第47話 清算
「げっ・・ングッ」
血の塊が込み上げて来たがそれを飲み込んだ。それが自分に残された最後の血のように思え、もし吐いてしまったら血と一緒に自分という存在が抜け出してしまうように感じたからだ。
もう、痛みも感じない。群集どもの嘲笑う声も聞こえない・・・。
躰が形を保っていられる限界が来ていた。どす黒く変色した体が端の方からボロボロと剥がれては煤となり、結界の中を漂う。その一つ一つがすさまじい憎悪を帯びており、離れているはずの群集の中には耐えきれず倒れてしまう者もいる程だった。
“セリセリ・・・オイデ・・・リン・・・全部オレの所為だ・・・ちくしょう・・・ちくしょう、ちくしょう・・・。
オレはなんて馬鹿なんだ・・・死んだ者が蘇るわけは無いんだ・・・。リッチェの姿の女神に絆されて、安請け合いした結果が、これだ・・・。
オレは叶う筈のない夢と引き換えに、此処に集まる有象無象のクソ共に希望を与えるのか・・・。ハハッ・・・無駄死にもいいとこだ・・・。
ああ、もういい。もういいんだよ・・・セリ・・・立ち上がらないでくれ・・・。
・・・モモ?なにしてんだ?セリのクビから手を離せよ・・・セリが、あんなに、苦しそうに・・・!”
助けようと腕をあげるが指の先からボロボロと崩れた。肩口まで崩壊したところで、ぐるんと目が回り意識が飛んだ。
「や・・・やめるナァ・・・ババァ・・・」
ボロボロのオイデがモモの腕に噛み付くが
それはとても弱々しく、再び気を失いズルリと落ちた。
「お・・・おばあ・・・ちゃん。やめて?離してよ・・・苦しいよ・・・。ルイを・・・ルイを助けなきゃ・・・!手伝ってよ、おばあちゃん!ルイを助けて!!」
「はん!なんであんな奴を助けなければならないのかね!!アイツはアタシの幸せをぶち壊してくれた張本人なんだよ!!此処に集まった者達が皆アイツに何かしらを奪われとるんだ!!さ!大人しくしといで!邪魔するでないよ!!」
「く・・・苦し・・・ち、違うの、おばあちゃん!全部、ぜんぶ女神の嘘なの!!自分のせぇに、ならないように、周りを使って、そうやってみんな奪って、壊して、絶望の淵に立たされた者に優しく手を差し伸べて欺してるの・・・!
みんなも聞いて!!私はセリセリ!セリセリ=エルドランド=ガランド!!女神は嘘つきなの!!大嘘つきなの!!本当なの!!そこの男は・・・ルイはなんにも悪くない!!ルイは・・・」
「お黙り!!」
クビを絞める手に力が入り、セリセリは苦悶の表情を浮かべた。
一瞬「おばあちゃん!おばあちゃん♪」と無邪気に纏わり付く姿が思い出されたが、首を横に振り、気を取り直すとさらに強く締め付けた。
「・・・エルドランド!?」
「エルドランドってゆったら、あの女子供容赦なく殺しちまうってゆう、少数民族野蛮人のエルドラの民か!?」
「だったらあの女の言う事は信用出来ないわ!アイツらはヒトでもオークでも食べちゃうって話だし!!」
出会った事すら無い者達が、僅かばかりの聞きかじった知識を恥ずかしげも無くひけらかす。原住民、野蛮人などといった先入観が植え付けられた者達に最早、セリセリの声は届かなかった。
「フフッ。キミが何を叫んだところで信じる者など誰も居やしないようだ。名乗ったのは間違いだったようだね・・・だが、コチラにとっては好都合。むしろ礼を言おう。
・・・いつの世にも少数は理解されない事が多い。「何をもって“普通”とするのか」その答えを誰一人として持ちあわせてなどいない。にもかかわらず無知の圧倒的大多数に埋没した個が声高に正義を振りかざす。だけどね、所詮それは慢心に過ぎない。ダイバーシティだのマイノリティだのと固有名詞を付けていく事自体が既に自分たちが上である、と思い上がっている証なのだ。むしろそう呼ばれる事によって当事者達は、今まで気にもせずにいられたのにやはり自分達は差別されていたのだ、と気付かされ、惨めな己を卑下しながら生きる事となる。・・・つまり個は不必要なのだよ。女神の思想には邪魔なのだ。互いが干渉するものだからそこに争いが起きる。
・・・ヒトは、何事もなく上っ面のみで生きていれば良いのだ。それを平和だと呼び、女神様のお陰だと称えていればそれで良いのだよ」
新たに一匹の竜を従え、ハインツが再び群集に向かい説き始めた。
「女神は!全ての命が平和に暮らせる世界を望んでおられる!家を持ち、街に住み、飢餓や流行病に怯える事もなく、差別偏見とは無縁の楽園を築こうとなさっている!
その為に滅ぼさなければならないのは悪だ!!・・・此処に世界中から集めた醜さの、悪意の塊がいる!!魔王だ!魔の者達の
象徴たる者を滅するのだ!さすれば拠り所を無くした魔の者達はやがて消えゆであろう!!さあ、今こそコレを討ち払い女神への供物として平和を願おうではないか!!」
「・・・さ・・・させ・・・な・・・い」
まぶたの裏がチカチカと瞬き、何も考えられない。意識がとびそうなのを必死に繋ぎ止め、よろつきながら段々と形を失っていくルイの傍へと向かった。
「・・・ルイ・・・ルゥーイー・・・」
右手を伸ばして力なく、三角錐の結界の中のルイを愛おしむ。彼の首から下はほぼ漆黒の煤にのまれ、まるで夜の海に漂う生首の様に頭だけがぽっかりと浮かんでいた。
「私もソッチにいきたい・・・一瞬に居られるのならどんな姿になっても構わない・・・ルイ・・・愛してる・・・」
「ズダーーーン」
群集の中から突如、一発の銃声が響き渡り目の前の結界に鮮血が広がる。
「ぅん?」
セリの体を貫通した弾がガンと結界に当たり、鉛の柔らかいそれはクチャッと潰れて足下に落ちた。
“コレ・・・大型獣用じゃんか・・ん?・・・胸の辺りが熱い・・・。あぁ、私、撃たれちゃったのか・・・ハハッ・・・私はマンモじゃないっての・・・うん。ま・・・でも、これでずっと一緒にいられるから、いいか・・・なあ・・・ルイ・・・お腹減ったよ・・・ご飯・・・作って?”
結界越しにルイの塊に優しく口づけすると、そのままズルズルと血糊を引きずりながらその場に崩れた。
「やったぞ!!当たった!!ハハッ!!ざまあみろ!!やっと見つけたぜ!!キャラバンのうすらデカいゴリラ何とかとかいう行商人からお前の話を聞いたぜ!ガキが長の街でもな!追って来てみれば、ビンゴ!!ざまあみろ!!この俺様に敗走なんぞさせやがって!お陰で盗賊の頭には戻れなかったが、岩山温泉での恨みは晴らせた!!この俺様の恥、此処で拭え・・・ぐはっっ!!」
結界を張っていた雷の竜飼いがパリッという音を立て一瞬で間を詰めると、元盗賊の頭という男の顎を平手で殴り飛ばした。男は数メートル先まで転がり、すくっと立ち上がったかと思うとガクガクと膝を震わせその場に崩れた。どうやら脳震とうを起こし気を失ったようだ。
「愚か者が!!このルイという男の意識下から悪意を解放するだけでよかったんだ!!お前がいたずらに刺激したものだから、抑え込む事が怪しくなってしまったではないか!!この結界が破られる事は万が一にもないと思うが、貴様の軽はずみが世界を滅ぼす事になるやも知れんのに!!見ろ!!あんなに悪意が膨らんで・・・膨らんで?嘘!?結界が・・・破られる!?」
ドクン・・・ドクン・・・まるで鼓動のように脈打つ悪意の塊が、収縮と膨張を繰り返し結界に干渉する。それはだんだんと早くなり綺麗な壁面を保っていた三角錐が、膨張に耐えきれず丸味を帯びてきていた。
ドン・・・
ルイを中心に黒い閃光が波状に広がり、不穏が大地を染めてゆく。その悪意にあてられた者達が口々に不安や恐怖を訴え始め、自分だけは助かりたい、他人などどうなろうが知った事ではない、そんな思いに支配された者が他者を傷つけあい、我先に女神に救ってもらおうと無駄に足掻いた。
「ハハッ!よいぞよいぞ!!もっと求めよ!!求める思いは女神の源!!セリセリの意識を奪い無理矢理にこのベルゼと竜飼いにさせて、魔王は愛する者の手によって安息を得る・・・と考えていたが、まさか殺されてしまうとは!どなるものかと肝を冷やしたが・・・あの盗賊のおかげで結果上々!!よいぞ!よいぞ!!
・・・まあルイ君の、愛する者に討たれる最後の顔が観られなかったのは、残念だけどね」
ドクン、ドクン。ドクンドクンドクンドクンドクンドクン、ドン!ドンドンドンドンドンドンドン・・・ミシ!!!
「このクソ野郎が!!」そう声が聞こえて来るかのようだった。鼓動が激しくなりついに結界にヒビが入りそこから悪意が漏れだすと、一気に洪水のように溢れかえり辺りを絶望で満たした。
群集は泣き叫び逃げ惑う。皆、思いやりの心など無くし、お年寄りや体の不自由な者、果ては自分の子供まで置き去りにして一目散に遠くへと走った。邪魔な者は殴りつけ、襟首を引っ張り合い、ジタバタと藻掻く様は浅ましい事この上ない。地を這う悪意はドロドロとそれらを追い立てるように流れ進んだが、置き去りにされた少年の手前で止まると、引き波のようにセリセリの亡骸を飲み込みながら集まり、再びヒト型へと姿を変えた。
空は漆黒に染まり重力の中心がそこにあるかのような禍禍しさに総毛立つ。明らかに理から外れた魔力を放つ異形の魔物・・・かつてルイであった“魔王”が誕生した。
この場の全ての者が、誰一人としてこの魔王を討つことは叶わない、ここから全てが終わるのだ、と瞬時に悟らせられた。
信仰とは、絶対的な絶望の前には実際に奇跡をその目でみない限りは結局、ただ拠り所として崇めているだけなのだ。それはセリセリの叫びと一緒で本当に心を掴む事など出来はしない。所詮自分本意な生き物だということが露呈する。
ルイの首に巻かれていたリッチェのスカーフが空に舞い上がり、まるで生きとし生けるものの掲げた白旗のように見えた。




