#54 混乱
イーサルミ王国軍司令本部は、混乱していた。
混乱の原因は、独立宣言をしたヴォルガニア公国だ。
ひと言で言えば、ヴォルガニア公国が我が王国に、軍事協力を申し出てきたのだ。
それを受けるか否かで、司令本部内は紛糾している。
「でも、かつての同胞ですよね。協力するのが当然ではありませんか?」
「それを言ったら、オレンブルクだってかつての同胞だろう。それに多分、『協力』の意味は、お前が考えているようなものじゃない」
「どういうものなんですか?」
「つまりだ、『公国内にイーサルミ王国空軍の空中戦艦を派遣せよ』と言ってるそうだ」
なんだそれ? ついこの間まで我が国は、それを自力だけでやってきたんだぞ。まずは自国内の軍を結成し、オレンブルクに対抗できるだけの力をつけることが先決だろう。なぜいきなり、他力本願なんだ。
「で、軍司令本部内は、どういう意見なので?」
「我が国の独立のためにも協力すべき、という意見と、西側同盟内で決定すべき事項で、我が国だけが対処すべき問題ではない、という意見で対立している」
「どちらも、気持ちはわかりますが……ところで、そもそもヴォルガニア公国の西側同盟への加盟は承認されそうなんですか?」
「それがだな、フロマージュ共和国は加盟承認に前向きらしい。それで、オレンブルク連合皇国が反発しているとのことだ」
ああ、これで和平交渉どころではなくなったな。両国の代表が顔を向き合わせたところで、ヴォルガニア公国をめぐっての意見対立し、非難の応酬が始まるだけだ。
「ところで、なぜフロマージュ共和国はヴォルガニア公国の西側同盟参加を承認しようと考えているのですか?」
「地図を見れば、明らかだろう」
砲長がこう言いだしたが、そんな曖昧な答えを言われても地図のない今は知りようがないことになる。
「もったいぶらないで、教えてくれてもいいじゃないですか」
「それほど難しい話ではない。ヴォルガニア公国はオレンブルク連合皇国の穀倉地帯の半分を占めており、かつスラヴォリオとオレンブルクとの間の資源供給ルートの途上にあたる国だ。そこが味方になれば、わざわざネフスキヤヴォストークを攻略することなく、東側同盟の命脈を絶つことができる、というわけだ」
あれ、そんなに重要な位置に、ヴォルガニア公国はあったのか? オレンブルクの地図を頭の中で思い浮かべるが、どうもピンと来ない。
見かねたマンテュマー大尉が、わざわざ購買に出向き、地図を一枚買ってきてくれた。その手に入れたオレンブルク連合皇国全図を見ると、西側には我がイーサルミ王国、そしてネフスキヤヴォストークから南に下ったところに、そのヴォルガニア公国がある。
思ったより、小さな国だな。この広さでオレンブルク連合皇国の穀倉地帯の半分を担っているとは驚きだ。その南側は、スラヴォリオ王国と接する。
あれ、よく見ればこの国、東側同盟の真っ只中じゃないか。南北をオレンブルク連合皇国とスラヴォリオ王国とに囲まれている。仮にこの国に我が王国軍がたどり着こうにも、どうやって行けばいいんだ? 陸の孤島のようなこの小国の位置を見て、私は愕然とする。
「これでは、東側同盟諸国から袋叩きですね。そもそも、どうやってこの国にたどり着けばいいんですか」
「ああ、それはここを通ればいい」
「ここって……スラヴォリオ王国内じゃないですか」
「知らんのか? この一帯は今、フロマージュ共和国が占拠、駐留している。ほんの少し、スラヴォリオ王国の領空をまたぐことになるが、すぐにヴォルガニア公国にたどり着ける」
言われてみれば、フロマージュ共和国の占領地からヴォルガニア公国まではほんのわずかだ。ただし、地図で見ればわずかだが、その距離はおよそ50サンメルテある。
飛行船ならばたどり着けるが、陸路が閉ざされている以上、物資の供給などは困難を極める。せめてこの50サンメルテ分をつながないと、陸の孤島にあるこの公国を援護することはできないな。
と思っていたら、実はすでにフロマージュ軍が動き出していた。スラヴォリオ王国軍と交戦中との報道が、翌日の新聞に載っていた。フロマージュ共和国のこの貪欲さ、行動力の高さには、脱帽するしかない。
だが、その結果、オレンブルクとの和平交渉は始まる前から決裂した。再びこの大戦は、拡大方向へと向かう。
「諸君らも知っての通り、ヴォルガニア公国がオレンブルク連合皇国からの分離独立を宣言し、フロマージュ共和国をはじめとする西側同盟列強がそれを承認した。これを受けて、オレンブルク連合皇国はヴォルガニア公国に宣戦布告、公都であるヴォルガニア市に爆撃を加えたと報じられる。また、オレンブルクの駐留軍が公国内に2千もいるため、それらが一斉に蜂起、穀倉地帯を占拠したと報じられている。もはや、一刻の猶予もない」
公国の独立宣言から一週間、軍司令本部の一角で行われる我が艦の定例会合で、副長が力説する。やはりというか、ヴォルガニア公国の劣勢が伝えられてきた。同時に、オレンブルクも2万の兵をヴォルガニア公国へ向けて進発したとの情報も入る。
2万かぁ。イーサルミ王国の時は5万だったかな。国内で組織された陸軍がまず駐留軍を排除したものの、その後は5万の兵がケラヴァまで攻め込まれたものの、市街戦で打撃を受けて一時撤退、オレンブルク軍が引き返してくる間にキヴィネンマー要塞と5連塹壕を築いてこれに対抗。空からの攻撃は、民間の飛行輸送船を改造した空中戦艦でしのいだと聞いた。かれこれ3年半ほど前のことだ。
そこから空軍の創設、急ごしらえの空中戦艦の配備、領内での空中戦……私も初陣から現在までの7か月間で実に多くの戦闘を経験したが、イーサルミ王国の地の利に加え、先人らの知恵と努力と忍耐力によって支えられて、今があるのだと気づかされる。普通ならば、今のヴォルガニア公国のように一方的にやられていたはずだ。
「そこで、フロマージュ軍と共同で、ヴォルガニア公国の支援を行うこととなった。我が王国からは、ヴェテヒネン、サウッコの2隻が参加する」
ああ、やっぱりそうなんだ。そういう激戦地にこそ、ヴェテヒネンは参加させられる運命なんだね。
サウッコが同伴するのは、南方遠征の実績があるからだろう。その他の艦は、王国本土防衛のため残る。
このところ、オレンブルクの空中艦が再び姿を現すようになったらしい。フロマージュ軍の侵攻を退け、ようやく国内の立て直しを図ろうというタイミングで属国の独立宣言、これが残る2つの国への波及を防ぐためにも、我がイーサルミ王国も含め断固たる態度を取る必要に迫られてしまったから、との見方がある。
意地を張ってないで、さっさと独立を認めてしまえばいいのに。だが、今のオレンブルクの皇帝は暴君として知られている。国の威信を傷つけると考えて、属国の独立など決して認めようとはしないだろう。世界が戦争の渦に巻き込まれる原因の一つを作り出したのは、まさにこの暴君の存在だ。もしかすると、皇帝が変わらない限りこの戦争は終わらないのではないか?
しかし、ラハナルト先生が予言した通りの事態になってきた。終息に向かうと思われたタイミングで、それを再燃する火種が放り込まれてしまった。こうなると、ラハナルト先生が言う通り、何か外側から見えない力が働いているとしか思えない。
だが、その力とはなんだ? 何が目的で、世界を混乱させている?
と、私一人が考えたところで、何かが変わるわけでもない。抗いがたいこの世界の潮流の中、私はただそれに流されるしかない。
そして、その翌日、ヴェテヒネンはヴォルガニア公国に向けて出発する。
『繋留錘切り離せ! ヴェテヒネン、発進!』
いつものように、副長による号令で我が艦は発進する。それにしても副長、今日はやけに声に張りがあるな。それは、王都にとどまったここ数日、リーコネン上等兵との充実した日々を過ごしていたことを暗に物語っている。
それに比べて、私はと言えば砲長とともに、ただ部屋の中に引きこもっていた。時々、例のトナカイ肉のお店に出向いたくらいだ。フロマージュ製、セレスティーナ製の戦闘食に慣らされたこの舌でも、やはり故郷の地上で作られた料理にはかなわない。
部屋に引きこもっている間、私は計算工学と構造計算の2冊を読み返していた。そんな私を「本の虫」だと砲長は、いやアウリスは揶揄するが、知識が思わぬ勝利をもたらすことだってあることを、つい先日実証したばかりだ。だから私は王都に帰ったら今一度、この2冊を読み直すと決めていた。
「直接、ヴォルガニア公国に向かうには、オレンブルク国内を通過しなければならない。が、それは補給の問題もあって困難だ。そこで一度、フロマージュ共和国に入り、そこから南下してスラヴォリオ王国内のフロマージュ占領地を経由、一度、中継地で補給を受けた後にヴォルガニア公国へと向かう」
「足掛け3日はかかると思いますが、そんな悠長な航路でよろしいですか?」
「どのみち、フロマージュ陸軍と足並みをそろえなければならないからな。その間に、占領地と公国との間の土地を制圧し、陸路を確保するんだそうだ」
オレンブルク侵攻で疲弊したかと思ったフロマージュ軍だが、南方を担当する師団はかなりの余力があると見える。50サンメルテもの敵領内をたった数日で攻略できると考えている辺り、その国力の底深さを知る。
それに引き換え、我が国は……
「はぁい、今日の昼食はなんと、トナカイ肉でぇす!」
戦闘食がイーサルミ製に戻ってしまったため、トナカイ肉の缶詰すらも御馳走になってしまった。当然、これに酢漬けキャベツと防弾ビスケットがついてくる。このビスケット、食べるのではなく、気嚢の表面に張り付けて防弾として使ったら効果抜群なのではなかろうか? そう思えてくるくらい、私の歯をなかなか通さない。
「なんだよ、カレーくらいねえのか?」
「ないでーす。だって補給を受けたのは王都だし、しょうがないでしょう」
と明るく振る舞うマリッタだが、その一方でわずかに支給されたセレスティーナ製の物資の中にあったチョコレートをすべて自身の懐に入れたことを、私は知っている。
「明日の正午ごろにはフロマージュ南方に達し、そこで補給を受けた後、スラヴォリオ王国の港町アンフィパトラに達する。ここは今、フロマージュが実効支配する地域だ。そこで我が艦は補給を受け、北進する」
「あの、副長、そのままヴォルガニア公国に入るのですか?」
「いや、まだフロマージュ軍はテッサフロリナ攻略戦の真っ最中だ。予想以上にてこずっているらしい。このため我々もその戦いに参加し、フロマージュ軍を援護する。そこを抜ければ、いよいよヴォルガニア公国に入る」
一緒に食事を摂る副長が、この先の行程について語りだす。なんだ、すんなりと公国に入れるわけではないのか。結局、また侵攻作戦のお手伝いをやらされることになっているらしい。
「ということは副長、例の自噴式弾頭を搭載するのですか?」
「いや、今回は空中艦隊戦のみとなりそうだ。地上の攻撃目標はほぼ制圧したが、空爆が激しく苦戦しているらしいからな。地上攻撃はしない」
私の質問に、副長は短くこう答える。なんだ、今回はあれを積まないのか。ようやく使いこなせるようになってきたから、今度はあれでどんな攻撃を仕掛けてやろうかと、少し楽しみにしていたのに。
「おい、お前、また妙なこと考えてるだろう。顔に出てるぞ」
砲撃室に戻ると、副長が私の顔を見て言った。少し、私はムッとして言い返す。
「なんですか、私がいろいろと考えちゃいけないんですか?」
「そんなことはないが、今の顔はおもちゃを取り上げられた子供のような表情だったからな、多分、ろくでもないことを考えているのだと思っただけだ」
と、今度は人を子ども扱いしてきた。相変わらずの無神経ぶりだ。どうして私は、こんな無神経な男と付き合っているのだろうかと考えることもある。
それから2日間、ほぼ何事もなく航行が続く。
補給のため、フロマージュ共和国南端の港町、シャトーヌフに達する。そこで補給を受ける間、我々はケバブを堪能する。
スラヴォリオ王国領内ながら、フロマージュが実効支配する港町、アンフィパトラに達する。そこで燃料、および弾薬を補充し、すぐに北方向へ進発する。
つい先日まで参加していたオレンブルク侵攻作戦に比べたら、穏やかなものだ。戦闘もなく、補給も潤沢だ。ようやく艦内の食事もセレスティーナ製のものに置き換わり、あの装甲板のようなビスケットと格闘する必要がなくなった。
しかし、フロマージュの実効支配地域を越えた途端、雰囲気が一変する。
フロマージュ空軍所属の戦艦4隻とともに、現在戦闘が行われているというテッサフロリナに到達する。
すると、スラヴォリオ王国所属の空中艦隊らしき一団と遭遇する。
「空中艦、現る! 艦影多数、およそ20! メッシーナ級10、ラーヴァ級7、ペロルシカ級3! 距離22000!」
メッシーナ級というのは、スラヴォリオ王国製の空中戦艦だ。砲は一門で、我が艦とほぼ同等の戦闘力だ。
半数はオレンブルク製の艦艇を使っているようだ。いずれも爆撃可能な艦艇で、まさにこのテッサフロリナに到達したフロマージュ軍を空爆するために使われていると思われる。
一方で、フロマージュ空軍も戦艦12隻、爆撃艦が10隻いる。そこに加えて4隻の戦艦と、そしてヴェテヒネンである。
戦艦の数としてはどちらも17隻、互角だ。
しかしこの戦いで、我々は予想以上に苦戦を強いられることとなる。
 




