#14 越権
「指揮所より、左2.2、下方3.1!」
相変わらず、不可解な指示がどこからともなく飛んでくる。私はこの砲撃室の脇にある小さなのぞき窓から、望遠鏡でのぞき込む。
ドーンという発射音と共に、砲弾が打ち出される。しばらくすると、地面から細長い土煙が立ち昇る。あれがこの砲から放たれた砲弾が落ちた場所だろう。
が、自走砲より右寄りに着弾している。私が見たところ、右にあと3度ほど補正が必要だ。
が、再び電話機を兵士が取る。弾着補正がかかる。
「指揮所より、左2.1、水平方向そのまま!」
いや、次の弾はどう考えても右寄り補正だろう。なぜ、左に向きを変える? 他の砲台と勘違いしているんじゃないのか?
そもそも、どうしてここに計算士がいないんだ?
「撃てーっ!」
ドーンと、腹に響く砲撃音が轟く。砂煙をあげて発射される弾は、やはり外れる。さっきよりもむしろ、弾着点が余計に逸れた。
「左1.2、下方3.0!」
また不正確な指示が送られてきた。砲撃手が指示通りにハンドルを回して、再び砲撃を行う。
ダメだ……現場から見れば誤りだとすぐに分かる弾着補正値を、彼らは鵜呑みにして指示通り撃っているだけだ。
どおりで当たらないわけだ。弾道計算と砲撃手が別々の場所にいれば、当たるはずがない。空からもここの砲撃の命中率が低過ぎると感じていたが、こういうことだったのか。
「あの!」
私は、声を上げる。すると砲撃手の一人が振り向く。
「なんだ、どうしてここに空軍がいる」
「それよりも、どうしてここには計算士がいないんですか!?」
ここの砲長らしき人物が、私の声に振り向く。私はその大尉の軍章をつけたその軍人に、計算士の不在を尋ねる。
「こちらの質問に答えるのが先だ。どうして空軍の士官と下士官が、ここに立ち入っている?」
「いや、ですから……」
「おい、カルヒネン曹長、やめろ。ここは陸軍の砲台だぞ」
マンテュマー大尉が、私の肩を握り制止する。そしてこっちの砲長が、あちらの砲長に答える。
「我々は、爆撃艦サウッコの乗員だ。出撃前に戦場を把握するため、司令官閣下の視察許可を使って前線を一望できる砲台に来た」
「そんな暇があったら、こんなところに寄らずさっさと出撃すればいいだろう」
「やれたら、やっている。出撃許可が下りていない」
一触即発の事態だ。互いに、機嫌が悪い。あちらは部外者の侵入、こちらは理不尽な出撃不許可。しゃしゃり出た私が原因とはいえ、戦闘中にこれはまずい。
が、両者に割って入るように、弾着補正の連絡が来る。
「指揮所より、左3.3、下方2.1!」
「弾薬装填急げ、砲撃準備!」
こちらの砲長が指示を出す。二人の砲長の間にあった凍りつくような空気が、いっぺんに失せる。尾栓が開かれ、火薬カスが除かれて弾頭と火薬袋が詰められる。
再び、砲身が上を向く。ハンドルが回されて、我々の知る砲身よりもずっと太い巨大な鋼鉄の筒が、青い空に向けられる。
「撃てーっ!」
ドーンという音とともに、砲弾が発射される。私は再びさっきののぞき窓から、その砲弾の向かう先を望遠鏡で見る。
自走砲車の両脇より転倒防止装置が伸ばされている。敵の自走砲による砲撃が、まさに始まろうとしている。その自走砲車から離れた場所に、さっきの砲弾が着弾する。
ああ、こんな無意味な砲撃を続けていたら、いつまで経っても当たらない。どうして、こんな効率の悪い戦いを、彼らはしているのだろう。まさか、気づいていないのか。
「あの!」
「なんだ、空軍! 用が済んだらさっさと立ち去れ!」
「今の弾着、およそ右に5度補正です! どんどんズレてます!」
「おいよせ、計算士」
つい私は口出ししてしまった。マンテュマー大尉が制止する。だが、それを聞いたあちらの砲長が私の胸元を見て、こう呟く。
「ああ、そうか、あの噂の……」
どうやら、私のことはここまで伝わっているようだ。が、空軍ならともかく、陸軍で私の勲章を見て、良い感情を抱く者はほとんどいない。
「勲章持ちだからと、我々の戦い方に介入し過ぎではないか。残念ながら、ここではそんなお飾りは通用しない。敵は勲章持ちか否かなど、区別しないからな」
案の定、皮肉られた。ここでは金等級の勲章が、かえって仇になる。その間にも、例の砲撃指揮所からの指示が下りてくる。
「指揮所より、右2.1、上方1.3!」
さすがに右方向に補正してきたが、私の見立てでは全然足りない。おそらく、弾着は左にずれたままだ。
「右2.1、上方1.3!」
ところが、砲長はこの数値を復唱する。私は思わずまた、叫んでしまう。
「砲長殿、このままではまた左に……」
「指揮所に従うのは、司令官閣下からの命令だ! いちいち口出しをするな!」
この一喝で、私の進言は伏されてしまう。砲身が再び空を向き、虚しくその砲火を放つ。
私は、望遠鏡でその先を見る。しばらくして弾着するが、予想通り自走砲の左に着弾する。しかも、自走砲の位置を飛び越え、その後ろに着弾する。
ああ、もどかしい。苛立つ私は、計算尺を取り出す。メモ紙がないので、落ちていた小石で地面に描き始める。
「おい、何を始めるつもりだ」
「マンテュマー大尉、少し黙っててください!」
こっちの砲長を黙らせて、私は勝手に計算を進める。こちらは固定砲台、あちらも固定された目標。しかも、空中戦艦の散弾式砲弾と違って重たい単弾頭の要塞砲は、風の影響をほとんど受けない。
カリカリと音を立てて、私は計算する。初速はおそらく毎秒400メルテ、さっきの弾着が左120メルテ、後方30メルテのずれ、この砲台の高さはおよそ50メルテ……推測値ではあるが、各種諸元を基に滑尺を滑らせて、答えを割り出す。
「右3.5、下方0.3!」
これを、彼らの使う補正値の形で伝える。あちらの指揮所より早く、こちらが補正値を出した。それを聞いたあちらの砲長が、何かを言おうと口を開く。
が、直後に電話を持った兵士から、指揮所の補正値が伝えられる。
「指揮所より、左2.1、上方1.3!」
こちらの結果とは、ほぼ真逆の値が伝えられる。それを聞いたあちらの砲長が、その値を復唱する。
「左2.1、上方1.3!」
「砲長殿! それではまた外れます!」
私はその指示に反論する。当然、この要塞砲の砲長は正論で返す。
「お前の値が正しいかどうかが問題じゃない、これは命令だ! 軍において、命令は絶対だということくらい、お前も知っているだろう!」
だが、私はその砲長の言葉に反論する。
「あの自走砲が攻撃を始めれば、塹壕内の兵士の手足や命が吹き飛ぶんですよ! それが分かってて、どうしてわざと外れる値に従うんです!?」
この一言に、あちらの砲長はなにか思うところがあったようだ。手を震わせながら、それでもまだ私に何か言いたげだ。が、私はこの砲撃室を見回して、一呼吸置いた後にこう切り出す。
「それに、この現場にいない指揮所の人たちが、自分たちの補正値を使っているかどうかなんて、どうやって知ることができるんでしょう?」
この私の一言を聞いた砲長が、ハッとしたような表情を浮かべる。そして、砲撃手にこう命じる。
「訂正だ、右3.5、下方0.3だ」
なんと、私の計算結果の方をこの砲長は復唱した。すぐさま砲身が、空に向けられる。
心なしか、ドーンという砲撃音がさっきよりも冴えて聞こえる。計算士としての直感だが、当たる時の砲撃音は、どことなくいつもと違う。これは空中戦艦でも感じたことだ。私は標的であるあの自走砲車を望遠鏡で見た。
直後、ほぼ真上からの直撃を受けて、一瞬火柱が上がったかと思うと、その自走砲車が黒煙に包まれる。命中だ。
「やった、命中した!」
そばにいた観測員も、この戦果に思わず興奮する。同様にこちらの砲長も、自身の望遠鏡でそれを確認していた。
もっとも、私からすれば固定された自走砲を狙うなど、止まったハエを叩くようなものだ。普段の私は、全速力で襲いかかってくるハチを落としているようなものだから。
「指揮所より、標的変更! 左陣地の自走砲車、補正値、左33度、上方12度!」
早速電話で、標的変更が知らされる。敵は3個大隊、およそ3000人。そのうち、自走砲車が3台。あれを全て叩けば、どうにかこちらの兵力だけでも侵攻を阻むことができる。
指揮所通りの指示値で砲撃を行うが、当然外れる。望遠鏡で見て、そのずれ補正値を私は再び計算する。
「右1.1、下方3.2!」
「指揮所より、左3.5、下方1.1!」
ほぼ同時に伝えられる補正値をききながら、こちらの砲長が自身の望遠鏡で、標的である自走砲を眺めつつ、こう指示を出す。
「右1.0、下方3.2だ」
それを聞いた私は、その砲長に言う。
「いえ、右1.1ですが」
「私の補正値を入れた。こう見えても、私だって計算士だ」
それを聞いた私は、思わずその砲長に敬礼する。砲撃手が、その値を汲んで砲身を回し出す。砲身が空を向き、砲火を噴く。
が、この一撃は外れる。右2.0くらいが適切だった。だが、補正後の第二射目で命中する。
残る一台の自走砲車へも当てる。相変わらず砲撃指揮所の指示値はめちゃくちゃだったが、こちらで計算した補正値で正確に当てる。
やがて、私の地面に書いた落書きを、あちらの砲長も覗き込んで、口を出し始めた。だがそれは、要塞砲特有の癖と、その補正に関するものだ。その助言が加わったことで、ますます命中精度が上がる。
その後は、前進を続ける敵兵集団に対する攻撃へと切り替えられる。こちらの砲弾が次々と敵を撃破し、今回は3倍もの敵を相手に一号塹壕すらも突破させていない。大軍であることも災いし、敵の混乱の度合いも前回より激しい。
そして、3時間後。敵がようやく撤退を開始する。今回の戦いも、なんとか乗り切ることができた。
結局、我が艦への出撃許可は下りないままだった。が、私自身はここで土まみれになりながらも、何とか戦い抜いた。
戦闘終了宣言後に、私は敬礼して砲台を立ち去ろうとする。が、あちらの砲長が私を呼び止める。
「計算士殿」
私は振り向くと、この要塞砲の砲長が手を差し出してきた。
「いや、貴官が伊達に勲章持ちではないことが、今回よく分かった。なかなかの計算精度と、そして鋭い読みだった。これで前線の兵士の多くも、救われたはずだ」
私も手を差し出すと、その手をぎゅっとつかまれ、握手される。
「いえ、私は何もしてません。砲長殿はただ、砲撃指揮所に従っただけではありませんか?」
「表向きは、だな。私はスヴェント大尉だ。貴官は?」
「はっ、カルヒネン曹長と申します」
最後の最後で、名乗ることになった。陸軍と空軍ではなく、計算士同士、今回の戦いでの共闘の意義を分かり合えた気がした。
「気に入らないな」
ところが、帰り際になって、こっちの砲長がぼやき出す。
「どこが気に入らないのですか? 戦いには勝利し、あちらの空軍に対する誤解を、少しでも解くことができたのですよ」
「それだ。それがいきすぎて、俺以外のやつに貴官が気軽に握手するなど、気に入らないだけだ」
なんだ、マンテュマー大尉のひがみか。この人はなぜか、つまらないところで本音が出る。そんなに私が他の男と関わることが嫌なのか?
だが、本当に気に入らないと思う相手に、私はこの直後、出会うことになる。
そう、アンティラ准将に呼び出されたのだ。
「どういうことだ、空軍が要塞砲の弾道計算をしたなどと、何の権限があってのことか!」
なぜか、この要塞司令官に私の弾道計算のことが知られてしまった。そう言えば途中、伝令兵が時折姿を現したが、あの兵士が喋ったのではないだろうか?
で、私だけが単身、この司令官室に呼び出される。その隣にいるのは、ここの参謀長だ。艦長も副長も、砲長もいない。
「今回の件は、完全なる越権行為だ! それ相応の処罰を覚悟せよ!」
うう、このままでは本当に処罰されてしまうぞ。極刑とはならないだろうが、拘束されるのは確実か。私もちょっと、調子に乗り過ぎた。が、後悔先に立たず、すでに相手の手中にいて、私にはどうにもしようがない。
万事休す、か。
ところがだ、思いもよらぬところから、援護射撃が放たれる。
「お待ちください、閣下」
「なんだ、エクロース大佐よ」
そこで割って入ってきたのは、隣で黙って聞いているだけの参謀長だ。
「処罰は不可能です。もしこの曹長を処罰するとなれば、閣下は3つの過ちを犯すことになります」
「なんだ、過ちなどあろうはずがなかろう。私はここの司令官だぞ」
「一つ目は、カルヒネン曹長が空軍の下士官であるということ。陸軍将官といえども、空軍の同意なくこの者を処罰することはできません」
「ならば、空軍に今回の件を報告し、処罰してもらうだけのことではないか?」
「二つ目は、なぜカルヒネン曹長が要塞砲台に向かったか、というその原因です。爆撃艦という戦力がありながら、その発進を許可しなかった。そのことが空軍に知れたなら、どういうことになりましょうか」
「う……」
なんだ、妙なことになってきたぞ。参謀長が、上官である准将閣下を押している。言葉を失ったアンティラ准将に、さらにこの参謀長は続ける。
「そして三つ目ですが、前回の三倍の敵からの侵攻を受けながら、それを前回よりも少ない犠牲で撤退に追い込んだ。その要因として、我が要塞砲の効果的な砲撃があったことは事実です。それを成した者を処罰したとあっては、いかに越権行為とはいえ、この先の戦いにおける兵士たちの士気をくじくことになりかねません」
この参謀長、上官に対してしゃあしゃあと言ってのけた。見事なまでの論破だ。私は思わず、頬が熱くなるのを感じる。
「以前に小官が、指揮所に砲撃目標指示を集中する現行のやり方ではなく、各砲台に対して標的のみを指示し、弾道計算などは各砲台に一任するという体制の方がより戦果が挙げられるという提案をいたしました。それがやはり効果的であったことが実証されたのです。もっと早くにこうするべきでした、閣下」
さらに続けてこういってのけた参謀長に対し、ついにアンティラ准将の怒りが爆発する。
「貴様! 司令官に向かって、なんてことを言うんだ! 現時刻をもって、貴官を参謀長より罷免する!」
ああ、なんてことだ。私の行動が、この参謀長にまで及んでしまった。が、エクロース大佐は特に動じることなく、最後に一言、こう尋ねる。
「閣下、一つだけ確認したいのですが」
「なんだ!」
「つまり小官は、閣下の指揮下より外れるということになりますか?」
「当たり前だ! お前は即刻、クビだ!」
「承知いたしました。では」
怒り狂う准将閣下を前に、この大佐は立ち上がって軍帽を深くかぶり直し、敬礼する。そして、私を手招きすると、共に司令官室を出た。
「あ、あの、エクロース大佐殿」
「なんだ?」
「よろしかったのでしょうか。小官の独断的行動のために、大佐殿にまで処分が及んでしまいましたが」
「構わない。むしろ、あの准将閣下の指揮下から外すという言質を得られたことは好都合だ。これでようやく、私も言いたいことが言える」
といいながら少し笑みを浮かべるエクロース大佐。冷静沈着なこのお方が見せたその表情に、何か不気味なものを読み取った私は、背筋がゾッとするのを感じる。
「ところでカルヒネン曹長」
「はっ、なんでしょうか」
「貴官は計算士ということだが、もしかしてラハナスト先生という方をご存知か?」
そんな大佐殿から、唐突にあの恩師の名が飛び出す。
「はい、小官がクーヴォラ軍学校の計算工学科に所属していた時の恩師であります」
「なるほど、やはりそうか」
「あの、エクロース大佐殿も、ラハナスト先生と関わりがあるので?」
「いや、それほどあるわけではない。私が軍大学時代に、単位の一つとして選択したのが計算工学で、その時の先生がラハナスト先生だった、というだけだ」
エクロース大佐は参謀本部付の士官とのことだが、その前は戦術・戦略学を主に専攻していたという。だが、卒業単位を満たすために取った科目に計算工学があって、そこでラハナスト先生に出会ったのだと教えてくれた。
「正直言って、あのころはまったくピンときていなかった。ラハナスト先生は、計算とは現場を知らなければ、正確な答えを導き出すことはできないと、いつもおっしゃっていたが、それがどういうことなのか、知る機会もなかった。今度の一件で、その言葉の意味がようやく分かるというものだ。まさかそんなことを、苦労知らず、戦場知らずな空軍下士官から教えられることになるとは、夢にも思わなかったがな」
あまり空軍好きとは言い難いエクロース大佐がそう私に告げると、手を伸ばしてきた。私もそれに応じて、手を差し出す。互いに握手を交わすと、その後は敬礼をかわしてその場は別れる。
私の行動は、軍の規律的には許されるべきものではないだろう。しかし、戦場で味方の命を救い、敵に侵攻の意図を挫かせるという戦争本来の目的で考えるならば、私は間違ったことはしていない。今度の戦いでは、後者が二人の陸軍士官の心を動かした。
そんな戦いの後に、我が爆撃艦に帰投命令が下る。さすがの要塞司令官も、帰還の途につく空軍の飛行船に対して、発進許可を出さざるを得ない。ようやく私はこの土と血と硝煙の臭いが入り混じる戦場を離れることになる。




