#52 疑念
あの時のように、静かだ。機関音も聞こえない。砲撃室にいる皆が、唖然として立ち尽くしている。
が、次の瞬間、私の視界が変わる。そこは、ヴェテヒネンのゴンドラの中ではない。白い地面の上に、私は立っている。
そして、まだ遠く離れているはずのあの貝柱の岩に立っていたはずの家族が、目の前に立っている。
この間よりも近い。手を伸ばせば届きそうなほどの距離に、死んだ両親と弟が立っている。
「お父さん、お母さん、エーリク!」
私は3人を呼ぶと、それに応えてにっこりと微笑む3人。今度もこのまま、ただ私の呼びかけに笑顔で応えるだけかと思っていたが、違った。
なんと父が、口を開いたのである。
『ユリシーナ、祖国を救うため、戦いなさい』
一言、私にそう告げる父。その直後、目前が真っ暗になる。
「お、お父さん!?」
私はこの言葉の真意を確かめようと父を呼ぶが、返事がない。そのまま、猛烈な勢いで私の周りには霧が吹き込んできた。
何が起きているのか。だが、再び機関音が鳴り響いてきた。
目の前に吹き込んできた霧は、我々が突っ込んだ雲がゴンドラ内に入り込んできたものだった。
つまり、私は再び、現実に引き戻されたことになる。
「な、なんだったんだよ、今のは……」
リーコネン上等兵にも、何かが見えたようだ。他の者も、唖然としている。
が、そこではっと思い出す。まだ我々は、戦闘の真っ最中だった。
「砲長!」
私は砲長を呼ぶ。すると、砲長が我に返る。
「あ、ああ、すまない」
やはり、前回と同じものを見たのだろうか? だが、そんなことは一言も告げずに砲長は砲撃室の皆に号令をかける。
「これより、砲撃戦用意だ。雲を出たら、すぐに敵艦隊との戦闘を開始する。総員、砲撃準備!」
キヴェコスキ兵曹長ら3人の砲撃手が、各々の持ち場に戻って待機する。やがて雲が薄くなり、西日が見え始めた。
そして、我が艦は雲を飛び出す。
「て、敵艦隊は!?」
あたりを見渡す。が、敵艦隊の姿が見えない。見えてきたのは5隻の艦艇だ。
『正面、フロマージュ艦隊です!』
観測員に言われるまでもなく、それはフロマージュ艦隊だとわかる。いつのまにか、8000メルテ近く離れていたフロマージュ艦隊と合流してしまったようだ。
それほど時間が経っていたのか? ともかく、敵艦隊への攻撃はまだ終わっていない。残る2隻の艦を撃つべく、私は望遠鏡を覗く。
が、敵はすでに射程圏外だった。フロマージュ艦隊も、砲撃をやめている。
『フロマージュ艦隊旗艦より発光信号! 艦列を維持しつつ、待機せよ! 以上です!』
実にあっけなく、戦闘が終結してしまった。とはいえ、10隻中8隻が沈んだ。となれば、敵は撤退するのは当然だろう。
我々の目的は、敵をアラル山地から西に向かわせないことである。あれを撃滅することではない。このため、我々は日没までこの場にて待機することとなる。
『フロマージュ旗艦より通信があった。軍主力は現在、予定通りヴォストーク・ヴォールゴ平原まで撤退を完了。我々の任務も、現時刻をもって完了とする。これより、ヴォストーク・ヴォールゴ平原駐屯地まで撤退する』
日が暮れて1時間ほど経過したところで、撤退命令が出た。2日続けての加重勤務が続き、疲れ切っている。だが、とうとう皇都防空隊まで繰り出して大打撃を受けた敵は、しばらくは攻撃をかけてこないだろう。
だが、ひと月かけてオレンブルクの奥地まで攻め入ったというのに、その結果、半数以上の兵力を失って撤退することになろうとは、気の毒としか言いようがない。イーサルミ王国軍でこの戦いに加わったのが、我が艦だけで済んだのは幸いだった。あれに我が王国陸軍が巻き込まれていたら、国境維持どころではない。
その日の深夜には、駐屯地に到着した。が、テントの割り振りもなく、艦内で寝ることとなる。地上だというのに、私はマリッタ、リーコネン上等兵と共に、狭い調理場で一夜を過ごす。
それからフロマージュ軍は3日かけて西へと進み、スァリツィンクスへと達する。ヴォールゴ河を越え、風の河も越え、地上部隊を援護しつつ、どうにかイーサルミ王国との国境にあるこの街まで撤退した。
そこで、8万のフロマージュ軍が合流する。負傷者を除き、2万7千まで減ったフロマージュ遠征軍と合わせて、総勢10万を超える大部隊がこの小さな都市に集結した。
「なんだか、賑やかになったねぇ」
半分驚き、半分皮肉でそう語るのは、例の食堂のおばさん店員だ。
「派手にやられてしまいましたから」
その理由を、私は口に出す。
「いいのかい? そんなことを言って、フロマージュ軍の兵士らが聞いたらまた怒り出すよ」
と店員は私を諭すが、どうせイーサルミ語を解する兵士の方が少ないし、大丈夫だと思っている。
が、そこに、数少ないイーサルミ語を理解できるフロマージュ軍の士官が現れた。
「大丈夫だ。我がフロマージュには、言論の、自由がある」
わざわざ店員の言葉に答えながら、私の座る席の脇にその士官は立つ。慌てて私は敬礼する。返礼で答えつつ、その士官、マスカール少佐が私の前に座る。
「あの、連れの砲長、一緒ではないのか?」
珍しく一人だけで行動する私を見て、少佐がそう尋ねる。
「はい、砲長は今、呼び出しを受けてまして。それで、この店で落ちあうことになっております」
「そうか」
短く答えるマスカール少佐。にしても、司令部付きの参謀が、私に何の用だ?
「オレンブルク、侵攻作戦は、本日付で終了、となる。あの青色の模様、あれも不要となる」
その参謀殿は、わざわざ曹長に過ぎない私に、そんなことを告げる。
「はぁ……それは、艦長や副長もご存知なのでしょうか?」
「ついさっき、通達した。まもなく、貴官らにも、明かされるだろう」
まさかとは思うが、それだけのことを知らせるために、私のところに来たのだろうか? そんなはずはないな、フロマージュ軍が我々に何か話があるときは、厄介な事柄を持ちかけるときだ。私は紅茶をすすりつつ、少佐の次の言葉を待つ。
「で、貴官に、尋ねたい」
ほらやっぱり、この物言い、絶対に何か厄介ごとを持ってきたぞ。
「あの青色の帯模様を、消しても良いか?」
「はぁ?」
ところがだ、意外なことを尋ねられた。なんだって、我が艦に塗られた、あの囮向けの模様を、私に消していいかどうかを確認してくる。
「あの、そういうのは艦長か副長にお聞きください。私のような者が判断することではありませんので」
「もちろん、聞いた。すると、カルヒネン曹長に、尋ねてくれ、と」
なんだと? 艦長と副長が、そんな話を私に丸投げしてきたというのか。
「今となっては、あれは、オレンブルクにとって、恐怖の対象。オレンブルクの、捕虜などの証言から、それは明らかだ。青首と、彼らは呼んでいる、とのことだ」
なんだって、いつの間にか奇妙な二つ名が付いてるな。にしても、ブリューネック? はて、どこかで聞いたことがあるような……
「なぜ、私に尋ねよ、と?」
「あの艦の作戦の、一番の功労者が、貴官だ。だから、あれを、今後も必要とするか、否かは、貴官が判断する、それが最善と、副長が言っていた」
くそ、副長め。そんなことを言って、この件を私に丸投げしてきたのか。おかげで私は、この参謀と向き合うことになったじゃないか。
とはいえ、私は少し、考える。確かにあれは、今となってはむしろ弊害より効果の方が大きい。実際、あの模様だけで敵を追い払ったこともある。
それに、青色はイーサルミの国旗にも使われている色でもある。実際、我が艦の前側ゴンドラの下面に貼られている国旗は、白地に青のX (クロス)模様だ。
そういう意味では、イーサルミらしい模様ともいえる。となれば、イーサルミの地上軍にとっても、あれは士気高揚に繋がるかもしれない。
「あのまま、残してください」
私は短くそう、答える。
「そうか、そう答えると、思っていた」
そう告げると、マスカール少佐は席を立ち、軍帽を被る。
「またどこかで、会うことだろう。それまで、壮健なれ。神の、ご加護を」
そう述べた少佐は、私に敬礼する。私も立ち上がり、敬礼して見送った。
店の出口を出て行った少佐。ちょうどそれとすれ違うように、砲長が入ってくる。
「おい、今のはフロマージュの参謀じゃないかったか?」
「はい、たった今まで話してました」
「話? おい、何を言われたんだ」
この口ぶりからすると、砲長も厄介ごとを持ちかけられたと思い込んでるな。私は、あの青色模様の話をする。
「……なるほど、それでお前は、残すと答えた、と」
「はい、今となっては、あれがついてる方が便利ですから」
「そうだな、だが一方で、敵に目をつけられているのも確かだ。本当にあのままで良いと?」
「どちらかというと、都合が良いことの方が多かったように思いますから、それでいいと考えます」
「まあ、お前がそういうんなら、構わないが」
砲長は短くそう答える。にしても艦長、副長、砲長と皆、どうしてあの件を私が決めた方がいいと考えるのだろうか。あの艦内では、私はどちらかと言えば下っ端だぞ。
「にしても、青首か。たいそうな二つ名を付けられたものだな」
「砲長はその名に、心当たりがあるのですか?」
「有名だろう、青首海賊ヒルベルト・バルケネンデの話くらい、計算マニアのお前でも知ってるはずだ」
「えっ、海賊!?」
なんだって、青首とは「海賊」のことだったのか。そういえばいつぞやに、「青首海賊ヒル」の話を聞いた覚えがあるな。オレンブルクの海で大暴れして、皇国の悪徳商人どもを皆殺しにした。そんな内容だったか。
青いスカーフを首に巻いているから、青首海賊。まさに我が艦の青帯模様と重なるな。しかし、海賊呼ばわりとはなんという不名誉だ。
「どうしたんだい、海賊がどうこうって言ってるけど」
「ああ、いえ、私の乗る船が、オレンブルクでは青首海賊のごとく呼ばれているらしくて」
「なんだそりゃ。あんたら、相当悪いことをしてたのかい?」
やっぱり、悪い印象しかないよな。だが、考えてみれば我が艦は、本来陸上目標を攻撃するための弾頭でオレンブルク艦隊を「串刺し」にしてみたり、偵察艦を引き寄せてまとめて叩き落としてみたり、散々なことをやっている。
そのヒルって海賊は、わざと生き残りを帰らせて、自身の悪名を語らせたとも言われていた。そういえば我々も、どの戦闘でも全滅まではしていない。逃げ帰った艦がおり、帰還先で我々の戦いを証言しているはずだ。それがあの海賊の所業に重なったのかもしれない。
うーん、やっぱりあの模様、消して貰えばよかったかな。
と、そこで私はふと、砲長に尋ねる。
「そうだ砲長、一つお聞きしたいことがあります」
「なんだ」
「アラル山地の足止め作戦の際、雲に突っ込んだときに、砲長は何をみましたか?」
あの日から今まで、「幻影」事件について砲長に尋ねてはいない。なぜだか分からないが、あまり触れてはいけない話題のように感じる。これは以前に同様の体験をしたときにも感じたことだ。
が、どうにも私には違和感、いや、疑念がある。だから私は敢えて砲長に尋ねてみた。
「前回のと同じだ。俺の目の前に、戦艦ヴェシヒイシの乗員12名が現れた」
「それだけですか?」
「いや、今回は前回よりも近くに現れてだな、そのうちの仲の良かった一人が、俺にこう語りかけてきた」
「なんと言ったのですか?」
「『戦って、必ず独立を勝ち取れ』と」
ああ、やっぱりだ。砲長の前に現れた「死者」も、やはり「戦え」と諭してきたか。
「彼らは独立戦争の最中、オレンブルクとの戦いで亡くなった。よほどそれが無念だったのだろう。だから俺に勝てと、そう言ってきたのだろうと思う」
「そ、そうですね」
砲長はそう言うが、私にはどうしてもそれに違和感を感じてならない。
実は、マリッタやリーコネン上等兵にも同じ質問をして、ほぼ同様の証言を得た。リーコネン上等兵に至っては、現れた元恋人に、今は副長と付き合ってるんだと話したにも関わらず、帰ってきた言葉は「副長とともに戦って勝て」だったという。マリッタも、似たようなことを言っていた。現れた家族の内、母親から「戦い続けなさい」と言われた、と。
ここまで証言内容が一致すると、おそらく艦内にいた27人全員が亡くなった誰かと会い、そして「戦え」と言われたのではないかと推察される。
しかしだ、あれほど不可思議な体験なのに、相変わらずこの件はなぜかタブー扱いだ。私が聞かなければ、リーコネン上等兵やマリッタですらもそのことを語ろうとしない。
私の中にも、どこかそれについて語ることに抵抗感がある。が、今回は特に違和感を感じたから、余計にあの幻影のことを尋ねたくなった。
「ところで、今回もお前は家族に会えたのか?」
「はい、3人の家族が現れました。で、父が私に『祖国を救うため、戦いなさい』と言ったのです」
「空襲で亡くなったんだったな。さぞかし、その無念を晴らしてほしいと思ったのだろう」
そう砲長は私に言うが、私はまったく逆だと思っている。
もしあれが本当に私の父の霊だったら、間違いなくそんなことは言わないはずだ。私の父なら、こう言うに決まっている。
「軍を辞めて、今すぐ逃げろ」と。
実は生前、父は私が軍学校に進むことを嫌がっていた。独立の機運が高まり、まさにオレンブルクとの戦争が始まろうとしていたというのに、常日頃から人殺しだけはするなと、散々家族に言っていた。が、数学だけが得意だった私が行ける最高の学校は、クーヴォラ軍学校の計算工学科だった。それで私は父に、軍人にはならないからと諭してクーヴォラ軍学校に進む。
ところがその後、私は家族を失い、父との約束を破って軍人となった。
そんな父が、私に「戦え」などと言うはずがない。約束を破ったことを責めて、今すぐ艦を降りろと言うに決まっている。
今回はどういうわけか、私を含めて4人とも、死者の言葉を聞いたという。しかも、揃いも揃って皆、「戦え」だ。
だから私は、疑っている。
あれは本当に「死者の霊」なのか、と。




