#49 時間稼ぎ
その目標は河の水面上にある、かなりの太さを持つ橋脚だ。しかも停止した相手。空中艦を狙うよりもはるかに楽だ。
なれど、残弾に余裕がない。それゆえ、失敗は許されない。私は何度も望遠鏡で確認しつつ、その目標までの方位と距離を探っていた。そしてメモに計算値を書き取り、最後にそれらを加算する。
「右87度、俯角62度、火薬7袋、信管設定不要!」
私は指示を出す。時限信管を設定しないということは、着弾と同時に炸裂させる、ということだ。今回のような攻撃の場合は、それが望ましい。
太い的だとは言ったが、できるだけその真っ芯に当てないとあまり意味がない。あの橋脚のど真ん中に当てて、断面を削れるだけ削る。それを3本続けて行う。
その最初の砲火が、まさに放たれようとしていた。
「射撃用意よし!」
「よし、撃てーっ!」
ドーンという発射音とともに、ゴンドラが突き上げられる。やや下向きを狙って撃ったためだ。だが、こういう砲撃は我が艦において初めてではないため、皆、特に動揺する様子はない。
ほぼまっすぐ、砲弾は橋脚めがけて飛んでいく。瞬く間にそれは橋脚に着弾する。手前の橋から攻撃したが、その橋をまさにオレンブルク兵が渡ろうとしていたところだった。
そこに、いきなり空中から砲撃を受けた。敵兵らは一時、後退する。が、当たったのは橋の下側。狙いが外れたのだろうと考え、すぐに行軍を再開する。
が、その間にも私は、2本目の橋脚への攻撃指示を出していた。
「右85度、俯角58度、火薬7袋!」
信管の指示はさっきと変わらないから省略した。キヴェコスキ兵曹長もそれは察しており、無設定の砲弾をあらかじめ砲身に放り込んであった。火薬袋が詰められて尾栓が閉じられると、すぐに所定の角度に動かし始める。
「撃てーっ!」
再びドーンという砲撃音の直後に、突き上げる衝撃を受ける。その最中にも、私は最後の橋脚への弾道計算を始めていた。揺れが収まると同時に望遠鏡で最後の橋までの方角と距離を確認すると、それを基に算出した計算値を読み上げる。
「右82度、俯角55度、火薬7袋!」
やがて最後の一発が発射される。揺れるゴンドラから、私はその砲弾の行方を追いかける。狙い通り、橋脚のど真ん中に命中した。
3本の橋の橋脚を改めて確認する。どの橋脚も、おおよそ3分の1ほどのコンクリートが削られている。中を通る鉄筋が2、3本むき出しにされて見えている。まさに、私の狙い通りだ。
だが、その上をオレンブルク兵が行軍を続ける。兵士らがその上を歩くが、その橋はびくともしない。だが、いずれあの攻撃の効果が表れる。その瞬間を、私はひたすらに待った。
◇◇◇
上空から3発の砲撃があったが、いずれも兵士らへの直撃はなかった。どうやら外したのだろうと、オレンブルク兵らは行軍を続ける。
橋の真下のあたりに着弾したようだが、橋はびくともしない。あの砲撃は何だったのか、しかも神業的な命中精度を持つ、あの「青首」からの攻撃にしては、実に拍子抜けな結果に終わった。おそらくは味方の軍の惨劇を目の当たりにして、その神業も発揮できなかったのだろうと、そう彼らは考えていた。
数百の兵士らが橋を越えた。その兵士らとともに、フロマージュ軍に打撃を与えるべく強力な砲を持つ自走砲車が、橋の上に差し掛かる。ややアーチ状のその橋の傾斜を乗り越えるため、その重い車はやや大きなエンジン音を立てて登り始めた。
真ん中の橋で、最初の自走砲車が橋を渡り始める。が、ほぼ時を同じくしてその両側の橋でも、自走砲車がまさに渡河を開始していた。いずれも傾斜を登るために甲高いエンジン音を響かせて、そしてその傾斜の頂上に達する。
が、自走砲車が頂上に達した、その時だった。
突然、橋が傾き始める。最初は真ん中の橋でそれが起こり、やがて両端の橋でも同様の現象が起きる。
橋の上に立つ兵士らは、その異変に驚き急いで橋を渡り切ろうとする。が、その際に兵士らの足踏みによって発生した振動が、さらにその橋を揺さぶることとなる。
真ん中の橋が、いきなりバキバキという崩壊音を立てて横倒しになる。あの太い橋脚が、真ん中からばっくりと折れたのだ。それはその他の2本の橋でもほぼ同時に起きる。上に乗った自走砲車はなすすべもなく、倒れる橋とともにその河の中へとたたきつけられ、そして自らの重みで沈んでいく。
晩秋の寒さの中、橋の上にいた大勢の兵士らが河に放り込まれる。そのまま石の下敷きとなって河底へと消えた者、泳ぎを知らず溺れる者、投げ出された際に失神し、そのまま水中に没した者、百を超える兵士らが河に投げ出され、命を失うことになる。
オレンブルクの追撃軍は、そこから進めなくなる。橋がなくては河の向こう側に渡れない。とはいえ、この近辺に代わりの橋はない。崩れた橋を前に、オレンブルク軍はなすすべもなく立ち尽くすほかなかった。
一方、河を渡り切った兵士らはフロマージュ軍を追うが、その数は数百。河の向こうで待ち構えていた殿役を担う前線司令部付き兵士ら二千がそれらを迎え撃ち、あっという間にその追撃部隊を撃滅する。
◇◇◇
あの橋脚は、コンクリート製の円柱だった。
この戦いが始まる直前に、私は一冊の本を購入し、読んだ。それは「構造計算」という名の本だ。
そこには「断面二次モーメント」という、曲げ剛性強さを決める数値の算出する方法が解説されていた。併せて、そこには角柱、円柱などでの断面二次モーメント値の算出公式が載せられていた。
それによれば、円柱の断面二次モーメントというのは、半径の4乗に比例するのだという。つまり、ほんの僅かでもその断面が削れるだけで、この断面二次モーメントの値は4乗に比例して小さくなってしまう、ということだ。その式があまりにも印象的で、私はその式そのものは覚えていないものの、この4乗に比例するという事実だけを鮮明に覚えていた。
ということは、あの橋脚を一部でも削り取ってやれば、橋脚の持つ曲げ強度が一気に落ちるのではないか?
数十、数百程度の兵士では無理でも、あの自走砲車ほどの重さがその上に載れば、橋を崩壊させることができるかもしれない。
そう私は考え、あの攻撃を進言した。結果、思惑通り、自走砲もろとも橋は崩落した。その上に載った、3台の自走砲車や数十もの兵士らとともに。
「驚いたぜ……こういうことだったのかよ」
唖然とするリーコネン上等兵が、私の肩をポンポンと叩きながら呟いている。何気なく覚えていた知識ではあるが、とんだところで役に立つことになった。
こうして、フロマージュ軍の撤退を支援することができた。橋を失ったオレンブルク軍が追撃することはしばらくできない。これはいい時間稼ぎとなった。
と、そこで終わりとなればよかったのだが、そうはならなかった。
橋を失ったなら、空から攻撃すればいいじゃないか、と言わんばかりに、今度はネフスキヤヴォストークから空中艦が発進する。
まもなく日が沈もうという時に、ラーヴァ級3隻の接近を知る。
『敵艦隊、出現! ラーヴァ級3、距離10000!』
なんてことだ、もう我々には残弾がない。フロマージュの空中戦艦も弾を撃ち尽くしたようで、アラル山地要塞に撤退していった。我々も、味方の撤退を見届けてまさにその場から後退しようとした途端、あの戦闘爆撃艦が現れた。
「どうするんだ、もう武器はないぞ」
「いいや、まだあるぜ。俺の機銃なら、あれを撃てる」
「相手は戦闘爆撃艦だぞ、接近する間に、主砲で撃たれてしまう。機銃の射程まで接近なんて到底不可能だ」
キヴェコスキ兵曹長とリーコネン上等兵がやりあっている。が、私もキヴェコスキ兵曹長の言う通りだと思う。とてもじゃないが、接近して攻撃など、不可能だ。
だから私は、砲長に進言する。
「砲長! 計算士、意見具申!」
このタイミングでの意見具申、砲弾もない中、何を言い出すのかと皆が私を注視する。砲長が私に尋ねる。
「具申、許可する。が、この期に及んでまだ手があるというのか?」
「距離7800まで接近し、砲身を向けます」
「いや、だから、砲身を向けたところで撃つものがない。そんなことをして、どうなるというんだ?」
「我が艦は、青色の帯をつけております。今朝の戦いでは2隻の戦艦を同時に沈め、つい先ほども橋脚を破壊しました。となれば、我が艦が砲身をむければ、やつらは恐れて射程外に退避しようとするかもしれません」
「だがな、我が艦には砲弾がないんだぞ」
「敵は我々が弾を撃ち尽くしたことなど知りません。となれば、我々が砲を向けたなら、逃げ出すのではありませんか?」
「……お前、まさかはったりをしろと?」
「敵も3隻しか出撃しておりません。あれが敵の持つ目一杯の空中艦なはず、むやみに突っ込ませて、損耗することは望んでいないでしょう。しかも、このまま何もしなければ、日没前に敵の戦闘爆撃艦が殿である前線司令部付き部隊に追いつき、その真上から焼夷弾を降らせることになります。そうなれば、味方は健在な兵士の多くを失い、ますます不利になります」
「わかった、とりあえず副長に話してみよう」
相変わらず無茶な事ばかり言うと、砲長も呆れ顔だ。が、これ以上の犠牲を出すわけにはいかない。ともかく、はったりでもなんでも、やれる限りのことはやる。私はそう考えた。
もしもこの擬態行動が効かず、向こうが砲撃しようとしたならば、我々は逃げるだけのことだ。その場合は、味方の兵士の犠牲は免れないが。
副長を説得する砲長だが、最初は渋った副長も、私からの提案だと言ったら了承した。だめなら、全速で離脱すればいい。そういう条件でこのはったり作戦を了承した。
『最大戦速! 敵艦隊に向け、前進する!』
副長の号令がかかる。と同時に、砲撃室でも「砲撃準備」にかかろうとしていた。
「だけどよ、砲弾もねえのに、どうすりゃいいんだよ」
キヴェコスキ兵曹長が、私に尋ねてくる。
「それっぽく振る舞うだけです。距離7800に近づいたら、敵艦隊の方角、仰角45度に砲身を向けるだけですよ」
もはや、弾道計算する必要などない。撃つものがないのだから、当然だ。だから、方位角度の指示も適当だ。
地上を進むフロマージュ軍の最後尾は、敵艦隊の接近を知って早足で行軍を始める。その行軍とは逆方向に、我々は敵の艦隊目掛けて「進撃」する。
果たして、敵は逃げ出してくれるのか?
進言しておいて言うものなんだが、不安になってきた。
もしもこのはったりが効かず、敵が猛攻撃をかけてきたら、我々には抗う術がない。そうなると、即時撤退するほかない。
その場合は、今、早足で山地要塞に向かっている味方の兵が、爆撃を受けてしまう。
だから、なるべくそれっぽく振る舞い、どうにかして敵を追い払うしかない。
そして、いよいよ距離7800まで接近する。
『まもなく、射程距離!』
『面舵一杯!』
『おもーかーじ!』
観測員が叫ぶ。それを受けて、艦の回頭を副長が指示する。それを聞いた砲長が、砲撃手に号令をかける。
「砲身を向ける、右87、仰角45!」
「アイサーッ!」
別に艦内の気合が敵に伝わるわけではないのだが、こうなったら徹底的に本気で擬態しようと、兵曹長が渾身の力を振り絞って砲身のハンドルを回し始める。勢いよく回る砲身が、夕暮れの暗がりの空に向けられる。
そろそろ、敵が射程距離内に入る。
さあ、これ以上、何もできることがないぞ。あとは敵が、どう反応するか? 私は、固唾をのんで見守る。
敵の艦隊も、一斉に回頭を始めた。単縦陣のまま、こちらに側面を向けてくる。
やはり、擬態は効かないか? 青色の帯を見せれば逃げるほど、敵も臆病ではないということか。敵が発砲した瞬間に、攻撃手段のない我々は、逃げに転じるしかない。私が諦め始めた矢先だった。
側面を向けた敵が、さらに回頭を続ける。まさに射程ギリギリのところをかすめるように、3隻の敵艦は要塞都市の方角へと転進を始めたのだ。
やった、はったりが、効いた。
「やったぜ、敵が逃げ出したぞ!」
自分でも、まさかここまでうまくいくとは思ってもいなかった。やはり我々は、敵から相当恐れられているようだ。
実に皮肉な話だが、あの青色の帯を描いておいてよかったと、今は思えてくる。こんな「戦果」を挙げるなど、これを描かれたあの時には思いつきもしなかった。
とはいえ、敵の回頭を見届けるまで、我々はこの場を離れられない。一度演技を始めた以上、最後まで強がりを見せつけなくてはならない。
その間に、敵の気が変わって引き返してきて、そのまま砲撃戦とならないか、という不安と闘いながら、日が沈むまで我々は、敵を牽制し続けた。
西の空の地平線上に日が沈み、あたりが真っ暗になる。そこでようやく、砲身が戻された。
「お疲れさまーっ! さあみんな、あったかいものを食べて、身体をあっためてちょうだい!」
アラル山地要塞の駐屯地に着陸する直前だというのに、このタイミングで食事が振る舞われる。朝から続く戦闘の間、昼頃に一度、戦闘携行食を運んだ以外は特に活躍のなかったマリッタが、我々に夕食を用意した。
それはチャパティとカレー、そして熱い紅茶だ。マリッタは調理場でガンガンとお湯を沸かし、冷え切った皆にそれを振る舞っている。
食べ慣れて、新鮮味もなくなったカレーだが、この時ばかりは美味いと思った。晩秋の風で冷えた身体に、この熱い紅茶の風味と熱が腹まで染み渡る。
こうして、この悲惨で凄惨な敗走劇の中を、我々はどうにか生き延びた。




