が貴殿のように小柄な女性兵士であったとは、正直驚きであるな」
と、じろじろと胸の辺りを見つめる貴族様。うーん、英雄と祭り上げられた者がこんな小娘でがっかりしたのかな。特にこの、胸の小ささに。
「おっと、名乗り忘れていたな。私はこの公国での男爵である、アルトゥル・トルバチュという者だ」
「だ、男爵様でございますか」
「なあに、たかが小国の貴族だ。それほど気張らんでもよい」
男爵様から話しかけられた。私にとって、初めて会話をする貴族様だ。当然だが、イーサルミ王国でも経験がない。
ところが、その男爵様からは思わぬ会話がとびだす。
「ところで貴殿は、計算尺のみであのような精度の高い砲撃を指示しているのか?」
まさか貴族様から、計算尺という言葉が出るとは思わなかった。
「はい、空中艦ですので、重い機械式計算機は持ち込めませんから」
「左様か。だが、計算値の提示から砲撃までに時間的な間があるだろう。他にも風の乱れや回避運動、その他もろもろの外乱要因をどうやって加味しているのだ?」
この方、なかなかの知識をお持ちの方だぞ。生半可な答えではごまかせない。そう感じた私は、やや構えつつ応える。
「おっしゃる通り、誤差要因は多々ございますが、まず計算から発射の間は砲撃手の訓練により、短く安定した時間でこなせるようしていただいております。また風などの外乱要因は、望遠鏡による観察と、あとは私の経験と勘で補うしかありません」
「経験と勘、と言われてもピンとこない。それをもう少し具体的に、他人に理解できる形で伝える例はないものか?」
「は、はい、例えばですが、私は敵艦の周囲に吹く風の向きや強さを、ゴンドラから吊るされたロープにある旗だったり、あるいは艦首に設けられている風車の動きから類推いたします。他にも、初弾を放ち、その弾着から補正するのですが、補正量は単純にそのずれ量や距離からの比例計算で求めるのではなく……」
どうして貴族様を相手に、これほど専門的な会話をしているのだろうか? というかこのトルバチュ男爵というお方、ただものではない。
会話していてわかる、この人、計算工学に精通している。計算尺の持つ特性も心得ているなら、機械式計算機も扱えるようだ。それをにおわせることを、何度も口走っている。
「ところで、男爵様は計算に関わる何かをされているのでしょうか?」
だから、思い切って尋ねてみた。
「うむ、実は我が国にある野砲、高射砲の命中精度を上げるために、機械式計算機を導入したのだよ。だが、使いこなせるものはほとんどおらぬ。そこで私が今、その指導を行っておる」
ああ、やっぱりそうだ。つまりこの人は、陸軍での計算士を育成するための役を担っている、ということか。
「で、私は以前、ラハナスト先生の教えを受けておってな」
「えっ、ラハナスト先生を御存知なのですか!?」
「もちろんだ。あのお方はイーサルミ王国、いや、人類の宝だからな」
こうなるともう、計算談話に突入である。目の前にいるお方が男爵であることなど忘れて、すっかり打ち解けてしまった。
「そうか、貴殿の言われる通り、ラハナスト先生はいつも数式、計算機だけに頼るなとおっしゃられていたな。人の感性や経験こそ大事だと、それを計算の答えから読み解かなければならない、数式に振り回されるだけの人間にはなるな、と」
「はい! その通りでございます!」
「その実践が、貴殿のあの弾道計算なのだな。うむ、いい話を聞かせてもらった。これで我が公国軍もようやくオレンブルクに対抗できそうだ」
とまあ、ここで盛り上がったのは何ら問題ない。問題は、その後に調子に乗った私は、ワインを飲んでしまったことだ。
で、気づいたら、ベッドの上にいた。
「うう……」
うーん、頭が痛い。飲み過ぎたようだな。というか、記憶がない。
いや、それ以上に問題なのは、ここが一体どこなのか? 私はふと、ベッドの横に誰かがいることを認識する。
ま、まさか……私は胸の大事な部分を計算尺で隠しつつ、恐る恐る、その人物のシーツをそっとめくってみる。
「ううーん……」
どう見ても、男性の背中だ。そして私がワインを飲む前に最後に話した人物は、トルバチュ男爵である。もしや、このお方はあの男爵様か?
と思ったが、この背中、どこかで見覚えがある。
「……なんだ、やっと目覚めたか」
その男は振り返りざまに、こう言ってのける。顔を見て安心した。それは砲長だった。
「砲長……いえ、アウリス、ここは一体、どこなのでしょう?」
「どこって、トルバチュ男爵様の屋敷の離れだ」
「えっ、だ、男爵様のお屋敷ですか!?」
「屋敷ではなく、使用人を住まわせるための離れの家だ。その一室が開いていたから、そこを貸してもらったというわけだ」
「あの……こんなことをお聞きするのは心苦しいのですが、私は何をやらかしたんですか?」
「社交界で男爵様と散々盛り上がった後、そのままこの屋敷まで語りながら話し続けていたそうだ。ところが、まさかお前を一人で返すわけにはいかないと、ヴェテヒネンまで使いがやってきて、それで俺が呼び出された」
「はぁ……」
「ところがだ、俺がついた時には、お前はもうぐっすりこのベッドで寝ていた。仕方がないから、俺もここに泊まることになった。それが昨晩、お前に起こったことすべてだ」
ああ、なんてことだ。これでは男爵様に合わせる顔がない。いや、そんな私をわざわざ迎えに来てくれたのに、このお屋敷の一角に引き留めてしまった砲長にも、顔を合わせられない。私の計算尺は今、胸ではなく顔の方を隠している。
とはいえ、だ。ちゃっかり服は脱がされている。こんな状況でもこの男は結局、欲望を抑えようとはしなかったのか。
それから、軍服に着替えて部屋を出ようかという時に、メイドが我々を呼びに現れた。そのメイドの導きで、屋敷の中の食卓へとお邪魔することとなった。
「そういえば昨日の戦いを、私はこの屋敷の上の部屋から見ていたのだ」
私と砲長を前に、男爵様は昨日の話をされた。
「オレンブルク兵は来なかったのですか?」
「いいや、しばらくは近くで銃撃戦をしていたが、慌てて撤退していったな。どうやら郊外に作った簡易要塞を叩かれて、戦意をなくしたと聞いたな」
トルバチュ男爵の話によれば、オレンブルク駐屯軍の多くは宮殿へと向かっていたそうだ。そこでは駐屯軍対近衛兵の戦いがここ数日の間、続いており、その間、貴族の屋敷は素通りされていたらしい。
公王陛下を人質にとって国を乗っ取ろうと画策しての行動だったようだが、あの宮殿も外敵に備えて防御を固めた構造をしており、またオレンブルク兵が侵入すれば、王族は皆、自害し、市民らを敵に回すことになるぞと言い立てて、脅していたようだ。それで、宮殿前での膠着状態が続いていた。
どおりで、駐屯軍とにらみ合ったというわりには被害が少なかったわけだ。その時間稼ぎをしている間にフロマージュ軍が現れて、そして撤退していった。
「奇跡的にここ貴族街の被害は少なかったが、多くの市民が昨日の戦闘で亡くなってしまった。ゆえに、我が国の軍事力を早急に強化せねばならないと実感している。貴殿らはすでにオレンブルク相手に3年も戦い続けている。その戦いの知識や経験を、我々に伝授してほしいと思っている」
単刀直入、いきなり軍事の話が飛び出した。貴族の屋敷の多くが無事だった一方、戦闘の大半が行われた平民街では多くの建物が焼かれ、またそれだけ人も死んだ。
貴族という存在は、平民の命など失われてもせいぜい野生のトナカイが死んだくらいにしか思わない人種だと思っていたが、そうでもない人がいると知って私は心打たれた。しかも、この戦い後の混乱のさなかだというのにわざわざ朝食に招待していただき、私はその恩を何かの形で返したいとさえ感じた。
が、それは思わぬ方向で、報いることとなった。
その日の昼のことだ。ヴェテヒネンに戻った私と砲長に、副長からとある知らせを受ける。
「しばらくの間、我が艦はヴォルガニア公国軍所属として、この地にとどまることとなった」
寝耳に水とはこのことだ。昨日のうちにイーサルミ王国、フロマージュ共和国とヴォルガニア公国との間で、そういう協定が結ばれたとのことだった。
ということで、我が艦はしばらくの間、この地にとどまることとなる。




