リーリエ・ストライドの影
記憶を辿り終えたセリア。どうやら、セリアはコーラルの腕前を下手だと言い切ったようだ。
「怖いもの知らずだなぁ……正直だったのね」
ため息を吐く。そして、コーラルが何故ラブレターを送ってきたのかも想像できた。
椅子から立ち上がり、姿見の前に立った。
「見た目だよなぁ」
再びため息をついたセリア。そう、鏡に映った自分の姿は美しい。
艶のある、長く黒い髪。宝石のような赤の瞳。絹のような白い肌。
「この姿、モテ過ぎで性格が歪んじゃったのかしら」
実際、セリアは自分の見た目の良さを誇る悪女だった。彼女の肌の具合が悪いときなどは、使用人たちはブルブルと震える思いだった。怒涛の不機嫌が使用人たちを襲うからである。何もそこまで他人に当たることもあるまいにと、今の彼女は思う。
セリアは今置かれている現状に、どうしたものかと机に頬杖をついた。
考え込む彼女。コーラルからの手紙の返事をしないわけにはいかないだろう。心のこもった手紙であると思う。
しかし、今のセリアは『セリアではない』のだ。今の彼女はセリアという器に転生した別の人格。記憶は辿れるが、コーラル・ベインスのことをどう評価していいかもわからない。
考え込む彼女。会って話をするべきか。不自然さが露呈してしまうだろうか。今のセリアには好きな人などいない。転生してきたのだから当然だ。コーラルに対しては、残念ながら好きではないと伝える他ないように思えた。
それに。
「こんな悪女を好きになるなんて、見る目がなさすぎる」
肩を落とすセリア。幸せになってくれ、コーラル・ベインス青年。
彼女は決意した。コーラルに対しては、手紙の返事をするのではなく、直接話をする。コーラルに、悪女を選んではいけないという忠告をするためだった。それはおせっかいかもいしれないし、優しさなのかもしれなかった。
「ベインス家の音楽会」
呟くセリア。音楽会に招待してくれるというのだから、その時にコーラルと会うことが出来る。
しかし、彼女は音楽会への参加に不安を抱いた。まだ、このセリアという身体に慣れきっていない。それに、周りの貴族たちは敵だらけだろう。セリアという人物が行ってきた悪行。
暴力。
理不尽。
差別。
嫉妬。
策略。
悪意。
数えれば数えるほど、セリアの肩の荷が重くなっていく。
しかし、セリアはその肩の荷を苦にするでもなく思った。
これから変わればいいじゃないか。
人間の行動や発言は、周りへの影響をもたらす。悪女だったセリアに、嫌な気分にされた人間は数え切れないだろう。それでも、自分が変わっていけば、いつか現実は絶対に良い方向に運ぶと彼女は思ったのだ。
音楽会。彼女の望むところだ。最初の目標が出来た。
セリア・フランティスの最初の一歩が始まるのだ。そう思うと、自然と彼女の胸が高鳴った。
しばらくして、侍女のノイフがセリアの部屋を訪れた。
そして、しばらくの会話。
「あっ、終わった」
そう言ったのはセリアだった。
ノイフに、ベインス家の音楽会に参加したいと告げ、その時のノイフの返事によるものだった。
リーリエ・ストライドがベインス家の音楽会に参加するらしいのだ。
「ベインス家は侯爵家だし力もあるけど、まさかリーリエが来るなんて思わないじゃない。リーリエが参加するのをコーラルだって知っているはず……なんて気の利かない……リーリエが一緒じゃ、もう私は頭を下げ続けるしかないじゃない」
ぶつぶつと呟くセリア。
「セリア様とリーリエ嬢の関係は、皆の噂になっています」
「終わった」
天を見上げるセリア。神は無慈悲である。
しかし、ふと彼女はリーリエ・ストライドのことを考えた。
記憶を辿るに、リーリエは美しい茶色の長髪。まるで特注品の宝石のような青い瞳をしている。そして、セリアをも上回る、雪のような白い肌……。
リーリエは伯爵家の娘。その美貌と、誰にでも愛される性格が特徴的だった。
貴族の中には、リーリエを高く評価する者たちが多かった。幾人もの貴族たちにアプローチされているという噂が絶えない。そのアプローチを、リーリエは相手に恥をかかせないように断ってきた。
フィゲル・ブリッツとリーリエの仲の良さ。その関係を微笑ましく見守る貴族たちもいた。
だが。記憶だけのことだが、セリアはリーリエに違和感を覚えていた。
確かにリーリエは完璧な女性に思える。
しかし、セリアに対して、わざと挑発して恥をかかせているように思えたのだ。
「(私は挑発なんかされても、それには乗らないけど……)」
どこか腑に落ちないセリア。
完璧な人間など、どこにもいない。何か裏の顔があるのではないだろうかと彼女は思う。
しかし、現実という概念は、セリアが極端にマイナス、リーリエが極端にプラスの立ち位置にあることを、貴族たちの評判が物語っている。幸せになるのはリーリエで、不幸になるのはセリア。
だが、今のセリアは人生を謳歌する気でいる。悪女であるという評判を跳ね除け、誰かに愛される人生を送るのだ。どうせ死んだのだから、もう怖いものはない。
リーリエ・ストライドの登場。上等ではないか。自分自身の目で、リーリエを確かめてみようとセリアは思った。