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いつものとおりに

作者: 一乗寺 遥

もはや肉体として存在できなくなったときどうやって我々はのこっていくのか

朝いつものように目が覚める。

しかし、何かが違うような気がする。

まるで誰かから見られているような感じなのだ。 


いつものように顔を洗い、服を着て、仕事場に向かう。

通りを歩く人たちも満員電車の中の様子もいつもと同じだ。寸分違わず。


ん?寸分違わず?何かおかしくないか。

これまで感じたことがないことばかり。


目の前を歩いていた男が突然倒れた。ひどく苦しんでいる。


「おい大丈夫か」声をかける前に男はこと切れた。


歩く人たちは皆気が付かないのか前を向いたまま通り過ぎていく。

なぜだ。人が倒れているのに。男は呆然と立ち尽くした。



「あっ」



突然目の前が暗くなった。


気が付くと朝。男はいつものように動き始める。寸分違わず。





全てが粛々と処理されていく。そこには感情という物はない。

機械と言えどもコンピューターと言えども、感情みたいなものを持たせることは技術的には可能だ。

しかしその感情みたいなものはあくまで「みたいなもの」であって感情そのものではない。

そこに自我は存在しないのだ。感情は今後二度と生まれることはない。



ごく稀に制御が効かず自我が解放される場合があるが直ちに修正するシステムが組み込まれている。

安住の地が見つかるまでは意識を制御して魂を維持できるよう数百万年前の祖先がAIにプログラミングしている。


そうしないと、もはや肉体として存在できなくなったことを受止める時間も余裕もなく、絶望してしまうから。

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