令嬢を見る者たち
一方、もう片方の控室では、リーリエの予想通りに、セリアが居座っていた。
控室には大きな鏡が置いてある。その鏡を、セリアは見つめた。
美しい容貌だと、彼女は思った。そして、致命的なまでに残っている紅茶の染みが、どうしようもなく消せないということも理解している。
だが、彼女は負ける気はなかった。パトリドのドレスが、自分をここまで連れてきてくれたのだと。だから、彼女は最後までパトリドの武器と共に戦い抜く覚悟だった。
きっと、嘲笑される。この大舞台で、紅茶の染みのついたドレスを披露するのは、管理不足と言われる他ない。
『生きてきてよかった……。セリア様、どうか、あのドレスを仲間として、連れて行ってください』
心に残っているパトリドの言葉。
このドレスは仲間なのだ。一人の人間の気持ちが、想いが詰まっているのだ。裏切るわけにはいかない。別のドレスで出場すれば、パトリドはどんなに悲しむことだろう。
歌うことに執着した前世。人が、一つのことに打ち込むのは、とても孤独で、勇気のいることだ。セリアはそう思った。だから、パトリドの本気も理解出来る。
理解できるからこそ。人間の本気が、わかるからこそ。
セリアが深呼吸をしていると、黒服がセリアのいる控室へと入ってきた。
「セリア様、決勝戦が始まります」
「いつでも出れます」
「わかりました。では、壇上へお願いします」
黒服は先頭に立ち、セリアを促すように歩きだした。
セリアは後についていく。美しい歩き方で。彼女の仕草は美しかった。
壇上へと昇ったセリア。壇上には既に、四人の審査員と、リーリエ・ストライドがいた。
リーリエは睨んでこない。微笑しながらセリアの方を見ている。
「皆様、大変お待たせいたしました!これより、一番美しい者が決まります!セリア嬢、リーリエ嬢!中央へとお願いします!」
その言葉を機に、セリアとリーリエは壇上の中央へと向かった。そして、観客席からは既にざわめきが起こっていた。セリアのドレスが汚れていたからだ。
到着していたパトリドも、目を見開いた。明らかにドレスが汚れている。
中央で向かい合う、セリアとリーリエ。
「セリア様、本当にそのドレスで来たのですね」
「大事なドレスだもの」
「これは勝負なのですよ?」
「百も承知」
「そうですか。では、結果発表が楽しみですね。ええ、本当に楽しみです」
リーリエの美しい茶髪が揺れた。彼女は青のドレスに着替えている。
壇上の審査員たちもまた、驚いていた。リーダー格の老人以外は。なにしろ、このようなコンテストで、染みの付いたドレスを着て出場した人物など、見たことがないからだった。
黒服が、ごほんと咳払いをした。
「それでは、これより審査員の選定と、ご来場の皆様の票で、どちらが美しいのかを決定いたします!皆様、よくお二人をご覧になってください!」
セリアとリーリエに注がれる視線。それは、好奇心と、選定と、応援と、嫌悪と、様々な感情を伴っていた。
客席にいたコーラルは、真剣な眼差しでセリアを見つめていた。リーリエに対しては、軽く一瞥しただけだった。彼は驚いていた。セリアのドレスは美しかったが、今は染みのついたドレスになっている。彼は、きっと何かトラブルがあったのだろうと予測した。その理由を今すぐにでも問いたい気持ちだったが、彼は止まったまま、壇上を見ていた。ただただ、セリアを応援していた。
セリアの態度は堂々たるものだった。染みの付いたドレスながらも、凛として背筋を伸ばしている。それは、観客たちを困惑させた。汚い格好と、セリアの態度のグラデーション。
一方、青く華やかなドレスに身を包んだリーリエは、誰の目にも美しく見えただろう。長い茶髪はさらりと流れ、青の瞳はキラキラと輝いている。
審査員四人は、なにやら話をしていた。冷静というよりは、慌てているような話であった。
正直、まったく勝負にならない。清潔感のある服装というのはとても重要で、それを無視しているセリア・フランティスは、それを破っていたからだ。
対するリーリエは完璧。身だしなみは完全に整い、振る舞いも優雅で、美しいという単語を具現化したような姿だった。
審査員達の結論は、簡単に出た。ただ一人、リーダー格の老人を除いては。
リーダーは、顎に手をつけて、なにか考え込んでいる。
観客達の答えも、既に出ようとしていた。
「セリア・フランティスは、最低限の身だしなみすら出来ないのかしら?」
「よくあれで決勝まで残れたわね」
「性格の悪い悪女の末路としては、お似合いですわね。日頃の行いですわ」
「なんであんな格好を?」
囁かれる、敵意を持った言葉たち。
そのような小声の話の中、フィゲル・ブリッツは真剣な眼差しで壇上を見つめていた。
リーリエの方ではない。セリアの方である。
「フィゲル様、リーリエ様が勝たれて良かったですね」
女性の貴族の一人が、フィゲルの傍に寄って、笑顔で話しかけた。しかし、フィゲルの返答は、意外なものだった。
「まだ勝負は決まっていない」
「え?」
「セリア嬢が勝つ可能性もある」
「フィゲル様、それはないのでは?あの格好で、美しいなどと……」
「まだ勝負は決まっていない。二回目だが、わかるか?」
「も、申し訳ありません」
フィゲルを怒らせてしまったと思った女性は頭を下げて謝った。ブリッツ家の力が伺える。
しかし、フィゲルは怒っていたわけではなかった。何故このような事態になっているのか、考え事をしていたのだ。あのドレスは、セリアがこの会場で披露していたドレスだ。それは間違いない。しかし、今はそのドレスは紅茶の染みのようなもので汚れている。つまり、会場からどこかに移動したセリアは、どこかで紅茶をこぼしてしまったのだ。それが一番妥当だとフィゲルは思った。
だが、同時に別の道が想像できた。こぼしてしまったのではなく、『こぼされてしまった』という可能性。もし、悪意のある人物がセリアのドレスを汚したのなら、それは許されざる行為だとフィゲルは思った。
フィゲル・ブリッツは、不正を嫌う。横領や戯言、悪とされる物が、大抵嫌いな性格なのだ。だから、セリアのことも嫌っていた。悪女だったからだ。
しかし、彼は現実が改善されれば、柔軟に態度を変える人間だった。悪は嫌いだが、善人になってくれれば、それに応じた振る舞いを見せる。
セリアが汚れたドレスを着ている。フィゲルは、その事で頭を回転させ続けていた。




