#20 輸送
「輸送任務、でありますか」
「そうだ、正確には、輸送艦ウーシマーの護衛任務だ。明朝、0800(まるはちまるまる)に王都を出発し、キヴィネンマー要塞へ向かう」
招集を受けて勇んでやってきた私は、副長から今度の任務について聞かされる。敵襲ではなかった。私は少し、がっかりする。
「お前、露骨に顔に出るな」
とぼとぼと兵舎へと帰る途中の私に、砲長からかけられた言葉がこれだ。
「なんと出てます?」
「せっかく買った計算尺が試せなかった、と出ている」
図星だな。そこまで具体的に出るものか? いや、この男は私が新しい計算尺を買ってうきうきしているところを知ってるから、それで指摘できたというだけに過ぎない。
「いいじゃないか、今晩はまだ地上にいられるわけだし、任務そのものも比較的安全だ。これほど望ましいこともない」
「そうですか? この先に行われる交渉をより有利にするため、少しでも戦果を上げるべき時でしょう」
「今度の輸送任務は、フロマージュ共和国から供与された新型要塞砲の輸送だ。それ自体がオレンブルクを圧倒する任務であるから、交渉への牽制という点では大きな効果が期待できる」
「そういうものですかねぇ」
それにしても、今思えば緊急招集までする必要はなかったのではないか? 食事中に呼び出されたため、せっかくのポロンカリスティスを味わう間もなく流し込んでしまった。ああ、地上での楽しみの一つが台無しだ。
「さっきの口直しに行かないか」
そんな顔色も察してか、砲長が提案する。
「口直しって、どこでですか」
「ちょうどこの通りに、ヴィーナの店がある。寄ってかないか?」
ヴィーナとは蒸留酒、つまり強いお酒である。いつもこれを果汁割りで飲むのが好きで……って、マンテュマー大尉め、また私の記憶を飛ばすつもりだな。下心が見え見えである。
まあ、いいか。どうせ明日まで待機だ。ならば、早めに酔って寝て、早朝に備えるのもヴェテヒネン乗員としては正しい行動だ。
ということで、店に入って最初の一杯を飲み終えたあたりから、記憶がない。目覚めた時は、いつものパターンである。
「砲長、ふと疑問に思ったのですが」
計算尺で胸の大事な部分を隠しながら、私はふと湧いた疑問を砲長にぶつける。
「なんだ、昨日のことなら、いつも通りだぞ」
「いえ、今さらそんなことを詮索するつもりはありません。私が聞きたいのは、どうして輸送艦ウーシマーの護衛をしなくてはならないのか、ということです」
「それは当然だろう。ウーシマーは全長450メルテあり、しかも重さ20メテ・グラーテもある要塞砲を輸送するんだ。動きが鈍いから、護衛しなければいざというときにひとたまりもない」
「とはいえ、国内を飛ぶんですよ。国内ならば、敵が侵入したところで観測所からの情報でその位置は筒抜けです。うまく避けて飛べばよろしいのでは?」
確かに、国境近くまで移動するから、国境近くで待ち伏せた空中艦と遭遇すれば逃げる余裕はない。が、それならば護衛ではなく、キヴィネンマー要塞付近で敵艦艇の侵入を阻止すればいいだけのこと。鈍足な輸送艦と、どうして並走しなくてはならないのかが、今一つ腹落ちしていない。
「お前、王国内の観測所が完璧に機能しているものだと思いこんでいるようだが、それは過信だ。艦隊ならばともかく、単艦ならば見逃しは往々にして起こっていることだ。現にこれまで何度か王都も爆撃を受けてきたが、そのすべてが単艦での奇襲であり、哨戒網をくぐり抜けてきた結果だ。ゆえに、国内だからといって油断はできない、ということだ」
言われてみれば、観測所の報告が必ずしも頼りになるとは限らない。今までにも艦種、艦数の間違いや見逃しはあった。敵もこちらの哨戒網を心得ているようで、それを避けて通ることが多い。
ということで結局、護衛は必要だということに納得せざるを得ない。この先、せめて敵の位置や数を逐一把握できる機械などが発明されればいいのだが。
そして私と砲長は、ヴェテヒネンのいるドックへと向かう。
「ヴェテヒネン、発進!」
「繋留錘切り離し、ヴェテヒネン、発進する!」
艦長と副長の号令の下、この巨大な空中戦艦が浮上を開始する。ゴトゴトと音を立てて落ちる錘の音が鳴り響くと、この空中戦艦のゴンドラは空を切る音を立てながら急上昇する。
いい調子だ、負ける気がしない。私の気を大きくさせるほどスムーズな上昇を見せるこの大型艦で、私は計算尺を動かす。この速度ならば、巡航高度である3000メルテまで5分以内と言ったところか。
そんな艦が3000メルテに達し、先行する輸送艦ウーシマーの後を追う。といっても、ただでさえ遅い輸送艦に追いつくなど、このヴェテヒネンの機関をもってすればたいしたことではない。出発から30分で、ウーシマーに追いついた。
……が、問題はその後だ。とにかくこの輸送艦は遅い。ヴェテヒネンならば巡航速度でも、キヴィネンマー要塞までは11時間もあれば到着する。が、ウーシマーはその3倍はかかる。と、いうことは、計算すると……計算尺を使うまでもないな。33時間、つまり1日半はかかってしまうことになる。
と、いうことで、朝に出発したというのに、夜になってもまだほとんど進んでいない。いつもなら、とっくに着いている時間だ。これは確かに護衛が必要だな。こんなノロい艦で、しかも大きい。こんな巨大な的、計算尺など使わずとも、沈めることはたやすいだろう。
「なかなか進まないねぇ」
その日の夜も、調理場でマリッタと共に寝る羽目になる。べったりと身体を押し付けられて、胸元をまさぐられている。
「これでも追い風に乗って進んでいるんだが、なんて遅いんだか……」
「それだけ重たいものを運んでるってことじゃないの?」
「それはそうだが、にしても遅すぎる。こんなことならヴェテヒネンで先行して、敵艦を排除した方が手っ取り早いのではないかと思えてくるぞ」
「短気だねぇ。いいじゃない、もうちょっと船旅を楽しもうよ」
船旅ではなく、任務なんだがなぁ。能天気なやつだ。敵と遭遇すれば、この間のように真っ逆さまに落っこちることだってありうるんだぞ。そう言い返してやりたいが、一日中この輸送艦の遅さにヤキモキしていた疲れで、すぐに寝てしまった。
で、翌朝。
窓の外を見ると、高さが6700メルテあるヴァルキアヴィーラ山が朝日を受けて輝いて見える。ええと、この時期の太陽は少し北寄りに昇り、あの山との位置関係から現在地を推定すると……おぼろげな頭で計算尺を動かしつつ、私は一晩でどれくらいこの艦が動いたのかを求めた。
結果、まだ三分の二を過ぎたあたりと判明する。えっ、一晩かけてそれだけ? 輸送艦のあまりの遅さに、寝起きだというのに疲れが私の身体を襲う。
「んん~っ、ってあれ? ユリシーナ、何やってんの?」
計算尺片手にうなだれている私を見て、起きたばかりのマリッタが怪訝そうな表情で尋ねてくる。
「あ、いや、一晩かけてもまだ要塞にたどり着いてないと知ってだな」
「そりゃそうでしょう。だって艦長さんは昨日、今日の夕方に着くって言ってたよね?」
確かにそうだが、それでももう少し進んでいるのかと期待するじゃないか。あまりにも予定通り過ぎて、私はかえって愕然としただけだ。
「さーて、そろそろ朝食の準備しないとね。さ、ユリシーナも計算尺ばっかり握ってないで、起きるよ」
私の気分などお構いなしに、マリッタはいつも通りに調理師としての仕事を始める。私は窓の外の、並進する輸送艦を見た。
あの艦が遅いのには理由がある。戦闘艦はすべてフロマージュ共和国製だが、あの輸送艦だけはイーサルミ王国製の船だ。元々は民間用の大型観光船だったものを、戦時徴用したものだ。
搭載している機関も当然、力のないイーサルミ王国製そのままだ。あれをフロマージュ共和国製のものに置き換えるだけで倍は速度が出せるというのに、それをしようとせずにそのまま使い続けている。もっとも我が王国の事情を鑑みれば、あれの機関をすげ替えるくらいなら、その分で戦艦をもう一隻建造したいところだろう。
調理場を出て艦橋内に入る。テーブルには地図が広げられており、現在地には青の駒石が置かれている。それを副長が優れない表情で眺めている。私と同じ気持ちなのだろう。
「おはようございます、副長」
「ああ、おはよう」
副長のライサネン中佐は32歳。軍務一筋10年で、未だ独身だと聞く。艦長の補佐を務めつつ、荒くれ者ばかりのこの艦内をまとめている。この艦が大きな被害を出さずに戦場を切り抜けてこられたのも、このお方の的確な指示があってのことだ。この艦には、なくてはならない存在である。
その副長をもってしても、今回の任務は苦痛なようだ。いっそ敵が現れてほしい、と思うのはいささか不謹慎というものだろうか。
が、そう思ったのが、いけなかったのかもしれない。
窓の外を眺めていた副長が、何かに気づく。
「なんだあれ、何か、光ったぞ」
時折り、朝日に照らされてチカチカと光るものが見える。私は望遠鏡でそれを見る。
『本艦の右舷、偵察艦を視認!』
時を同じくして、観測員からも報告が入る。艦内が一気に緊張する。
「敵の偵察艦だ! 戦闘配置!」
副長の号令で、すぐに戦闘態勢に移行する。艦橋内の窓という窓には観測員が立つ。私は慌てて後ろのゴンドラへと向かう。
頼りない通路を抜けた先の砲撃室では火薬袋と散弾式砲弾が出され、砲撃準備が行われていた。私は計算尺とメモ紙、鉛筆を取り出して、望遠鏡で偵察艦の位置を探る。
偵察艦というやつは、すぐに逃げる。だから直ちに攻撃しなくてはすぐに逃してしまう。
が、この偵察艦は、逃げるどころかこちらに向かってきた。
「おい、あの偵察艦、こっちに向かってくるぞ!」
砲長も、この偵察艦の異常な動きにすぐに気づいた。だが、その偵察艦は猛烈な速度で急接近する。
これが、敵の新たなる戦いの先駆けであることを、この直後に知ることになる。




