#4 阻止
「敵艦隊までの距離は!?」
『およそ8300! サラトフ級を先頭に、我が艦の方向に向かってきます!』
敵は我々の予想通り、カヤーニの方へと向かってきた。
ところが、もう一つの問題が我々にのしかかる。
ヴェテヒネン1隻で、あの3隻の相手をしなくてはならない、という問題だ。
「砲撃室より艦橋。増援の味方艦はいないのか?」
『こちら艦橋。現在、戦艦イクトゥルソ、ズヴェアボルグがこちらへ急行中との報が入った。ただし、もっとも近くにいるイクトゥルソでも距離110サンメルテ離れており、あと1時間はかかるとのことだ』
副長の返答から察するに、援軍が間に合わないことははっきりした。1時間も待機していたら、やつらはカヤーニに到達してしまう。
『総員に告ぐ。これより我が艦は単独で敵艦隊への攻撃を敢行する。目標は、敵艦隊撃滅、カヤーニ市への爆撃阻止だ。各員、自らの持ち場にて最善を尽くせ』
伝声管から、艦長の声が響く。それを受けて、砲撃室内が慌ただしくなる。
「よし、今度も一撃で沈めるぞ! おい計算士、頼んだぜ!」
と、私の肩をドンと叩くのは、キヴェコスキ兵曹長だ。その気合いの大きさはよく理解したが、おかげで危うく計算尺を落としそうになった。あまり力を入れないでほしい。
「砲撃室より艦橋、最初の標的艦の指示を乞う」
砲長が艦橋に、あの3隻の内、最初に攻撃すべき艦を尋ねる。撃ち合いを想定するならば戦艦級が先だろうと思うが、こちらは単艦で相手は3隻。1隻でも多くの爆撃艦を沈めておけば、被害を最小に抑えられる。
悩ましいところだ。私ならば爆撃艦を選ぶだろうか。ところが我が艦の指揮官が指示した目標は、戦艦だった。
『サラトフ級を第一目標とする。射程の7800メルテに入り次第、砲撃を開始せよ』
前回は8200メルテから砲撃を行った。が、あれは追い風だったからできた芸当であり、むしろ向かい風となる今回は、引きつけてからの攻撃に徹するしかない。
とはいえ、こちらも余裕がない。敵艦隊も転舵回頭を終えたならば、全速運転に移行するだろうことは疑いない。一度、我々の前を追い越されれば、もはや追撃もままならない。
『まもなく、先頭艦までの距離、7800メルテ!』
などと考えている間に、敵を射程内に捉えつつある。私は紙と鉛筆を取り出し、望遠鏡で敵艦隊の先頭を見る。
こちらはまだ雲の中にいるから、その姿はぼんやりとしている。だが、その位置はこの状態でも測ることはできる。私は敵艦までの方角を確認すると、すぐに計算に入る。
距離7800、やや左寄りの向かい風が毎秒20、相対速度は200、高度差は500……弾道計算式とその補正項にこれらを叩き込み、それを手に持った計算尺が砲身の向きと火薬量へと変えていく。最後に望遠鏡を覗き込み、最終チェックを行う。
「砲長! 仰角45、艦主軸右方向12.7度、装填火薬7袋、時限信管設定35秒!」
私が数値を読み上げると、すぐに砲撃手が尾栓を開く。ジリジリと時限信管の値を設定する音が聞こえてくる。その弾頭を砲身に突っ込むと、火薬袋が放り込まれる。
「よっしゃ、今度も初弾命中だ。まわせーっ!」
キヴェコスキ兵曹長が気合を入れ、ハンドルを回し始める。ガコンガコンと回る25サブメルテの砲身が、空へと向けられる。
「射撃用意よし!」
「砲撃始め、撃てーっ!」
ズズーンという音が鳴り響き、重い砲身の先端から火が噴き出した。一瞬、砲撃室のあるこのゴンドラが揺れる。その揺り返しの中、私は敵の艦隊を望遠鏡で見る。
が、信じがたい動きを、敵はとり始めていた。
『敵艦隊、回避運動!』
こちらの砲撃と同時に、舵を切り始めた。それを見た私は、愕然とする。
(かわされた……)
てっきり、敵はこちらに気づいていないと思い込んでいた。が、敵はこちらが待ち伏せているのを承知の上で、敢えて転進を行ったのだ。だから、砲撃と同時に敵は回避運動を始める。
「砲身、もどーせー! 第2射用意!」
それは砲長も悟ったようで、すぐに第2射の発射準備にかかる。私もすぐに計算に入る。
敵の艦隊は偏西風の追い風に乗り、徐々に速度を上げつつある。おまけに、回避運動を始めた。敵の追撃に残された時間が短い上に、不確定要素は増大した。
敵が面舵をとると仮定して、私は計算を始める。増速度は毎秒5、敵までの距離が7600、角度、風向……計算尺を動かし、滑尺の端の目盛りが示す値を読み取ってはカリカリと紙に記入する。再度、望遠鏡で敵を見る。
が、その敵艦からパッと二つの光が放たれるのが見えた。その直後、伝声管から航海長の声が伝わってくる。
『回避運動! とーりかーじいっぱーい!』
なんてことだ、敵艦の発砲で、こちらまで向きを変え始めてしまった。ギシギシと軋み音をたてるゴンドラを支える無数のロープ、その隙間から望遠鏡で敵の先頭にいる戦艦を見定める。
あちらも、取り舵をとっている。まもなく、敵は逆方向に舵を切るだろう。そう予測した私は、先ほどの値に自艦の方角を補正値として足す。
「仰角42.3、艦主軸右方向43.1度、装填火薬7、時限信管設定32秒!」
それを待ち侘びていた砲長が、すぐに装填を指示する。
「信管設定、急げ! 敵がまた撃ってくるぞ!」
「弾頭装填、火薬袋急げ!」
尾栓はすでに開かれており、先ほどの砲撃の燃えカスが床に散乱している。その上から砲弾と火薬袋が詰め込まれていく。尾栓を閉じ、再び砲身が回り出す。
「仰角42、右43.1度! 射撃用意よし!」
「よしっ、撃てーっ!」
砲長の号令と共に、主砲が再び火を噴いた。私はすぐに敵の戦艦を見る。
読み通り、ちょうど敵は面舵をとり始めていた。後方の爆撃艦2隻も、それに追従するように進路を変え始めている。この回避運動のおかげで、3隻の敵は思うように増速できていない。
しかし、だ。私は望遠鏡を覗きながら、一つの大きなミスを認識する。
艦の角度が、変わり過ぎている。
予想以上に動いてしまったため、砲撃角度が想定よりずれてしまった。
『だんちゃーく、今!』
当然だが、観測員の弾着時間の読み上げの後にも、敵艦は健在のままだ。萎む様子もない。つまり、第2射も外したことになる。
「命中率5パーセントの世界だ、20発撃てば、1発当たる。次に備えよ」
砲長がそう檄を飛ばし、再び戻された砲身の尾栓が開かれる。中の燃えカスが取り除かれる間、私は再び計算に入る。
とにかく、一度砲撃戦が始まると、敵も味方も回避運動をするために動き始める。それが不確定要素となり、大きな誤差としてのしかかり、計算を狂わせる。刻一刻と変わる敵と味方のこの位置のずれに置いて行かれまいとしがみつくのだが、私の計算尺での算術速度をもってしてもなかなか追いつけない。
『敵艦発砲!』
『おもーかーじ!』
さらに厄介なことがある。敵の砲が2門あるということだ。
あちらは当初の一斉射撃から交互撃ち方、つまり2門を交互に砲撃する攻撃方法に切り替えてきた。ということは、こちらは相手の倍は回避運動をしなくてはならないということになる。
それが、余計に計算誤差を増やすことになる。
「仰角33.4度、右11.3度、装填火薬5、時限信管22秒!」
こちらが指示する値からも、徐々に敵が接近していることを示している。だが、その分敵も近づいているわけで、あちらの砲弾も早く到達する。
時折、ドーンと散弾の炸裂音が響いてくる。が、幸いにも炸裂した無数の弾は当たっていない。あちらの計算士の腕は、大したことはないらしい。が、それでも20発放たれれば、1発は当たる確率だ。油断できない。
「おい、もう7発目だぞ、そろそろ当てられねえのかよ!」
そんな不確定な状況での砲撃戦で、キヴェコスキ兵曹長の口から不平がもれ始める。明らかにこちらへ向けられたその不満が、私自身に大きなプレッシャーとしてのしかかり始める。
「文句を言っている場合ではない。砲身戻せ。第8射用意」
それを冷静に返し、指示を出す砲長。そういえば砲長は一度、別の艦で撃沈の憂き目に遭ったと聞いたことがある。幸いにも残浮力で不時着したというが、乗員の半分が戦死したと聞いた。
そんな惨状の経験があるからだろう、この状況でも冷静でいられるようだ。私は気を取り直し、砲長に意見具申を求める。
「計算士、意見具申」
いきなりの意見具申で、あの砲長ですらも少し表情が曇る。周りにいる砲撃手は言うまでもない。が、砲長は私にこう返す。
「具申、許可する。なんだ」
「回避運動を一時、止めていただけないでしょうか?」
「なんだと?」
私のこの意見に、さすがの砲長もたじろいだ。
「一撃だけでも、不確定要素を減らしてくれればなんとか狙えます。そのためには、砲撃の瞬間までは回避運動を止めていただきたいのです」
「いや待て、そんなことをすれば、我々に弾が当たることになるぞ」
「敵は回避運動を予測して砲撃しております。ならば、一度だけ回避をやめただけであれば、その予測を外すことになります」
「だが、さすがに回避運動を止めるというのはだな……」
私は砲長を説得する。が、一度撃沈を経験した砲長だからだろうか、この意見具申にはどうしても応じてはもらえない。このまま、不確定な戦いを続けるしかないのか。私は自身の意見を取り下げるしかないと諦めた、その時だった。
意外な人物が、砲長にこう告げたのだ。
「砲長。もしかしたらこいつが沈むかもしれません。が、あれを撃ち漏らせば、カヤーニに住む7万の住人から多くが死ぬことになるんですぜ。それに俺も、そろそろ外すのには飽きてきましたよ」
私の援護に入ったのは、さっきまで私に不平を漏らしていたキヴェコスキ兵曹長だった。それを聞いた砲長が、こう答える。
「……その通りだな。わかった、艦長に意見具申してみる」
そう砲長が告げると、すぐに伝声管に向かう。
「砲撃室より艦橋、砲長、意見具申」
『こちら副長だ。具申、許可する』
「砲撃精度確保のため、一度だけ回避運動を止めていただけませんか?」
この問いかけに、しばらく返答がこない。無茶な要求だ、艦長と副長も先ほどの砲長と同様、この意見具申に面食らっているところだろう。
『……つまり、次は当てるということか?』
「その通りです、副長」
『了解した、貴官の意見を許可する。タイミングはそちらに任せる、伝声管でこちらに知らせよ』
なんと、意見が許可された。私はすぐに望遠鏡を覗き込み、敵艦の位置を割り出すと、すぐに計算に入る。
『敵の先頭艦までの距離4100、相対速力300、方角33.2度!』
観測員が、より正確な値を知らせてくれた。私はそれを聞いて、すぐに放物線運動の式に入れる。計算尺がシャーっと音を立てて滑る。
実は、砲術計算士は計算によって出てきた値を、そのまま答えとして伝えているわけではない。最後に目視で敵を確認した後、補正値を加えることが多い。
これは、計算士としての直感で決まる値だ。計算だけではわからない、肌感で決まる値とでも言うのだろうか。これまでの7発の砲撃で得られた敵の回避の癖や風の具合を、その直感的補正値に載せる。私は望遠鏡で敵の位置を確認し、その直感の値を足し合わせた値を読み上げる。
「仰角23.7度、右22.5度、装填火薬5、時限信管19秒!」
「砲撃室より艦橋! 回避運動停止!」
「時限信管、設定急げ!」
室内が慌ただしくなる。私は計算尺を握りしめ、望遠鏡で敵を凝視する。
敵の一門が火を噴いた。が、回避運動は行われない。その間にも、我がヴェテヒネンの砲身は敵艦の方へと向けられる。
「射撃用意よし!」
「第8射、撃てーっ!」
ドーンという砲撃音、主砲身の先端からの火花、そしてその後の反動が砲撃室を襲う。この五感を揺さぶる衝撃の直後に、伝声管から叫び声が響く。
『回避運動、とーりかーじいっぱーい!』
砲撃が終わり、すぐに回避運動が開始される。砲身が戻される中、この砲撃室の窓を揺さぶる音が響く。
ドーンと言うその音は、明らかに敵からの砲撃弾の散弾が炸裂する音だった。これまでで、一番近い。その直後に、ビシビシと何かが空を切る音が響いた。
散弾が、すぐ近くを過っている。回避運動を一時的に止めたため、敵の弾がこれほど近くまで飛んできた。私は背筋が凍るような思いをする。
が、ほどなくして、今度は我々の弾が着弾する時間を迎える。
『だんちゃーく、今!』
これほど肝を冷やす思いをしたんだ、当たってくれと、私は計算尺を握りしめながら願う。が、その観測員の弾着合図の直後、信じられない光景が目に飛び込んでくる。
「な……なんだ!?」
敵の戦艦が、いきなり眩く光り始める。真っ白な光に包まれた敵の艦は、その直後に今度は赤い炎に変わる。
何事かと、砲身戻しの作業中だった砲撃手の手も止まる。未だかつて見たことのない光景、敵の戦艦が火だるまに変わるというこの異様な事態に、さすがの砲撃手も手が止まる。
が、悲劇はそれで、終わらない。
密集隊形で航行していたすぐ後ろの爆撃艦も、その炎の巻き添えを食らう。するとその爆撃艦までもが、真っ白な光を一瞬放ち、炎の塊に変わる。その直後には、おそらくは積んでいた焼夷弾に引火したのだろう、小さな光の球が連続的に現れて、落ちていく。
最後尾の爆撃艦は、辛うじてそれをかわした。大きく進路を変え、炎から逃げるように離脱を始める。
「……ほ、砲身戻せ、あと一隻を追撃する」
砲長のこの言葉で、我に返る砲撃室の乗員たち。私も再び望遠鏡を取り出して、逃げる爆撃艦の位置を探る。
「あれはきっと、水素だな」
その傍で、砲長がそう呟くのが聞こえた。私も薄々は感じていたが、やはりあれは水素による爆発だ。
オレンブルクでは備蓄ヘリウムが枯渇して、ついに水素に手を出した。その噂はそれとなく聞いていたが、あれほどの爆発を見せつけられると、その苛烈なる現実を思い知らされることとなる。
「仰角33.6、左7.1、装填火薬6、時限信管22秒!」
ともかく、敵の戦艦は消滅した。その結果、回避運動は不要になる。不確定要素は、敵の回避運動のみとなる。
が、先ほどのあの光景のショックが大きかったのだろう。そんな鈍足な敵相手に、一発も当てられない。ただし、敵は爆撃を諦めて、大量の焼夷弾を投棄する。爆撃の阻止には成功した。
結局、このペロルシカ級は逃してしまった。とは言え、たった1隻で3隻の空中艦隊に立ち向かい、内2隻を撃沈し爆撃を阻止した。大いなる戦果だ。
一方で、我々の被害はといえば、至近距離で受けた散弾により、ゴンドラを吊るすロープの内、三本が切られただけだ。怪我人もおらず、回避運動のやり過ぎでマリッタが船酔いを起こした程度で済んだ。
だが、私はどことなく、心が重い。
あの大型の飛行船の紡錘形の船体が、一瞬で真っ白な炎に包まれて、まるで燃やされた紙束のように散り散りになって落ちていく光景が、目に焼き付いて離れない。いくら敵とはいえ、その惨状に言葉を失う。
なんとも後味の悪い、勝利だった。