#12 爆撃
「一号塹壕が、突破されつつあります!」
観測員からの悲痛な報告が入る。私は望遠鏡片手に地上を見る。
高度1000メルテから見下ろした戦場は、あちこちに爆炎と黒煙、そして時折光る曳光弾の軌跡が覆っていた。張り巡らされた塹壕が、空からはまるでアリの巣のように見える。
そのアリの巣のもっとも前衛側に、まさに敵兵が取りつこうとしていた。
「おい計算士、一撃目を落とすぞ!」
キヴェコスキ兵曹長の言葉にハッとした私は、直ちに計算に入る。進行方向、速力、敵兵の密集場所までの距離……などを計算式に入れる。弾道計算に比べたら、単純な式だ。すぐに答えが出る。
が、あまりにも誤差が大きい。あの前線の塹壕の手前に落としたいところだが、果たして狙い通りに行くか。
しかも、このまま落とすと、後方の味方のいる塹壕にまで落としかねない。私は砲長にこう告げる。
「味方の真上に落ちる可能性があります。進路をやや左、取り舵5度」
「了解した。航海長、取り舵5度!」
「とーりかーじ!」
船体が大きく動く。ゴンドラが揺れ、ますます狙いが定まらない。案外、爆撃というやつは難しいな。そんなことを考えながら、私は下方の窓に望遠鏡をあて、タイミングを測る。
「兵曹長、爆撃、今!」
私は初弾の合図を送る。するとキヴェコスキ兵曹長がレバーをグッと引く。
が、このレバーが引かれるとすぐに落ちるという仕掛けではない。真下の弾倉扉がガバッと開き、遅れて焼夷弾の塊が落下する。
地上に吸い込まれるように、焼夷弾の束が地上へと落ちていく。重力任せで頼りない軌跡を描いて。
「だんちゃーく、今!」
観測員が叫ぶ。同時に、一斉に地上で爆炎が上がる。パンケーキの上に垂らしたメイプルシロップのように、液状な炎が広がっていく。
地上のオレンブルク兵の幾人かが、その液状炎に飲まれていく。一号塹壕にも流れ込み取りついた敵兵を次々に覆う。望遠鏡を通して見えるのは、まさに地獄絵そのものだ。
が、狙いがずれた。私はその後方の敵陣地付近、ちょうど自走砲車を狙ったつもりだ。が、狙いは100メルテ以上ずれた。予想以上に狙いが定まらない。
「第二射だ、計算士」
砲長は、私に攻撃命令が出される。
「標的はどこですか?」
「今度もあの自走砲車だ。あれを叩かねば、この戦線は守れない」
またあれを狙うというのか。1000メルテからの焼夷弾で狙うには小さ過ぎる。要塞からの砲撃の方がより確実にあれを狙えるはずだ。
が、さっきからその要塞砲は一発も当たらないな。自走砲車は固定され、今なら狙い放題だというのに、なんであれが当てられないのか? 距離もせいぜい2000メルテほど。戦艦からの砲撃よりも、ずっと当てやすい条件だろうに。陸軍の計算士は何をやってるんだ。
が、こちらがやれることをやろう。あの敵の自走砲がこの戦いの勝敗を握っていることは疑いない。
「転舵、反転!」
航海士の声が伝声管越しではなく直に聞こえるのも、少し慣れてきた。反転して自走砲車の真上に戻り、再びあれを攻撃する。
私は再び計算尺で進路とタイミングを計算している。にしても、誤差が大き過ぎて定まらない。どうしたものか。
そういえばさっき、レバーを引いてから間があった。あれも、誤差の原因か。そういえば2秒ほど遅れて落下し始めた気がする。
ならば、その時間分を補正すれば、落下地点がもう少し絞り込めるのではないか? それだけじゃない。さっきの爆撃で気になったことだが、狙いよりもやや右にずれていた。多少、左に補正した方が良さげだな。
ラハナスト先生の言葉を思い出す。計算式はある程度の未来を示してくれるが、最後のごく僅かなずれは、人の感性でなければ補正できない。
その補正係数は、必ずしも長年培った感性でなければ分からない、というものでもないのだと。
私は予測式に、補正係数を入れる。レバーを引いてから落下するまでの2秒、右寄りのずれ量、そして最後は、私自身の目で見定める。
ゴンドラの揺れ、地上に見える煙の方向と角度から察する地上付近の風の影響、こうした予測式には現れない揺らぎの原因を、私は全てメモ紙の上に叩き込む。
「進路修正、左に3度!」
私は砲長、航海長のいる方へ叫ぶ。それを聞いた航海長が、すぐさま反応する。
「取り舵3度!」
「とーりかーじ!」
この小ぶりな艦が再び揺れる。一度右へ揺れたかと思うと、再び左へと戻る。だが、その揺れが収まる直前に、私は砲撃手に合図する。
「爆撃、今!」
第二射目のレバーを持つ砲撃手が、私の声を合図にレバーを引く。先ほどと同様、ガコンと爆倉扉が開き、それから2秒後に積まれていた焼夷弾の塊が自由落下を始める。
黒焦げた大地に吸い込まれるように落下する黒い塊は、頼りない軌跡を描いて落ちていく。望遠鏡を覗くと、こちらの爆撃を阻止せんと敵兵が重機関銃を放っているのが見える。が、高度1000メルテまでは届かない。
「だんちゃーく、今!」
すぐ脇にいる弾着観測員が、合図を送ってくる。と同時に、先ほどと同様の液状の炎が発生する。それは先ほどの一号塹壕よりはやや前方側に落ちて、その周囲にいる兵士らを巻き込みながら広がっていく。
さっきよりは近づいた。が、まだ少し弾着点がずれている。今度は左にずれた。少し補正が大きかったか?
いや、この高さではやはり揺らぎが大きすぎるのだ。安全な高さから放っていては、狙いが定まらない。
爆弾倉にはあと2回分。つまり機会はあと、2回分しかない。
「艦長、副長! 計算士、意見具申!」
私は砲長を飛ばして、直接艦長と副長に意見を具申する。
「具申、許可する。なんだ」
「はっ、この高さでは誤差が大きく、弾着が定まりません。高度500まで降下していただきたいのです」
「なんだと!? そんなことをすれば、我々は狙い撃ちされるぞ!」
戦闘前と同じ回答が、副長からは返ってきた。だが、私は怯まない。
「地上の兵士たちは、あの自走砲からの砲弾にさらされており、次々に命を落としています。我々だけ安全なところから攻撃を続けて、それで焼夷弾を無駄に消費したとあっては、死んでいく兵士たちに顔向けできません。短時間だけでも低空に降りることはかないませんか?」
望遠鏡から覗いた先にいる兵士たちは、自走砲車から放たれる砲弾で狙い撃ちされ、まさに命の危機に瀕している。二号塹壕も何箇所か撃たれ、すでに放棄が決まったようで後方の三号塹壕への撤退が始まっている。
この上で、我々が弾の届かない1000メルテから狙い撃ちを続けたところで、彼らはそんな我々空軍を恨み、憎むばかりであろう。
こちらは命をかけて敵兵と対峙しているというのに、空軍のやつらは高みの見物か、と。
そんな思いから発した私の言葉だが、これが艦長を動かした。
「副長、500と言わず、高度300メルテまで急降下する」
「艦長!」
「いや、カルヒネン曹長の言う通りだ。このまま焼夷弾を消耗するばかりでは、何のためにここまできたのかが分からなくなる。ならば、多少の危険は冒してでも敵に打撃を与えるべきであろう」
「しかし、敵は重機関銃を数機、空に向けて放っております。あれに当たればどうなるか、お分かりでしょう」
「数発程度ならば、どうということはない。我々のこの真上にある全長200メルテの気嚢には水素は含まれておらん。爆発、炎上する心配もない」
艦長のこの一言で決した。副長は敬礼し、航海長に命じる。
「転舵、反転ののち、急降下する。計算士!」
「はっ!」
「望み通り、高度を下げる。今度こそ確実に当てて見せろ」
「了解いたしました!」
副長の檄が飛び、私はメモ紙を破って白紙に変える。キヴェコスキ兵曹長が、うまくやったなと言わんばかりに、私に拳を握って見せる。
「面舵いっぱい!」
「おもーかーじ!」
再び、舵を大きく切って反転し、自走砲のいる場所を目指す。が、今度はただ振り返るだけではない。航海長の号令が続く。
「俯角30度、全速降下!」
船体が斜め下向きに向けられる。機関音がうなり始め、それが斜め下を向いた船体を押し進める。こんな状態だが、あまり時間はない。私は支柱につかまったまま計算を始める。
このまま進めば、ちょうど水平に戻した瞬間に自走砲のあたりに到達する。全力運転のまま降下を続けるならば、速度は毎時230サンメルテに達する。さらに船体の向き、角度、そして補正係数は……望遠鏡と紙を交互に睨めっこしながら、刻一刻と変わる船の位置と自走砲との距離を見つつ、計算尺を滑らせる。
「左に2度!」
「とーりかーじ!」
まだやや下向きだが、進路を微調整してもらう。地上がグッと迫り、我々を狙う重機関銃の放つ弾筋が目視できるほどになってきた。
「高度330……320……310……300!」
「船体、戻せ!」
「もどーせー!」
高度300メルテに達し、まるで滑り台のように傾いていたこのゴンドラ内が一気に水平に変わる。完全に水平に戻り切らないうちに、私は叫ぶ。
「爆撃、今!」
キヴェコスキ兵曹長が、次のレバーを構えて待機していた。私の合図と同時に、それを一気に引く。ガコンと開いた爆弾倉扉に遅れて、中の焼夷弾が落下していく。
ちょうどその先に、先ほどから味方の兵士の命を奪っている自走砲車の姿があった。黒い塊は急降下を続けた我が艦の速度も加わり、先ほどよりも勢いよく標的へと落ちていく。
「だんちゃーく、今!」
観測員が叫ぶと、すぐ真下で一斉に火の手が上がった。バーンという破裂音が聞こえ、湧きあがった炎の熱が一瞬、伝わってくる。
そしてその炎の塊の中は、あの自走砲を包んでいた。
「やったぞ!」
叫んだのは砲長だ。続いて、副長が後方窓へと走り寄って確認している。艦長はといえば、席に座ったまま前方を見据えている。
そんな私も、前を見ていた。ちょうどその先には、敵大隊の後方部分が広がっている。
「爆撃、今!」
このタイミングで、私は再び叫んだ。最後のレバーを握る砲撃手が、呆気に取られたままだ。
「早く!」
私の声に呼応して、ようやくレバーが引かれる。最後の爆弾倉の扉が開き、黒い塊がその敵大隊後方めがけて落下していった。
そこに見えたのは、輸送部隊が運び込んだ物資の山だ。数日の戦闘に備えてのものだろう。要塞からの砲弾も届かないこの場所に、我々の焼夷弾が注ぎ込まれる。
観測員の号令も間に合わず、バーンと言う音を立ててあっという間に炎が広がった。高度はおそらく200メルテ程度まで下がっており、眼下の炎はさっきよりも近く、そして激しい。顔が一瞬、焼けるような熱さを感じる。
後方窓に立つ副長も、その様子を見る。燃えやすい物ばかりなその物資にはあっという間に炎が引火して、次々に広がっていく。猛烈な火炎に巻き込まれまいと逃げ惑う兵士の姿も見える。
「仰角45度、全速上昇!」
それを見届けた副長が、上昇を命じる。再びゴンドラ内は大きく傾く。私はそばにある支柱につかまって耐える。
やがて、高度1000メルテに達する。地上を見れば、4か所の炎の塊が見渡せる。特に後方のそれは未だに勢い衰えず、生き物のように物資の山を焼き尽くしている。
「本戦闘によるすべての犠牲者に、敬礼!」
やがて、自走砲と後方物資を失った敵大隊は撤退を開始する。立ち昇る黒煙と、まだくすぶる炎の上を旋回している我が艦サウッコでは、副長の号令で乗員が一斉に敬礼をする。
「さあ、死んだ人の分まで食べますよ!」
調理場から出てきたマリッタが不謹慎なことを口走りながら、トレイにのせたあるものを乗員に差し出す。見ればそれは、あの硬いビスケットに酢漬けキャベツと干しトナカイ肉を挟み、その上からオリーブオイルをかけたものだった。
それは、戦闘中に食べる戦闘配食だ。この艦の小さなゴンドラにはテーブルがない。このため、手でつかんで直に食べるこんな食糧しか扱えない。それを一つ受け取り、私はそれにかじりつく。
少しだけ、オリーブオイルで柔らかくなったビスケットを、どうにかあごの力で砕いて飲み込む。それを食べながら、私は外の光景を見る。
味方も、だいぶやられたな。二号塹壕まで攻められ、敵の侵攻を食い止めるべく張り巡らされた有刺鉄線などは、その多くがずたずたに引き裂かれている。
だが、敵の方も悲惨だ。我が艦の放った焼夷弾によって亡くなった者は数知れず。黒煙の下で折り重なっていることだろう。地獄絵のような光景が思い浮かぶ。
大変な戦いだった。我々は作戦の目的を達したが、やはり後味の悪い勝利だった。
 




