#38 占領地
我々はフロマージュ軍が集結しているスァリツィンクスに到着した。激しい市街戦の跡が残るオレンブルクの残したドックへと降り立ったヴェテヒネンは、同じく戦闘跡が生々しく残る通りを歩く。
通りに向こうを見れば、民間人と思われる親子連れが、警備兵の合間を身を屈めながら通り過ぎる様子が目に入る。ここはまさに占領地。しかしこの街は、つい最近までイーサルミ王国とも関わりの深い地方都市だった。かつての同胞が、今や敵同士である。だから、イーサルミ軍の軍服を見る彼らの目が、どことなく冷たく感じる。
居心地の悪い街中をかい潜ってたどり着いた先は、ホテルを接収して設けられたフロマージュ軍司令部である。私と砲長、そして副長の3人は、通された会議室にて参謀の一人と面会する。
「遠路はるばる、ご苦労、だった」
少したどたどしいイーサルミ語で我々を出迎えるのは、マスカール少佐というフロマージュ軍司令部付きの参謀だ。その参謀は敬礼を交えつつ、訪れた我々にねぎらいの言葉を述べる。我々もそれに、返礼で応える。
その参謀は、私の胸元をちらっと見る。要するに、私の左胸につけられた2つの金色の勲章を確認しただけだ。決して、どこかの砲長のように身体そのものを見たいわけではない。
で、私の胸の勲章を一瞥した後に、この参謀はこんなことを言い出す。
「ヴェテヒネンには、おとり役を、担ってもらう」
あまりにストレートで、唐突なこの申し出に、副長が尋ねる。
「それは、どういう意味ですか?」
「言葉、通りだ。ヴェテヒネンの実力、アソンニオ島攻略戦で、実証済みだ。幾千もの兵が、貴官らの活躍で、救われた。その実力を、鑑みての、結論だ」
我々の戦果を持ち上げつつも、しかしそれは苛烈な決定をこの参謀は伝える。
「で、我々は何をすればよろしいのです?」
「気嚢に、青色の帯を描く。ただ、それだけだ」
さらっと告げられたこの一言だが、しかしこれは、かなり致命的な決定だ。通常は白い気嚢に、明るい青色の線をぐるりと一周、描くというのだ。他の艦と並び立てば、嫌でも目立つ。
「我が、フロマージュ空軍も、全力で貴官らを、支援することを約束する。キュッ デュウ ヴェニズ(神のご加護を)」
そう短く告げると、この参謀は再び敬礼する。我々もすぐに返礼すると、それを見届けた参謀は、足早に会議室を出ていった。
「やれやれ、厄介ごとを押し付けられたものだ」
副長が悪態を吐く。その気持ちは当然、私も砲長も抱いている。が、今はフロマージュ軍の指揮下にあり、その決定には逆らえない。
「どのみち、我々はいつもマークされる運命にあります。最初からそうなるだけ、という話でしょう」
私は副長にこう答えるが、無論、私だってその決定に納得しているわけではない。
相変わらず、民間人からの冷たい視線を浴びながら、ドックへと向かう3人。といっても、ここにはイーサルミ軍の軍服を着た者は我々以外にはいない。爆撃艦サウッコもドックに停泊しているが、あちらの乗員は軍司令部には呼び出されておらず、占領地のど真ん中を歩かされることはない。
ここスァリツィンクスは元々、交易の街だ。オレンブルクの主要都市とイーサルミ王国とを結ぶ、唯一の交易都市として発展した。
穀倉地帯を抱えるイーサルミ王国からは麦が、そしてオレンブルクからは鉄器や陶器、そして石炭などの燃料がこの街を経由して行き交った。そのまま、スァリツィンクスが交易の中心地として栄え続ける未来が続けばそれでよかったのに。この国は、どこでボタンを掛け違えてしまったのか。
イーサルミ王国が独立宣言をして以降、この街は物資の集積地から軍事拠点へと様変わりする。麦や鉄器は、兵士の食糧や兵器にとってかわられる。ありがたくもない物騒な鋼鉄製の機械ばかりが西へと向かい、西からは負傷した兵士たちが東へと歩いていく、そんな光景が繰り返されていたものと想像される。
で、今度は戦場となった。
詳しくは知らないが、あっさりと占拠できたと聞いている。これほどの街が、たった一日で落ちたというのだから、よほどフロマージュ軍が圧倒したと見える。10万もの兵を前に、さすがのオレンブルク軍も逃げ出したか。
おかげで民間人の犠牲もそれほどではなかったようだ。もっとも、散々オレンブルク軍の拠点として使いまわされた挙句、あっさりと捨てられたのだ。この街の人々の腹立たしさたるや、いかばかりのものか。
などと思いつつ、ヴェテヒネンの繋留されたドックへと戻ってみると、なにやら作業が始まっている。大きな刷毛を抱えた人物が3人ほど、ヴェテヒネンの気嚢の中央脇を大型クレーンのロープで吊るされて、何かを塗り始めている。
やがて彼らはヴェテヒネンの気嚢のど真ん中に、白い枠線と青い帯を描き始めた。ややくすんだ白色の気嚢の中央部が、明るい青色に染まっていく。
これほど目立つ色を塗られては、いやでも敵の目を引く。これが、フロマージュ軍司令部が我々に下した「おとり役」の具体的な施策だ。それを眺めていると、やはり腹立たしくなる。
「道化だな、これでは」
徐々に塗られていくあの青い帯を見上げながら、砲長がそう呟く。
「我がイーサルミ王国旗の基調色なことが、唯一の救いでしょうか」
「そんなことなど、敵から目立つことへの見返りとして、何の足しにもならんだろう」
ネガティブだな、この男は。私自身も腹が立っているし、気持ちは分かる。が、どうせ逆らえぬ決定ならば、ちょっとくらい前向きに考えようとは思わないんだろうか。
この先も、戦いが続く。後ろ向きな気持ちを抱えていたら、すぐにつぶれてしまいそうだ。
「ところで砲長」
「なんだ」
「あれが塗り終われば、我々はいよいよ出発なのですか?」
「いや、しばらくここに留まる。陸上での作戦に合わせて出撃することになるから、それまでは動けない」
「左様ですか。で、今回は魚雷だの焼夷弾だのを積まなくてもよろしいので?」
「命中精度抜群の艦なのだから、その分、砲弾を山ほど積めと言われたそうだ」
そうか。本来の空中戦艦として戦えと言われたのか。また焼夷弾を吊るされるなど、たまったものではない。
「とはいえ、この先では爆装もありうるとも言われたらしい」
ついその先の言葉を撤回するように、砲長がそう言いだした。
「なんですか、それは。我々は空戦のみをやれと命じられたのでは?」
「そうばかりもいかない。この先は、それこそトーチカや要塞砲を相手にすることになるかもしれん。それを貫くのは、散弾式では不可能だ。なんでも、フロマージュには新しい爆弾もあるらしい。それを搭載することになるかもしれないと、副長は聞かされたそうだ」
うーん、毎度のことだが、あまりにもこの艦に期待しすぎではないのか? フロマージュ軍の最新鋭艦と比べたら、やや遅れた装備が目立つ。砲は1門だし、機関もひと世代古い。おかげで速力ではフロマージュ軍の空中戦艦に劣り、ついていくのもやっとだ。そんな艦に、何を期待する。
などと思っていたのだが、なんとこのスァリツィンクスのドックで、機関が換装されることとなった。
青色に塗られる気嚢を眺めているうちに、その機関がトラックにのせられて運ばれてきた。
「すごい! フロマージュの最新型14気筒、1130馬力の機関『エーゲル3型』が2基も搭載されるなんて!」
と、やや興奮気味なのは、機関科のブルッキネン伍長だ。渋い銀色の機関が姿を現し、それがクレーンで釣り上げられるところを見て、さらに興奮の度合いを増していく。
私も機械好きな方だと自覚しているが、その真新しい機関を見ても、どこか冷めている。確かに機動力は増し、我が艦の行動を飛躍的に改善してくれるのだろうが、だから何だというのが正直なところだ。これが計算機だったら、話は別なのだが。
そんなヴェテヒネンのいじられっぷりを目の当たりにしつつ、私と砲長は街へ出る。占領地といっても、民間人は徐々に活動を始めている。元々はオレンブルク軍の駐屯地ということもあり、軍人を相手にした店が多く立ち並んでいるようだ。それらのいくつかは開いているようで、フロマージュ軍人が出入りする様子が見える。
そんな店の一つに、私と砲長は入ってみることにした。
「アキュリーェ……ああ、なんだ、イーサルミの者かい」
店員らしきおばさんが、私の軍服を見るなりそう言い放つ。ここはイーサルミからほど近いこともあって、言葉も通じるし、我々がイーサルミ王国の者だということも知っている。
「ええと、このお店、入ってもよろしいので?」
「かまわないよ。だってあんたら、あっち側の軍人なんだろう?」
そういいながら、店の奥に座るフロマージュ軍兵士らの方を見る。真昼間だというのに、ウォッカ片手に騒いでいる連中がそこにいた。
「席は空いてるところに。ああ、なるべくこっちの方がいいねぇ」
そういって、そのおばさんはフロマージュ兵士らの場所から離れた二人席を指差す。ややばつが悪そうに、私と砲長はその端の席に腰掛ける。
「堂々としてりゃいいだろう。あいつらと違って、あたしらとあんたらは元々は同胞なんだから」
「そうはいっても、3年前からは……」
「それはイヴァノヴォグラードの連中だろ。あたしらは、そいつらに食わせる飯を作らされていただけさ。あたしらからすれば、オレンブルクがフロマージュって国に変わっただけのこと。別にイーサルミを怨んだり、敵視したことはないよ」
そういうとそのおばさんは、皿とフォーク、スプーンを私と砲長の前に並べる。
「で、せっかく来てもらって悪いんだけど、今はこんなありさまでさ、ペスカトーレかカーシャしか出せないんだよ。どうする?」
「あ、ああ、じゃあそれをひとつづつで」
「あいよ」
やや不愛想なおばさん店員はそう告げると、奥の厨房に引き上げていった。
ここでは、どれほどの戦いが行われたのか。少なからず市街戦も行われ、あの店員も生命の危機に襲われたのかもしれない。窓枠の一部がとってつけたような板で覆われ、テーブルに残る弾痕がそれを物語る。
複雑な気分だな。つい3年前までは同胞だったが、それが敵同士となり、今は再び味方となった。といってもここは占領地で、彼らはフロマージュ軍からは敵方として見られたまま。とても以前と同じとはいかない。
やがて私の前には、やや具が少なめパスタと麦粥とが大皿に入って運ばれてきた。
まずはペスカトーレを大さじですくい取り、自身の皿に盛る。その脇に茶色のドロッとしたカーシャを盛り付ける。砲長も同様に、その2品の料理をそれぞれ自身の皿に盛りつけると、黙々と食べ始める。
奥では、兵士らが騒いでいる。それを横目で見ていると、なんだか場違いなところにいる感は否めない。さっさと食べて、この場を立ち去ろう……
と、突然、私は左腕をつかまれる。
見上げると、いつの間にか私のそばに、そのフロマージュ兵の一人がいた。
「シ ヴィアズ レガドゥヴィズアン、セスト ウム フェッメ!」
「セッヴェ、アヴェ モワイッヒ!」
向こう側のテーブルにいる兵士がこちらを見て何かを叫ぶ。どうやらやつらは私を女だと知り、連れて来いと言っているようだ。
理由は、たいしたことはないだろう。勝利で盛り上がっているところに、花を添えられそうなやつがやってきた。しかも、格下のイーサルミ軍の兵士だ。
だが、そんなわがままに付き合う義理は、こちらにはない。もちろん私は抵抗する。
「アレット!」(やめてください!)
だが、兵士らはやめない。私の手をつかんだまま、あちらのテーブルに連れて行こうとする。すると真向かいにいた砲長が、その兵士らの腕をつかんでこう言い放つ。
「アレッテサ!」
「クェル ニ サンス!」
だが酔ったその兵士も激高し、砲長の腕を振り払う。が、砲長は再びその兵士の腕をつかむ。すると、別の兵士が表れて砲長の肩をつかみ、それを引きはがしにかかる。
が、今度は私の腕をつかんだ男が、砲長に殴りにかかる。
一撃目はよけた。が、二撃目は無理だった。もう一人が、砲長の両肩をつかんだからだ。身動きの取れない砲長の頬に拳がぶち当たる。酔った相手だから、足元がおぼつかず、そのパンチも思ったより力が入っていない。とはいえ、かなりの痛みを伴うことには変わりない。
まずいぞ、大事になってきた。残りの2人の兵士らも加勢すべく、こちらのテーブルへ歩み寄ってくる。砲長も軍人とはいえ、空中戦艦乗りだ。あちらはどう見ても陸軍兵士。酔っているとはいえ、接近戦闘の訓練を受けている陸兵相手ではどう考えても分が悪い。ましてや相手は、4人もいる。
困った、私には力がない。今あるのは計算尺だけだ。これを思いきり伸ばして、あの兵士の後ろに突き立てれば、多少の援護はできるかもしれない。だけどその時は、私にもその矛先が向く。それが私を躊躇させる。
しかしだ、酔った兵士の一人がさらにもう一撃加えようと砲長に手を振り上げている。もうためらっている余裕はない。そう私が考えて、シャッと計算尺を伸ばし、それを兵士の背中に突き立てようとした、まさにその時だ。
「アレッテサ!」(やめろ!)
流ちょうなフロマージュ語の叫び声が響く。兵士らと私、そして砲長はその声の方を見る。
フロマージュ軍の佐官であることを示す軍帽と飾緒をつけた軍服をまとうその人物が、店の入り口に立ちその4人の兵士らをにらみつけている。その後ろには、あのおばさんがいた。
そうか、あのおばさんが、近くにいたフロマージュ軍の士官に助けを求めてくれたのか。
「サヴェヴォシス キ サヴァイ パセラスィ ヴォイス デフォンズィオン デトレゥン デ メダリィ!?」
そのフロマージュ軍の佐官は、私の胸の勲章を指差しながら彼らに向かって叫ぶ。「勲章持ちに殴りかかると、どうなるのか分かってるのか」と言っている。私の左胸に輝くその金色のフロマージュ勲章を目にした兵士らの顔が、一気に青ざめる。そして私とその佐官に敬礼するや、4人はそそくさと外に出て行ってしまった。
「まったく、フロマージュの軍人と、あろう者が……」
するとこの佐官は、やや片言のイーサルミの言葉でつぶやく。その姿を見た私は、その人物が誰であるかを思い出す。
そうだ、この軍人はヴェテヒネンに青色の帯を塗ると我々に告げた、マスカール少佐だ。私と砲長は、この参謀に向かって敬礼する。
「ああ、かまわない。わが軍の、兵士が、迷惑かけた。必ず、処分する」
そう告げると、その参謀は我々に敬礼し、そして店員に何かを渡すと、そのまま出て行ってしまった。
「やれやれ、フロマージュの兵士らにも困ったものだよ。あんたらも同じ味方だっていうのに、なんて態度だろうねぇ」
憤慨するおばさんだが、その手には何枚かのフロマージュ銀貨が握られていた。さっき、あの少佐が渡したのはこの銀貨なのか。おそらくは、逃げ出した兵士らの食事代と、騒ぎを起こした迷惑料を加えて渡したものだろう。
それまで、あまりフロマージュに悪い印象を抱いたことはなかった。彼らは同胞であり、また同志だと思っていた。が、この時をきっかけに、私はフロマージュ軍への印象を変えざるを得なくなった。
占領地というところは、理不尽がはびこる無法地帯であることを思い知らされた。一方で、そんな中でも規律を忘れない軍人もいることを、私はこの一件で思い知ることとなる。




