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計算士と空中戦艦  作者: ディープタイピング
第3部 侵攻作戦編
39/72

#39 河岸

「抜錨、ヴェテヒネン、発進する!」


 繋留錘(バラスト)が切り離され、大きな気嚢(きのう)を持つ我が空中艦は、その気嚢のど真ん中に描かれた鮮やかな青い帯を見せびらかしつつ空へと舞い上がる。

 換装された機関が、いつもとは違う音を奏でている。いつもはドッドッというハンマーで木材を叩いたような腹に響く音だったが、今はまるで空き缶をたたくような軽い音が小刻みに響く。力強さに欠ける音だが、その感覚とは裏腹に、ゴンドラを押し出す力はいつになく強い。

 まるで空気を押しのけるように突き進む新生ヴェテヒネンはスァリツィンクス近郊の森へと入り、やがて褐色の台地が広がる場所へと差し掛かる。

 私はといえば、いつもの砲撃室ではなく艦橋に立っている。無論、計算士としてやるべきことがあってここにいる。


「まもなく、『風の河』領域に入ります!」


 観測士の一人が、望遠鏡で周囲の地形と地図とを照合しつつ叫ぶ。その発生と同時に艦内には、緊張が走る。

 ヴェテヒネンの気嚢の前端部には、風向、風速を知るために小さな風車がついている。通常は進行方向を向くこの風車だが、不意にそれは大きく左側へと向きを変える。

 次の瞬間、ドンという音とともに船体が傾く。


「速力130サンメルテ! 風向33度!」


 その風車の角度と、現在のヴェテヒネンの速力とが知らされる。私は大急ぎで計算尺を滑らせ、補正値を算出する。


「面舵26度、増速30サンメルテ!」

「おもーかーじ!」


 即座に航海士が舵を右に切る。続けて、軽い音を奏でる機関の回転数の引き上げ指示が出る。


「機関室! 機関増速、第二戦速(だいふたせんそく)!」

『第二せんそーく!』


 すると、あの軽やかで頼りない機関音が、急に勢いよくうなり出す。ババババッという何かをはたいたような音を出したかと思うと、風に流されつつあったヴェテヒネンの船首を力強くねじ伏せる。前方の風車も、まっすぐ前向きに変わる。

 「風の河」と呼ばれるこの空域は、オレンブルクの複雑な山地形がもたらす突風の吹き荒れる場所。飛行船泣かせなこの空域を超えるには、この突風の強さに合わせて舵を切り、力任せに突っ切るほかはない。

 実は西側、つまりオレンブルクからイーサルミの方向へ向かう際は、この突風のなすがままに流されていればいい。問題は、イーサルミからオレンブルク皇都イヴァノヴォグラードへ向かう東側に進む場合だ。向かい風な上に、その流された先には高さ5000メルテ級の山脈が立ちはだかる。

 では、オレンブルク軍はここをどう乗り越えているのか? といえば、彼らは風が比較的弱い地上すれすれを飛行する。が、我々が同じことをすれば、地上に潜む敵兵に狙い撃ちされる可能性がある。それゆえに、1000メルテ以上の高度を保ったまま、この風の河を渡らなくてはならない。

 さてこの風の河だが、予想以上に厄介な存在だ。目前の風車が、急に首を振る。と同時に、まるで気嚢のどてっ腹に殴り掛かられたかのような衝撃が伝わり、ゴンドラがガツンと揺れる。

 

「風向き、変わります! 風向き21度!」


 そう、この風の河はすぐに向きが変わる。見えない渦があり、少し進むと風向きが変わってしまうのだ。猛烈な上に不安定とくれば、厄介極まりない。


「取舵11度! 速力そのまま!」

「とーりかーじ!」


 やや左に舵を切ると、再び風車がまっすぐ前を向く。が、これも長続きはしないだろう。

 噂には聞いていたが、想像以上に厄介な場所だ。向きが変わるたびに、私は計算尺を滑らせて補正値を告げなくてはならない。


「風向き7度!」


 それにしても、ころころと向きを変わるものだ。そのたびに、このゴンドラにたたきつけるような衝動が伝わってくる。が、今度は補正値が小さかったため、航海士の操作だけでまっすぐ船体を風上方向に立てることができた。しかしここは、よく揺れる。

 ちらりと、調理場の方を見る。青ざめた顔で、マリッタが窓際に立っているのが見える。あ、窓際でうつむいたぞ。多分、吐いたな。船酔い体質のマリッタだから、この揺れにはとても耐えられない様子だ。

 が、我々はこの場を乗り越えなくてはならない。青ざめるマリッタをよそに、私は計算尺を滑らせてヴェテヒネンの舵の向きを算出し、それを聞いた航海士が正確に舵を切り続ける。

 そんな我慢の時間が、30分ほど続いた。


「風の河、抜けました!」


 風切りの音が消えて、甲高い機関音だけが響き渡る。ようやく船の揺れが収まり、風車もまっすぐ前のみを向いている。

 いつもと違う方向を向いているのは、青い顔をして下向きのままのマリッタくらいのものだ。


「うげぇ……帰りも、あそこを通るのかな……」


 これほど飛行船乗りに向いていない人物が、頑なに空中戦艦に乗り続ける理由が私には理解できない。マリッタほどの料理の腕があれば、何も空中戦艦でなくても活躍の場はあるだろうに。


「おい、しっかりしろ。この程度の揺れでこの調子じゃあ、こんな船には乗れねえぞ」


 そんなマリッタの背中をさすりながら介抱しているのは、キヴェコスキ兵曹長だ。しかしマリッタが、そんな兵曹長の言葉に耳を貸したことなど一度もない。だからこそ、マリッタは酔う度にいつも兵曹長から同じセリフを言われ続けている。

 そんなマリッタに、無配慮なことを言い出す者もいる。


「ともかく、無事に風の河を超えられた。問題は、次の『河』だな」

「えっ、まだ河があるんですかぁ!?」


 砲長が意味ありげにこう呟くものだから、マリッタが青い顔をさらに青く染めながら愕然としている。が、幸か不幸か、マリッタが心配するような場所ではない。

 それは、文字通りの「河」だからだ。


 「ヴォールゴ河」という名の、大河がある。

 イーサルミ王国とオレンブルク連合皇国の皇都イヴァノヴォグラードとの中間地点には、まるで湖と見まごうような大きな河が立ちはだかる。この河を越えなくては、オレンブルクの皇都侵攻など夢のまた夢だ。

 その大河を越えるべく、フロマージュ軍が河岸に集結しつつある。我々の任務は、まさにそのフロマージュ軍の渡河作戦を支援することだ。

 が、私の脳裏に、スァリツィンクスでの出来事が過る。

 砲長に殴りかかったあの兵士らとその仲間も、この戦いに参戦するかもしれない。そんなやつらを支援するために我々は今、命をかけて戦おうというのだ。

 そのことに、どこかためらいや迷いを覚える。


「おい、どうしたんだ? なんか張り詰めた顔しちまってよ」


 そんな私の顔を見て、リーコネン上等兵が話しかけてくる。


「いや、なんでもない」

「んなこたぁねえだろう。どうせ、砲長を殴ったやつらのこと考えてたんだろう」


 こいつには図星なようだ。私はちらっと砲長の方を見る。まだ若干、左頬に殴られた跡がまだうっすらと残る。


「自らの欲望に任せて味方を殴るやつらを守ろうだなんて、ためらわない方がどうかしている」

「そうかぁ? それを言ったら、イーサルミにだって嫌なやつらは大勢いるぞ。俺なんて、貴族の令嬢に水をかけられたことだってあるんだぜ。だけど、そんな連中の盾となって戦うことに迷いはねえ」

「しかしだな、国が違えば守るべき理由がないだろう。たとえ嫌な貴族がいても、守るべき者が大勢いる故郷と、そもそも国が違うやつらとでは、比べるまでもない」

「それを言っちゃあ、この作戦だって結局は祖国を守るための戦いなんだろう。別にあの連中のために戦ってるわけじゃねえ、そう割り切りゃあ、なんてこたねえだろう」


 などと言いながらこいつは、また手元でカードを切っている。


「おっ、いいカードが出たぞ。『運命の輪』だ。つまりだな、今が絶好の転機ってことを示してるんだぜ。幸先いいなぁ、おい」


 相変わらずの能天気ぶりだ。あんな薄っぺらいカードの絵柄ひとつに歓喜している。だいたい、転機といっても良い方向に行くとは限らない。悪い方向にだって変わりうる。そういう可能性は一切考えないのか、こいつは。

 風の濁流を乗り切ったその先は、嘘のように静かだ。この凪いだ空を、我が艦は高度2000メルテを保ちつつ、巡航速力で突き進む。

 地上を見れば、自走砲車両を率いて進む歩兵集団が見える。軍服の色からそれがフロマージュ軍の一隊であることはわかった。まさにこれから行われる作戦に参加するため、行軍しているのだろうことは明白だ。

 そしてその先の、少し(もや)がかかった森の向こうに、海岸のような場所が見える。いや、こんな内陸に海などあるはずがない。ただ、向こう岸が見えないほど幅広い河がそこにあるということを暗に示している。私は、砲撃室の中央にある支柱に掲げられた地図を見る。

 その地図上、山脈を超えたところに、水色の筋が描かれている。その脇には「ヴォールゴ河」という文字が併記される。つまり、あれが目的地だ。


「ようやく着いたようだな」


 キヴェコスキ兵曹長が、両手にそれぞれ火薬袋を抱えながら私のそばでそう呟いた。というか、なぜ火薬袋を? と以前ならば思ったが、この兵曹長はあれを筋力鍛錬のための重石としてこれを用いることを日課としている。物騒だからやめてほしいと思わなくなったのは、もう何ヶ月前のことだろうか。

 一方の砲長はといえば、寡黙としてしかめっ面のまま、その河岸の方向を見ている。そりゃあ殴られた相手と同じ連中があそこに集まっていると思うと、心穏やかでないのは当然だ。と、私も窓からその大河の岸を眺める。

 随分と薄茶色な河岸だ。河岸としては別段おかしな色ではないのだが、あまりにもそれが単一すぎるというのか、一言でいえば不自然極まりない。

 その理由は、近づくにつれて明らかになる。

 カーキ色のテント、カーキ色の軍服、軍帽の兵士らで、埋め尽くされている。

 もちろん、密集しているわけではないのだが、あまりのフロマージュ軍兵士とテントの多さに、フロマージュ陸軍の基本色であるカーキ色でおおわれているように見えてしまう。高度を500メルテまで下げた我が艦から見下ろすと、まるでカビに覆われた岩肌のようにも見える。

 そんな河岸をじっと見つめているのは、砲長だ。

 なにせ、あの軍服色には思うところが多すぎる人だ、きっと心穏やかではないはず。私はそっと腕に手を乗せ、何かを言おうとする。


「はぁ……」


 が、砲長のため息の方が先に出てしまったため、声をかけるタイミングを逸してしまう。が、その砲長はこの後、こう言い放った。


「やはり、まともな宿舎などはないのか。ということは、しばらくは禁欲の日々なのか……」


 何を言い出すのかと思ったら、砲長の関心事は私の想像のはるか下を行っていた。なんてことだ、あの河岸でいかがわしいことをしようと考えていたのか、この男は。


「砲長、この非常時に何を考えておられるのですか!」


 私は思わず言い返す。が、砲長は私の顔を見るなり、こう言う。


「何言ってるんだ。お前だってあの南方での大作戦前、シャトーヌフを出航する前の晩に、しばらく欲求を満たせないと散々不満を漏らしていたじゃないか。お前だって同じようなものだろう」

「な……そ、そんなこと、私が言うわけないじゃないですか」

「はっきりと言ったぞ。フロマージュ産のワイン片手に、俺にそう言ったんだ」


 なんだ、酒を飲んでいる時の私の言葉か。そんなもの、アテになるわけないだろう。全く記憶にないぞ。しかし、酔っている時の私と言うのは存外、大胆な性格ようだ。

 やれやれ、本心丸出しな男だ。仕方がない、あの河岸に着陸したらどこか人気のない場所やテントでも探してそこで……なんてことを考えていたら、伝声管から観測員の叫び声が飛んできた。


『艦影、視認! ラーヴァ級が3! 急速接近中!』


 それはこの大河の向こう側から、敵の戦闘爆撃艦が接近しつつあることを知らせるものだった。

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