#48 敗走
『第2列塹壕で、爆発を確認!』
7万もの兵が展開する地上は、すっかり爆炎に包まれている。つい数分前まで、敵を圧倒していたフロマージュ軍の兵士の姿が、炎と煙に包まれて見えない。
『艦橋より観測所! 何が起きている、要塞砲からの攻撃か!?』
副長が、気嚢上部の観測所に向かって叫ぶ。しかし、返答がない。
『おい、こちら艦橋! 観測所、現状を報告せよ!』
しびれを切らした副長が再度、観測所を呼び出す。伝声管越しではあるが、その苛立ち具合が伝わってくる。
それに呼応して、ようやく観測員が返答する。
『こ、こちら観測所、直前に要塞都市からの攻撃は認められず、また、上空にも敵の艦影なし! 地面そのものが爆発したとしか思えません!』
最後は曖昧な報告だが、それは我々から見てもそうとしか答えようがない。しかし、こんな回答で納得するはずもない。
と思っていたが、副長がこう呟く。
『まさか、罠か?』
そこで私は、つい先ほど感じた違和感を思い出す。そうだ、妙にオレンブルク軍は塹壕から距離をとっていた。
それはつまり、罠の存在を知っており、フロマージュ軍を引き付けたうえで、その罠を起動した。
その罠が具体的にどういうものかはわからない。が、単純で大規模な罠だと推測される。塹壕一帯に大量の爆薬を敷設しておき、その真上をフロマージュ軍が通過したところを見計らって、起爆する。
そんな罠に、フロマージュ軍主力は馬鹿正直に飛び込んで、まんまと引っかかってしまったというわけか。
まだ、地上は燃えている。ところどころ、煙が晴れ始めた。その結果、地上の惨状が明らかになっていく。
8台の地上戦艦は、もはやその原型をとどめていない。あるものはひっくり返り、またあるものは横倒しになり、リベットの継ぎ目から裂けて無残にもその中身をさらしている。
鋼鉄の装甲で覆われたその新兵器ですらその有様だ。生身の兵士ともなれば、さらに悲惨な姿をさらしている。
私の望遠鏡越しに、人の形をとどめたまま真っ黒こげで倒れた姿が目に飛び込んでくる。おそらくそれは、ついさっきまで人だったものだ。
思わず私は、腹の底から何かが込み上げてくるのを感じる。前方の尾栓を収める穴のところに駆け寄り、そこからその込み上がってきたものをすべて吐き出した。
キヴィネンマー要塞の塹壕でも、苛烈な現実を私は目の当たりにした。が、ここでの惨状はそれ以上だ。生きとし生ける者が、まったく見当たらない。まさしくそこは、地獄の底だ。
「おい、生き残りがいるぞ!」
ところが、である。あの地獄の只中で生き残っている者がいると、砲長が叫ぶ。私は望遠鏡を取り出して、再び地上を見た。
よく見れば、地面がすべて一様に爆発したというわけではない。ところどころムラがあって、緑色の草地が残っているところもある。その辺りにいた兵士らは、どうにか爆炎を免れたようだ。
が、それほど数は多くない。身体中に爆炎が吐き出したススをまとい、まるで夢遊病者のようにうごめいている。
この惨状を受けて、やや後方にある前線司令部のテントから、紫色の狼煙があげられる。
その狼煙の意味は、「全軍撤退せよ」である。
これを受けて、地上の生き残りの兵士たちが各々、動き始める。だが、歩く力をなくしその場で行き倒れる者の姿も見えるが、誰もが自身の身体を動かすことで精一杯だ。足元で倒れる他の兵士を助ける者は見当たらない。
ただ、後方で掃討作戦をしていた兵士らで、その爆発地帯から外れたところにいた者は健在だ。爆発地帯に生き残った兵士らを救出すべく、その真っ黒な地面に飛び込んでいくのが見える。
上空から眺めていると、その無傷の兵士らによって生存者が救い出され、徐々にフロマージュ軍は統制を取り戻しつつある。とはいえ、相当数を減らしている。大雑把にみて、半分もいない。
その半数以下の兵士らの集団は、司令部からの命令に従って後退を始める。
『地上軍、後退を開始!』
観測員が、地上の様子を伝えてくる。何ということだ。あの最精鋭で最強の、つい先ほどまで敵を圧倒していたあのフロマージュ軍が、撤退に追い込まれている。
これでは目前の要塞都市への攻略戦など不可能だ。いや、それどころか、遠征軍そのものが崩壊寸前だ。
まさか、敵にあのような狡猾な罠が仕掛けてあるなどとは、フロマージュ軍司令部の指揮官すら予想できなかった展開だ。無論、私などに読めるはずもない。
もうこれ以上の犠牲を出すわけにはいかない。即座に撤退を決めたフロマージュ軍の判断は正しい。が、すでに犠牲が多過ぎる。
どうみても半数以上の兵士が、あの爆炎の中、消えてしまった。
『これより当艦は、地上軍の撤退を支援する』
副長が伝声管で指示をしてくるが、もはや我が艦には残弾が3発しかない。砲長が伝声管に向かって叫ぶ。
「砲撃室より艦橋! 残弾3発、地上攻撃を行う余裕なし!」
砲長のこの進言に対し、副長から返答がない。地上のみならず、自身の乗る艦にも厳しい現実にさらされていることを艦橋も把握する。さすがの副長も、返す言葉が見つからないと見える。
この機に乗じて、敵の空中艦が現れるかもしれない。たった3発とはいえ、いざという時のための備えとして温存しておきたい。そう考えるのは当然だ。
そう考えると、むやみに弾を撃ち過ぎた。もう少し残弾を意識し、弾を温存しておけばよかった。そうすれば、この惨状で多少の救いにはなったかもしれない。後悔は先に立たず、とはよく言ったものだ。
地上には、葬列のようなフロマージュ軍兵士の集団がぞろぞろと動くのが見える。その動きは、あまりにも鈍い。
そんな様子を、我々はただ空から見ているしかない。歯がゆいことだが、だからといって何かできるわけでもない。
地上に降りて、少しでも多くの兵士を載せて運ぶか? いや、そんなことをすれば、ヴェテヒネンのゴンドラに兵士らが殺到する。大勢が乗り込めば、離陸できなくなるばかりか、ゴンドラが壊れて我々すらも飛び立てなくなるかもしれない。
そんな恐怖心が先行し、地上に降りようという気にはならない。これは我が艦だけでなく、フロマージュ艦隊のどの艦も同じだ。一隻たりとも、地上に降りようとしない。
そんな状況が続く中、オレンブルク軍に動きがある。
『ネフスキヤヴォストークより、何かが接近してきます』
観測員が、要塞都市の方から何かが来ると警告した。まさか、空中戦艦が現れたのか? と警戒したが、それは空中ではなく地上だ。
大勢の兵士らが、城壁を回り込んで現れた。その数は徐々に増えつつある。
おまけに、塹壕より後方に退避していた自走砲車が動き出した。兵士らと呼応し、撤退するフロマージュ軍を追撃するようだ。これはフロマージュ軍にとって、まさに絶体絶命の危機を迎えつつある。
……のではあるが、私は一つ、不思議に思うことがある。
なぜ、オレンブルク軍は裏側の城壁から現れたのか? どう見ても遠回りだ。どうせなら、こちら側にある城門から出てくればよかったのに。
と考えたところで、ふと思い出す。そういえば、この戦いの序盤で我々が放ったあの新兵器が、そのこちら側の城門を破壊していた。つまりあの時の攻撃が、図らずもオレンブルク軍の追撃を遅らせることに貢献していた。
しかしだ、それでも追撃そのものを止めることはできなかった。ほんの少し、時間を稼いだだけに過ぎない。
フロマージュ軍の生き残りの集団が、河に差し掛かろうとしている。ここには3本の橋が架かっており、そこを越えれば前線司令部のある場所にたどり着く。
もっとも、その前線司令部もわずか二千の兵士がいるだけだ。オレンブルク軍の主力とぶつかり合えるだけの兵力ではない。撤退軍と合流したところで、さらに撤退する羽目になるだけだ。
「ようやく、あの橋を渡り始めたみてえだな」
「まもなく、前線司令部とも合流するな、しかし……」
それから1時間ほど経ち、フロマージュ軍がアラル山地要塞とネフスキヤヴォストークとの中間地点にあたる河の橋を越え始める。ぞろぞろと葬列のような集団が、整然と、しかし力なく3本の橋に分かれて渡る。その様子を見て、リーコネン上等兵と私はそう言葉をかわす。が、それは一方で、フロマージュ軍の危機的状況が刻一刻と迫っているのを眺めているに過ぎない。
もはや、時間的猶予がない。後方を見れば、オレンブルク軍の集団が動き出した。塹壕のあったあの黒焦げの地帯を越えて、まさに河に迫りつつあった。
歯がゆい、私もリーコネン上等兵も、思う。ただ見ていることしかできないのか? と。
それから20分後にはようやくフロマージュ軍の撤退兵らは橋を渡り切る。が、その橋を渡り切った味方の軍勢まで、敵軍があと500メルテまで接近していた。
「くそっ、あの橋を破壊できれば……」
砲長がそう呟くが、橋は3本ある。こちらの弾頭も3発。一発で一つの橋を破壊できればそれも可能だが、もちろん、あれはそれほどヤワな橋ではない。だいたい、自走砲車や地上戦艦すらも支えられる、頑丈な橋だ。
せめて一本だけでも破壊できないか? いや、それでは残る2本の橋に分散して渡河されるだけだ。かといって、ヴェテヒネンの主砲弾はいずれも散弾式、徹甲弾ではない。となれば、橋どころか、あの橋の柱すらも破壊できない。
私はその橋を望遠鏡で見る。どこか、弱点はないのか。そんな思いで、その橋脚を見た。
橋そのものは、石橋だ。その橋脚はといえば、コンクリート製である。おそらくは鉄筋コンクリートだろう。
ただ、いずれの橋もその中央部にのみ橋脚が一本あるだけだ。おそらく、河の流れをせき止めないように、敢えて一本だけの構造にしたのだろう。ということは、あの一本を破壊できれば、橋は崩れ落ちる。
……と考えたものの、そもそもその橋の橋脚はかなり太く、頑丈そうだ。ヴェテヒネンの砲で壊せる代物ではない。せいぜい、削り取るのが精いっぱいだ。
いや、待てよ? 削り取れば、あるいは……
「砲長! 計算士、意見具申!」
私は砲長に向かって叫ぶ。一同、諦めのムードに包まれつつある中で、私が叫んだのだから、この砲撃室の皆の視線を集めることとなる。
「おいまさか、妙案があるというのか?」
「あの橋の橋脚を、残りの3発で撃ちます」
「あの3本の内、どれか一本を狙って破壊するというのか」
「いえ、3発で3本の橋脚すべてを撃ちます」
「おい、残りは3発だぞ。しかもあのコンクリート製の太い橋脚が、徹甲弾ですらない我々の砲弾で撃ち抜けるわけがないだろう」
「撃ち抜く必要はありません、削るんです」
私の意図は、まったく伝わっていない。しかし、私には確信がある。
「このまま手をこまねいているよりは、より確実に味方を救うことができます! 時間がありません、砲撃の許可を!」
私の熱意が伝わったのか、それとも、一か八かに賭ける気になっただけなのか、砲長は答える。
「わかった。副長の許可を得る、それから砲撃開始だ」
砲長がそう私に告げると、伝声管を開く。その脇ではキヴェコスキ兵曹長が砲弾を抱え、残る二人の砲撃手が火薬袋を両手に持って待機していた。皆、やる気満々だ。
「おい、何をやらかすんだ?」
リーコネン上等兵も私に尋ねる。が、ここでこいつを理解させる説明を、私は思いつかない。だから短く、こう答える。
「見ていれば、わかる」
その間にも、砲長は副長を呼び出し、伝声管越しに発砲許可をもらおうとしていた。
『つまりそれは、カルヒネン曹長の提案なのだな?』
またいつものように、副長が私の発案かどうかを尋ねている。
「その通りです、副長」
『わかった、貴重な3発の使い道を、カルヒネン曹長の提案に一任する』
それはつまり、砲撃を許可されたということだ。その言葉を聞いた砲撃手らが尾栓を開き、砲撃準備にかかる。
そして私はメモをとり、計算尺を滑らせ、弾道計算を始めていた。




