#16 偵察
『総員、戦闘準備!』
副長の号令を聞いて、私は望遠鏡を握りしめ調理場を飛び出す。そこから布製の通路を伝って、後部ゴンドラにある砲撃室に入る。すでに砲長、砲撃手が整列している。
「敵は高速艦だ。取り逃せば、二度と追いつけない。一撃で当てるつもりで撃つ」
砲長の意気込みに、私も力が入る。偵察艦は足が速く、一度逃げられるともう追うことができない。チャンスは、一度きりだ。
「敵はまだ、気づいていないな」
「なぜ、そう思うのです?」
「もしも我々を見たら、増速するはずだ。だが今は巡航速度で航行している。うまく行けば、偵察艦を初めて沈めることになるぞ」
なんだか、妙に興奮しているな、砲長は。この話から、我が空軍は未だに偵察艦を沈めたことがないということか。
せっかく砲長がやる気になったのだから、私もその実現に尽力したい。が、あの偵察艦、どことなく不自然に感じる。少しやる気に水を差すかもしれないが、砲長に尋ねてみた。
「ところで砲長」
「なんだ」
「偵察艦というのは、おそらく何かを探るため使われる艦、つまり我々よりも見張りや観測員を配置している艦です。それがどうして、我々の方が早く見つけられたのでしょう?」
「そうだな、運が良かった、と言えるかもしれないが……」
砲長は少し、考える。やはり砲長にも私の違和感が伝わったのだろう。
「一つ考えられるのは、周囲の見張りにさける状況ではない、ということかもしれない。今、彼らは偵察の真っ最中なのかもしれん」
「ですが、ここにはなんの軍事拠点もありません。また、敵が王都やそのほかの都市を爆撃する進路からも大きく外れています。こんな場所を偵察する目的なんてあるんですか?」
「うむむ、そう言われてもな……」
我々がここにいるのは、サルミヤルヴィ山脈で曲げられた偏西風を利用し、王都の北東へ向かおうと考えたからだ。当初はハミナ市方面へ行くことになっていたが、敵偵察艦がやや北寄りに進路を取っているという情報を聞き、探索範囲を北へ移すことになったからだ。そこで一旦王都方向に戻って、山脈のそばに来た。
この5000メルテ級の山々に阻まれ、敵は北側から侵攻することはほとんどない。空中戦艦や爆撃艦が5000メルテの山を超えることは容易なことではない。それゆえに、敵の侵攻ルートは、この山脈の端部であるキヴィネンマー要塞がある峠付近か、その南に広がる湿地帯から侵入するしかない。それゆえに、これほど北側に偵察艦を派遣することに、違和感を覚えたのだ。
「まさか、侵攻ルートを北寄りに変えようとしている?」
砲長が出した結論がこれだ。が、私はにわかには信じられない。
「いや、オレンブルクから北寄りの進路なんて、もっとも無理な航路ですよ。まずキヴィネンマー要塞付近を通った後、わざと偏西風に逆らう方向に向かうことになるんです。我々が迎撃に要する時間を稼ぐだけで、なんのメリットもありません」
「いや、それはそうだが、だとすればあの偵察艦の目的はなんだ?」
「それは……」
砲長に反論されるが、私も敵のすべてを知り尽くしているわけではない。何かを企んでいるとは思うが、それがなにかまでは分かろうはずもない。だからといって、敵の新たな侵攻ルートだという説には飛躍が大きすぎる。
「まあいい、ともかく今はあれを排除することが先決だ。いずれにせよ、敵の意図さえくじいてしまえばいいのだからな」
「はっ、承知しました」
少し冷静さを取り戻した砲長が、そう話を締めくくる。砲長の言う通り、先のことは読めない。ともかく今は、あれをなんとかして沈めよう。
気を取り直した私は、敵の偵察艦を見る。距離は10000以上といったところか。このまま真っ直ぐ接近すれば、脱兎のごとく逃げられてしまう。
そこで航海長が取った策が、雲を隠れ蓑にして接近しようというものだ。あの積乱雲に吸い込まれるように、周囲に雲が集まっている。その雲の中を伝って、偵察艦に近づこうというものだ。
それで私は艦橋に呼び出される。
「風速は50、風の影響で艦は右に流されるので、まずはこのあたりに出るはずです」
観測員が地図上に、自艦の航路を書き記す。もちろん、それを計算で導くのは私の仕事だ。雲の動きから、だいたいの風速を読み取り、そこから進路を予測する。地図上には折れ線でその予測が描かれる。
「よし、すぐに行動だ。面舵10度、両舷前進半速」
「おもーかーじ、前進はんそーく!」
あとは身を隠す雲の動きに合わせて、進路を変えるだけだ。それを見届けると、私は再び後部ゴンドラへ続く通路を伝って戻っていく。今日はこのおっかない通路を通る回数が多い。
通路を抜けて砲撃室に入る頃には、すでに窓の外は真っ白だ。雲に突入した。周りは、何も見えない。
「この雲海から抜けたら、敵が射程距離内になるはずだ。敵を視界に捉え次第、すぐに砲撃を開始する」
つまり、この一撃ですべてが決まるということだ。外せば、もはや捉えることが不可能になる。
こんなシビアな戦闘は初めてだ。相手の反撃を恐れない代わりに、一発必中が求められる。決して、楽な戦いではない。
「まもなく、雲を出るぞ!」
砲長の叫び声にハッとして、窓の外を見る。徐々に白い霧のようなものが薄れて、青い空が透けて見え出す。
正面に、敵の偵察艦がいるはずだ。私は望遠鏡を片手に、それがいるはずの方向を索敵する。
いた、全長が100メルテと、小ぶりの飛行船がこちらに側面を向けて巡航していた。距離は、6000といったところか。私はすぐさま計算に入る。
風速、風向、距離、そして敵艦の大きさ。今度の標的は小さい。その分も考慮しつつ、距離と散弾式弾頭の炸裂するタイミングも決める。少し湿気の多い中、計算尺を滑らせ鉛筆をカリカリとさせて答えを探る。
最後の補正項。今度の敵は、偵察艦だ、撃った瞬間に回避運動を始めるかも。どちら向きに回避するかが不明だが、私は右に避けると仮定した。
真正面には、あの積乱雲がある。偵察艦から見てやや左側に張り出したその積乱雲を避けるためには、右に進路を取るしかない。
そこまでを見越した補正項を入れて、私は答えを導く。
「砲長! 仰角37、艦主軸右12.5度、装填火薬6袋、時限信管設定22秒!」
これを聞いた砲長が、砲撃手に指示を出す。
「6袋投入、時限信管22秒、砲弾投入急げ!」
砲長の指示で、3人の砲撃手が一斉に動く。砲弾が放り込まれて火薬袋が6つ投げ込まれると、尾栓が閉じられる。キヴェコスキ兵曹長ともう一人の砲撃手がハンドルを回し始め、すぐに砲身が動き出す。
「仰角37度、右12.5! 射撃用意よし!」
「よし、砲撃始め、撃てーっ!」
久しぶりに、ヴェテヒネンの砲身が火を噴く。ドーンと発射音を轟かせて、砲弾が飛翔する。薄っすらとかかる雲が、発射の衝撃で押しのけられ、弾の軌跡に沿って雲のトンネルが生じている。
私は望遠鏡で偵察艦を確認する。おそらく、回避運動をするはずだ。
が、予想に反して、偵察艦は曲がらず、進路そのままで加速を始めた。
通常の空中艦ならば取るであろう回避運動をしない。よほど加速に自身があるのか?
『だんちゃーく、今!』
弾着の3秒前に砲弾が炸裂し、無数の弾が撒き散らされたが、弾着の合図の後も変化がない。外した。千載一遇の機会を、逃してしまった。
「まだだ、砲身戻せ、第2射用意!」
だが、砲長はまだ諦めていない。第2射の指示を出す。そうだ、少しだが射程距離に余裕がある。敵はまだ我が艦の砲射程7800から外れていない。
敵艦は加速を続ける。我々も機関を全開にして追う。が、やはりあちらは足が速い。どんどん離される。1800メルテあった射程の余裕分以上に引き剥がされそうだ。
が、ここで敵に思わぬ誤算が生じる。
敵が逃走する方角には、あの積乱雲が立ちはだかっている。このまま真正面に進めば、あの雷嵐の渦の中へと入ることになる。
となると、その雲の壁ギリギリで一旦減速し、回避運動をするはずだ。左方向には積乱雲が張り出しているから、右に舵を切るはず。
その回頭の瞬間に当てられれば、止まった敵を狙うのと同じだ。
そう考えた私はさっきの計算を書いた紙を破り捨て、再び計算を始める。
敵の位置、相対速度、積乱雲表層の風の影響などを計算式に叩き込む。これらをすべて加算した後、私はもう一度、望遠鏡を覗く。
少し早めに舵を切り始めているようだ。弾着を少し、右に寄せたほうがいい。それを補正項として、答えに足し合わせた。
「砲長! 仰角42、艦主軸右方向21.2度、装填火薬7袋、時限信管設定33秒!」
それを聞いた砲長が、すぐに指示を出す。
「時限信管設定急げ、7袋投入!」
手慣れた手つきで、砲撃手らが砲身に弾と火薬を詰める。尾栓が勢いよく閉じられ、ハンドルが回される。
「仰角42、右21.2! 射撃用意よし!」
「撃てーっ!」
用意よしの号令から間髪入れずに砲撃の号令がかかる。ドーンと音を立てて、第2射が雲の隙間の青い空へ吸われるように消えていく。私は望遠鏡で、敵の偵察艦を見た。
回頭しているはずだが、なかなか曲がらない。積乱雲の壁際でもたついている。偵察艦というのは、加速力はあるが、舵の効きが悪いのか。ほっそりとしたその船体、空力を優先した小さな舵が、回避運動の際はその弱みをさらけ出すことになった。
『だんちゃーく、今!』
観測員の弾着の合図とともに、その偵察艦の細い船体が炎に包まれた。熱せられた散弾が、気嚢いっぱいに詰まった水素を着火させて、あっという間に火だるまと変える。
いつ見ても、悲惨な光景だ。だが、これで我々は敵の偵察艦を初めて撃沈したことになる。
「やったぞーっ!」
砲撃室から歓声が上がる。砲長もガッツポーズだ。空軍初の快挙に、砲撃科は大いに盛り上がる。
「やっぱりお前は、砲撃の女神だぜ!」
などと言いながら、キヴェコスキ兵曹長が抱きついてきた。いきなり抱きつかれて、私は大事な計算尺を落としそうになる。砲長も怪訝な表情で兵曹長を睨みつける。
ともかく、勝利には違いない。これでまた戦艦ヴェテヒネンの戦果が一つ、増えた。
が、どうして偵察艦がこんなところにいたのか?
その意味を後日、我々は身をもって知ることになる。




