#37 転戦
『地上軍、後退を開始!』
観測員が、地上の様子を伝えてくる。何ということだ。あの最精鋭で最強の、つい先ほどまで敵を圧倒していたあのフロマージュ軍が、撤退に追い込まれている。
これでは目前の要塞都市への攻略戦など不可能だ。いや、それどころか、遠征軍そのものが崩壊寸前だ。
もうこれ以上の犠牲を出すわけにはいかない。即座に撤退を決めたフロマージュ軍の判断は正しい。が、すでに犠牲が多過ぎる。
『地上軍の撤退を支援する!』
副長が伝声管で指示をしてくるが、もはや我が艦には残弾が3発しかない。
どうして、こうなった?
それは一か月半ほど前に遡る。
◇◇◇
「えっ、オレンブルク皇国内への侵攻ですか?」
「そうだ。我が国のキヴィネンマー要塞を経由して、オレンブルクに侵攻することが決まった」
「あの、どうしてオレンブルクに攻め入る必要があるんですか?」
「言わずとも分かるだろう。あれでいてオレンブルクは資源国だからな。東側同盟を瓦解させるには、オレンブルクからの資源輸出を断たなければならない。それが、西側同盟の各国協議で出された結論だ」
元々は、イーサルミ王国がオレンブルク連合皇国からの分離独立を掲げて起きた戦争だ。オレンブルクに侵攻するつもりなど毛頭ない。が、世界を巻き込んだこの戦争は、独立すら通り越してさらに拡大の一途である。
「で、どこを攻めるのです?」
「オレンブルク連合皇国の皇都、イヴァノヴォグラード……」
「えっ、皇都じゃないですか! そんな奥地まで攻め入るんですか!?」
「……の手前にある要塞都市、ネフスキヤヴォストークの攻略だ」
「どちらでも同じようなものです。せいぜい100サンメルテしか離れていないじゃないですか」
「ともかくだ、ここを堕とさなければ、東側同盟は屈服しない。それが、フロマージュ共和国側の見解だ」
オレンブルクという国は、この聖稜大陸の中では大国と言うほどの国ではないものの、面積だけは広い。聖稜大陸のほぼ半分が、オレンブルク連合皇国の領土だ。
といっても、東側に長いこの国の大半は針葉樹林と荒涼とした大地の広がる無人地帯だ。もっとも、この無人地帯の只中に、大量の資源が眠っている。
ヘリウム以外、石油や石炭、鉄や銅、スズといった鉱物類などが多く採掘されており、その資源量は南方大陸に引けを取らない。さらにスラヴォリオ王国との国境付近には穀倉地帯が広がり、麦の収穫量も多い。
人口の割に国土が広く、資源も多いことから、それがむしろスラヴォリオ王国との軋轢を生む原因となっていたのだが、今やその両国が手を結び、ともにイーサルミ王国と敵対する国となった。
実際、どこまで互いに信頼し合っているのかは疑問ではあるが、ともかくオレンブルク連合皇国の膨大な資源がある限り、この両国は戦争をやめないだろう。ゆえに、その戦争継続を可能とするオレンブルクの資源と、スラヴォリオの軍事力とを切り離さねばならない。
ネフスキヤヴォストークという要塞都市がある。ここはオレンブルク連合皇国の皇都イヴァノヴォグラードの防衛だけでなく、各地の資源の集積場であり、かつスラヴォリオ王国との重要な交通の要衝でもある。だから、この要塞都市を堕とすことは、オレンブルクとスラヴォリオ王国を屈服させるもっとも手っ取り早い方法でもある。
しかし、そんなことは当のオレンブルクも承知している。だからこそ「要塞都市」なのだ。かつてフロマージュ共和国がまだ王政を敷いていた頃の遠征軍すらも退けたと言われる、難攻不落の武装都市として知られている。
そんな要塞都市を、堕とそうというのだ。正気の沙汰ではない。
しかも、その要塞都市はオレンブルクのちょうど中ほどにある。ただでさえ広大な土地のかなり奥地に行かねばたどり着けない。距離にして、イーサルミ王国の東端であるキヴィネンマー要塞からおよそ12000サンメルテも先だ。遠すぎる攻撃目標に、私の頭はくらくらしてくる。
しかし、超大国と言われるフロマージュ共和国だ。きっと何か、策があるのだろう。戦闘食の豊富さを見るに、兵站の充実度は周辺国の中では随一と言っていい。
「ところで、いつからフロマージュ共和国は遠征を開始するのでしょうか?」
私は砲長に尋ねる。が、少し怪訝な表情を向ける。なんだ、何か聞いてはいけないことに触れたのか? そんな砲長が私に、こう答える。
「明日から、その遠征が開始される」
「えっ、明日!?」
「そうだ。我々がアソンニオ島攻略戦に向かっている間に、こちらの方にも大遠征軍を動かしていたようだ。すでにキヴィネンマー要塞に集結済みで、その数、およそ10万だそうだ」
それを聞いて驚いた。なんと、10万もの兵がすでにあの要塞にたどり着いているという。なんという機動力だ。
が、別に砲長が怪訝な顔をする要素などどこにもない。どうしてこうも不機嫌そうなんだ? 私は尋ねてみた。
「では、明日からいよいよ我々も出撃することになるのですね。ですがなぜ、砲長は乗り気ではないので?」
「分からないか?」
私の質問に、質問で返す砲長。むしろ、私の方が不機嫌になり、こう返す。
「この国家の存亡のかかる戦いを前にして、問答などしている時ではないかと思いますが」
「それだ。その国家の存亡が関わる戦いに行くことになれば、また俺はお前から『砲長』と呼び続けられる日々が続くんだぞ」
ああ、なんだ、私と一緒にのんびり過ごせる時間がないことに、不満を抱いていただけか。だが、いわれてみればこのところ戦い続きだ。砲長とともに過ごす夜も少ない。
これはしばらくの間、砲長の欲求不満が続くな。今夜は慰めてやろう。そう私は思った。
が、その会話からわずか30分後に、我が艦の乗員に招集がかかった。
『繋留錘切り離せ! ヴェテヒネン、発進する!』
で、気づけばもう艦内にいて、出港させられていた。このままキヴィネンマー要塞に急行することになり、私は砲長とともに後部ゴンドラの砲撃室にいた。
上昇するヴェテヒネンの窓を覗くと、いつものように眼下には貴族街と王宮の建物が見える。それが薄い雲の向こう側に隠れると、機関音が鳴り響き始める。
『前進半速、キヴィネンマー要塞に急行する!』
いつも通り活き活きとした号令を発する副長だが、そういえば副長はあの砲長と同じ悩みを抱えてはいないのだろうか? などと考えつつ、リーコネン上等兵の方を見る。
「なんだよユリシーナ、俺の顔になんか付いてんのか?」
ふと目が合い、にやにやしながらこちらを伺うリーコネン上等兵。こいつも、いやに元気だな。副長といいこいつといい、どうしてこれほど元気でいられるんだ? いやにスッキリした表情なのが、要らぬ考えを巡らせる。
まあいい、余計なことを考えるのはよそう。なぜか少し、虚しくなる。
『キヴィネンマー要塞まで、あと7時間!』
夏の終わりから秋にかけて、偏西風がやや強くなる時期がある。その追い風に乗って、ヴェテヒネンは快調に目的地へと向かう。
眼下には、雲が広がっている。上空は晴れだが、この下の地上は今ごろ、雨にさらされているところだろう。
そしてその雲はずっと続いており、キヴィネンマー要塞までかかっていた。要塞にたどり着いた我々は、その雨雲の下に降り立つこととなる。
雲の下は、意外なほど大雨だった。要塞内ドックに着陸を果たしたヴェテヒネンのゴンドラを降りて地上に立つと、頭上の気嚢に叩きつける激しい雨音を耳にする。
(嫌な天気だな……)
雨は嫌いだ。濡れるからというのもあるが、家族の死を知らされたその時も、こんな感じの冷たい雨の降る日だった。以来、雨という天気が嫌いになった。
ヴェテヒネンに乗っていれば、雨を感じることなく過ごすことができる。雨のほとんどは、ヴェテヒネンの到達高度4000メルテ以下だからだ。空中戦艦乗りになって、嫌いな雨に接することは少なくなったものの、完全ではない。
現に、こうして私は今、雨にさらされている。
「どうした? 雨は嫌いか」
そんな私を、事情を知らない砲長が尋ねる。
「嫌いです。いい思い出がないもので」
「そうか」
それ以上のことを砲長は尋ねることなく、私の上から大きな布を被せる。そのまま私の肩をつかむと、雨の中を走り出す。バシャバシャと音を立てつつ要塞内の建屋へと向かう途上で、私は周囲の光景に驚愕する。
よく見れば、たくさんの自走砲やけん引砲が上から偽装布をかけられて置かれている。上からはただの岩か土面にしか見えなかったが、まさかこれほどの兵器が集められていたとは。おそらくは、オレンブルクの偵察艦の目をごまかすためだろう。これは気づかなかった。
そんな兵器群の合間を抜けて、建物に入る。缶詰の梱包用であろうその大きな梱包布のおかげで私はほとんど濡れなかったが、砲長はびしょ濡れだ。入り口で、自身の身体と覆い布の水気をさっと払った後に、中へと進む。
「思いの外、早かったな」
そんな我々を出迎えるのは、この要塞司令官であるエクロース准将だ。即座に二人は、この陸軍将官に敬礼する。
「おい、硬いことはなしだ。今や私も、最前線指揮官ではなくなったのだからな」
意外なことを言い出すこの司令官に、私はこう返す。
「いえ准将閣下、ここはオレンブルクとの国境際の拠点であり、まさにここが最前線では?」
「何を言うか、すでに最前線はここから30サンメルテ東方にある地方都市スァリツィンクスへ動いた。そこに10万を超えるフロマージュ軍が攻撃を加え、1日で占拠した。その地方都市に向けて、ここにある物資や兵器が送られているところだ」
この司令官、さらりととんでもないことを口走った。なんだって、スァリツィンクスを1日で占拠した? 人口6万人ほどの都市だが、イーサルミ侵攻の拠点としてそれなりに軍備強化されているはずの都市だ。そんなところが、たった1日で攻め落とされたというのだ。信じがたい話ではあるが、エクロース准将がそうおっしゃるからには、事実なのだろう。
「で、貴官の乗るヴェテヒネンだが、フロマージュ軍の一角に加えられて、その作戦に駆り出されることになるだろう」
「つまり、侵攻作戦のことですか?」
「そうだ。空陸の機動力を活かし、敵が迎撃準備を整える間を与えず占拠する。フロマージュ軍が得意とする戦術だ。その作戦に、ヴェテヒネンを加えたいと言っているそうだ。随分と、買われているな」
この時の私は、ただその話をぼーっと聞いていた。その作戦がどれほど凄まじいものであるかを、この時点では知る由もなかったからだ。だがまもなく私は、フロマージュ軍の脅威の戦術を目の当たりにすることになる。
そしてそれが地獄への入り口に過ぎなかったことを知るのは、さらにその後のことであった。




