悪役令嬢の終わりは歌
コーラルは、セリアに連れて行かれる形でフランティス家の廊下を歩いていた。歩く方向から察するに、セリアは外へ出ていこうとしているようだ。庭に行くのだろう。
廊下を歩きながら、セリアが口を開いた。
「コーラル様、私の事が好きですか?」
「勿論です。いや、好きという言葉では足りないかもしれない。愛しています」
「嬉しいです。もし、私がワガママを言ったら、聞いてくれますか?」
「貴女のためなら、最大限、努力します。甘えても良いのですよ」
「そう、ですか……。では、一つ、お願いしてもいいですか?」
「なんでも」
セリア達は館の外へと出た。綺麗な晴天。雲ひとつ無い。綺麗な庭に設置してある椅子の方に、二人は向かった。歩く二人。
「私、コーラル様に、どうしても聴いてほしい歌があるのです。それを聴いてほしいのです」
「それは、嬉しいです!こちらからお願いしたいくらいです。それは、ワガママとは言いませんよ。セリア嬢、歌う前に渡したい物があるのですが……」
「渡したい物?なんですか?」
セリア達は庭に設置されている椅子に辿り着いた二人でそこに座った。
コーラルは、ポケットから綺麗な物体を取り出した。
「この、エメラルドのペンダントです。貴女に似合う装飾品を探していたのですが、中々手間取りまして……このペンダントを、受け取って欲しいのです。どうか貴女に」
コーラルはそのペンダントを、セリアに手渡した。
それを見つめるセリア。掌に乗る、エメラルドのペンダント。
「綺麗……」
「お気に召しましたか?」
「はい……。ありがとうございます。貴方からプレゼントが貰えるなんて……。とても綺麗です。大切にします。とても、大切に」
セリアはコーラルに微笑んでみせた。その微笑を見て、コーラルはとても嬉しい気持ちになった。好きな人が、プレゼントで喜んでくれる。それはとても幸せなことなのだから。
「コーラル様」
「なにか?」
「私が突然消えてしまったら、悲しいですか?」
「え?」
コーラルはセリアの表情に驚いた。とても、切羽詰まったような表情だったからだ。
何かの、不安な胸騒ぎをコーラルは感じた。
「そんな事を言わないでください。僕は、貴女を、一生をかけて幸せにします。だから、そんな不吉なことを言わないでください」
「ごめんなさい。では……私の歌を、聴いてくださいますか?貴方だけのために歌う、大切な歌です。二度は歌いません。貴方のことを思いながら、精一杯歌います」
セリアは立ち上がった。
風は綺麗に吹いている。
鳥は綺麗に飛んでいる。
空は綺麗に澄んでいる。
「セリア嬢……」
コーラルはセリアの勢いに、何かを感じていた。二度歌わない歌。耳に焼き付けなければならない。
「歌います」
セリアは、何度も練習した歌を、低い音と共に、歌い始めた。
日本語の歌。しかし、要所要所で、この世界でも通じる、愛情を込めた歌。ラブソング。
その歌声は、この世界に存在する何よりも美しかった。セリアとコーラルしか、世界に存在しないかのように、二人だけの空間を作り出していた。
コーラルの心に、セリアの歌声が響く。胸が熱くなる。自分のことを歌ってくれている。セリアの愛情が伝わってくる。人の心を動かす歌。
セリアは歌い続けている。感情を乗せるためか、涙すら流している。彼女は理解していた。
終わる。全てが終わる。
セリアの足は、透けていた。彼女の体が透けていく。
その様子に、コーラルも気がついた。
「せ、セリア嬢!体が!」
「止めないで!」
セリアが鋭い口調で遮った。そして、歌を歌い続ける。もう時間がない。
コーラルに最後まで聴いてほしい。自分に残された時間が少ないことを理解していた。自分が夢から覚める時が来たのだと、理解していた。
だから、セリアは歌った。せめて、この世界の愛情に報いるために。愛する人に、自分の想いを伝えるために。夢だとしても、自分の証を残すために。
セリアの体は、もうほとんど透けていた。しかし、コーラルはセリアの歌を聴いていた。『そうしなければならない』と思ったからだ。
コーラルへの愛の言葉と共に、終わる歌。終わった歌。
「愛してる」
歌唱を終えたセリアはいった。泣いていた。
それに対して、コーラルが愛していると言った瞬間には、セリアの体は完全に消え去っていた。
何も残らない。
コーラルは、その場に立ち尽くしていた。
「藍! 藍!」
藍を呼ぶ声。藍はゆっくりと目を開けた。
昔から馴染んだ、前世の体。平凡な大学生の体。
どうやら、病院の中らしいと、藍は理解した。
藍は電車に弾き飛ばされたらしいが、奇跡的に生きていたらしいと、周りの者に聞いた。
彼女は、怪我のリハビリと共に、大学を中退した。あの夢のような世界で、愛情をたくさん貰い、自分を大切にすること、そして自信がついたからであった。彼女は、プロ歌手になるために人生を捧げると決意したのである。
彼女の歌を褒めてくれる人はいなかった。だが、愛する人のいた世界、コーラルのいた世界では、藍の歌を認めてくれる人はたくさんいた。例え、あの世界が夢だったとしても、その思い出だけは、彼女の頭に完全に記憶されていた。
プロ歌手になるには、藍の実力を持ってしても、簡単な道ではなかった。何度も、心が折れそうになった。だが、彼女は諦めなかった。
脳裏に焼き付いた、美しいエメラルドのペンダント。生まれて初めて貰った、大切な愛する人からのプレゼント。
自分には出来る。藍は常に前向きだった。彼女の心は固まっていたからだ。
あの人達の愛情があれば、私は迷うことなく羽ばたいていける。
藍は努力を続け、そして、その才能が、一人のプロデューサーの目に止まった。
その人物は藍を評価し、藍は歌を大勢の前で披露するチャンスを得た。小さい会場だったが、そこで披露された藍の歌唱力は圧倒的であり、観客は感動し、城野 藍の名前は一気に音楽好きの中で有名になった。
そして、彼女はスターへの道を歩むことになる。藍は、諦めない心で、自分の夢を掴み取ったのだ。彼女は、何曲、何十曲もの歌を発表した。発売されたCDは大いに売れ、藍の名前を知らない日本人はいないのではないか、と思われるほど有名になった。
また、彼女は絵の練習も始めていた。転生する前は一度も書いたことがなかったが、一つの目標のために、デッサンを初めとして、初歩的な所から、努力して絵の腕を磨いた。
藍は人生を通して、歌に力を注ぎ続けた。そんな彼女の発表したCDの中でも、一番世間に評価された物があった。藍の代表作と呼ばれているCDがあった。
CDの名前は、『コーラル・ベインス』。
ジャケットは、藍の手書きによるCDだった。
短い茶髪に、おっとりとした黒い瞳の男性の横顔が描かれていた。
そして、そのジャケットの隅には、涙の跡のような物があったという。
完結です。ありがとうございました。




