#42 塹壕戦
平坦な土地での基本戦術といえば……そう、塹壕戦である。
ここヴォストーク・ヴォールゴ平原には、短期間ながらもオレンブルク軍が何重もの塹壕を築き、待ち構えていた。さらに有刺鉄線、土堀がその前方に設けられており、おそらくは落とし穴などの罠も仕掛けられていることだろう。
塹壕戦の厄介さは、我々が一番心得ていると自負する。なぜなら我々こそキヴィネンマー要塞で五重もの塹壕を築き、オレンブルク軍兵士らを無数の屍に変えてきたからである。
あれを突破するためには、空中からの支援が不可欠だ。しかし、我々は少ないながらも戦闘艦を繰り出してこれに耐え続けた。このため、地上軍のみでの突破が試みられてきたが、要塞の支援のおかげもあってすべて退けた。
が、その塹壕が、今度は我々の行手を阻む。
しかしだ、フロマージュ軍がこの塹壕を突破すべく新たな兵器を用意した、というのだ。
その新兵器が、大型の空中輸送船によって運び込まれようとしている。
「新兵器かぁ、あいつが生きてる時にそういうのがありゃあ、俺の人生も変わってただろうな」
そう呟くのは、リーコネン上等兵だ。
ここはヴェテヒネンの調理場。時間は朝の7時。中秋の今、太陽が昇り始めたばかりの時間、艦内の女子3人が寝袋から出て、起きようとしているところだ。
「でもさ、ヘルミ。その最初の恋人さんが死んでなかったら、あなた、機関銃士になってなかっただろうし、ましてや副長と一緒になんてなれなかったんでしょ」
「そうなんだよなぁ。運命ってやつは、どう転ぶか分かったもんじゃねえってことよ」
と、マリッタが突っ込む。そういえばこいつ確か、恋人が死んで、その復讐心から機関銃士になったといってたのに、もうその恋人のことなど忘れて副長と良い仲になっている。そのおかげで、最近の副長は頭が冴えているのだが、それにしてもこの機関銃士は節操ある人生を歩んでいるとは、とても言い難い。
まあ私も、ラハナスト先生の元で計算士を志して以来、一生を計算尺に捧げる覚悟で生きていたはずなのに、今じゃ砲長にいいように取り扱われている気がするから、人のことは言えないか。
「で、その新兵器ってのはいつ届くんだよ」
「もうそろそろだと聞いた」
「ところで、その新兵器ってのは何もんだ?」
「そんなこと私に聞かれても、知ってるわけがないだろう」
「なんだよ、フロマージュの勲章持ちでも知らされてないのかよ。どんだけ秘密にされてるんだ、その兵器は」
リーコネン上等兵はその新兵器が気になって仕方がないらしい。が、私は特にそれが何であるかなど、知りたいとは思わない。どうせいずれ姿を見せるし、それにあの塹壕を簡単に突破できる兵器など、早々作れるものではないと思っている。
だいたい、フロマージュ軍などたいしたことないのではないかと、ここしばらくの戦いで思い始めていた。ついこの間の戦いでも、30分間もの砲撃戦闘を続けても敵の戦艦を一隻も沈められないばかりか、一隻が被弾して戦線離脱させるという失態ぶりだ。これで世界最強の軍と名乗っているのだ。ならばせめて一隻くらい沈めたらどうなんだ、と。これに、先日の砲長殴打事件も加わり、私の中でフロマージュ軍の評価は地に堕ちている。
砲長は、我々には独立戦争での経験があるから、その差が出ているだけというが、それにしても不甲斐ない。あれほど進んだ技術や戦闘食を持っているというのに、空中艦隊戦ではあの体たらく。そんな国の新兵器といって前線に現れたとしても、それほど役に立つものとはとても思えない。
「……その新兵器がこけてくれれば、この無意味な侵攻作戦に終止符が打てるかもしれない」
「はぁ? おいユリシーナ、なんか言ったか?」
「あ、いや、なんでもない」
思わず本音が漏れてしまった。自信満々なフロマージュ軍とは対照的に、私はどこか、引き際を求めている。フロマージュだって、かつて王国時代に一度、オレンブルクに深入りして酷い目にあっている。もう一度、同じ過ちを繰り返さなければいいが。私の中では最近、懸念の方が優っている。
とはいえ、結果的にフロマージュ軍は破竹の勢いでここまで進撃してきた。あの頼りない空軍を抱えながら、どうにか大河を越えてこの地までやってきた。さらにこの平原を越えて、その向こうにあるアラル山地を越えれば、いよいよその先は目標である要塞都市ネフスキヤヴォストークに達する。
残る戦場は、この平原とアラル山地にあるという要塞だけだ。苦戦すると思われたあのヴォールゴ河の渡河作戦ですら、たった1日で決着した。
はたから見れば、快進撃だ。これであと2つの戦場を突破すればいよいよ決戦場。懸念を抱く必要など、ないのかもしれない。
なのだが……私の中から、懸念は消えない。
「おい、なんか来たぜ」
そんな会話をしている中、朝日に照らされて、大きな気嚢を持つ船が数隻、見えてきた。
戦闘艦ではない。幅広のゴンドラを見れば、それが巨大な輸送船だと分かる。馬鹿でかい4つのプロペラを回しながら突き進むその大型輸送船が、まさにこの平原の端に築かれたフロマージュ軍の駐屯地に降り立とうとしていた。
『フロマージュ軍輸送船の積み下ろし作業の間、敵艦隊が現れるかもしれん。総員、戦闘配備』
副長の元気な声が、艦内に響き渡る。この朝っぱらから護衛任務とは、あまり乗り気にはなれない。が、命令は命令だ。私とリーコネン上等兵は調理場を出て、あの頼りない布製の渡り通路を通って砲撃室へ向かう。
「なんか、すげえでかい物を降ろしてるぞ。なんだろうな、あれは?」
戦闘配備中だというのに、あの大型船が降ろす積み荷のことが気になって仕方がないこの機関銃士は、輸送船から降ろされる大きな物体になぜか心ときめかせている。おそらくはあれが例の新兵器というやつなのだろう、と思いつつ、私はその積み荷の方を見た。
見た目は、巨大な箱だ。その脇には、幅広の履帯が見える。あれは無限軌道というやつだ。山地で使われる雪上車によく使われているものだが、それを大きく、しかも分厚くしたもののようだ。
その無限軌道をリベット打ちされた鉄の箱の両側につけている。その箱のてっぺんには、大きな丸い穴が空いている。何とも不可思議な構造の兵器だ。しかし、兵器というには、武器の類が見当たらない。
と思っていたら、その後ろからさらに何かが出てきた。
同じくリベットで結合された鉄板の箱だが、その箱からは真っ直ぐ前方に砲身が伸びている。大きさはちょうど、ヴェテヒネンに搭載された砲の半分ほどの口径。もしかして、先の無限軌道付きの箱は土台で、あれが上に載るのか?
しばらく眺めていると、そのまさかだった。クレーンで吊り上げられたその砲身付きの上物は、その土台の上に載せられ、結合されていく。
一隻の大型輸送船からは、そんな奇妙な兵器が2台づつ降ろされる。全部で8隻の輸送船から計16台、降ろされた。その日の昼までには、これらがずらりと一列に並べられる。
まさか、あれが塹壕突破の新兵器だというのか?
「なんかよ、雪上車に大砲を載っけたような兵器だなぁ」
とリーコネン上等兵が呟くが、どちらかというと自走砲を大型化し、悪路走破用に無限軌道をつけたようなもの、と言った方がしっくりくる。
確かに、自走砲自体が塹壕突破用の兵器として作られた経緯はある。が、それ自体は機動性を重視して装甲も前側のみつけられ、後方から援護射撃するという兵器だ。
しかしあれを見る限り、後方から援護射撃をするような兵器には見えない。敵陣に突入する気満々だ。ぐるりと囲まれた鉄の装甲が、それを物語る。
あんな重そうなものが、動くのか? それ以上に、敵に突っ込んだはいいが、その後はどうやって戻るつもりだ。その見た目からは、中世時代に攻城戦兵器として作られた破城槌を思い浮かべてしまう。が、あれはあまりに重すぎて運搬するのにひと苦労で、そのわりに使い物にならず、いつしか時代から消えていったと、軍学校で教えられた記憶がある。
その二の舞になりそうな兵器だな。空中で警戒任務を続けながら、私は地上に現れたこの走る鉄の棺桶のような物体を冷ややかな目で見ていた。
が、これが後日、想像以上の活躍を見せるとは、この時の私はまだ理解していなかった。
「あの兵器、陸上戦艦って呼ばれてるらしいぜ」
その日の晩、リーコネン上等兵がフロマージュ兵士から聞き出した情報として、夕食の場であの新兵器の名を明かしてくれた。
「陸上戦艦?」
「おうよ。なんでも、海上戦艦、空中戦艦があるから、それに対してあれを陸上戦艦と呼ぶことになったらしいぜ」
「いやまて、砲がたったの一門しかないのに戦艦なのか?」
「それを言ったら、ヴェテヒネンだって砲は一門じゃねえか」
「う……まあ、それはそうだが」
「ともかくよ、聞いた話じゃ、イーサルミの独立戦争で塹壕が効果的だと知って、その塹壕を突破するための兵器として試行錯誤した結果、作られた兵器ってことらしいぜ」
夕食を摂りながら、リーコネン上等兵のやつ、ベラベラと新兵器のことを我々に話す。ところで、この晩はカレーではなく、塩漬け肉と魚、それらにやや甘辛いソースをかけたもの、ビスケットより柔らかな乾パンとこってりとしたバター、そして「チョコレート」と呼ばれる、濃茶色の物体が3切れづつ支給された。
「……ところで、この茶色の物体はなんだ?」
「さあな、俺も見たことねえ」
「なんだ、これはフロマージュの戦闘食ではないのか?」
「聞いた話じゃ、セレスティーナ連合国から送られてきた戦闘食らしいぜ」
「えっ、セレスティーナの戦闘食だって?」
「でもさぁ、なんかとっても良い香りなんだよぉ。ちょっと食べてみようかなぁ」
リーコネン上等兵ですら知らないその茶色の物体を、マリッタのやつは何の躊躇いもなく口の中に放り込んだ。
「ん!」
ほら、言わんこっちゃない。見るからにとんでもないゲテモノだ、きっと凄まじい味なのだろう。マリッタの今の表情がそれを物語る。
「あ……甘い……」
ところがだ、意外な言葉が飛び出した。なんだって、甘い?
「甘いって、どういうこった」
「そのまんまだよ! まるでさ、貴族のお菓子みたいな甘味が強い、それでいて絶妙な苦味が効いてて、びっくりするくらい上品で美味な食べ物だよ!」
甘味に苦味が効いている? それが絶妙で美味い? 舌の肥えたマリッタではあるが、こいつの言いたいことが理解できない。
「ほんとだ、こりゃあ美味えぜ!」
ところがだ、そんなマリッタの言葉を受けて、その茶色の奇妙な物体を口に放り込んだリーコネン上等兵まで美味いと言い出した。どういうことだ? こんな土塊のような物体が、どうして美味いと感じられるものになれるんだ。
私も、恐る恐るそれを手に取り、まず匂いを嗅いでみた。
……ほのかに香ばしい匂いがする。が、それは心地よい感じの香りであり、不快感はない。そこで思い切って、口の中に放り込んだ。
うん、マリッタの言わんとすることがわかった気がする。確かに苦味と、そして甘味とが共存する不思議な味だ。しかしそれは、砂糖むき出しの茶菓子のような甘味を露骨に感じさせるようなものではなく、ほんのりとした優しい甘味とでもいえばいいだろうか。
これは予想外だ。マリッタが貴族のお菓子と称したが、まさにそんな雰囲気の食べ物だ。やや不恰好で、しかも手の体温で簡単に溶けてしまうというのが難点だが、そんな欠点など、この上品な味がいとも簡単に打ち消してくれる。
たった3切れなのが残念だ。もうちょっと食べたかったな。これだけでも1日、頑張れそうなほどの優れた食材だ。セレスティーナ連合国とはこれほどまでに豊かな国なのかと、改めて感心する。
これに比べたら塩漬けの肉や魚はあまりにもインパクトがなさすぎるが、それでもイーサルミ軍の戦闘食に比べたら雲泥の差だ。上からかけたソースが、この塩辛さを紛らわしてくれるから、美味しくいただける。かつて、あの硬いビスケットと格闘し、酢漬けキャベツをありがたがっていたのが馬鹿馬鹿しくなるほどの充実ぶりだ。
そんな驚きと満足な夕食を終えて、その日の晩は暮れる。
そして、その翌日の朝。
『フロマージュ軍より発光信号! 作戦開始の合図です!』
艦橋にいる通信士が、伝声管で作戦開始を知らせてくる。すでにヴェテヒネンは高度2000にてフロマージュ空軍の戦艦7隻、爆撃艦10隻と共に待機しているが、これを聞いて全艦が前進を開始する。
爆撃艦隊が、高度1000メルテまで降下を始める。あの10隻の任務は、塹壕の前方に展開される有刺鉄線や落とし穴などのブービートラップの排除、そして最前線の塹壕を攻撃することだ。我々、戦艦隊はといえば、その間に敵の空中艦による爆撃艦への攻撃を阻止することだ。
しかし、今のところ視界内には敵の艦影は見えない。
奇妙だな、敵だってこちらが空中艦を繰り出すことがわかっているはずなのに、一隻も出してこないとは。いや、おそらく近くの雲や山地の裏に潜ませており、何かの拍子に攻撃を仕掛けてくるはずだ。
それから20分後には、予定通り爆撃艦隊による攻撃が行われる。地上で次々に炎を上げる焼夷弾に混じり、爆裂弾も炸裂して有刺鉄線を吹き飛ばしていく。
そんな爆撃が続く中、例の新兵器、「陸上戦艦」とやらが前進を開始する。
……しかし、なんだ。あれはほんとに遅いな。聞けば速力が毎時15サンメルテしか出ないという。空から見ると、動いているのかいないのかわからないほどだ。その後ろから、多数の歩兵が随伴する。どうやらあの動く鉄箱には窓がほとんどなく、敵兵から襲われるのを避けるために、歩兵による護衛が必要なのだという。
このカタツムリのように遅い鉄箱が焦ったいほどノロノロと進むのを、我々はただ上空から見守るしかない。
爆撃隊が焼夷弾を落とした場所に到達する頃には、すでに焼夷弾は燃え尽き、地面を黒く染めていた。その真っ黒に焦げた大地の上を、横一文字の陣形で前進を続ける陸上戦艦群。その向こうの塹壕には、多数の兵士らが銃を構えて潜んでいる。
そんな陸上戦艦が1列目の塹壕に差し掛かったのは、昼前のこと。すでに制圧済みのこの塹壕内にフロマージュ兵らが飛び込む。が、陸上戦艦はといえば、その塹壕にかまわず前進を続ける。そして、塹壕に差し掛かった。
長い無限軌道によって、あの幅の塹壕を渡り板もなく乗り越えてしまった。やや強引だが、驚くべき走破性能だ。なるほど、だからあの無限軌道なのか。回転する履帯が力技で塹壕を乗り越える際の土煙と、後方から機関が吐き出す黒煙とが、ここからもはっきりと見える。
が、2列目以降に潜むオレンブルク兵が発砲を始める。その後方からは、自走砲が一斉に火を噴く。フロマージュの兵士らは塹壕の中にいて無事だが、肝心の陸上戦艦はといえば、その身を剥き出しにしている。
そんな陸上戦艦の一台に、自走砲の弾が1発、直撃する。砲塔の後側で、爆発が起こる。
が、そんな直撃などものともしない。
その被弾した一台が、反撃に転ずる。停車し、上の回転砲塔を回し始める。と、その直後、あの砲身が火を噴いた。
その前方にいた自走砲が、たった一撃で粉々に吹き飛んだ。これまでの塹壕戦闘では最強とされていた自走砲車が、この新型兵器の前であっけなく破れた瞬間を、私は目撃する。
他の陸上戦艦も同様に停車すると、各々が火を噴く。弾速の速い砲のようで、撃つのとほぼ同時に狙われた自走砲が吹き飛ぶ。そして2列目の塹壕へと突入を開始する。
機銃による反撃はまるで効かない。接近する鉄の箱に、オレンブルク兵の持つ兵器ではなすすべもない。やがて陸上戦艦群は横一線に、2列目の塹壕を乗り越えにかかる。
その陸上戦艦の背後から、歩兵が塹壕に向けて銃撃を加えている。すでに士気を失いつつあるオレンブルク兵はなすすべもなく斃れるか、その場から後方への逃走を図る。
こうして、2列目の塹壕もあえなく突破してしまった。後方にいる自走砲のほとんどが破壊され、さらに後方にいる野砲へも、陸上戦艦は攻撃を加えている。
そういえば野砲が全く放たれていないが、それは当然で、鈍いとはいえ動く物体を当てられないからだ。1発も砲弾を放つことなく、次々と敵の野砲も破壊されていく。
もはや、一方的な戦いだ。2列目の塹壕も難なく突破し、3列目に差し掛かろうとしていた。陸上の兵器では、あの新兵器16台に太刀打ちできるものはない。
だが、この予想以上の戦いぶりを見せつけられ、恐怖したのはもちろん、我々よりも敵の方だ。
だから、やはりというか、痺れを切らしたようだ。
『敵空中艦を発見! 艦影多数、数20! アブローラ級15、ペロルシカ級5! 距離22000!』
後方の山地から、ついに敵の空中艦隊が姿を現した。
新兵器の圧倒ぶりを眺めているだけで終わるかと思われたこの戦いで、ついに我々、空中戦艦の出番が訪れた。




