#17 来襲
「あれから、何にも起こんないよねぇ」
と、ぼやくのは、特に直接戦闘に参加しているわけではない調理師マリッタだ。
「いいことじゃないか。それともお前は、戦争を望んでいるのか?」
「そんなわけないでしょう。さっさと終わらせてほしいわよ、こんなこと。でもさ、あまりに音沙汰がないのも、気味が悪いと思わない?」
「それは……」
マリッタの言わんとすることも分かる。あの偵察艦撃沈から一週間が経過したが、あれからオレンブルク軍の動きが全くない。空だけではない、キヴィネンマー要塞周辺にも、敵の攻勢がパタッと止んでしまった。
どう考えても、嵐の前の静けさ、大攻勢の前触れとしか思えないのだが、どこから何が来るのかが、予想できない。それゆえに、我々はずっとここ王都にて待機を命じられている。
が、我々が撃沈した偵察艦の残骸から、興味深い情報が得られた。
「そういえばさ、あの偵察艦、何を探ってたの?」
「それについては分からないが、ともかく、燃え残ったゴンドラから一枚の地図が見つかったそうだ」
「地図? 地図って、当然イーサルミ王国のだよね」
「この国を偵察していたんだからな、当然だろう。で、その地図に記された場所が、奇妙なんだ」
「奇妙って?」
「サルミヤルヴィ山脈の中ほどから、北に渡って印がつけられている。つまり、この偵察艦はやはり北側の航路を探ろうとしていた、ということのようだ」
「そうなんだ。で、それがどうしたって言うの?」
「いや、だから、王国の北方というのは極めて考えにくい侵攻経路なんだ」
「なんでよ」
「そもそも、王国の北方には軍事拠点も都市もない。おまけに北側を通って侵攻しようとすると、サルミヤルヴィ山脈に沿って曲げられた偏西風によって向かい風になる。当然、速度は落ちることになる」
「だけどさ、逆に言えば一番ありえない侵攻経路だって、こっちは油断しているんでしょ? だいたい、王都クーヴォラって、我が国でも北寄りにある大都市じゃない。だったら、そのさらに北側を密かに通られたらまずいじゃない」
「そうだ。が、密かに通ることが不可能なんだ」
「どうしてよ」
「キヴィネンマー要塞があるカレリーア峠、あそこより北にはサルミヤルヴィ山脈がぐるりと我が王国を囲っている。高さ5000メルテを超える山々が囲んでいるんだ、それを高度4000メルテがやっとな空中戦闘艦では超えられない」
「ああ、そういうことね。つまり山脈が、天然の城壁となっている、と」
「加えて、カレリーア峠より南側には低地の湿地帯が広がっているだけだから侵入可能だが、そこは都市や街が点在しており、防空哨戒網が拡充している。だから、姿を隠して北側に回り込もうというのは到底不可能、というのが実態だ」
「ふうん、それじゃあなんだって、オレンブルクは北側を調べていたのかな?」
首をかしげながら呟きつつ、マリッタは手に持ったシナモンロールにかじりつく。私も、目の前にあるパンケーキをフォークで突き刺して、それに食らいつく。
確かに、私も気になっている。マリッタとは異なり、私はあの偵察艦がどこからきたのかに、疑問を抱いている。
あの撃沈した偵察艦だが、キヴィネンマー要塞やその周辺の観測所では捉えられていない艦影だという。つまり、我々の哨戒網をくぐり抜けてきた、ということになる。
小型の船体だから、見逃したという可能性はある。しかし、何重にも張られた哨戒網にある全ての観測所で見逃されるというのも変だ。どうにもこの点が、引っ掛かってならない。
ところで、私とマリッタは今、王都クーヴォラの中央街にある喫茶店に来ている。その店の前のテラス席で、ようやく訪れた夏の暖かい空気を感じながら、商店街を行き交う人々を眺めつつお茶を楽しんでいるところだ。
真新しい軍服と、幾多の戦場をくぐり抜けて少しくすんだ金色の勲章をさらしながら、この静かで平和で優雅なひとときに私は浸っている。
「そういやあさ、マンテュマー大尉とはどうなってるのよ」
が、唐突にその優雅さをぶち壊す一言が、マリッタから発せられる。話が敵の侵攻から、男女の話題へと移った。
「どうとは?」
「とぼけないでよ。ここ最近、砲長の部屋に転がり込んでるんでしょう?」
「誤解だ、この間の偵察艦撃沈の後の祝賀飲み会の後、いつものように気づいたら砲長のところにいただけだ」
「でもさぁ、お酒飲んだのって、一週間前のあの時だけじゃない。なのに、その後もずーっと砲長の部屋にいるのは、どういうわけなのよ。今日もユリシーナの部屋に行ってもいなかったから、思い切って砲長の部屋に行ってみたら、そこにユリシーナがいたわけだし」
う、こいつめ、変なところを突いてきたな。関係ないだろう、お前には。
「そ、そういうマリッタはこの一週間、大人しくしていたというのか?」
「そうねぇ、私は街に出て食材を買ってたわよ」
「なんだ、食材なんて買い込んで。料理でも作る気か?」
「私は調理師よ。当たり前じゃない」
「だけど、空中戦艦の調理師が、食材を買い込んで調理の上など磨いても無意味だろう。どうせ缶詰や乾燥食品しか扱わないのだから」
「そんなことないわよ。それに、私一人の料理を作ってるわけじゃないのよ」
「なんだ、料理を一緒に食べる仲間でもいるのか?」
「キヴェコスキ兵曹長よ」
それを聞いた瞬間、私は食べかけのパンケーキを危うく落とすところだった。
「おい、まさかお前、キヴェコスキ兵曹長とつき合ってるのか?」
「そうよ。知らなかった?」
「初耳だ。だいたい、キヴェコスキ兵曹長のどこがいいんだ?」
「どこがって、めちゃくちゃ男らしいじゃない。筋肉隆々で、おまけに野性的で。しかもさ、私のような大きめの胸が大好きだって。お互い相性がよさそうだから、つき合うことになったの」
「いつからだ」
「そうねぇ、ちょうど退院して、サウッコに乗艦することになったときかな。あの時さ、爆撃任務の後に乗り物酔いを起こしていた私を抱き上げて、要塞まで連れて行ってくれたのよ。そんで、そのまま要塞の一室で……」
ああ、頭が痛くなってきた。私があのわからずやの要塞指揮官にいじられている間に、そんなことになっていたのか。
「てことは、お前もキヴェコスキ兵曹長と一緒に?」
「まさか。せいぜい夜だけよ。昼間は部屋に戻って料理よ。それを持ち出して、夕食を兵曹長さんの部屋で食べるの」
ふうん、で、その後にお楽しみがあるんだな。こいつ、人のことをどうこう言える立場じゃないな。
「んでさぁ、兵曹長ったら料理を食べながら『お前は最高だ』って褒めてくれるのよ。今どき、料理を褒めてくれる男って珍しいからさ、なんか嬉しくなっちゃった」
と、マリッタは言うが、最高なのは料理ではなく、お前の胸についているその二つの脂肪の塊の方だろう。男の身長と女の胸囲には、正の相関があると言われているようだから、背が高いキヴェコスキ兵曹長との相性がいいはずだ。
いや、待て。その理屈はおかしいな。身長ではキヴェコスキ兵曹長といい勝負のマンテュマー大尉は、むしろ私ぐらいの方が好みだと公言している。私の周囲だけで反証できてしまうこの理屈は、成り立っていないと見るべきか。
なんてことを考えながら、パンケーキを貪っている。空に上がれば、こんなに柔らかくて舌触りのいい食べ物は口にできない。またあの石のように硬いビスケットと、干したトナカイ肉に器に盛られた味気ない豆、酢漬けキャベツの日々が待っている。
芳しい地上の紅茶とパンケーキを堪能していると、突如、目前の通りに伝令兵が叫び声を上げて走るのが見える。
「でんれーいっ! 空軍の艦艇乗員は、全員直ちに司令本部へ向かえーっ!」
繰り返し叫びつつ、街中を走るその伝令兵が通り過ぎると、慌てて残りのパンケーキと紅茶をかき込む。
「いくぞ、マリッタ」
「ええ、いきましょ」
おそらくは、敵襲だろう。それも空中戦闘艦による襲来だ。間違いない。
また、新型艦が出て来たのかもしれない。しかし、全員招集とは穏やかではないな。ともかく今は司令本部へと向かい、命令を受けて出撃するまでだ。
大勢の空軍兵士が、司令本部に集められる。今、この王都には戦艦ヴェテヒネンの他に、戦艦イクトゥルソ、ミンレプ、高速巡洋艦トゥイマ、ヤーカルフの計5隻がいる。
それらの乗員117名が司令本部内の大会議場に集められると、空軍指揮官であるカンニスト中将から、緊急招集された理由が聞かされる。
「軽巡洋艦カルヤラからもたらされた情報だ。敵の大艦隊が、ここ王都クーヴォラに迫りつつある」
一気に、会議場内の空気が張り詰めた。今、大艦隊といった。つまり、これまでにない攻勢を仕掛けてきたと、そうカンニスト中将は告げている。
「敵の艦隊は、この王都の北東方向、約210サンメルテを侵攻中だ。我々の哨戒網をくぐり抜けて、いつの間にか王都近くにまで接近していた」
そして、予想以上に近いところまで敵の大艦隊が迫っていることが明かされる。さらに中将閣下の話は続く。
「敵艦隊の規模だが、ペロルシカ級8、サラトフ級3、ラーヴァ級4。総勢15隻の大艦隊だ。現在は偏西風の向かい風で毎時110サンメルテで移動中だが、いずれ方向を変えて加速する。おそらく、王都の東北東45サンメルテの地点だ。そこで王都にいる5隻と、偵察任務中の軽巡洋艦カルヤラ、カヤーニ市に停泊中の戦艦ズヴェアボルグを加え、計7隻でこれを迎え撃つ」
砲撃可能な艦艇の数としては、オレンブルクと互角ではある。が、あちらは全て戦艦級で、かつサラトフ級は2門の砲を持つ。一方でこちらは射程の短い砲しか持たない巡洋艦が3隻。これで互角とは、到底言い難い。
しかし、それほどの大艦隊がどうしてここまで哨戒網に引っかからなかったのか?
「これに加えて、キヴィネンマー要塞にも敵5個大隊が接近中との連絡が入った。あちらでは爆撃艦サウッコ、ズヴィルに、ハミナ市に停泊している重巡洋艦ヴェシッコが出撃して要塞を援護する。つまり、我が空軍の全戦力を投入する戦いとなる」
加えて、陸からの大規模侵攻についても知らされた。つまりオレンブルク軍は空と陸、両方から同時に大攻勢をかけてきたことになる。そちらには爆撃艦とその援護の重巡洋艦も駆り出すということだ。まさに、総力戦。今回投入されないのは、武装を持たない輸送艦ウーシマーだけか。
「ともかく、我が王都への大規模空襲阻止と、国境死守という二つの作戦が同時に行われる。これらを排除すべく、総員、全力を尽くせ。以上だ」
中将閣下からの報告を受けて、この場の全員が敬礼で応える。その全員に、閣下は返礼を向ける。
『繋留錘切り離し、戦艦ヴェテヒネン、発進!』
それから10分後には、戦艦ヴェテヒネンにいた。船体を停めていた繋留錘が切り離され、船体が浮き上がる。高度を上げるにつれて見える、夏の日差しに照らされた王都の建物が白く眩しい。
その王都の街並みが小さくなり、高度4000に達する。周囲には、次々に浮き上がってきた僚艦が4隻、この5隻で単縦陣を組み、一路、敵艦隊通過予定地点へと向かう。
「軽巡洋艦カルヤラからの連絡によると、彼らは進路を北西のまま、進撃中とのことだ」
「まだ、風上へ向かっているのですね」
「だが、そろそろ進路を変えるはず。早めにズヴェアボルグとの合流を果たし、予想侵入地点へと急ぐ」
出発から1時間後のブリーフィングでは、敵艦隊の最新の位置を知る。このまま予定通りならば、およそ3時間後に接敵することとなる。
なんとも間の悪いことに、その接敵地点上空には積乱雲が発達しつつあるとの報告も入る。敵の侵攻を阻んでくれるなら歓迎なのだが、我々にとっても行動に制限がかかるから、必ずしも天祐とは言い難い。
「砲長、複数の敵を相手に、勝ち目はあるんでしょうか?」
ブリーフィングの後、砲撃室に戻った私は、砲長に尋ねる。
「やってみないと、なんとも分からない。が、これまでだって複数の敵を相手に戦ってきただろう」
と、砲長はそう返答する。確かにその通りだが、今度は15隻だ。いかに味方がいるとはいえ、大きく不利なことには変わりない。胸騒ぎしかしない。
私は、計算尺を見る。こいつがはじき出す答えが、我が艦、そして王国の大勢の人の命を左右する。一つ間違えたら、それだけ人が死ぬ。家族を失い、天涯孤独を味わうことになったあの思いを、何百、何千、いや何万もの人々に味合わせることになるかもしれない。
これまでになく、気を張り詰めていた。今までもぎりぎりの戦いだったが、今度は規模が違い過ぎる。計算尺を持つ手が、小刻みに震える。
そういえば、キヴィネンマー要塞にもさらに大規模の敵が迫っていると聞いた。爆撃艦2隻も加わるし、要塞砲もあの一件で、命中精度が格段に上がったはずだ。冷徹なエクロース准将なら、あの程度の侵攻は止めてくれることだろう。
となると、この空中会戦こそが、敵の大規模攻勢の勝敗を決することになるだろう。
窓の外は、この季節特有の渦高く昇る雲がいくつも見られる。その中で、大きく発達した雲が見える。妙にどす黒いのは、それが猛烈な雨と嵐を含んでいるからだ。あの中はきっと、強烈な雷雨が渦巻いていることだろう。
そして、戦艦ズヴェアボルグとの合流も果たし、単縦陣で接敵地点へと向かう。
『敵艦隊、捕捉! 艦影多数、ペロルシカ級8、サラトフ級3、ラーヴァ級4! 距離10200、相対速力130! 単縦陣にて東へ進行中!』
ブリーフィングから3時間後、ついに敵の艦隊を捉えた。その構成は事前情報通り、両者は単縦陣のまま平行を保ちつつ、その距離を縮めつつある。
だが敵は戦闘距離直前で陣形を変える。オレンブルクの爆撃艦ペロルシカ級8隻が、我々から見て戦艦級の7隻の後ろへと回り込む。爆撃艦隊を防御する意図だろう。
「時限信管42秒、火薬袋7、仰角45、左90度!」
砲長が指示を出す。この陣形だと、初弾は戦列を保ったままの長距離砲撃。だから、射程7800で放てる緒言で備える。
私は、望遠鏡を覗き込む。敵も同様に、こちらに砲を向けている。高度は同じ4000メルテ、相対速度はほぼゼロ、しかし砲の数は圧倒的に向こうが上、おまけにこちらも巡洋艦クラスは射程が5000しかなく、7800では撃てない艦艇もいる。この不利な状況で、戦闘が始まろうとしていた。
距離は迫り、まもなく8200というところになった。そこで思わぬ敵の行動が観測される。
『敵艦隊、発砲!』
おかしい、敵も射程は7800のはずだ。どうして射程外から……と考えて、私はハッと思い出す。
そうだ、私が初陣でやった、あれと同じ手だ。
今、敵の方が風上側にいる。追い風にのせて、射程外砲撃を仕掛けてきたのだ。
『回避運動、取り舵いっぱい!』
『とーりかーじ!』
それを察した航海長が、すぐさま回避運動に入る。他の艦もつられて、同様に回避に入った。
しばらくすると、パパパパッと散弾の炸裂音が響く。無数の弾が降りそそいでいるはずだが、幸いなことに当たらない。
が、ここで被害が出る。
『戦艦ズヴェアボルグ、被弾! 高度低下!』
後方にいるズヴェアボルグを見る。7つに分割した気嚢の内の一つに被弾して抜けてしまった。撃沈ではないが、浮力を失い高度が下がり始めた。
ただでさえ不利な状況が、さらに不利になった。よりによって、戦艦が戦列を離脱してしまった。ズヴェアボルグは低高度から砲撃を行うが、高度差は不利に働く。戦力として期待できない。
それ以上に、ズヴェアボルグの被弾は思わぬ影響を及ぼす。
『回避だ、面舵いっぱい!』
『おもーかーじ!』
敵は砲撃を続ける。散弾の炸裂音が、間断なく起こる。そのため回避運動に手一杯で、敵に近づくことができない。さらに味方が各々で回避運動をしているため、戦列が乱れ始めた。
混乱と恐怖で、とても攻撃どころではない。
そうか、これが敵の狙いだったのか。
『なんとか敵艦隊に接近できないか!?』
『無理です、砲火が激しく、接近ままなりません!』
これでは計算尺の出番がない。このままでは私は何も成すことなく、敵に沈められてしまうじゃないか。
後方を見ると、味方がかなり乱れている。辛うじて軽巡洋艦カルヤラが速度を活かして敵側面に接近しつつあるが、あの艦だけでは心もとない。
『やむを得ない、これより当艦は、積乱雲に突入する』
このまま並走が続いたが、すでに目の前にはあの積乱雲が迫っている。その大型の雲を前に、艦長がとんでもない決断をする。
『積乱雲内に潜り込むことで敵の目を逸らしつつ、そこで大きく向きを変え、敵艦隊に迫る。危険ではあるが、それにより現状の混乱を回避するほかない。各員、衝撃に備え!』
なんてことだ。嵐と雷と、豪雨の只中に飛び込もうと艦長が言い出した。自殺行為に近い。が、艦長の言う通り、このままでは埒があかないのは確かだ。
一か八か、積乱雲による雲隠れにかける。
このままやられるだけか、あるいは敵を逃して王都を火の海にされるくらいならば、積乱雲の嵐にさらされる方がマシだ。私は計算尺を左手に持ち、支柱を右手で握りしめ、突入に備える。
伝声管より、副長の声で突入の合図が響く。
『両舷前進強速、積乱雲へ突入開始!』




