#31 帰投
「えっ、燃料以外の補給はないんですか!?」
商船団の護衛をフロマージュ海軍の艦隊に引き継いですぐに、全速でシャトーヌフにたどり着いた我々は当然、食糧の補給を受けられるものと思っていたのに、燃料のみを補給して、大急ぎで出港することとなったと聞かされる。
ということは、王都までの間はまたあのビスケットか。憂鬱だ。イーサルミ王国も、もう少し兵士を大事にしてほしいものだ。
結局、今回は街に降りる暇もなく、そのまま出港することとなった。あのケバブだけでも、食べたかった。
「じゃーん! 今日の夕食は、ケバブだよ!」
ところがだ、どういうわけかそのケバブが、食堂に並んでいる。それを自慢げな顔で語るマリッタに、私は尋ねる。
「おい、これ、どこで手に入れたんだ?」
「どこでって、シャトーヌフに決まってるじゃない」
「いやだから、あんな短時間のうちに、いつ調達する暇があった?」
「ドックのすぐ横に店があるのよ。そこで買ってきたの、27人分」
何という目ざとさだ、そんなところにケバブの店があるなどと、気づきもしなかったぞ。マリッタは、そういうものを嗅ぎつけるのが本当に上手い。おかげで、今夜だけはまともな食事にありつけた。
で、そこから2日ほどかけて、ようやく王都クーヴォラにたどり着く。
せいぜい2週間ほど離れていただけだが、あまりにも遠い異国の地と海の上を巡っていたせいか、この王都の雰囲気が妙に懐かしく感じる。南方と比べたら、ここは少し肌寒いが、その方が身体には合っている。なんだか急に、トナカイ肉が食べたくなってきた。
「さてと、ユリシーナ、早速あの店へ行くか」
艦から降りた途端、私をファーストネーム呼びして恋人気取りな砲長が、私を誘ってくる。もうかなり欲求不満が溜まっているのだろう。どうせそこでワインを飲ませて、そのまま宿舎に連れ込むつもりか……ほんと、下心丸出しだ。
「砲長、ついさっき艦内で昼食を食べたばかりではありませんか」
「食べた、というよりは、流し込んだという食事だったがな」
「どちらにせよ、満腹には違いありません。なぜわざわざ、私を食事に誘いたがるのですか?」
「それはもちろん、ワインを飲ませたいからだ」
「……あの、しらふではダメなので?」
「飲んだ後の方がいいからな、お前は」
ああ、やっぱりそういう目的だったのか。にしても、私は飲むと砲長に対してどういう態度をとるのだろうか。少なくとも、今よりは熱烈だと聞いているが、自身にその記憶はない。
「まあいいか、途中でワインを買って行こう。ところでユリシーナ」
「はい、何でしょうか、砲長」
「それだ、王都にいる間くらい、その砲長というのはやめろ」
「では、マンテュマー大尉とお呼びすればよろしいので?」
「ファーストネーム呼びしろと言っている」
「あの、私は砲長のファーストネームを知らないのですが、何でしたっけ?」
「お前、ついこの間教えたばかり……ああ、そうか。その時の記憶はないんだったな」
何だこの人、酔った私にはファーストネーム呼びをさせてたのか。8歳も歳が離れた相手にそんなことをさせてたなんて、なんかキモいな。
「俺の名前は、アウリス・マンテュマーだ」
「はぁ、ということは、アウリス様とお呼びすれば良いのですか?」
「様は不要だ。俺は貴族じゃない」
「そうですか、では……」
いざ、その名前を呼ぼうとするのだが、どういうわけか、言葉が出ない。羞恥心をくすぐられるというのか、何かしてはいけないことをするような、そんな不可解な感情に襲われる。
「あ、アウリス……」
ようやく声を絞り出すが、なぜだろうか、恥ずかしさがこみあげて、顔の表面が熱くなるのを感じる。そんな私を見た砲長は、何を思ったのか、私の手を握ると早足で歩き始めた。
「ワインは後だ。さっさと宿舎に行くぞ」
えっ、まさか今の私の何かが、砲長の心を揺さぶったのか? 急に強引な態度に出た砲長に連れられて、宿舎の部屋に向かう。
で、それから1時間ほどが経つ。
「あの、砲長」
ひと汗をかくほどの行為を成し、シーツ一枚だけの姿となった私は、同じベッドの上にいる砲長に話しかける。
「おい」
「あ、はい、アウリス……」
「うん、今のもいい顔だ」
私はどうにも上官を名前呼びすることに躊躇いがあるのだが、その時に見せる私の顔が、砲長……じゃなくてアウリスのツボにハマったらしい。再びこの男は私を覆うシーツを剥がして抱きつくと、その肌を密着させてくる。
「あの、そろそろ、何か飲みたいのですが」
再び興奮したところ悪いのだが、さっきから飲まず食わずで激しい運動をしているようなものだ。さすがに喉が渇いてきた。
「しまったな……やはりさっき、何かを買っておけばよかったな」
と、残念そうに言うアウリスだが、買い物する余裕もなく欲望のまま部屋に連れ込んで、1時間もの間、部下を自室に閉じ込めて自身の欲望のまま行動していたのはあなた自身でしょうが、と言いたい。
「仕方あるまい。外に行こう。ついでにちょっと街を回って、少し買い物をするとしようか」
私は頷くと、この男はしばしの抱き納めと言わんばかりに、私をギュッと抱きしめる。私も、あるかないかの微妙な胸の膨らみを押し当てて、背中に手を回してそれに応える。
その感触でふと思い出したのだが、私がヴェテヒネンに配属されたばかりの時、訓練航行中に乱気流で揺れた船内で、倒れかけた私をギュッと抱き寄せ、支えてくれたのが砲長だった。その時も今も、どこか父親の臭いを感じた。今思えば、あれが私が砲長、いやアウリスに惚れた瞬間だったのでは、と思う。
宿舎を出て、まず向かったのは売店だ。そこで砲長と私は炭酸水を買う。2人で並んでそれを飲んでいると、売店のおばちゃんがニヤニヤしながらこちらを見ている。私と砲長の関係は、すでに承知しているのだろう。世界大戦の見出しに眉一つ動かさなかったこのおばちゃんは、私と砲長にはその感情を露わにする。どういう感性をしているのか、この人は。
そのまま買い出しに街へと出るが、およそ世界中で戦争が起こっているとは思えないほどの平静さだ。いや、言ってみればここはすでに3年も前から戦争状態ではあるから、すでに日常の風景は戦時下のそれになっており、それが平時と錯覚しているだけか。
現に街中には軍服姿が多く、時折、軍事物資とわかる物品を運ぶトラックや馬車が見える。ヘリウムボンベも多数、トラックで運び込まれており、王都の端にある飛行船ドックのある場所へと向かっている。
とはいえ、この大戦が始まってからというもの、オレンブルクのやつらはほとんど来なくなった。大国同士の戦いに主軸が移ってしまい、イーサルミもオレンブルクもそちらの支援に手一杯となった。これまで、何のために両国が戦ってきたのかわからなくなるほどだ。
「ところで砲長」
不意に私は、脇で炭酸水を飲みながら歩く砲長に尋ねる。
「おい、砲長と呼ぶなと……」
「いえ、今からは軍事の話をするので」
「なんだ、軍事の話とは」
「我々が急きょ、帰投させられたのはなぜなのでしょうか?」
「さあな、ブリーフィングでも何も教えられなかった。よほどの機密に触れる何かがあるのだろう」
「そうなのですか?」
「現に今、艦長と副長は司令本部に呼ばれて、何かを告げられている頃だ。明日にはブリーフィングが行われて、それが明らかになると思う」
結局、知りたかった情報をこの男は持っていなかった。一つ分かったことは、艦長と副長がまだ軍司令本部にて、その重要機密に関わる何かを聞かされている間に、私とこの男はお盛んだったということだ。
「あれぇ、ユリシーナに砲長、お揃いでどこに行くんですかぁ?」
王都の中心部にある大きな市場へ向かう途上、後ろから声をかけられる。振り返るとそこにはマリッタと、キヴェコスキ兵曹長がいた。
「そういうマリッタも、兵曹長とお揃いじゃないか」
「いいじゃない、別に」
「そうだそうだ」
この二人だが、マリッタがキヴェコスキ兵曹長のあの太い腕にしがみつきながら歩いており、いかにもなカップルぶりを見せつけている。私と砲長は、手すらつないでいない。
「そういうマリッタと兵曹長も、どこへいくのか?」
「こっちへ向かうとすれば、中央市場に決まってるでしょ」
「そうだそうだ」
なんだ、行き先は同じじゃないか。ということは、マリッタは我々二人がどちらへ向かうかも承知しているってことじゃないか。さっきの質問はなんだ?
「ならば、行き先は同じだ。向かうとしよう」
「はっ、了解であります、砲長」
さっきからバカっぽい受け答えをしていたキヴェコスキ兵曹長も、砲長の前ではパリッとした話口調に戻る。ということで、軍服姿の3人と街娘っぽい姿の調理師の4人は、揃って中央の市場へと向かう。
市場は、活気に満ちた色彩の宝庫だ。南方の暑さに慣れた我々にとって少し冷たい空気が頬を撫でる中、人々と店員らは温かい笑顔で挨拶を交わし、新鮮な食材や日用品を手に取っているのが見える。
木製の屋台は、王国南部で採れた野菜や果物で溢れ、その豊かな香りが市場全体に広がる。その店の間を、手編みのバスケット片手に買い物客は一つ一つの商品を丁寧に選んでいる。
この時期によく採れるのは、ズッキーニだ。緑色のその大型の瓜があちこちで売られており、マリッタがそれを手に取っては品定めをしている。他にも、オレンジ色のニンジンや黄色のレモン、数々の果物類が色を添える。
が、よく考えてみたら、私と砲長は食材に用はない。せいぜい宿舎の部屋で飲む物と、ちょっとしたつまみがあればいい。宿舎には食堂があるから、基本的に料理はやらない。
それよりも、下着の着替えがほしい。あと、歯ブラシも買いたいな。私の荷物の大半は砲長の部屋へ移し替えているが、棚が足りなくて床に直置きになっている。小さな収納箱もほしいところだ。
「えーっ、行っちゃうの?」
「しょうがないだろう、私と砲長は、食材を買いにきたわけじゃないんだから」
「いいじゃない、食材は目の保養になるよ」
食べ物を見て目を保養できるのは、調理師であるお前だからじゃないのか。おそらく隣にいる兵曹長も、食材ではなくお前に胸元についている二つの脂肪の塊で保養されているはずだ。あまり自分の感性だけで、物事を判断しない方がいいと思うが。
ということで、マリッタたちとは別れて、奥の雑貨売りの多い場所へと向かう。
「この辺りはどうだ?」
「うーん、ちょっと大きすぎやしませんか?」
「お前、計算工学だのなんだのという本や計算尺を持ち込んでるだろう。これくらいないと足りないぞ」
などとぶつぶつと二人、収納箱を見比べては意見を交わす。確かに大きいと思ってはいたが、最近出たという「解析概論」の本も買いたいと思ってるし、砲長の言う通り、大きめの箱の方が何かと都合がいいか。
と思っていたら、すぐ脇で似たような悩みを抱えている奴がいた。
「うーん、どっちにすっかなぁ……」
リーコネン上等兵だ。なんだ、こいつも市場に来てたのか。
「なんだ、占いのカード入れでも探してるのか?」
「は? ああなんだ、砲長に計算士のユリシーナかよ。って、おめえら仲良しだよなぁ」
「そんなことより、こんなところで何やってるんだ」
「見りゃ分かるだろう、箱を探してんだよ」
「カード入れくらいなら、こっちの小さい方がいいんじゃないのか?」
「何言ってんだ、日用品が入らないだろう」
「宿舎に備え付けの収納棚じゃ足りないのか?」
「いやまあ、足りないっちゃ足りないな。って、なんでおめえらもここにいるんだよ」
「それはだな、砲長の部屋の収納棚では足りないから、買いに来たんだ」
「なんだよ、おめえらもう一緒に暮らしてたのか。うん、まあ俺も、似たような……いや、なんでもねえ」
こいつ、なんか誤魔化したぞ。こいつは確か、死んだ恋人がいたとか言ってたよな。その仇を打つために、機関銃士になったと言ってたが、まさかもう代わりができたのか?
「おい、相手は誰なんだ?」
「まあいいや、これくらいで勘弁しておいてやるか。てことでよ、ちょっと急ぐんでな」
私の質問の答えをはぐらかしつつ、箱を一つ抱えて店員にお金を払うと、リーコネン上等兵は足早に去っていった。
怪しい、明らかに怪しい。かなり気になるが、いずれ分かることだろう。そう思って私も、砲長の選んでくれた収納箱を抱え、市場を巡る。
それから日用品をいくつか購入して、宿舎へと戻る。そして二人、砲長の部屋のベッドの上に、下着姿で並ぶ。
「あの、ワインは飲まないんですか?」
「ああ、今日はまだいいかな」
「ところで砲長」
「おい!」
「あ、はい、ええと……アウリス……」
頬の辺りが、熱くなる。やはりこの呼び方はなかなか慣れないな。だが、そんな私の顔がツボにハマったらしく、私をベッドに押し倒すと、まるでウサギを見つけたオオカミ犬のような形相で私を押さえつける。
変な性癖に、目覚めさせてしまったみたいだな。




