#11 代替艦
「へぇ〜、充実した日々を送ってるねぇ〜」
戦艦ヴェテヒネンの調理場が落下してからちょうど3週間のこの日、マリッタが思いの外早く退院することが決まった。といっても、まだ少し包帯が残っているのだが、それでも退院だという。
要するに、負傷者が多過ぎて、軽傷者はさっさと退院させているようだ。だが、当のマリッタは大喜びで、戦艦ヴェテヒネンに乗艦できると息巻いている。
そんなマリッタには、この3週間に起きた出来事を話して聞かせている。
「それは当然だ。見たこともない計算機に触れて、この先の未来を語り合うのだ。これほどの幸せと誇りはないだろう」
「あーっ、わかったわかった。もういいわよ、その新型の計算機の話は」
この3週間の内、何度か中央計算局を訪れた。その間にも、あの新型計算機の威力をまざまざと見せつけられる。金利計算、強度計算など、あの穴の開いた手順の厚紙を挿し込んでやるだけで、様々な役割をもった計算機に早変わりする。機械式計算機では、考えられない機能だ。私はその事実に興奮する。
もちろん軍事機密であるから、マリッタにはその詳細は話していない。ただ、夢のような計算機であり、それが何十年か後に、人の代わりとなりうる可能性を秘めているという話はした。が、そんな突拍子もないことを言われても、調理師からすればどうでもいいことだ。
「そんなにすごい計算機だったら、夕食の献立くらい考えてほしいものよね」
「今は夢物語だが、いずれそういう時代も来るはずだ。私はまさに、それを垣間見たのだから」
「ふうん、そうなんだ。てことはその計算機、せめてあの硬いビスケットを美味しく食べられる方法でも、教えてくれたの?」
ダメだ、まったく会話がかみ合わないな。マリッタとは気の合う仲間だと思っていたが、やはり計算技術の可能性を理解するのは無理なようだ。ラリヴァーラ少佐やパルヴィア大佐のように、その未来について共有し語り合える同志と比べたら、まるで別世界の住人だな。
そんな話をしている間に、ようやく退院証明書が渡されて、正式に退院が決まる。少ない荷物を詰めたカバンを持ち、マリッタと私は軍病院を出る。
まだ不自由な右足を引きずるように歩くマリッタと共に、病院内を進む。日に日にこの病院には、負傷者が増えつつある。どうやらオレンブルクのやつらは、空から陸に作戦の主体を動かしたようだ。このためか、新型艦を沈めたあの日以来、オレンブルクの戦闘艦はほとんど姿を現さなくなった。
戦艦ヴェテヒネンの修理は順調、と言いたいところだが、あと一週間はかかる。すでに船体はできているのだが、破損した右機関のラジエーターの交換品がなかなか入手できないためだ。あれはフロマージュ共和国で作られた特注品で、発注したもののなかなか届かない。ようやく一週間ほどで、空路で届くとの連絡があったところだ。
このため、マリッタの方が先に退院してしまうことになった。だが、マリッタが戻ってきたと言っても、肝心な船がなければ出動できない。こうしている間にも、オレンブルクのやつらは我が国を蹂躙しようと、その魔の手を伸ばしてくる。こんなところでグズグズしている場合ではない。
などともどかしさを感じながら、病院内を歩く。この病院にいる陸軍の兵士らを見ると、気の毒だとしか言いようがない。軽傷者は早々に退院させられるほどだから、残っているのはそれなりの重度の怪我人ばかりだ。
骨折や火傷でベッドに寝かされている者はまだマシな方で、腕や脚をなくした者、失明して顔中包帯が巻かれている者、全身やけどを負い、生きているのかどうかすら分からない者など、目をそむけたくなるような光景が広がっている。
これを見ると、マリッタが退院できたのはある意味で正解だな。このままここにいたら、神経をやられてしまいそうだ。
それにしても、前線ではどんな戦いが繰り広げられているんだ? 小綺麗な軍服に金等級の勲章を身に着けながら、何も成せない日々を過ごす私には、彼らの境遇を知らない。それが一層、もどかしさを助長する。
だが、あと一週間は戦えないことが確定している。今日の昼から軍司令本部にてブリーフィングが行われるとの連絡が入ったが、おそらくは乗員らにマリッタの退院を報告して終わるのだろう。
と思っていたのだが、想定外のことを告げられる。
「明朝、0800(まるはちまるまる)に出撃することになった。各員、1時間前には軍港第2ドックへ集まるように、以上だ」
予期せぬ出撃命令である。だが、ここにいる26人が乗艦するのはヴェテヒネンではない。サウッコという、なんとも頼りない響きの小型爆撃艦だ。
「建造されたのはいいが、人員の育成が間に合わず、長らくドックで放置されている艦だ。地上戦が激しさを増す中、空中艦による爆撃作戦が行われているが、そこに投入しないのはあまりにももったいない。ということで、ちょうど艦の修理で暇を持て余している我々に、その艦での出撃命令が出たというわけだ」
砲長が事の経緯を教えてくれた。随分と適当な話だが、それでも地上部隊の支援に出られることに、私は喜びを覚える。
これで少しでも、あの悲惨な兵士を減らせるのだ、と。
「ですが砲長、我々は砲撃手ですよ。そんな我々が爆撃艦なんぞに乗って、何の役に立つんですか」
キヴェコスキ兵曹長が、マンテュマー大尉に意見する。それを言ったら、計算士の私も何をせよと言うのか。そんな我々に、砲長はこう告げる。
「今度の武器は、焼夷弾だ。つまり、敵の上に火のついたマッチをばらまくようなものだ。これを落とす任務は我々、砲撃科が担うことになっている」
落とすと言っても、レバーを引けば後は勝手に落っこちてくれるだけの武器だ。そんなものに任務などと言われても、今一つ、やる気にならない。
いや、そんなことはないな。私は砲長に尋ねる。
「砲長、もしかして落下地点の予測をしつつ、それを落とせと?」
「その通りだ、計算士」
ああ、やっぱりだ。つまり私の計算が役立つことになる。がぜんやる気が出ていた。進軍するオレンブルクのやつらの頭上に、真っ赤な火柱を立ててやろうじゃないか。
「なんだよ、俺たちのやることは、レバーを引くだけか」
「3人も要らねえよな」
ところがだ、砲撃手の3人は今回の作戦、どうにも気に入らないらしい。それを見た私は、思わず叫んでしまう。
「キヴェコスキ兵曹長、レバーを引くことも大事な任務です! 一人でも多くの敵兵を倒し、前線の兵士を手助けすることこそ、我々がなすべきことなのです!」
「な、なんだぁ!? おいカルヒネン曹長、どうした、やけにやる気だなぁ」
ついいきり立った私に、兵曹長は意外と言わんばかりの反応をする。それを横で聞いていたマリッタが、私のフォローに入る。
「そりゃあそうでしょう。だってユリシーナと私は病院で、たくさんの重傷兵士を見てきたんですよ。それこそ、腕や頭のない兵士だっていたんですから」
「なんだと!? 頭のない兵士だって! そりゃあこんな大人しいやつが復讐心に燃えて当然だなぁ、おい」
おい待てマリッタよ、頭のない兵士はさすがにいなかったぞ。キヴェコスキ兵曹長も、そんな話に納得するな。
そのまま一同は、軍司令本部横の軍港に向かう。そこには、空中戦闘艦が見える。全長は200メルテ、少し小ぶりで、細長い艦。あれが今回、我々が乗り込む爆撃艦サウッコだ。
この艦はやや大きめのゴンドラが一つしかない。つまり艦橋や機関室、調理場に至るまですべて一つに収まっていることになる。
そのゴンドラの中央部には爆弾庫があり、そこには4つの区画で区切られた焼夷弾が搭載される。その一つ一つにレバーがついており、引けば一気に落下する。これを3人の砲撃手が受け持つことになった。
さて、計算士の私はと言えば、この落下地点の予測を担当することになる。
単なる自由落下ではあるが、焼夷弾というやつは風の影響をもろに受けるため、真っ直ぐ落ちてはくれない。そんなものをできるだけ効率的、効果的に狙い落とすのが私の役目というわけだ。
「出港用意! バラスト切り離せ!」
「バラスト、切り離し開始!」
そして翌朝、ついに私が空に戻る日がやってきた。3週間ぶりの出撃だ。艦長の号令にも気合が入る。副長も水を得た魚のように、声の張りがいい。
「機関始動! 戦艦ヴェテヒネン……ではなく、爆撃艦サウッコ、発進する!」
まあ、艦名を間違えてしまったのはご愛敬ということで。
出航した爆撃艦サウッコは、高度を3000メルテまで上げて最前線へと向かう。重い焼夷弾を搭載する小型の艦ではあるが、機関の出力はヴェテヒネンと同じ。それゆえに思いの外、加速がいい。
それがまさに、サウッコが「小型艦」とされた理由だ。
爆撃艦はとにかく重く遅い。敵に狙い撃ちされる。それを避け、戦場や重要拠点に急行し敵に打撃を与えるという目的で建造されたのがこの艦だという。
が、人の育成が追い付いていない。おまけに爆撃などしている余裕がない。そんな事情で、サウッコは配備されてからというもの、かれこれ1年以上放置されていた。
ところが、地上攻撃が激しさを増す中、ついにこれを投入すべき機会がやってきた、というわけだ。
「司令本部より打電、キヴィネンマー要塞東方22サンメルテ先、敵大隊発見。サウッコは当大隊を捕捉、攻撃し、進軍を阻止せよ、以上です」
「大隊か、ということは、戦闘部隊だけで500、後方支援、工作部隊を含めれば、800から1000はいるな」
艦長がそう呟くと、私はふと爆弾庫を見た。
うーん、たったこれだけの焼夷弾で、それほどの大部隊の進軍を止めるなんて本当にできるのか? 不安しか感じない。
「おそらくは難しい戦いになろうが、我々の誇りにかけて乗り切ろう。各員、各々の力を存分に発揮せよ」
そう締めくくる艦長だが、そんなことを言われても正直、困る。どうやってその困難を乗り切るのか、レバーを引くだけの乗員がいる中、どう力を発揮すればいいのか、具体的に教えてほしい。
が、艦長の精神論に反論する余裕もない。なんにせよ、私は私の責務を果たすだけのことだ。計算尺を握りしめ、紙に書かれている焼夷弾の落下点予測式を見直す。
その予測式を見るまでもなくわかることだが、高度に比例して、その落下位置の誤差は大きくなる。それをこの式では高度1000メルテにつき±100メルテと定めている。ということは、3000メルテから落とせば、±300メルテもずれるのか? 途方もなく大きな誤差だ。
これが都市爆撃ならば、さほど問題はないだろう。だが、今度の相手は密集体形をとる軍隊だ。こんなに誤差が大きくては、当てられないと言っているようなものだ。
とはいえ、爆撃に関しては素人だ。この予測式しかない以上、これを前提にどうにか当てるしかない。
「なんだと、高度500メルテまで下げられないか、だと?」
なので、私は副長に意見具申する。が、この提案はあっさりと断られる。
「そこまで下げては、地上からの攻撃を受けてしまうぞ。重機関銃や高射砲による狙撃も懸念される。せめて1000メルテが限度だな」
やはり却下されてしまったか。が、1000メルテまでは下げることが決定された。とはいえ、それでも生じる100メルテもの誤差をどう縮めろというのか?
もやもやとした気持ちで、私と25人の乗員を乗せた爆撃艦サウッコは、戦場へと急行する。
◇◇◇
ハミナ市より東方へ100サンメルテ進んだ場所に、イーサルミ王国とオレンブルク連合皇国との国境であるサルミヤルヴィ山脈が唯一途切れている山間、カレリーア峠がある。
ここは両国を結ぶ唯一の陸路であり、オレンブルクの侵攻を阻むにはこの地を死守せねばならない。幅4700メルテのこの峠のイーサルミ側には何重にも塹壕が掘られ、オレンブルク陸軍の侵攻を阻んでいる。
「来たぞっ!」
その最前線の塹壕で、一人の見張り兵が叫ぶ。望遠鏡越しに見えるのは、濃緑色の制服に身を固め、小銃を抱えたオレンブルク兵の姿。数十人の兵士の列が幾重にも重なる大軍が、整然と前進する姿を捉えていた。
「要塞に連絡、敵大隊、一号塹壕の東、1700メルテまで接近」
見張り兵の脇にいる通信士が、それをキヴィネンマー要塞へと伝えるべく、ライトを取り出す。カチッカチッとそれを点滅させ、見張り兵の言葉を通信符号に変えて送信する。
20分もすれば、敵はこの最前の塹壕にまで達する。有刺鉄線や地雷などが仕掛けられているが、すでに数度の戦闘でその一部に綻びがある。度重なる砲撃で枯れた赤黒い大地には、砲弾によるくぼみが無数に連なる。
そのくぼみの列まで敵兵が達すると、敵は散開して小銃を構え、ジリジリと接近を始めた。と同時に、ヒューッという風を切る音がいくつも響く。
ズズーンという音と同時に、その塹壕から100メルテほど先で土柱が上がる。爆風と熱が、塹壕に潜む兵士らの元に達する。その風が止むと、兵士らは塹壕から頭を出し、銃を構える。
目前には、できたばかりの新しいくぼみ。だがそこには、敵兵の姿はない。
「くそっ、また外したか、下手くそめ」
兵士の一人が悪態を吐く。すると身を屈めていたオレンブルク兵が一斉に小銃を放つ。
2、3人のイーサルミ兵が頭部を撃ち抜かれて倒れる。直ちに反撃するイーサルミ兵。オレンブルク兵の何人かがバタバタと倒れる。
一列後ろの塹壕から、ババババッと乾いた機関銃の銃声が響く。数人のオレンブルク兵の固まりにその曳光弾が収束し、その兵士らを薙ぎ倒す。
が、敵も機関銃を放つ。ビシビシと塹壕の淵に着弾する。また何人かの兵士が倒れる。
「衛生兵! 衛生兵ーっ!」
腕を撃たれて倒れた者を抱えた兵士が、後方に向かって大声で叫ぶ。その脇では小銃と機関銃の応酬が続いている。
「こんなところで死ねるか、俺は生きてミリアと結婚するん……」
兵士の一人が、迫るオレンブルク兵に狙いを定めながら引き金を引いている。が、その時、塹壕内で火の手が上がる。
ドーンという音と共に、数人の兵士が舞い上がる。その爆風が塹壕に沿って流れ、反撃を続ける兵士らを押し倒す。その兵士も爆風で吹き飛ばされて、ぬかるんだ塹壕の底に叩きつけられる。
兵士が顔を上げる。目の前には有刺鉄線の切れ目、その向こうにはオレンブルク兵、そしてそのさらに向こう側に大砲の姿が見える。
自走砲車だ。中型の砲身をつけた車が、さらに後方100メルテにいる。再びその砲身が火を噴く。
近距離のせいか、正確に塹壕のど真ん中に着弾する。再び兵士は塹壕の上に平伏される。バラバラと、土片が頭上から崩れ落ちる。
「でんれーい! 一号塹壕は放棄ーっ! 二号塹壕まで撤退ーっ!」
この塹壕を放棄せよとの命令が下り、それを伝える伝令兵の叫び声が塹壕内をこだまする。兵士は小銃を抱えると、後方の二号塹壕に続く通路まで走る。
物言わぬ兵士の屍の上を、いくつも飛び越える。時折、塹壕内に爆風が吹きつけ、その度に泥だらけの壕の底に伏す。
時々、味方の砲撃が着弾する。が、あまり効果があるように見えない。敵の自走砲車は依然として健在で、塹壕への砲撃を続けている。その正確な射撃を前に、味方は総崩れの様相だ。
どうにか後方への伝達通路にたどり着くと、兵士は中を走り抜ける。二号塹壕にたどり着いた兵士は、その場にいた指揮官らしき人物に尋ねられる。
「お前の後ろに、生き残りはいたか?」
「いえ、小官が最後でした」
「そうか。工作兵!」
その指揮官は兵士の言葉を聞くと、即座に工作兵を呼ぶ。土嚢を抱えた兵士が、この伝達用通路を塞ぎにかかる。
「すぐに反撃だ、かかれ」
指揮官に命じられて、兵士は再び小銃を抱えて壕の淵から頭を出す。曳光弾、砲弾、そして爆風に跳ね飛ばされた土片が、血生臭さに紛れて飛び交う。
(このまま、俺も死ぬのか……?)
敵は圧倒的な物量、強力な砲弾を浴びせかけてくる。一方の味方は、あの敵の主力兵器を叩けずにいる。こちらの小銃では、あんな硬いものは撃ち抜けない。歯痒さが、兵士らを襲う。
「ぐあっ!」
横の兵士が倒れる。その兵士は、反射的にそれを受け止める。
「おい、大丈夫……」
声をかけるが、すでにその兵士の鉄兜は銃弾で撃ち抜かれており、魂が抜けていた。その場で兵士は彼を塹壕の底に放り投げ、再び銃を構える。
いつまで、こんな戦いをさせるのか。とめどない敵の攻撃と、頼りない味方の砲撃に、兵士の希望は絶望へと置き換わる。
が、その兵士がふと、空を見上げる。
白地に青のX字の旗をつけた、我が国の国旗を掲げた飛行船がそこにはいた。それは徐々に、この戦場の真上へと接近しつつあった。




