コーラル・ベインスの恋
楽しいお茶会はあっという間に終わってしまった。茶と白玉は各々の胃に吸収され、三人とも満足していた。
しかし、セリアは満足してもいられない。行ってきた数々の悪行を、迷惑をかけた人に謝らなければならない。
そうセリアが思っていると、テラスにフランティス家の使用人が現れた。ノイフと同じように、メイド服を着ている。
「セリア様、お手紙が届いております」
「あら、誰からかしら?」
「コーラル・ベインス様からです」
使用人は手紙をセリアに差し出した。真っ白な封筒に、鮮やかな赤色の刻印。
「ありがとう」
セリアは礼を言いながらそれを受け取った。
コーラル・ベインス。セリアの記憶を辿るに、ベインス侯爵家の次男坊だ。
頭が痛くなってくるセリア。手紙の内容はおそらく、セリアを非難する内容のものだろう。リーリエ・ストライドにセリアが喧嘩を売った場面に、コーラル・ベインスは同席していたからである。
「セリア、大丈夫かい?顔色が悪いように見えるが」
クロードが心配そうにセリアを覗き込んだ。
「いえ、大丈夫ですお父様。少し、自室に戻らせていただきます。今日は本当に楽しかったです」
「それならいいんだが。今日は本当にありがとう、セリア」
「とんでもないです。ノイフ、これからも世話になるわね」
「セリア様のためなら、なんでも」
「ありがとう」
そう言ってセリアは自室へと引き返していった。
自室に戻ってきたセリア。壁に掛けられた大きな姿見を見る。片手には手紙。やはり、容姿が美しい。赤の瞳など、前世では見たことがない。この容姿なら、一目惚れする男もいるだろう。セリアはそれで調子に乗っていたのかもしれない。
ため息をつく彼女。手紙……。
セリアは姿見の近くの椅子に座り込んだ。机の上に手紙を置き、若干の躊躇いの後、それを開封した。彼女の性格の悪さを非難する内容が書かれているだろう。
『セリア・フランティス嬢へ
コーラル・ベインスです。この前のパーティーで倒れ込んでいたのを見ました。
心配しています。早く良くなってください。
貴女とリーリエ・ストライド嬢、どちらが悪いかといえば貴女が悪いと思いますが、僕は貴女の味方です。きっと、貴女にはリーリエ嬢に喧嘩を売る理由があったのだと思います。
何故、味方をするのかは聞かないでください。こちらから言いたいことです。
僕は貴女のことが好きです。
今までずっと言えませんでした。
貴女がフィゲル・ブリッツの事を好きだと、知っていたからです。
僕では、フィゲルには敵わない。それでも、後で後悔するくらいなら、何度でも言わせていただきます。
貴女を好きな気持ちは、誰にも負けません。
今度ベインス家の音楽会に招待します。僅かながらにも可能性があるのであれば。
コーラル・ベインスより』
手紙を読み終えたセリアは、口を開けて、呆然としてしまった。展開についていけない。自分が非難されるとばかり思っていた。
コーラル・ベインスは茶髪の好青年だ。体格は細いが、服の中は洗練された筋肉の男性である。そして、おっとりとした瞳をしているのが特徴的だ。
セリアは混乱していた。
何故?
こんな性格の悪い女が、何故男性からラブレターを受け取っているのか?
記憶を辿ってみる。コーラルとの思い出が、確かに記憶に残っている。
昔の話。自然豊かな公園。鳥達が生を謳歌し、虫達が必死に生きる中で、コーラルが茶色のブレザーを着ながら、楽器の練習をしていた。公園を訪れたセリアは、音に惹かれてコーラルの元へ近づいていった。
コーラルはすぐにセリアの姿に気づいた。
その時、コーラルは目を見開いた。
公園の中に、凛として佇む長い髪の女性。引き込まれてしまうような赤い瞳。白のワンピースを着て、白い日傘を差していたセリア。
その姿を見て、コーラルは落下してしまった。一目惚れという沼に。
そして、セリアはコーラルの方へ真っ直ぐに向かっていった。
コーラルは緊張した。そんな緊張もおかまいなしに、セリアとコーラルの距離は近づいていく。
「バイオリンの練習をなさっているの?」
セリアは無表情だった。
「あ、はい。初めまして。僕はバイオリンが苦手なので、こうして練習をしているわけです」
「ふーん」
セリアは初めましてすら言わない。コーラルの方を見つめていた。
「ちょっと、聞かせてくださいますか?バイオリン」
「い、いきなりですね。出来ますが……少し緊張しますね」
「緊張しない人間は馬鹿です。さ、演奏してください」
セリアは日傘を差したまま立っている。
彼女の言葉を受け、コーラルはバイオリンを弾き始めた。
流れる音色。音は澄み切った大気に染み込むかのようだった。
全力で演奏をし続けるコーラル。それを見つめるセリア。二人が共有しているものは、バイオリンの音色だけ。
「もう結構です」
セリアは無表情のまま、平坦な声で言った。
コーラルは演奏を止め、そして何も言わなかった。セリアの方を見つめている。
「下手ですね」
セリアははっきりと口にした。
「プロの音楽家たちには到底敵わない腕前です。もっと精進することですね」
「あ……」
「それでは、私はこれで」
セリアはくるりと振り返り、その場を立ち去ろうと歩み始めた。
「待ってください!」
「なにか?」
「あなたの名前を教えて下さい!!僕の名はコーラル・ベインスです!!」
コーラルは胸に手を当てて叫んでいる。
「セリア・フランティスです。これでよろしい?」
一瞬だけちらりとコーラルの方を振り返ったセリアは、ぶっきらぼうに答えた。しかし歩みは止めない。そのまま、その場をセリアは立ち去ってしまったのだった。
一人、取り残されたコーラル。
バイオリンが下手。それはコーラル自身が一番よく判っていたことだった。しかし、コーラルの周りの者たちは、みんなコーラルのバイオリンを褒めていたのだ。
「こんなに直球で言ってくれるなんて」
呟いたコーラル。その表情は不愉快ではなく、微笑だった。
コーラルが一番欲しかった態度。自分の演奏に対する素直な感想を、彼は待ち望んでいた。彼は上手と言われるのも、別に不愉快ではなかった。むしろ、気を遣ってくれていることに感謝していた。
しかし、素直な感想に出会えることが出来た。
セリア・フランティス。美しい赤い瞳の女性。
コーラルはその名を胸に刻み込んだのだった。