#26 決裂
「まったく、なんてことをしてくれたんだ」
戦闘終了した翌朝に、艦長と副長、そして私はキヴィネンマー要塞の司令官室に呼び出される。で、艦長より戦闘報告を聞いた直後のエクロース准将の一言目がこれだ。
「空中戦艦に爆弾を搭載するなど、愚の骨頂ではないか。まさに、二兎を追う者は一兎をも得ず、だ。誰だ、そんな決定をしたのは?」
いきなり不機嫌な准将閣下だが、この要塞司令官の怒りの矛先は我々ではなく、ヴェテヒネンを戦闘爆撃艦にした空軍指揮官に対してのものだった。
「とはいえ、おかげで助かった。が、最初のあの爆撃は少々考え物だな。おかげで、我々の要塞砲がその炎が作る熱ゆらぎのおかげで、敵の自走砲に当てられなかった。あれでは、空軍が自身の手柄を得るためにわざと焼夷弾をばらまいたと、そう思われても仕方がないな」
「いえ、そのような意図は……」
「分かっている。私の方から、正確に報告しておこう。あの爆撃がなければ、一号塹壕の犠牲が増え、そこを放棄せざるを得なかった、と」
やや冷徹ではあるが、戦果に対してはかなり客観的に捉え、それを正確に上層部へ報告するところが、この新しい司令官の良いところではある。が、その司令官がなぜ、艦長と副長とともに、私にここへ来るように仕向けたのか?
「ところで、空中戦闘用の艦砲を自走砲攻撃に使おうと考えたのは、そこの計算士で間違いないか?」
急に私に、話の中心が移る。その通りではあるのだが、その言葉の裏に何か底知れないものを感じ取った私は、ただ黙って敬礼するに留める。
「……なるほどな。やはりこの要塞にも、貴官のような者がいてくれればと、そう考えたのだがな」
司令官閣下がそう私に告げると、この3人に向けて敬礼をする。我々も慌てて敬礼で返す。これでようやく、司令官室を出ることとなる。
「あれは、あわよくばカルヒネン曹長を転属させようとした、ということでしょうか?」
要塞内の通路を歩きつつ、副長が艦長にそう尋ねる。
「だろうな。あのまま曹長が戦果を誇るようなことを言おうものなら、言葉巧みになんらかの言質を引き出したに違いない」
そう艦長は答える。ああ、この二人も私と同じ感触を、あの司令官閣下から感じ取っていたのか。まるでヘビに睨まれたカエルのように、ただ硬直するしかなかった私のあの対応は、間違いではなかったということか。
要塞勤務は嫌だなぁ。無論、空中戦艦での暮らしの方がマシだとか、地上戦の惨状を目の当たりにしたくないとか、そういう理由ばかりでもない。私の計算尺を活かせる場所は、ヴェテヒネンをおいて他にないと感じているからに過ぎない。
それからしばらくして、私は砲長とともに要塞砲台の見張り台に立っていた。本来であれば空軍の者が立ち入ることなど許されない場所ではあるのだが、そこは要塞司令官のエクロース准将の許可があって入ることができた。
いや、正確には、入らされたといったところだが。
「カルヒネン曹長じゃないか。あの砲撃戦以来だな」
そんな私を出迎えてくれたのは、この第二要塞砲塔の砲長である、スヴェント大尉だった。
「お久しぶりでございます、大尉」
「あの戦いで貴官がアンティラ准将を追っ払ってくれたおかげで、たくさんの兵士らの命を救うことになった。感謝している」
と、随分と人聞きの悪いことを言い出したぞ、こっちの砲長は。それを聞いたこちら側の砲長が、少し顔を歪ませる。
「ところで、エクロース司令官閣下がこちらを見学するよう申し渡されたのですが」
「やはりそうだったのか。おそらく閣下は、あれを見せたかったのではないだろうか」
「あれ、とは?」
「見ればわかる」
そういって、私と砲長はスヴェント大尉に率いられて奥の部屋へと向かう。
そこにあるものに、私の目は輝く。
「こ、これは……」
背丈ほどもある、濃緑色のその分厚い鉄の塊の外装には、その表面に目盛りが刻まれたレバーがいくつも並んでいる。その上には、数字の表示窓が十桁、並んでいる。
これは、機械式計算機だ。まさに中央計算局で見たそれと同じものが、ここに置かれている。
「貴官にはわかるだろう。機械式計算機で、それも弾道計算に特化した特注品だ。フロマージュ共和国製で、つい先日、設置されたものだ」
こんな立派な計算機を惜しげもなく前線に投入するとは、私は今度の司令官の本気度合いを思い知ることとなる。私の計算尺など、この機械の前では赤子のおもちゃにすぎない。
「さて、一つ、動かしてみようか。この要塞砲の最大射程は1万3千メルテ、初速は火薬9袋で毎秒360メルテだ。敵がカレリーア峠を超えたあたりだと、その最大射程を使い切ることになる。ここではそれよりも手前の一号塹壕前方1000メルテ、ここからおよそ6000メルテに敵の自走砲を発見したとしようか」
と、ブツブツといいながら、スヴェント大尉はレバーを引き始める。いくつかのレバーを引いた後に、横にある大きな赤いボタンを押す。
すると、機械式計算機が勢いよく動き出す。ガチャガチャと音を立てて回る歯車の音が、やがて少しづつ止まり、停止する。
「答えが出たな。初速度を280、つまり火薬7袋で、打ち出し角度を24.8度と出た。そうだ、他にもコリオリ力、風速補正もこの計算機では可能だ。今回の場合は無風を想定しているから、左に0.3度と出た」
それを聞いた私は、頬が熱くなるのを覚える。なんてことだ、短時間でこれほど複雑な計算の結果を出せるなんて、なんという贅沢な環境だろうか。
そんな要塞砲台への見学の帰り道で、マンテュマー大尉が私に、不満げにこう呟く。
「あれを見て、要塞に鞍替えしようなどと考えていないだろうな?」
砲長が懸念するのは当然だ。最新式の機械式計算機を前に、私が心躍らせていることは隣にいてひしひしと感じていたはずだ。おそらくだが、エクロース准将が私にここへ見学に来させたことも、それが狙いのはずだ。が、私は砲長にこう答える。
「計算機は魅力的でしたが、それだけでここに来ようとは思いません。あんなものがある以上、ここに私の活躍の場がありませんから」
この答えに少し満足したのだろう。砲長の表情から険しさが少し消えた。だがこれは、砲長のご機嫌をとるために放った言葉ではない。
実際、あの計算機を前にしては、私の持つ能力を活かせない。もちろん、あの計算機が導く答えにもずれがあり、それを補正するのは人間の仕事だとスヴェント大尉は言うが、それこそ私でなくても務まることだ。
やはり私は、計算尺なしには生きられない。そういう兵士だと、つくづく実感する。
「今夜の内に、王都クーヴォラへ帰投せよとの命令が下った」
それから1時間ほどして、要塞内の会議場に集められたヴェテヒネンの乗員27人を前に、副長がそう告げる。
「……随分と急な話ですが、それは任務完了に伴う帰投命令でしょうか?」
「それもある。が、通常なら1週間は再侵攻に備えて待機するのが倣いだ。だからむしろ、それ以外の理由があると思われる」
航海長のこの質問に、副長はなにやら匂わせぶりなことを告げる。
「なんだよ、それ以外ってのは?」
こういう時、遠慮のないあの女機関銃士が疑問を投げかける。
「まだ未確定な情報だが……どのみち王都に戻れば、皆が知ることになるな」
そう呟くように前置きすると、副長は艦長を見ると、27人に向かってこう話す。
「現在、イーサルミ王国とオレンブルク連合皇国との間で、和平交渉が行われていることは知っているな」
「ああ、それくらいは俺でも知ってるぜ。だけど、それがどうしたんだ?」
「この交渉が、決裂したらしい」
一部の平和への望みが、絶たれた瞬間だった。が、副長の話は終わらない。
「元々、この交渉はそうなる運命だった。なにせ我々が到底、許容できない条件を突きつけていたからな」
「その条件とは、やはりヘリウムを寄越せというものだったんでしょうか?」
「いや、違う。法外な賠償金だ」
砲長の質問に対し、副長がさらりと返す。しかしだ、その内容というものが、予想以上にとんでもないものだった。
「交渉が始まると同時に、我々の通貨で賠償金2000億クロナーレを払え、と言い出した」
「は? 2000億クロナーレですかぁ!?」
黙って聞いていたマリッタが、思わず声を上げた。それは当然だろう。私も驚いた。
とんでもない金額だ。我が国の国家予算の三倍に当たる。しかもそれが賠償金だと言い張るあたり、我が国をコケにしている。
「ちょっと待ってください! 王都でパンケーキと紅茶のセットが4クロナーレですよ! てことは、それが500億セットも買えるってことですよね!?」
マリッタにしては、やけに計算が早いな。しかしその例えがパンケーキのセットの数とは。せめてこのヴェテヒネンに例えてくれないだろうか?
ヴェテヒネンの建造には、10億クロナーレがかかっている。これでも国家予算の1パーセントも必要とするほどの、大変な建造費だ。それの200倍の費用を払えというのである。そんな理由も財力も、この国にはない。
「賠償金っていったって、元々はオレンブルクのやつらが無茶苦茶やりやがったから起きた戦争だろうが。なんだよ、賠償って」
「国家分裂を招いたから、だそうだ。とはいってもだな、分裂を招くようなことをしたのは向こうが……そんなことはこの際、どうでもいい。どちらにせよ、交渉は決裂したということだ」
「ですが、そうなるとなぜ交渉のテーブルにつくという決断をしたのでしょうか? オレンブルクは戦闘艦の多くを失い、この先の戦闘継続もままならない状況だというのに、どうやってこの先、この劣勢を挽回しようというのでしょう?」
当然の疑問が、観測員の一人から出された。が、副長は前置きをしつつ、これに答える。
「ここからは推測になるから、話半分に聞いてほしい。だが、今の情勢や、聞いている情報を考えれば当たらずとも遠からずだと思っている」
「なんだよ、突然、改まって」
「スラヴォリオ王国、は知っているな」
「オレンブルクの南側の大国じゃねえか。それがどうした?」
「この国とオレンブルクと手を結んだんじゃないか、と思っている」
この副長の推測に、会議室内は騒然とする。
「副長、さすがにそれは可能性としては低いのではありませんか? だって、オレンブルクとスラヴォリオ王国は、長年の間、国境紛争を繰り返してきた国ですよ?」
「それはそうだが、今はどちらかといえば、フロマージュ共和国との対立が深刻な国でもある」
「とはいえど、あの2か国が過去の利害を超えて手を結ぶなど、到底考えられないのですが」
「むしろ、利害関係という意味では、この両者が手を結ぶ方が利の方が大きいと言える。スラヴォリオ王国としては、南方大陸における支配圏を広げるために、フロマージュ共和国を少しでも弱体化しておきたい。今や国境での紛争よりも、国外にどれだけ利権を持てるかの方が遥かに重大となりつつある。一方のオレンブルクにとっても、大変なメリットがある」
「メリット?」
「ヘリウムが、入手できるということだ」
質問責めにあう副長だが、より大胆で、それでいて不穏な推測を口にする。
「ちょっと待ってください。スラヴォリオ王国にヘリウムガス田なんてありましたか?」
「スラヴォリオ王国内にはない。が、南方大陸のスラヴォリオ王国の植民地内にはガス田があるらしい。もしもこの両国が手を結ぶとなれば、当然、スラヴォリオ王国はオレンブルクにヘリウムを供与することになるかもしれない」
「ですが、そうなったらオレンブルクのやつらとどう張り合えばいいんですか。今はやつらが水素を使ってるから、そのおかげで国力の劣る我々でもどうにか張り合えているんですよ? そんなやつが、ヘリウムを手に入れたらどうなるか」
「いや、そうなればフロマージュ共和国だって黙ってはいないだろう。今は中立国という建前だが、スラヴォリオ王国が出てくればそうもいかなくなる。この両大国をも巻き込む戦争になるかもしれない」
「それってつまり、戦争がさらに拡大すると、そう言いたいのですか!?」
この副長の予測に、皆が質問を投げかけて収集がつかなくなってきた。それはそうだろう。憶測にしては、大胆で非現実的、何よりも我々にとっては不利益極まりない事態だ。
私にもいろいろと聞きたいことがある。が、ここは一点に絞って、副長に尋ねる。
「副長、ひとつだけお聞きしてもよろしいですか?」
私は周りの質問責めを押し除け、ただ一言、こう切り出す。
「なんだ、カルヒネン曹長」
「今の推測と、我々が王都に向かうということに、どういう関係があるのでしょうか?」
列強同士の争いや利害関係など、今さら聞いたところで仕方がない。が、話の発端である我々への帰投命令との関連が見えない。私のこの質問に、副長は答える。
「簡単だ。不測の事態に備えるためだろう。敵がこのキヴィネンマー要塞の向こうだけでなくなるとなれば、今後の不意の作戦行動に備えなくてはならない。だからこそ、急な帰投命令が出たのだと考えている」
と、副長は短く答えるに留める。だがこの時、私は副長の考えすぎだろうと思っていたから、それを話半分で受け止めていた。ともかく、ヴェテヒネンはその日の夕方には要塞を出発し、一路、王都を目指すこととなる。
翌朝には王都に達し、そのままドック入りする。が、着いた直後は特にこれといった動きはなく、静かな1日を過ごす。
事態が大きく動いたのは、その翌日のことだった。
私はふと、宿舎のそばにある売店へと向かおうと思い立つ。前日から砲長の部屋で過ごしていたのだが、新聞を買おうと、軍服に着替えて外に出る。
で、売店にたどり着いたのだが、いつも以上に人が多い。誰もが、新聞を手にしている。しかもそれを神妙な顔で眺めている人ばかりが目につく。
何か、起きたのは間違いない。私も新聞を買い求める。
「これを一部」
「はいよ、1クロナーレだよ」
売店のおばちゃんはといえば、いつも通りの態度だ。なんだ、何かが起きたわけではないのか。そう思いながら、砲長の部屋へと向かう途上で、私は手に入れた新聞を開く。
その見出しを読んで、私はショックのあまり、手に持っていた計算尺を落とす。
副長の予測通り、いや、それ以上のことがそこには書かれていた。
見出しの「世界大戦、勃発」と書かれた刺激的な一文が、目に飛び込んできた。その見出しの下を、私は食い入るように読み上げる。
和平交渉は決裂、それと同時に、スラヴォリオ王国とオレンブルク連合皇国が軍事同盟を結び、我がイーサルミ王国に対し宣戦布告を行った、とある。
それに呼応し、フロマージュ共和国もこの両国に対し宣戦を布告、この聖陵大陸の東西を二分する超大国同士が、戦争状態になったと告げる。
これで話は終わらない。大陸東側のオレンブルク、スラヴォリオのこの軍事同盟に、ヴォルコヴィアス共和国までが加わる。一方で西側のフロマージュ、イーサルミの方には、アルデシア共和国も加わったと書かれている。
なお、海の向こうの西方大陸にある大国、セレスティーナ連合国が、フロマージュ共和国への支持を表明した、という文章でその記事は締めくくられていた。
世界の大部分を治める大国同士が、このイーサルミ王国とオレンブルク連合皇国との間の戦争に加わったということを、この新聞は淡々と告げている。あまりにも大きく動いた事態に、それが現実であるということを、私はまだ、受け入れられないでいる。
しかし、受け入れようが受け入れまいが、この日を境に世界は未曾有の戦争に巻き込まれていくことになる。




