蝶は飛ばずに肩に乗る
「私はこれで失礼する。邪魔をしてしまうからな」
そう言ったのはフィゲルだった。彼も引き際くらいは心得ている。セリアと話したいところだったが、彼女を冷たくあしらってきたフィゲル。コーラルとセリアの話を遮ることは彼の性格が許さなかった。焦ることはない。また、話す機会はある。
「フィゲル様、票を入れてくださって、本当にありがとうございました」
セリアは丁寧にお辞儀をした。コーラルも軽く頭を下げた。
「気にすることはない」
そういって、フィゲルは颯爽とその場を立ち去った。
取り残されるセリアとコーラル。
会話が止まる。
気まずい。セリアはコーラルの方を見ているのが、恥ずかしくなった。
いつだってそうだ。素直になればいいのに、それが出来ない。
そして、少し怖いと彼女は思った。歌しか取り柄のない自分の性格に、自信がなかった。
怖いのはセリアだけではなかった。コーラルもまた、怖かった。家柄も容姿も洗練されているコーラルであったが、セリアのことを一番美しいと思っている彼にとって、自分はセリアに相応しくないと思うことが多々あった。いつか、蝶がひらひらと、どこかへ飛んでいってしまうように、セリアがどこかへと消えてしまうのではないかという不安を持っていた。
だが、彼も男だ。勝負の時くらい、わかる。今がその時だと。
「セリア嬢、私と付き合ってください。決して不幸にはしません。貴女を守る盾となり、貴女に危害を加える者には、剣になります。僕を選んでください。貴女を幸せにしたい。貴女の側にいたい」
コーラルは淀みのない言葉で語った。それは、語った内容が彼の本心そのものだったからだ。
「コーラル様、私は……」
続く、悪女という言葉を飲み込んだセリア。
悪女だったから、なんだというのだろう?
罪は償える。今までが悪女だったからといって、今も悪女なわけじゃない。転生したのだ。この、一度ベッドに入ってしまえば覚めてしまうかもしれない夢の中で、自分を押し殺してどうするのか?そう、ずっと彼女は自分を押し殺してきた。言いたいことは言えず、好きなものを好きと言えず、誰にも愛されなくて、歌の練習だけ続けてきた孤独な自分。
コーラルはきっと、勇気を出してセリアにアプローチしてくれている。
愛されたい。セリアはそう思った。そして同時に思った。誰も愛そうとしないのに、誰かに愛されたいなどと。そんな考えでは、相手に失礼だ。
「……私で、いいのですか?」
「貴女でなければだめです!」
コーラルは自分の言葉の反応の速さに、自分自身で驚いた。それ程までに、セリアのことを好きだった自分に気がついた。
二人の間に、僅かな静寂。セリアは俯いている。コーラルは少し目を逸している。
続いて、控えめな笑い声。セリアの声だ。彼女は小さな声で笑いながら、涙を流していた。
「セリア嬢?」
「なんでもありません。その、不束者ですが、よろしくお願いします」
「何故、泣いているのですか?」
「なんでもないのです。なんでも……」
セリアの頬を伝う涙は美しかった。何故、彼女は泣いているのか。それは、強い愛情というものに身を委ねたからだった。前世では、こんな経験はなかった。
可笑しい。こんな夢の中で、愛情に触れられるなんて。
愛情が、こんなにも温かいものだなんて。
人生に希望はあるんだって。
彼女の心の中に膨らむ、コーラルに対する言葉は、たった一つだった。
ありがとう。




