#40 雲隠れ
『高度を上げる、急速上昇、総員、上昇に備え!』
副長の発令と同時に、艦が大きく傾き出す。私は慌てて近くの支柱にしがみつく。ギシギシと音を立てて艦が傾き始める。
その最中、私は片手で望遠鏡を取り出し、敵の艦列を見る。
3隻が単縦陣で前進しているのが見える。高度はおよそ4000といったところか。一方の我が艦はといえば、勢いよく回る高度計を読んでも、ようやく1000を超えたところだ。着陸態勢に入りつつあるところを、不意をつかれた。
周りを見ると、河川敷からフロマージュ空軍の空中戦艦が5隻、浮上しつつある。だが、我が艦よりは低い。こういう時、高位にいる方が有利というのは空中戦闘での常識だ。
その高位を活かして、敵艦隊が撃ってきた。
『敵艦隊、発砲!』
まだ9000メルテ先だというのに、一斉砲撃を加えてきた。通常ならば射程外だが、これだけの高度差ならば届かないこともない。だから念のために、回避運動を行う。
『取り舵15度!』
『とーりかーじ!』
ただでさえ上昇中で支柱にしがみついている状況だというのに、左に動き始めた反動が身体にかかる。慌てて望遠鏡をしまいつつ、両手で支柱にしがみついた。が、その拍子に望遠鏡を落としてしまう。
くそっ、敵までの距離や方向、動きが掴めない。ただ、幸いなことに弾着時間を過ぎても、敵の弾の炸裂音が聞こえてこない。かなり大きく外れたようだ。長距離砲撃をやってのけるほど、敵の計算士は有能ではなさそうだ。
その間もぐんぐんと高度を上げるヴェテヒネンに向けて、3隻の敵艦が一斉に砲撃を加えてくる。考えてみれば、この艦はわざわざ目立つための塗装を施されたのだ。気嚢に塗られた青色の帯が、敵の目を引きつけて弾を集中させる。これではあまりにも不利すぎる。
まぐれ当たりでもされたら大変だと冷や冷やさせられたが、幸いにも敵の計算士と砲撃手がヘボすぎたおかげで、こちらもようやく戦闘高度である4000メルテに到達した。水平になったゴンドラで私は慌てて望遠鏡のあるところに駆け寄り、窓から敵艦隊を見た。
おそらく、過去の戦闘を教訓に学んだのだろう。敵はやや、互いの距離を離している。あれだけ離れられては、3隻同時に狙い撃ちはできそうにない。だから私はまず、先頭艦に狙いを定める。メモ帳を開き、敵までの方角と速力、そして高度差を読む。
『敵艦までの距離、7400メルテ!』
距離の情報は、観測員が教えてくれた。それを元に私は計算尺を滑らせ、算出する。
「右33度、仰角44.1度、火薬7袋、時限信管34秒!」
それを聞いたキヴェコスキ兵曹長の反応は早い。すでに開かれた尾栓に、指定通りの起爆時間を設定した砲弾を放り込むと、すぐさま火薬袋が放り込まれる。
「右33度、仰角44.1度!」
砲長の叫び声に、兵曹長ら2人の砲撃手が思い切りハンドルを回す。砲身が右側の空へと向けられ、発射態勢が整う。
「射撃用意よし!」
「砲撃始め、撃てーっ!」
砲長の合図と共に、25サブメルテ砲が火を噴く。私はすぐに目標の先頭の艦に望遠鏡を向ける。
『だんちゃーく、今!』
やがて、観測員が弾着を知らせる。が、その直前に思いの外、散弾が上空で炸裂するのを見た。やはりというか、当たらない。
どうやらこの河の上空には、強烈な上昇気流が生じているらしい。それが証拠に、河の上にいる敵艦3隻の周囲が雲に覆われ始める。
膨大な河の水が、この雲を作り出している。おそらくはそれを見越しての爆撃任務だろう。雲がこちらの上空まで達したなら、それに紛れて4000メルテ上空から焼夷弾を撒き散らすつもりだ。
河岸には、おびただしい数のテントとフロマージュ軍兵士がいる。精度の低い高高度からの爆撃でも、甚大な被害を与えられる。
まずいな、雲が徐々に濃さを増し、敵の姿が見えづらくなってきた。これを撃ち漏らせば、被害は免れない。計算尺を滑らせて、次の攻撃位置を算出する。
1発目のずれ量から上昇気流の強さを推測しつつ、それを計算値に折り込む。計算尺を滑らせてはメモを書く。いつもの作業だが、今は一刻を争う。
「右25度、仰角41.2度、火薬7袋、時限信管32秒!」
すでに尾栓が開けられて待機していた砲撃手の3人が、一斉に装填作業に取り掛かる。あっという間に尾栓が閉じられ、2つのハンドルで敵艦へと砲身の先が向けられる。
「射撃用意よし!」
「撃てーっ!」
その作業終了と同時に、間髪入れずに砲長が合図する。ドドーンという腹に響く砲撃音と同時に、砲弾が雲の中へと隠れていく敵艦へと向かって飛翔する。
「次弾装填だ、急げ!」
だが、その弾着を待たずに次の弾込めに入る。早くせねば、急速に発達する雲に紛れてしまう。文字通り、雲隠れだ。
「右22度、仰角39.2度、7袋、信管30秒!」
私の算出結果を聞いて、キヴェコスキ兵曹長がダイヤルを回して弾頭を砲身に放り込む。続いて火薬袋が詰め込まれて尾栓が閉じられる。と同時に、砲身が動き出す。
「急げーっ!」
もはやゴンドラの下面がかろうじて見えるほどに姿を見失いつつある2番艦に向けて、砲が放たれる。ドドーンという砲声と同時に、3隻の敵艦は姿を消す。
『だんちゃーく、今!』
発射から間髪入れて、2発目の弾着時間を迎える。あれは先頭艦を狙ったが、果たしてどうか?
と思うや否や、雲の中が真っ赤に光る。あれは紛れもなく、気嚢に詰まった水素が反応する際に生じる炎が発する光だ。やがて雲の中から、ゴンドラと萎んだ気嚢が燃えながら降って落ちてくる。
『命中! ラーヴァ級撃沈を確認!』
一隻は、どうにか沈めた。が、問題はもう一隻だ。もう一隻くらい、沈めてくれ。そう願いつつ、弾着時間を待つ。
『だんちゃーく、今!』
が、観測員の合図が響くものの、何も起こらない。どうやら2隻目は外したようだと知る。
「外したか」
砲長がぼそっと呟くのが聞こえる。
「申し訳ありません」
「謝ることはない、だいたい、命中率が2パーセントが常識と言われる中で、一隻当てただけでも本来ならば奇跡だぞ。我々の常識がおかしすぎるだけだ」
と、砲長は告げるが、そうはいっても私は悔しい。千載一遇のチャンスを、むざむざと逃してしまった。
あたりを見渡すが、濃くなった雲の中に残りの2隻は紛れ込んでしまった。もはや、どのあたりにいるかすらもわからない。
ふと反対側に目を移すと、上がってきたフロマージュ軍の空中戦艦がようやく同じ高度まで到達しつつあった。我が艦に向けて3隻、フロマージュ軍の駐屯地上空に2隻が展開しつつある。
そのうちの一隻が、こちらに向けて発光信号を送ってくる。
「なんと?」
「ええと……直ちに、敵艦を、追撃せよ、と言ってるようですが」
「なんだ、今さら上がってきて、いうことはそれだけか」
砲長がえらく不機嫌だ。そりゃまあ、そうだろうな。兵士に殴られた恨みは、まだ消えてはいない。
遅れて下からやってきて上から目線なその艦隊と合流しつつ、敵の探索を始める。が、何も見えない。しかしだ、私には敵は見えないものの、どこあたりに出現するかは大体予想がつく。
敵はラーヴァ級、すなわち戦闘爆撃艦だ。当然、その任務は我々ではなく、あの河岸に集結した膨大な数の陸軍に少しでもダメージを与えることだ。となれば、その集結地点に向けて焼夷弾をばら撒くつもりなのは明白だ。
ということは、河岸を渡り切ったあのあたりで、爆撃態勢に入るだろう。私ならばそうする。
しかもだ、いくら雲を隠れ蓑にしたところで、爆撃の際は降下せざるを得ない。まさか見えない相手に闇雲に投下するわけにはいかないから、必ず投下直前にゴンドラの下面だけでも顔を出す。
そこで私は、計算尺を滑らせ始める。メモにカリカリと計算値を書き出す私を見て、砲長が怪訝そうに言う。
「おい、まだ敵は現れていないぞ」
そんな砲長や、砲身のそばで待機する砲撃手らに私は言う。
「敵は爆撃の際に、必ず顔を出します。その出現予想位置は、フロマージュ軍の駐屯地の手前あたり。そこに現れた瞬間を狙い撃ちするのです」
「いや、その位置がどこかなど、さすがに予測できんぞ」
「ですが、時限信管時間と火薬袋の装填は事前にできるでしょう。現れた位置に合わせて、仰角と方角を微調整すればいいんです」
「おい、そんな無茶な戦法、聞いたことないぞ」
「でなきゃ、地上にいる数百、数千の兵士の命が失われるだけですよ」
私のこの言葉に、砲長も反論できない。
「やってやろうじゃねえか。どのみち、周りにいるフロマージュの連中では、敵艦を沈められねえんだ。この計算士の勘に賭けようじゃねえか」
そんな私を、キヴェコスキ兵曹長が援護してくれる。
「……まあ、その通りだな。よし、装填準備にかかれ。カルヒネン曹長、信管と火薬量、おおよその方角を算出せよ」
「了解であります!」
砲長の理解を得た。私は計算尺片手に、敵の出現予想位置での弾着地点を目標とする弾道計算に入る。
雲の下にいる分、こちらは高度が低い。その分を加味し、かつ距離、上層気流の速度、その他の気象条件を入れ込んだ計算をこなす。カリカリと響く鉛筆に、この砲撃室にいる皆の視線が向けられる。
「火薬7袋、信管時間28秒! 右25度、仰角44度で待機!」
私の計算結果を聞いて、すぐさま砲撃手が動き出す。砲身に弾頭と火薬を詰め込むと、すぐさまハンドルを回して所定位置に砲身を向ける。
私は望遠鏡でその弾着地点を凝視する。まだ、何も見えない。観測員からも、報告はない。だが、そろそろ敵も動くはずだ。そう確信する私は、辛抱強くその瞬間を待つ。
先に見つけたのは、観測員だった。
『方位、右32度! 距離6600!』
私は観測員の報告を聞いて、望遠鏡を向けた。すぐさま、メモ上の値を書き換える。
「右32度、仰角42度!」
「右に7度、下に2度だ!」
私の指示を聞いて、兵曹長が補正値を叫ぶ。すぐさまハンドルが回され、砲身の先を、わずかに垣間見えた敵艦のゴンドラに向けられる。
「撃てーっ!」
砲長の合図と共に、再び轟音が響く。ドドーンと25サブメルテ口径の主砲が火を噴いた。
と同時に、1000メルテほど上空にいる敵艦に、砲弾が吸いこまれるように飛んでいく。その敵艦のゴンドラに望遠鏡を向ける。
まさにその敵艦は、弾倉を開き爆撃態勢に入ろうとしていた。我が艦ヴェテヒネンも一時、戦闘爆撃艦の役目を担ったことがあるが、こちらの焼夷弾は剥き出しだった。が、あちらは最初から爆撃艦として設計されていることから、弾倉がついている。その蓋の内側からは、まさしく地上に展開するフロマージュ陸軍を焼き尽くすべく、高密度な発火燃料が込められた黒い円筒状の物体が姿を現す。
が、それらが焼き尽くすのは、地上に展開する兵士たちではなかった。
『だんちゃーく、今!』
その弾倉が開き、まさにフロマージュ軍を狙い定めたその艦に、ヴェテヒネンの放った砲弾が着弾する。空中で炸裂した散弾の、そのうちの何発かがその焼夷弾をむき出しにしたゴンドラに命中する。
剥き出しになった焼夷弾は、彼らの意図に反してその場で発火し始めた。
猛烈な業火が、ゴンドラをあっという間に覆い尽くす。当然、そこにいた者たちはその数千度もの灼熱にさらされたことだろう。彼らがこの世にいたことを示す痕跡ごと、その炎は一瞬で焼いた。
あっという間だった。気嚢よりも先に焼夷弾が燃え盛ったため、その上の水素による炎などおまけにしか見えない。巨大な炎の塊は放物線を描きながら落下し続け、そして大河の水面の上に広がる。
水の上でも燃え続けるその炎に、それを仕掛けた我々ですらも驚愕する。あの炎は、ついさっきまで300メルテを超える大型の船体を持つ空中艦だったはずだ。それがただの紅蓮の炎に変わり果て、燃え尽きようとしている。
が、見とれている場合ではない。そういえばまだ、もう一隻残っていた。
「砲長! もう一隻の場所を!」
私は我に返って再び雲の方に望遠鏡を向けた。すると、思わぬ光景が目に飛び込む。
雲の中から、黒い円筒状の塊がいくつも落下する。それはやがて、ヴォールゴ河の水面に叩きつけられ、炎を上げる。
最初、何が起きたのか理解できなかった。が、あれはつまり、最後の一隻のラーヴァ級が攻撃を恐れて焼夷弾を放棄し、逃走に転じた結果なのだろうと推測する。実際、もう一隻はその後、姿を現すことなく消えていった。
『フロマージュ軍より通信! 周囲に敵影なし、直ちに帰投せよ、以上!』
それから30分後に、フロマージュ軍の司令部から戦闘終了が告げられた。発達した雲は雨を降らせていたが、その降り頻る雨の中、我々は地上に着陸する。
ドックがないため、地上に打ち込まれた2本の支柱の間に張られたワイヤーめがけて、こちらの砲身を引っ掛ける。以前、戦艦ロイスタヴァ・クーヴォラでやった方法だ。停止した我が艦を、地上にいる重機が地上に引き寄せて移動し、バラストをつけて固定する。こんな具合に、次々と空中艦を収容していく。
あっけない戦いだった。最初に敵を視認してから戦闘終了の宣言までは、わずか1時間ほどだ。その間に、わがヴェテヒネンは2隻を撃沈。これが今回の戦いにおける唯一の戦果だった。
「よく、やった。司令官閣下も、お喜びだ」
降りしきる雨の中、我々を迎えたのはあのイーサルミ語を話せる参謀、マスカール少佐だった。殴られる砲長を制止して以来、またこの参謀と顔を合わせることになった。にしても、この士官はいつの間に我々に追いついたんだ?
「やはり、あの青い帯を、貴艦につけて、正解だった。此度の戦い、感謝する」
やや辿々しいイーサルミ語からは、傲慢さなどは感じられない素直な感謝の言葉だった。もっとも、その帯のおかげで敵に集中的に狙われてしまったのは間違いないのだが。
そんな目立つ姿のまま、敵をどうにか排除できた。その甲斐あってか、我々にはこの駐屯地で高待遇を受けることとなる。すなわち、28人分の個室テントを与えられた。
そのおかげで、私は砲長との夜を過ごす羽目になる。
◇◇◇
青色の帯をつけた艦が、3隻のうち2隻を正確に狙い撃ちし、沈めた。しかも一隻は、雲の中にいながら狙撃された。
帰還した生き残りのラーヴァ級の乗員らからは、オレンブルク軍の司令官はその艦の戦闘力を知ることとなる。全く信じ難いことではあるが、この艦の乗員が違わず同じことを述べている以上、それが事実と考えるほかない。
もっとも、オレンブルク側もその報告を聞くのは初めてではない。
すでにこれまでにも、高い命中率で友軍の空中艦を狙い、神業的な精度の砲撃を加えてくるイーサルミの空中戦艦の報告を、何度も聞かされていた。
だが、今度の戦いでは、その相手は目立つ青い色の帯を気嚢に描いて現れた。
この青い帯をつけた艦が、まさにあの噂のイーサルミの艦なのだろう。オレンブルク側ではそう理解する。
「おとり役」として目立たせるための模様が、その狙いに反して、オレンブルクにはむしろ脅威の象徴に変わることとなる。
ところで、数百年も昔のこと。オレンブルクの海にはかつて、無敗無敵と恐れられた海賊が暴れ回っていた。
その海賊の頭領の名は、ヒルベルト・バルケネンデ。狙った商船は見逃さない、捕縛するとその積荷を全て奪い取った上で、船員も5人だけを残して他は全て惨殺するという、非情なまでの所業を繰り返していた。
なぜ、5人だけ生かすのかといえば、自らの恐怖を植え付けた後に、それを陸の者に喧伝させるためだという。
この海賊の頭領は、青色の首をしていた。頭領を示す目印として、当時としては高価だった青色の染料で染めたスカーフを巻いていたからだ。
それゆえに、この海賊の長はこう呼ばれていた。「青首海賊王ヒル」(ブリューネック・パイレーツ・ヒル)と。
その故事に倣い、いつしかオレンブルク兵の間でヴェテヒネンはこう呼ばれることとなる。
「青首の空中戦艦」、略して「青首」と。




