第24話 フローの裏の顔
「今日の読み聞かせも喜んでくださってとても嬉しいですわ」
孤児院への訪問からの帰り道、サシャ嬢は抱えた本を侍女に預けてにこにこと嬉しそうに僕に語りかけた。
「ええ、本当に。最初は僕達を敵視していた子達も最近は近寄ってきたり差し入れを食べてくれるようになりましたね」
ふふふと二人で笑いながら馬車で今日の出来事をお互い感想として述べる。
サシャ嬢とのこうした穏やかな時間が好きだ。
彼女が心安らかに笑っているだけで体温が上がり僕も嬉しくなる。
『浮かれるな』
いいじゃないか、ルーベルト。祝ってくれよ。
次は何をしたら喜んでくれるか、どうしたらもっと良くなるのか、二人で話し合いながらふと隣に座っていたフローに尋ねてみた。
「フローはどう思う?」
フローは少し困ったように微笑んでから浮かれていた僕等を突き落とすかのような言葉を述べた。いや、これがフローの本心なら受け止めなきゃいけない。
「私は、誰からの施しも受けませんでした。ですので彼等の気持ちも分かりませんし、私のあの頃の憎しみが上位貴族からの施しで癒されるとは思えません」
そうだ。
僕達がしているのは施しで、同じ立場にはなり得ないから、上の立場にいるからこそ出来ることだ。上の者が下の者に与えて満足するのは自己満足に過ぎないだろう。
でも、僕は喜んでくれた彼等の気持ちを否定したくはない。内心がどうか分からないけれど、僕は信じたい。
拙いながらもフローにそう伝えると、フローからもサシャ嬢からも微笑まれた。
「もし、私が幼い頃にルーベルト様にお会いしていたら違った人生があったかもしれませんね」
僕はその言葉に嬉しくなった。
フローが初めて自分の感情を吐露してくれたからだ。
何度も読んだ物語を思い出す。
貧民街で育った心も貧しくなってしまった人が善き人出会って生まれ変わる話。
僕は僕が善き人だとは自惚れないけど、僕がきっかけでフローが悪の社会から足を洗ってこうして隣にいてくれる事が嬉しい。
「フロー、ありがとう」
「お礼を申し上げるのはこちらですよ、ルーベルト様」
にこりと笑う顔はいつもと同じようだけれど、どことなく違う風にも感じる。
やっと、少しずつでもフローが心を開いてくれて嬉しい。
嬉しくて、嬉しくて、僕はフローに飛びついた。
フローは困ったようにされるがままにされているし、サシャ嬢と侍女さんも笑っている。
この瞬間がすごく嬉しい。
ずっと続けばいいのに。
僕はそう本気で思っていた。
ルーベルトは『勝手にしろ』と呆れていた。
サシャ嬢をご自宅まで送り届けて屋敷に戻った僕を待っていたのは渋面をしたエイリッヒだった。
エイリッヒはフローを一瞥すると僕に話があると言い、フローと別れて執務室に鍵を掛けてエイリッヒと二人きりになった。
『ふん、やはりな』
ルーベルト、何か知ってるの?
『ああ。予想通りだろうさ』
ルーベルトがそう言うのと同時だった。
「ルーベルト、フローを解雇して二度と会うな」
僕は目を瞬かせた。
「どうしてだい、エイリッヒ」
「詳しくはこの書類に書いてある。あいつ、お前達を騙しているんだよ。王家にも嘘をついて裏社会の連中とは縁を切ったって言って宣言書まで書いたのに、お前の懇願も無視してまだ連んでいたんだよ!ザファエル伯爵の地下オークションに出品されていた人達を集めたのもあいつだし、それ以降もやばい薬の売買や貧民街から子供を集めて売り払っている。お前に先に言うとあいつに情が湧いてるからな。先に王家にご報告させていただいた。明日の朝には事実確認も終わってあいつは再びお尋ね者さ。結局悪人は根っからの悪人なんだよ!」
長々と叫んだエイリッヒは言い切ったところで肩で息をしている。
僕はエイリッヒを見詰めて呆然として動けないままだ。
フローが?
さっきまであんなに優しくしてくれていたフローが裏ではまだ悪いことをしているの?
『言っただろう。真の悪人はいつでも善の者を演じられると』
でも、でもさ。僕は信じたい。
『本当にか?お前も本当は気づいていたんじゃないのか?フローと共にいる時の市井の人々の目を』
目?…そうだ。フローを冷めた目で見る人々もいた。
今日の孤児院だって、フローを睨んでいた子供も。
「やっぱり悪逆貴族のルーベルトは変わらない」
そう影で言われていたのはまだ実績を出せていないからだと思っていた。
それに、ルーベルトの悪行は、それは僕達のところに来る前のことだと思っていた。
フローは僕を信じて仕えてくれている。
それに報いたい。
それが今の僕に出来ることのひとつだから、大切にしたいんだ。
そう思っていた。
書類を一枚一枚丁寧に読んでいく。
僕の知らないフローがそこにいた。
眩暈がしてきた。
でも、最後まで読まなくてはいけない。
ゆっくり読み終わり溜息を吐いてエイリッヒを見る。
エイリッヒは僕の決断を待っているようだった。
「エイリッヒ、僕はフローが今も悪人でも信じたい」
「ルーベルト!」
叱責されるけれど、本当はこれでいいか悩んだけれど、それを打ち払うように首を横に振った。
「これが僕の悪逆だ」
そう。これが『僕』というルーベルト・トランドラッドの悪逆。
悪いこと、人の道に背いたことに逆らってみせる。
悪逆の、悪逆だ。
それと悪人のフローを信じることと何が違うんだろう?
『いいのか?どうなっても知らんぞ』
いいんだ。ルーベルト。
フローを信じると最初から決めていた。
エイリッヒは盛大に肩を落とした。
「お前がそれでいいならいいけどな、あいつ明日には王兵に連れられて牢屋行きだぜ」
「王に嘆願書でも書くさ。裏社会もなんとか解体してみせる」
元からこの領地の裏社会はなんとかしなくちゃいけない存在だった。
ルーベルトと僕の大切な領民を脅かす存在をそのままにしておけない。
僕が決意を固めると、エイリッヒが眩しそうに呟いた。
「なんだか、ルーベルトがルーベルトじゃないみたいだ。公爵って重圧に耐えてるお前と違って本音を出してきたって感じがして今のお前も好きだぜ」
軽くウィンクをするエイリッヒは手をひらりと振ると忠告してくれた。
「とにかく、明日の朝には王兵が来る。それまではフローの動きに気をつけろよ」
「分かったよ、ありがとう。エイリッヒ」
そのままエイリッヒを玄関まで見送ると、フローが自室の前に立っていた。
「フロー」
「すべてお分かりになったんですね」
「うん。でも、僕は君を信じたいと思っている」
フローが自嘲気味に吐き出した。
「信じるって、何をですか?あなたの前には今も昔も薄汚れた私しかいない」
「それでも信じるさ。それが悪逆貴族の僕の悪逆だからね」
エイリッヒみたくウィンクをしてみようとして盛大に失敗をして両目を瞑ってしまった。
恥ずかしい。
そう思っていると近付いたフローがハンカチを僕の鼻や口元に押し当てる。
「フロー…!」
「もし、もっと早くあなたという人を理解していたら違った選択をしていたかもしれませんね」
悲しそうなフローの顔を見ながら、僕はゆっくりと意識を失った。




