#29 海戦
「対水上戦闘用意!」
「はっ、対水上戦闘用意!」
すでに艦橋には、飾緒付きの佐官や軍章付きの尉官らによって埋め尽くされていた。そんなところに、下士官クラスでかつ空軍の軍服を着た者がただ一人、ポツンと立つ。
皆が、私の方をチラッと一瞥すると、胸元を見る。女だということを確かめるためでもあるのだろうが、胸元に視線を集めている1番の理由は、やはりあの金色の勲章だ。下士官でありながら、金色の勲章。この歪な組み合わせに、皆が注目するのは当然か。しかし、どう思われているのかは不明だが、決して良い印象などではないだろう。
「露天甲板、回避よしっ!」
上から、こちらの観測員らしき者の声が聞こえてくる。先ほどまでは大勢の水兵さんが甲板上に見えたが、今は誰もいない。
「カルヒネン曹長」
「はっ!」
「貴官は空軍の代表として、私が手塩にかけて作り上げたあの自動照準装置の威力を、とくと見届けてもらいたい」
「はっ、承知いたしました!」
「では諸君、あの命知らずの敵艦に、38サブメルテ砲弾を存分に食らわせてやろうではないか」
「はっ!」
「左砲戦、用意!」
「左80度に備えっ! 左砲戦、用意!」
艦長の号令と共に、あの岩のように重厚な主砲塔がゴトンと音を立てて動き出す。目の前に2つ、そしてここからは見えないが、後方に1つある主砲塔が、左方向へと向けられる。
我が艦ヴェテヒネンは手動による操作だが、こちらは水圧式の駆動装置を使ってあの重たい砲塔を動かしている。さすがは海上艦だ。
「戦闘、左砲戦、左80度! 目標、敵駆逐艦! 測的始め!」
「はっ、測的始め!」
「初弾観測急斉射! 交互撃方、発令発射! 斉射間隔20秒!」
いよいよ、海の上での戦いが始まる。ふと横の窓から後方を見れば、そこにはヴェテヒネンの巨大な気嚢が見える。この巨艦よりも、長さだけはあちらのほうが長い。そんな馬鹿でかい艦を背負ったまま、戦闘に突入しようとしている。
頭上では、まるで麦の挽き臼を回すような音が響く。あれは測距儀の音だろう。まさに今、敵駆逐艦までの距離を測り、それを下にあったあの機械式計算機に受け渡しているところなのだろう。
「測的よし!」
測定が終わり、いよいよ発射である。わずかに主砲塔の狙いに修正が入ったのか、ガコンと一瞬、音を立てて砲塔がわずかに動くのが見える。
と、その直後に、2本の砲身が徐々に上がり始める。グオングオンと音を立てつつ、太くて長いその砲身が真っ青な空に向けられた。
ガチャという音と共に、砲身の動きが止まる。尉官の一人が、マルヤーナ艦長に発射準備が完了したことを報告する。
「主砲、目標よし、方向よし、射撃用意よし!」
「撃ちーかた始め!」
「発射用意っ、撃てーっ!」
ブーッというブザー音の合図の直後、斜め上に向けられた主砲が火を噴いた。
ズズーンという腹に響くその発射音は、ヴェテヒネンの主砲など問題にならないほどの凄まじい威力だ。とはいえ、2本の砲身の内、火を噴いたのは各砲塔の右側だけ。白い煙を上げる右側の砲身だけが、ゆっくりと下がる。
とはいえ、3基の砲塔の3本の砲身が放った威力は凄まじいものだが、この艦はびくともしない。ヴェテヒネンの総重量はおよそ50メテ・グラーテ、一方この戦艦ロイスタバ・クーヴォラの総排水量は3万8千メテ・グラーテだという。2000人もの乗員を乗せる、まさに桁違いの重量艦だ。たった27人の空中戦艦とは訳が違う。
しばらく第2射はなく、ただ敵の艦艇との並走が続く。やがて、弾着の時を迎える。
「初弾よーい! だーんちゃく!」
水柱が3本、勢いよく立つ。わずかに駆逐艦の手前に着弾した模様だ。すぐさま、それは修正される。
「弾着補正、110メルテ! 第2射用意!」
「弾着補正よし! 第2射、よーい!」
「発射用意ーっ、撃てーっ!」
発射合図のブザー音に合わせて、各砲塔の左側砲身から一斉に砲撃が行われる。腹に響く発射音と衝撃が、この離れた艦橋まで伝わってくる。砲弾を放った砲身が下がると同時に、今度は右側の砲身が持ち上がってくる。
「発射用意ーっ、撃てーっ!」
今度は、弾着を待たずにブザーが鳴り、右側の砲身が火を噴く。砲身が下がると、それに合わせて左側の砲身が持ち上がってくる。
交互撃ち方だから、左右の砲身を交互に持ち上げては撃つを繰り返しているのか。第3射が行われる前に、2発目が弾着時間を迎える。
「だーんちゃく!」
水柱が立ち、それは駆逐艦のすぐ後ろに立つ。さっきの砲撃による補正で、さらに敵のそばに着弾させている。あれほどの短い時間の内に、もう補正計算が行われたのか。計算尺では、およそ不可能な演算速度だ。
「発射用意ーっ、撃てーっ!」
この調子で、20秒おきに交互に砲が放たれる。その度に、敵の駆逐艦のそばに着弾する。が、なかなか当たらない。
動きを見ると、敵も回避運動をしている。こちらの砲が放たれるたびに、右へ左へと舵を切り、狙いを逸らしている。
「次は右回避するはずだ。弾着補正、奥へ25メルテ」
だが、第8射あたりでそれも読めるようになってきた。艦長が、副長と思しき人物に補正数値を伝える。副長はそれを伝声管で、砲撃指揮所へと伝えている。
『敵艦艇、距離28000!』
しかしだ、なかなか当たらない。敵駆逐艦も、こちらを侮っているのか、それとも命令で仕方なくやっているのか、なかなか離れようとしないばかりか、回避運動を取りつつ徐々に接近してくる。なんて敵だ。
そういえば、相手はオレンブルクではなく、スラヴォリオ王国の艦だ。つまり、フロマージュ共和国に匹敵するほどの大国の艦に、我々小国の艦が砲撃を加えていることになる。ほんのひと月前には、考えられない光景だ。
私は、この士官がひしめく艦橋内から、ただ砲撃を眺めている。海の上での戦闘は、射程も長い。だが、相手も味方動きは遅く、しかもその動きのパターンも見えており、さらに最新の計算機まで使って、瞬時に弾着補正を行っている。
だが、決まってその弾着は、ほんの少し前側にズレる。
「だーんちゃく!」
この号令に合わせて、水柱が立つ。手に持った望遠鏡で、私は今一度、弾着のズレを確認する。
およそ80メルテ、駆逐艦より前側にズレた。あの駆逐艦がだいたい100メルテと少しの長さだから、それよりもやや短い距離分、ズレている。
そういえば、この艦は今、ほぼ南側に向かって砲撃している。つまり、弾着はやや右方向、つまり西に偏っていることになる。
それで私はふと、思いつく。そういえばさっき、私はあの自動照準装置を見せてもらった。そこであの装置が何を計算しているのかを聞いた。
まさか、もしかするとアレが悪さをしているのではないか?そう考えた私は、計算尺を取り出す。
この艦の主砲の初期速度は毎秒960メルテ、方角はほぼ真南、そして、もしもアレが我がイーサルミ王国の北端辺りを想定しているならば……私は計算式を思い出しながら、その影響を計算する。
弾き出された数値は、まさに私が先ほど見積もったズレの量と、ほぼ一致した。
まさか、この艦のあの正確な計算機が、仇になっているとは。
「計算士、意見具申!」
思わず、私は叫んだ。それを聞いたある士官が、私を睨みつけるようにして言う。
「おい、貴官は空軍の者だろう! 海軍の戦闘に、何の意見をする権利があると言うのか!?」
「この艦の弾着点が、ズレているんです!」
「それは当然だ、敵は回避運動しているのだ、そう簡単に当たるはずがない。空軍の使う散弾とは、わけが違うのだよ」
別の士官がこう言い出すと、急に笑い声が起きる。その間にも、交互撃ち方により立て続けに砲弾が発射されていく。
「待て」
ところがだ、その笑いの渦の中で唯一、マルヤーナ艦長だけが真剣な眼差しのまま、立っている。
「艦長、何か?」
「トゥルトラ参謀長よ、さっきから私自身も何か違和感を感じていたのだ。どうにも、弾着に規則的なズレがあるように感じる。カルヒネン曹長、それに思い当たる何かがあるというのなら、ぜひ申してみよ」
マルヤーナ艦長直々に、意見具申の許可が下りた。私は艦長、士官の方々に敬礼し、こう告げる。
「駆逐艦前方、西側に76メルテ、弾着がズレております」
「具体的な数値だな、何を根拠にズレていると考えるか?」
「ここは北緯21度ですが、もしやここを北緯75度、すなわち、我が王国の北端のままで計算されているのではないでしょうか?」
それを聞いたマルヤーナ艦長は、私の言った言葉の真意に気づいたようだ。
「コリオリ力か……」
すぐさま艦長は、伝声管に向かって叫ぶ。
「艦長より砲撃管制!」
いきなり、真下にある砲撃管制室を呼び出す。すぐさま、返事が返ってくる。
『砲撃管制室より艦橋! マルヤーナ艦長、なにか!?』
「弾着位置を補正、左側に76メルテ、急げ!」
『は? あ、はい、了解いたしました!』
すぐさま、弾着位置の補正が行われる。自動照準とはいえ、手動による修正も可能なようだ。当然か。この補正作業により、次の砲撃までやや間ができる。ようやく艦橋内の士官が手元の目印を見て、砲撃準備の整ったことを知らせる。
「弾着補正完了、射撃用意よし!」
「発射用意っ、撃てーっ!」
ズズーンという、はらわたにまで響く音が鳴り響いた。ついさっきまでとは、どこか音が違う。計算士の分際で随分と非科学的なことを承知で言うが、なぜか当たる時は、その砲撃音が変わる。
そして今のは、まさにそれを予感させる音だ。
が、次弾が装填されて、すぐさま発射される。補正後の第3射を撃ち終えた直後に、弾着の合図が入る。
「だーんちゃく!」
その瞬間、水ではなく火柱が上がる。と同時に、敵の駆逐艦が大きく傾いた。なんと、3発すべて、駆逐艦の船体に命中した。
『敵駆逐艦に、命中弾! 前部砲塔、魚雷発射管、および甲板に命中の模様!』
続く2射目が、弾着の時を迎える。
「だーんちゃく!」
が、こちらは3発とも外れる。傾き始めた駆逐艦のすぐ前に、3本の水柱を上げるにとどまる。
しかし、その次の補正後3射目は、1発が命中。艦橋の根元付近に着弾し、黒煙を上げる。
それを見たマルヤーナ艦長が、指示を出す。
「撃ちーかた控え!」
一旦、攻撃を止める決断をする。が、この間にも3発、砲撃が続けられていたため、弾着観測は続く。
『命中! 敵後部に着弾!』
そのうちの一発が、おそらく致命的なところに着弾したようだ。駆逐艦の後方に命中し、スクリューのある最後尾と船体の本体部分が別れてしまう。
徐々に沈み始めるスラヴォリオの駆逐艦、望遠鏡で眺めると、背中に火がついた水兵が慌てて海に飛び込む姿が見える。ボートを降ろし、脱出する兵士の姿も見えるが、ようやく降ろしたボートが沈み始めて、海に飛び込む姿も見える。
「主砲、撃ち方やめ。水上戦闘、要具収め」
その様子を双眼鏡で見ていたマルヤーナ艦長が、戦闘の終了を宣言する。黒煙を上げていた敵駆逐艦は徐々に水面に姿を消していき、やがて黒煙は消えて、残骸と数隻のボートのみとなる。
「戦闘要具、収めよし!」
「これより、通常態勢に戻る。艦内哨戒、第三配備!」
「はっ、艦内哨戒、第三配備!」
この号令と共に、艦橋にひしめいていた士官の何人かがその場を離れていく。で、私はというと、マルヤーナ艦長の前に立たされている。
「まさか、コリオリ力補正が悪さをしていたとはな」
そう私に呟く艦長。そう、まさに艦長のいう通りで、あの照準装置に追加で搭載されていたコリオリ力の補正装置を、私は疑ったのだ。
コリオリ力という、地球の自転によって発生するこの見かけの力というのは、赤道に近づくほど小さくなる。この北緯21度という場所ならば、せいぜい数メルテ、あの駆逐艦の大きさであればほとんど無視できるほどの誤差だ。
ところが、イーサルミ王国の最北端である北緯75度なら、私の計算では32000メルテ先への砲撃で76メルテもズレることになる。これくらいになると、さすがに無視はできない。
私のあの意見具申で、艦長はそれに気づいた。これはやはり計算士同士でなければ気づき得ないことだ。
その後、自動照準装置のある中央演算所から報告が入る。
「カルヒネン曹長、貴官の読み通りだった」
「はぁ……」
「今、中央演算所の計算機を点検してもらったが、緯度の数値が北緯75度31分で固定されていたとのことだ」
「そうだったのですか。ですが、なぜそんな北方に?」
「一度、北限海域で演習に出かけたことがある。もしかしたら、流氷の少なくなる夏場にオレンブルクの艦隊が回り込むかもしれんと考えてのことだが、その際に設定された緯度が、そのままになっていた。緯度の入力を伝える歯車が外れていて、緯度の数値を変更できなくなっていたようだ。が、エラインタルハ海にいる間は、それほど緯度のズレに差がないから、気付けずにいた。しかし南方まで来ると、そのズレが無視できないほど大きく現れた、と言うことのようだ。いやはや、やはり人の感性は無視できない、ということか」
私の思った通り、計算機側の不具合が発覚した。すぐさまそれは修理される。
とまあ、そんな砲撃戦の間、私はずっと艦橋にいたのだが、これでようやくヴェテヒネンに戻ることができた。
で、そのまま出発かと思いきや、どういうわけかヴェテヒネン乗員27名全員が、マルヤーナ艦長に呼び出される。
そして私は今、この戦艦の食堂にいる。
「今日は金曜日だからな、我が艦では、これを食べることになっている」
マルヤーナ艦長が、27名に振る舞った料理、それは茶色のドロッとしたもののかかった、白い粒々のなにか。
この茶色いものがカレーだということはわかった。が、その下にあるこの白い粒はなんだ?
「おーっ、コメじゃねえか! さすがは海軍さん、いいもの食べてるじゃねえかよ!」
リーコネン上等兵の言葉で、これがコメと呼ばれる食べ物だということはわかった。麦のようではあるが、それにしても白すぎる。細長い粒々の入ったこの食材に、私はスプーンを突き刺して、恐る恐る口に運ぶ。
「ん……!?」
思わず、変な声が出た。もっちりとした食感と、カレー独特の辛味が絶妙に合う。それにしてもこのカレー、戦闘食のそれとは異なり、なんとも温かみと風味があり、格段に美味い。
「長い航海により、壊血病という病にかかる水兵がいる。それを予防するための料理として、このカレーライスというものがフロマージュ共和国から伝わった。以来、週に一度はこれを食べることになっているのだ。此度の戦いでは、カルヒネン曹長には世話になったからな。ぜひこの料理を空軍にも振る舞いたいと思ったのだ」
などと嬉々として語るマルヤーナ艦長。その際、すぐ傍に座る副長が、私に尋ねる。
「おい曹長よ、お前、何をやらかしたんだ?」
そう小声で尋ねられても、この場では答えられない。私は軽く微笑んで、その場を誤魔化す。
「出航用意よし! ヴェテヒネン、発進!」
それから2時間後に、ようやく魚雷を搭載したヴェテヒネンが戦艦ロイスタバ・クーヴォラを離れることとなる。甲板の両脇に立つ黒っぽい青色の軍服を着た大勢の水兵らが、帽子を振って見送る。その向こうではマルヤーナ艦長をはじめとする数人の士官が敬礼していた。我々も敬礼し、その見送りに応える。
それにしても、海軍とはこれが初めての接触となった。まさかあれほどの機械式計算機を載せていたなどとは、こんなところにもラハナスト先生の影響が及んでいることに驚きを隠せない。
いや、今はそれ以上の感情が、私の中に湧き起こっている。
我々、空中戦艦乗りは、食事の面では幾分か優遇されているものだと聞かされていた。それゆえに、陸軍からも疎まれていた。
が、はっきりとわかったことは、我々があの硬いビスケットと格闘し、胃袋に詰め込んでいる間に、海軍の連中はあのような豪華な食事にありついていた、ということだ。
あれだけの大きな船を持つから当然だとは言えるのだが、それにしてもズルい、ズルすぎる。私はカレーを振る舞われたことで、むしろ海軍嫌いになったかもしれない。




