第48話 渇望
私は空中に留まり、親指の爪を噛みながら歯ぎしりをしていた。風を起こし悪意から逃れる事はできたものの、武器を結界の媒体としていた為に失ってしまった。武器がなければ有効な攻撃手段が見つからない。せいぜい強風で悪意を“アッチいけ”出来る位なもの。足下でワンちゃんが健気に吠えかかっているがそれと一緒だろう。
・・・いつもそうだった。
両親は音楽家だったらしいが私が産まれてすぐに二人とも病死した。義父母に育てられ、金銭面での苦労はなかったが愛情をかけてはもらえなかった。ご多分に漏れず厄介だったのだろう。だから形見のフルートが話し相手だった。
小学院に上がる頃には近所で評判になるくらい上手に奏でる事が出来るようになっていた為、学院は音楽に特化した所に入れてもらえた。
入学してから間もなく、初めて友達が出来た。その子はとても可愛く人気があり、何より私と一緒でフルートを吹くのが上手だった。いつもお互いに褒めあっていたが、本当は自分よりも上手なのが羨ましかった。
小学院の最後の年、その子の笛が演奏会の日に壊されていた。どうやら羨ましく思っていたのは自分だけではなかった様だ。その子にはソロのパートがあり、そこは演奏会の一番の見せ場だった。
「友達が泣いているのは嫌だ」と思い、泣きじゃくるその子に自分の笛をこっそり渡した。・・・自分にはソロがなかったから。
予備の笛など無かったがどうしても一緒に吹きたかったから、先生に笛を貸して欲しいと頼みにいくと、訳も分からずさんざん怒られた挙げ句、演奏会にも出席させてもらえないで楽屋で待機させられた。
演奏会が始まり、笛を借りた女の子は見事にソロパートを勤め上げ表彰までされていた。私はひとり楽屋で膝を抱えて、爪を噛みながら泣いていたというのに!
その子は最後まで私から笛を借りた事は先生に言わなかった。感謝の言葉も無く代わりに「私の演奏、素晴らしかったでしょう?」と。
後に彼女の笛を壊したのはどうやら私らしいという噂話を耳にした。だから先生はあんなに怒って、演奏会にも出させてもらえなかったのだ。しかもその噂の出所は彼女だった。きっと、賞賛をひとりじめにしたかったんだろう。
・・・この日、私は友達と音楽を捨てた。
いつしかそんな事も忘れ、成人した私は弁護士になった。ある裁判で引き受けた被告は誰の目からも明らかに冤罪だった。それなのに私は負けた。原告は悪名高い企業で資本力とコネクションにものを言わせて強引に押し切ってきたのだ。
私は信用を失い事務所に疎まれ、同期からは事務的な事以外、口をきいてくれる事が無くなった・・・。
「この世に見切りをつけよう」街で一番高い塔に登り靴を揃えて、親指の爪を噛みながら眼下でうごめく人々を眺めていた。
自分ではない誰か全てが羨ましく思えた。たとえ私一人いなくなっても誰も何とも思ってくれないんだろうな。
いよいよ体を投げ出そうとした時、不意に笛の事を思い出してしまった。
「ははっ・・・思えば昔から、パッとしない人生だったな・・・ま、そんなもんか・・・」
自嘲気味にそう呟くと、涙が大量にこぼれてきた。悲しくって、嫉ましくって、嗚咽が止まら無いほど泣いた。ひとしきり泣いて落ち着くと、何だか死ぬのがバカらしくなってきた。
「いい男いっぱい集めて、いいお酒いっぱい飲んで・・・護符買って、それを羨ましがって観てる奴らから投げ銭貰えばいっか!いざとなったら自慰でも配信すりゃいいしさ!
・・・私よりもダメなヤツはいっぱい居るもん・・・ははっ♪何だか楽しくなってきた!」
そう呟いて踵を返した時、足を滑らしてしまった。
「あっ!!」声を出す間もなく逆さまに落下する私の躰。地面までの数秒間がゆっくりと感じ、ベランダで抱き合う人影が通り過ぎて行くのが見えた。
「ああ・・・羨ましいな・・・」
程なく強く叩きつけられ辺りに汚い私の肉の塊を盛大にまき散らす・・・の筈だったがいつまで待っても地面が来ない。
「・・・助かっ・・・たの??え!?ウソ?何で・・・・??え!?何何何!なにコレ!?」
恐る恐る目を開けると、体中を霧のようなもやが纏わりつき地面より僅かに高い所で浮遊していた。そして、いつの間にか手にはフルートが握られていた。
「ん~~!あなた、いい感じの欲の魂を持っているわねぇ~!いいわよ~!あなたは私に選ばれたの!竜飼いになったのよ!!そのまま死んじゃうのは嫌でしょう?私はレヴィア、よろしくね!その武器は・・・フルート、かしら?って事はサポート系!?珍しいわね~!深層心理が武器を形づくるのよね。あ、笛だからって殴れば普通に魔獣位なら殺せるんで大丈夫よ?それで悪いんだけど、これからすぐに向かわなければならない所があるの!私の使い方は移動しながら覚えてね!」
一方的に話かけるコイツが何なのかは分からないが、自分に何かが起きたと理解するのにそう時間はかからなかった。何も難しいことは無い、つまりはようやく“羨ましがられる側”にまわれたという事だ。
私は身震いした。竜飼いの事、同化の事、魔王から世界を救う事・・・。いつの日にか、と想像していた事よりも遥かにすばらい出来事がこの身に起きたのだ!今まで出会った奴ら!ざまあみろ!!だ!
・・・だのに、その筈だったのに、やっぱり“星の下に”というのはあるんだなと実感する。
せっかく力を手に入れられたのに誇示することも出来ず、誰にも知られず目の前の圧倒的な存在に消し去られて終わるのだ。
ああ、「私」の分際でちょっと浮かれちゃったな・・・二日くらい・・・。
もう、女神など関係ない。もともとたいして信じていたわけじゃない。幼い頃から何度もお願いしてきたのに、いっこも叶えてくれた事などない。せめて“パパとママに合いたい”というずっと前からのお願いは聞いて欲しかったな・・・。
「いや、死んじゃえば叶うか!女神のおかげじゃないけど!!・・・このままとんずらしちゃってもいいけど、行くとこ無いし、結局イイコトなんて待ってないし。はい、人生終了~!
ほら、ワンちゃん。何時までも吠えてないで飼い主のところに戻りなさいな?あの悪意・・・多分触れると死んじゃうからさ」
ゆっくりと膨らみ続ける悪意の中心に居るやつ!!・・・真っすぐ見るのはおっかなすぎて無理!なんかコッチ見てるっぽいけど、私なんもしないからさ、目をつむっている間に殺しちゃって下さいな・・・。
「ワン!!ワン!!ヴゥゥッッ!!」
威嚇の声がひときわ大きく聞こえた為にうっすらと片目をあけてみた。ワンちゃんの傍に誰かいる!!少年?飼い主かしら??ここは危ないって!早く遠くへ逃げ・・・。
「ダメ!!危ない!!」
魔王が右手に悪意の煤を集め、それを無数の針へ変化させワンちゃんと少年を今まさに狙い撃とうとしていた!!
・・・無意識だった。左手で小さなつむじ風を起こしてワンちゃんと少年を遠ざけると同時に、右手でハリケーンクラスの竜巻を発生させて魔王の攻撃を凌いだ。
「・・・助けてくれてありがとうね!お姉さん!!」
少年はそう言うとペコリとお辞儀して走り去って行った。
魔王は少しだけムッとして(そう見えた)フゥッと綿毛でも飛ばすかのような仕草で竜巻を消し去った。
「・・・だよね・・・やっぱり・・・。ああ・・・痛いの・・・ヤダなぁ・・・」
左肩に何かが突き刺さっている。魔王が指先を槍のように伸ばして攻撃してきたのだ。ご丁寧に悪意ではなく物理で攻撃してきた、という事は嬲る気満々なんだろうな・・・。
「ギャ・・・」
「ドスッ、ドスッ」続いて両太ももに指が刺さる。叫ぼうとしたが口を塞がれて声にならなかった。痛みと恐怖で涙が滝のようにあふれ出る。全身がガクガクと震え一切の力が入らない。尿道口が緩み、お漏らしが脚からの血と混じり合い滴り落ちてゆく。
脚に刺さったままの指から数本の触手が生えてきて、私の指に絡みつくとパキ、ポキリと1本ずつ折っていったが、それは声にならない絶叫が終わると1本、それが落ち着くとまた1本、と実に執拗で残忍なやり方だった。
私はそれに耐えきれる筈が無かった。六本目位から死への恐怖で脳が現実を拒絶し始め、口角がゆるりと上がり瞳はぐるりと上を向き、えへらえへらとうすら笑いをこぼすようになっていった。
大量に分泌されたエンドルフィンとドーパミンが痛覚を快楽に変換する。指を折り終えた触手は体中の至る所を、死なない程度に刺してはえぐり、刺してはえぐりを繰り返してくる。
・・・いつしか体中が快感器官と化し、常にオーガズムを迎えている状態になり果て、私は頭がおかしくなっていた。
「ごろじてぇ~~。もう、ごろじてぇ~!あ~~、また、またぁ・・・きたの!!ヴうぅっ~っ!イグっ!イグっう!ハッ、ハッ・・・アアアアッッんッッ!!・・・も・・もうごろじてぇ~!アアアアッッ!!また!イグ~~うっっ!!・・・ああ、ヤダヤダヤダぁ!イクイクっ!あァァァ~・・・いっ・・くっ!!あうぅっ・・・」
魔王は集まった民衆に見せつけるように嬲り続けた。私は一体、何度絶頂を迎えたのだろうか・・・。やがてだらりと舌を垂れただらしない私を、魔王は拘束から解き放ちその場に棄てた。
その隙を竜飼い達は見逃さなかった。シスターによって強化された電撃と砂柱が立ちのぼり、槍とランスが降りかかる!!
・・・例えば、空から蚊の脚が振ってきたとしよう、例えば厚底靴の裏に静電気が起きたとしよう。いったい誰がそれに気づくだろうか・・・。魔王に対して彼女達の攻撃はまさしくその類いだった。
地面に落ちた私はドチャッと柔らかな泥の上に落ちたのだが、それは私の血と、尿と、ラヴジュースで出来たぬかるみだった。「み・・・水・・・」叫び、イキ続けたせいで喉がカラカラだった為に私はその泥をすすり始めた。
「・・・ひどい・・・」
手を出せず、ただ眺めているより他無かった竜飼いの誰かがそう呟くのが聞こえた。
私のせいでその誰かは、ものすごい恐怖を植え付けられたのだろう。
「ごめんなさい、誰かさん。ごめんなさい。私みたいなゴミのせいで怖がらせてごめんなさい。夢見ちゃってごめんなさい。だらしなくイキ続けてごめんなさい。汚くて、ごめんなさい」
心の中では何度も謝っているのに、泥を啜るのがやめられない。途中、何か硬いものを飲み込んで咽せたが、それでもまた啜った。
芋虫のように這いずり、泥だらけの顔でえへらえへらと笑う私を、ツインテールの竜飼いが本当に汚いものを見るような目で蔑んでいた。無力を目の当たりにしたのに、まだ自分に自信があるんだろう。
「・・・あの娘、スゴいなぁ・・・可愛いなあ・・・綺麗なお顔だなあ・・・。きっと嫌な事なんて無かったんだろうな・・・羨ましい・・・羨ましい!羨ましい!!羨ましい羨ましい羨まし・・・!!憎い!!!」
一番泥だらけだったのは、私の心だった。全てを憎む心が芽生えた時、突如、私の躰がズルリと溶けて腐っていく!何で??く、悔しいよ!親指の爪を噛むがそれは指から簡単に外れてしまった。
「た・・・助け・・・て」
救いを求めて手を掲げるが、もう誰にも届かない。
・・・汚泥の一部となって朽ち果ててゆく私の体からフルートのキィが転がり落ちる。きっとさっき飲み込んだものだろう。それは光輝き私を優しく包み込んだ。
・・・意識が遠のく私の前に、若い夫婦がフルートを差し出し微笑んでいる。
「・・・パパ?・・・ママ?私ね・・・私ね・・・ありがとう、って言われたの」




