別れる覚悟と別れたくない愛情
ミハエル・アークルは、狩りを楽しんでいた。自然豊かな森の中である。勿論、危険な森ではない。帰ってこられなく可能性がある山には、ミハエルは絶対に近づかないだろう。
弓を構える。着ている白いシャツのシルエットが綺麗だ。
獲物に狙いを定め、撃つ。
動かなくなる獲物。ミハエルは微笑んだ。
弱い。なんと弱い生物なのか。
人間に対して、まったく抵抗する術を持たない。これと同じ現象が、貴族社会でも起こり得る。彼にとって、この狩りと、ストライド家の接収は、同じことのようなものだった。
記憶に残る、愚かにも散っていった貴族たち。情報をという宝物を軽んじ、その情報により握りつぶされた貴族。自分たちは安寧の日々を送れると、根拠も無しに思っていた貴族たち。
ミハエルは思った。どの貴族たちも、手ぬるい相手だった。ストライド家もそうだ。どうして、明らかな自分達の弱点に気が付かないのか、疑問ですらあった。
しかし、どうでもいい。これから狩る相手のことなど、気にする必要はない。リーリエが従順に自分に従ってくれさえすれば良い。反抗的なら、罰を与えればいいだけのこと。
どの貴族も愚かに見える。ミハエルは若くして、自信に満ち溢れていた。
だが、彼は気づいていなかった。自分が狩っているのは、自分より弱い相手だけだということを。時として強力な動物が、人間に牙を向くことを。
セリアは、フランティス家の自室のベッドで、横になっていた。転生して、最初に目覚めたベッド。部屋にはセリアしかいない。数刻前までは、ノイフがいたが。
両腕の感触を確かめるセリア。なにか、違和感があるような気がする。セリアの身体が、自分の体ではないような、そんな気持ち。
彼女の心にある気持ちは、不安。それに尽きた。自分を呼ぶ声が聞こえた気がする。前世の、藍という名前。
根拠もなく、ずっとこの生活が続くと思っていた。この転生先で新しい人生をやり直すのだと、そう意気込んでいた。
だが、それは自分の思い上がりだったのかもしれないと、彼女は思った。本来、転生など夢物語。現実的な出来事ではない。
夢から醒める時が来たのかもしれない。彼女は、コーラルの顔を思い浮かべた。前世で愛されなかった自分を、愛してくれたコーラル。
消えたくない。セリアは心からそう願った。この幸せを奪わないでほしい。神様がいるのなら、どうか自分をこの世界に留まらせてほしい。
藍……藍……
また聞こえる声。セリアは、諦めたような表情になった。そう、きっと、一時の夢だったのだ。優しいノイフも、愛しいコーラルも。
自分の終わりを認識しつつ、彼女は一つの歌を練習することにした。それは、日本語の歌である。自分以外には意味が伝わらないだろう。だが、歌詞の一部だけ、この世界でも伝わるフレーズがあった。その歌を、彼女は練習し始めた。元より歌うことは出来たが、全力で歌うために、練習が必要だったのだ。
コーラルに聴いてほしい。その一心だった。
夢が醒めるとしても、その夢の終わりに、コーラルに聴いてほしかった。
彼女はぎこちなく動く身体で、練習をし続けた。




