侍女ノイフの思い出
セリアはずっと居続けたいような居心地のベッドから降りた。まずは身支度をしなければならない。
部屋の中はいかにも西洋といった風景だった。赤い色をしたふわふわの絨毯など、踏んだこともなかった。
本来、いきなり別人になったのだから着替えすら出来るか怪しかったが、身体に身についた習慣なのか、簡単に着替えをすることが出来た。
白と金の服に着替えたセリアはもう一度鏡を確認してみた。ノイフから貰った鏡ではなく、部屋の壁に設置された大きな鏡で。
やはり美しい。悪女であるのはともかく、容姿は完璧なのではないかとセリアは思った。
次にセリアがしたことは、ノイフが淹れてくれた紅茶を飲むことだった。そんな冗長なことをしている場合ではないのかもしれないが、せっかく淹れてくれた紅茶を飲まないのは失礼だと思ったのだ。
ベッドの側に置かれた白い机の上に置かれたティーカップを手に取ったセリア。紅茶はまだ温かく、今まで嗅いだことのないような香りの良さだった。
一口、紅茶を口に入れた。
「美味しすぎる」
セリアの本心だった。こんなに美味しい紅茶をタダで飲めるなんて信じられないと彼女は思ったのだ。
「ノイフにお礼を言わないと」
セリアはもう一度鏡を見て、姿におかしい所はないか確認した。
漆黒の長い髪。白い肌。赤い瞳。白と金の美しい服。
問題はない。
新たな人生を歩みだす時だ。
部屋を出る扉を開こうとする時、少しの緊張。
そしてその緊張を解き放つかのように、セリアは扉を開いた。
未来への扉を開けた先で、セリアはノイフに遭遇した。
ノイフは笑顔をセリアに向けている。
「セリア様、立派に動けるのですね!身体はふらつきませんか?無理はしてはいけません」
「ええ、大丈夫。ところで、その、少し言いたいことが……」
「なんでしょうか?もしや、お茶がお口に合いませんでしたか?」
「いえ、違うの。私にこんなことを言う権利があるのかはわからないけど」
セリアはバツが悪そうにノイフの顔を見つめた。
「今までワガママばかり言ってごめんなさい。今日から心を入れ替えます。ノイフ……その、見捨てないで尽くしてくれて、ありがとう」
セリアは深く頭を下げた。少し口を開けながらそれを見るノイフ。
ノイフは口を両手に当て、やがて涙を流し始めた。
「いつか……」
ノイフが小さな声でいった。
「いつか、セリア様が昔のお優しかった頃に戻られると信じていました。セリア様が子供だった時を覚えていますか?私の夫が亡くなった時です。私は生きがいを失い、仕事もろくに手につきませんでした。周りの者も、私などに構いもしなかった。そんな中、セリア様だけが私に声をかけ続けてくれたのです。あなたがいなくなると私が困るのよ、だから元気を出して、と。私がどれだけセリア様に救われたかわかりますか?ずっとセリア様を信じてきました。頭を上げてください。このノイフ、これ以上の喜びはありません。いつかお優しいセリア様が帰ってくると信じていました」
セリアよりも深く頭を下げたのはノイフのほうだった。
「そんな、大げさよ。お互いに頭を下げてるなんて変でしょう?今までごめんなさい……顔を上げて、ノイフ」
「はい」
「本当に心を入れ替えます。ノイフ、私は今日は何をすればいいの?」
「まずはクロード様にお会いください。心配なさっています」
クロード。セリアの父であるクロード・フランティスのことである。
娘への溺愛が凄まじく、悪女であるセリアに対しても愛情を注いでいる人物だ。
「そうね、お父様に会わないと……ところで、私はどうして倒れていたんでしたっけ?」
「それは……」
「遠慮なく言って」
「リーリエ・ストライド嬢に喧嘩を売って、その勢いで転倒して床に頭をぶつけてしまったと聞いています」
ノイフは遠慮がちに事実をいった。
セリアの記憶の片隅に、その記憶がある。栄えあるストライド侯爵家のリーリエに喧嘩を売って、勝手に転倒して、セリアは意識不明になったのだ。
日本ではこの事情を例える言葉がある。
馬鹿。