#5 栄誉
我がイーサルミ王国はかつて、オレンブルク連合皇国の属国の一つであった。
建国以来、400年。その長い歴史の中で230年の間、この強国の一部として存在し続けていた。
属国とされた直後は、それほど悲壮な状況でもなかった。当時のオレンブルクの皇帝はその優れた治政で繁栄し、それが周辺の属国にも利益としてもたらされていた。むしろイーサルミ王国はオレンブルクの一角として、その発展に尽力し続けてきた国だ。
が、その歯車が大きく狂い始めたのは、現皇帝が即位した15年前からのことだ。
今の皇帝が突如、圧政を敷いたのだ。高い税負担に、言論統制、そして駐留軍や派遣代官による暴挙なども重なり、ここイーサルミ王国内は大いに乱れることになる。
この連合皇国の暗転は、西方の列強諸国と肩を並べるために始まった富国強兵策にかかる費用を捻出するために始まったとされる。そのために重税が課せられたのだが、それに留まらず、強大化した軍隊が属国への干渉を働くこととなり、悪循環を招く。
そこで、皇都イヴァノグラードからもっとも離れた我がイーサルミ王国が、連合皇国からの独立を宣言する。と同時に、国内に駐留するオレンブルク連合皇国軍に対し奇襲を行い、これを一斉排除することに成功した。これは、オレンブルク連合皇国の強大化を危惧したフロマージュ共和国の後押しもあって実現する。それが、3年前のことだ。
が、そこから苛烈なる独立戦争が始まる。
イーサルミ王国とオレンブルク連合皇国との間には、広大な湿地帯と山脈が横たわる。陸路ではただ一箇所、ハミナ市の東方100サンメルテ先の山脈の切れ目に、幅が4700メルテほどの細い回廊があるだけだ。しかし、ここにはキヴィネンマー要塞が作られ、さらに塹壕が掘られ、陸路からの侵攻を阻んでいる。
あとは海路しか残されていないが、そこはフロマージュ共和国による海上封鎖により、オレンブルク海上艦隊はイーサルミ王国の港まで辿り着けない。
こうした地の利もあって、陸と海からの侵攻は食い止められた。が、そんな地の利をひっくり返す兵器が登場する。
それが、飛行船とよばれるものだ。
ヘリウムガスが発見され、それが膨大な浮力をもたらすものだとわかると、列強各国はこぞって飛行船技術を開発、空中に浮かぶ兵器を生み出した。
当然、オレンブルク連合皇国も多数の戦闘用飛行船を建造する。戦艦のサラトフ級、爆撃艦のペロルシカ級の2種類の艦が知られている。他にも大型輸送船などが作られ、広大な国土を持つオレンブルク連合皇国内を闊歩している。
いや、それどころか、陸路、海路では侵入困難な我が王国に対し、無差別に空襲をおこなってきた。私の故郷であるケラヴァもその一つであり、その結果、私は家族を失うこととなる。
そこで我がイーサルミ王国では独立戦争を機に空軍を創設、空中戦艦7隻をフロマージュ共和国より購入してこれに対抗することとなる。
これまでに2隻を失ったが、4隻がさらに加わり、我が国の空軍は現在、9隻である。あと2隻を保有するが、人員の育成が間に合っておらず、航行することもままならない。ゆえにこの広大なる我が王国の空を、現在はたった9隻で護っているのである。
そんな空中戦艦の1隻に、私は砲術計算士として乗り込んでいる。
今、私がいるのは、この国の王都クーヴォラだ。
人口50万人のこの王国最大の都市は、周囲にも10万人を超える都市を3つ抱えている。そんな大都市圏の中心に、私は今、立っている。
故郷を失ってからの私にとって、ここが今の故郷である。宿舎が割り当てられており、帰る場所といえばそこしかない。もっとも、ほとんどが艦上か停泊地での暮らしを強いられているため、ここに戻ることはほとんどない。
しかしこの度、2週間の滞在が認められた。王都周辺防衛という名目で、しばらくの間は王都に留まることが許されたのだ。そこで、しばらくの間、開けっぱなしだった私の宿舎の部屋に、帰ってくることができた。
といっても、さほど物がある部屋ではない。ベッドと机、数着の私服、そして計算学の本が数冊。その中でも「ターリア計算工学」という本は、私が何度も読み返した本でもある。
私が計算士に進むことになったきっかけは、この本とそれを勧めて下さったラナハスト先生との出会いだ。ちょうど家族を失い、落胆している時に受けた計算工学の授業で、私は失ったものを取り返そうとするように、この学問にのめり込む。
その頃だ、連合皇国に復讐するために、砲術計算士を目指そうと考えたのは。そのまま私は弾道計算術を習得し、砲術訓練を経て戦艦ヴェテヒネンに配属されることとなる。
その計算工学の本を久しぶりに開いて読んでいると、ドンドンと部屋の扉を叩く音が響く。
「ねえユリシーナ、せっかくの王都滞在だし、お出かけしよー」
なんだ、やはりマリッタか。私が訝しげな顔で睨みつけると、手に持っている本を見てこう言い出す。
「まーた小難しい本を読んでる。そんなんばっかり読んでると、いよいよ頭がおかしくなるよ」
「うるさいな、私は計算士だ。計算工学の本を読んで何が悪い」
「そんなもの読んだって、お腹は膨らまないよ」
「それを言うなら、いくら料理を極めても、オレンブルクは倒せないだろうが」
この通り、この調理師相手ではいつも会話が噛み合わない。にもかかわらず、なぜか行動を共にすることが多い。
「うーん、やっぱり王都はいいよねぇ。都会だわ」
マリッタと私の共通点を挙げるなら、それは共に空襲で家族を失っているというものだ。だから彼女は民間の調理師でありながら、空中戦艦に乗り込む決意をした。ともにオレンブルク打倒を目指す仲間である。
が、そんな過去がありながら、この女からはまったく緊張感、悲壮感を感じない。この通りの能天気さだ。
「まったく、ここ王都近郊だってつい先月に爆撃を受けたばかりだぞ。大勢が死んだ。何を能天気なことを言ってるんだ」
「なーに言ってんのよ。生き残った私たちは、死んだ人の分も美味しいもの食べて、幸せを謳歌してあげなきゃダメなんだよ。それとも、うつむいて歩いてれば、死んだ人が生き返るっていうの?」
「いや、そんなことはないが」
「だったら、人生を明るく謳歌しなきゃ。難しい知識だけじゃ、幸せになんてなれないよ」
だから明るく振舞っているんだと、マリッタは言う。が、私にはその心情が理解できない。私にあるのは、オレンブルク連合皇国への復讐心のみだ。
「そういうユリシーナだって、本当にオレンブルグに復讐しようって気はあるのかな?」
ところがだ、こいつはそんな私に、こんなことを言いやがる。
「何を言っている。その気があるから、こうして戦っているんだろう」
「ふうん、で、そんな復讐心の塊が、酔った勢いで砲長のところに転がり込んでいるってわけ?」
「あれはだな、酒の力でそうなっただけで……」
「お酒に酔うことで、その人の本来の姿を曝け出しているだけだって言われてるよ」
う……こいつ、なかなか痛いところを突くな。こんな議論を続けても、私自身が虚しくなるだけだ。私はそこで、反論するのを止める。
「さて、そんなユリシーナには、服が要るわね」
「は? いや、今ある服で十分だろ」
「なーに言ってんのよ。軍服と寝間着くらいしか持ってないじゃない。少しはおめかししなきゃ」
「どうして計算士が、めかし込む必然性があるんだ?」
「それじゃあ、マンテュマー大尉に嫌われるじゃない。ほら、あの店に行くよ」
ぐいぐいと手を引くユリシーナに、私はとても逆らえない。こいつ、普段から26人分の料理をたった一人で作り続けているせいか、腕っぷしだけは強い。計算尺を動かすだけの私よりも腕力では勝る。
で、連れてこられたのは、王都でも一、二を争うほどの大きな服屋だ。店に入ると、私には無縁の世界が広がっている。
目に痛いほどの赤や青、黄色の服が並ぶ。普段は灰色の軍服しか目にしない私にとって、あの原色は目の毒だ。思わず、計算尺で目を覆ってしまう。が、そんな私の右手をマリッタは握り締めて、ぐっと店の奥へと引っ張り込む。
「なんだって、街に出かけるのに計算尺なんて持ってくるかなぁ」
などと不満を言いながら、黄色のワンピースがかけられた一角にたどり着く。
「おい、まさか私に、これを着ろというんじゃないだろうな?」
「そのまさかでしょう。誰のために来てると思ってんのよ。すいませーん、ちょっといいですかぁ!」
その黄色のワンピースの前で、マリッタは店員を呼ぶ。やってきた店員が、マリッタに尋ねる。
「はい、なんでしょうか?」
「この服が欲しいんですけど、この娘に合います?」
「ええと、そうですねぇ……失礼ですが、胸囲はいくつですか?」
「だって、ユリシーナ。胸囲っていくつだっけ?」
いきなり私に胸のサイズを尋ねてきやがった。嫌がらせか? とはいえ、私も正確な値は知らない。そこで私は計算尺を取り出す。
「ええと、肩幅が45サブメルテで、そこから肩の幅を引いて、胴体を3対1の楕円形だと仮定すれば、その周方向の長さは……」
「ちょ、ちょっと! そんなものを計算で求めない! 測ればいいでしょう、測れば!」
うるさいなぁ、私に胸のサイズなど聞くから悪いんだろう。結局、私は更衣室に連れていかれ、その周方向の長さを測られてしまった。
「……随分と小さいですが、これを詰めれば、なんとかなるでしょう」
と、店員もかなり遠慮のない一言を私に言い放った後に、その服を買う羽目になる。
「うう、こんなものを買うくらいなら、計算工学の新書を手に入れたかった」
「地上にいる間は、もうちょっと計算から離れなよ。身の回りにことにお金を使いな」
そんな私は、その黄色のワンピースを着せられて、街を歩かされる。自身の放つ明るい光に目をチカチカとさせながら、マリッタに腕を引かれて歩く。
「……おい、もしかして、ライリラ調理師と、カルヒネン伍長ではないか?」
私が自身の姿の眩しさに目をやられている時に、聞き覚えのある声で呼び止められる。私はその声に即座に反応する。
「はっ、その通りであります、マンテュマー大尉殿」
計算尺を左手に持ち替えて、即座に右手で敬礼をする。そんな私に、声をかけてきた砲長は返礼で応える。が、なにやら訝しげな表情をしている。
「あの、なんだ、今は軍務外だ。いちいち敬礼など不要だぞ」
そう答える砲長だったが、そういう自分だって返礼してるじゃないか。などと思いつつも、私は手を下す。が、砲長はといえば、私の胸の辺りをじっと見つめている。
「あの……なにか?」
「いや、こんなに大きかったかなと思ってな」
う、詰め物をしていることがバレバレじゃ……いや待て、それ以前に砲長は随分と女性に対して失礼なことを口にしなかったか?
「そうだ、砲長殿、ユリシーナを預けますね」
「預ける? おい、調理師、お前はどうするんだ」
「私は別件があるんですよ。それじゃ」
そんなタイミングで、なんとマリッタのやつは私を砲長に押し付けて、早足でどこかへ行ってしまった。あとに残されたのは、軍服姿の砲長と黄色のワンピースに身を包んだ私という、なんとも不釣り合いな二人だけだった。
「仕方ないな。伍長、ちょうど食事に行こうとしていたところだ、同行せよ」
「はっ、砲長」
軍隊において、上官の命令は絶対だ。姿格好を気にしている場合ではない。私は砲長のマンテュマー大尉の後を追う。
が、この服、特に足元が気になる。いつもにズボンと違い、スースーする。やはりスカートというやつは、私には合わない。
「歩き方が不自然な気がするが、着替えた方が良いのではないのか?」
おかげで、砲長にこう言わせてしまう失態を招く羽目になる。
「い、いえ、支障はありません」
が、私もこう答える。上官に気を遣わせるようでは、部下として、計算士として失格だ。ここは何とか乗り切ろう。
という具合に、だましだまし歩き続けて、砲長のいきつけの店にたどり着く。
そこは、街中のカフェと言った風貌の店だ。整った扉に、センスの良い屋根と壁の色合い。ハミナ市の場末の酒場に比べたら、いかにも都会の店といったところだ。
「いらっしゃい。おや、隣の人は誰だ? 珍しいな」
おそらくは砲長と馴染みの店員が、私の方を見てこう言う。マンテュマー大尉が派手な色合いのスカート姿の人物を伴って歩くなど、よほど珍しいことなのだろう。
「我が艦の計算士だ」
「へぇ、こんな服を着た可愛いのが、計算士ねえ。本当か?」
「服で計算をするわけではないからな。別段、問題はないだろう」
「そうだな。まあ、ゆっくりしていってくれ」
と、おかしなやり取りで砲長はその店員の追求をかわす。
ようやく肌寒さが薄れつつある晩春のクーヴォラの街の空は晴れ渡り、日差しは暖かいのだが風はまだ少し冷たい。案内された席の窓の外には、色とりどりの花々で飾られたバルコニーがある。周囲は少し賑やかだが、あの店員が気を使ってくれたのか、人気の少ない席へ案内されたため、二人の間には穏やかな空気が流れている。
やがて、料理が運ばれてくる。マンテュマー大尉はカレリアパイを手に取りそれにかじりつく。私はといえば、ポロンカリスティスというトナカイ肉のシチューを頼んでしまった。ちょっと、くど過ぎたか。この主張の激しい料理の匂いが、周囲に漂う。
「差し出がましいことを言うが」
と、その食事の最中に、マンテュマー大尉が私にこう切り出す。
「お前のその服だが、どうしてそんなに胸を盛る必要がある?」
随分と失礼なことを言われているのは自覚している。が、私はそんな質問に、こうなった経緯を話す。
「マリッタが、たまには女らしい服を着ないと、いつまでも女に見られないぞといつも言うので、とうとうこんな服を着せられる羽目になりました」
「なんだ、お前はどこかの男に、女として見られたい願望があるのか?」
「い、いえ、そのようなことは……」
どうしてこんな会話をしているんだ? ああ、そうだ。どうして胸を盛っているのかという質問だったな。
「と、ともかくです、この服を着るには、私のサイズの胸ではずり落ちてしまうと店員が判断し、その結果がこれです」
「ふうん、そうか」
いつもより、なんだか冷たくないか? 砲長殿はきっと何を気にかけていらっしゃる様子だ。そう思った私は、砲長に尋ねる。
「つまり、砲長はこの服装がお気に召しませんか」
「そんなことはない」
「ではなぜ、そのようなことをおっしゃるのです?」
「すでにその詰め物の裏側の姿を知り尽くした俺を前に、わざわざ着飾ろうとすることが気に入らない、ただそれだけだ」
うん、やっぱりすねているな。いつの間にか、ご自身のことを「俺」と呼んでいる。素のマンテュマー大尉の姿が、さらけ出され始めているようだな。私は計算尺を向けながら、こう返す。
「腰と胸の比率が5:8の女性に、男性は惹かれると申します。その比率が限りなく1:1の私が、目の前にいる男性に少しでも認めてもらおうと努力することは、そんなに悪いことでしょうか?」
この一言に、マンテュマー大尉の表情が少し緩む。
「なんだ、そんなことを気にしていたのか。いくら計算士だからといって、なんでも数値で語るんじゃない。それに、いうほどお前は悪い比率ではない。ありのままの姿を認めている、俺のような男だっていることはよく知っておけ」
といいつつ、再びカレリアパイをガツガツと食べ始める。いつもは冷静沈着な人だが、一度皮がむければ、自分の感情に真っ直ぐな人物に早変わりする。
という私も、その本性に気付いたのは2度目の添い寝を遂げた時だったが。
「ところで砲長、我々はどうして王都に留まっているですか?」
だんだんと妙な会話の流れになってきた。そう思った私は、あえて話題を変えてみた。
「明後日に行われる授与式のために決まってるだろう」
ところがだ、この何気ない会話に、思わぬ返答が返ってきた。
「授与式? 何ですか、それは」
「勲章の授与式のことだ。なんだ、そんなことも知らないのか?」
「それくらい知ってます。ですから、どなたが勲章を授与されるのですかと聞いているのです」
「決まっている、お前だ」
この砲長のひと言を聞いた瞬間、胸の詰め物が落っこちそうになるほど、心臓の鼓動が激しくなった。
「わ、私が、勲章を授与するのでありますか!?」
「おい、まさかお前、何も聞いてなかったのか。この短期間のうちに、爆撃艦2隻と戦艦1隻を単艦で打ち破った。それほどの功績を挙げながら、勲章ももらえないとあっては士気に関わると、そう空軍司令部が判断した。それで、勲章が贈られることになったと、おとといのブリーフィングで艦長が話したばかりだろう」
なんだって? そんな大事な話、聞いてないぞ。ああそうか、その時は確か船酔いを起こしたマリッタの看病に気を取られていて、それどころではなかったか。そんな時に限って、これほど重要な話があったなんて。
「で、ですが、私に勲章など……」
「正確には、我が砲撃科全員が勲章を受けることになっている。お前だけではない。が、我々は銀二等で、お前だけは金三等が贈られることになっているんだ」
「き、金等級ってことですか!? いや、私はただの計算士ですよ。実際に砲を放ったのは、砲撃科の3人と、それを指揮した砲長ではありませんか」
「我々だけでは、あれを沈めることなんてできなかった。それ以前の追撃進言と予測航路の計算も含め、お前の算術能力があってこその戦果だ。これは砲撃科全員も認めていることなんだぞ、もっと自信を持て、胸を張れ」
なんだか、急にくらくらとしてきた。胸を張れと言われても、詰め物付きでもこの程度しか……いや、そうじゃなくて、勲章をいただけるというだけでも相当な衝撃的事実なのに、金三等ということに驚いた。金等級といえば、本来ならば佐官クラス以上が受ける勲章じゃないか。そんなものを、下士官以下の私が受け取っていいものなのか。
栄誉なことには違いない。だが、ただでさえ小さな胸にそんな過分な勲章を付けたら、その重さに耐えられないのではないか。今ついている胸の詰め物など、比較にならない重みだ。
そして2日後、その「重み」を受け取る日が、ついにやってきた。