仮面の裏の裏
セリア達は客席へやってきた。既に大勢の貴族達が席に着いている。
これだけの貴族を集めるとは、流石ベインス家だな、とセリアは思った。貴族はよくパーティーを開くものだが、これほどの人数を集められるのは、信頼、そして権力があるからなのだろう。他の貴族と親しくなりたいだけの貴族もいるのかもしれないが。
広く並んだ緑色の客席にセリアが座ろうとすると、前方に集団が見えた。誰かを取り囲んでいる。
セリアにピリッとした緊張が走る。それは、囲まれている人物が、リーリエ・ストライドだったからだ。親しそうに周りの貴族たちと話している。
ノイフがちらりとセリアの方を見た。心配そうな表情。ソイルは困惑したような表情を浮かべている。
セリアは迷った。何しろ、喧嘩を売ってしまった相手なのだ。気まずいことこの上ない。しかし、謝罪はしなければならないだろう。セリアは臆することなくリーリエの元へ歩みだした。
「セリア様」
ノイフが抑止するかのように言った。
「大丈夫よ。謝らないとね」
リーリエに接近するセリア。その様子にリーリエも気づいたようだった。
美しく長い、リーリエの茶髪が揺れる。青の瞳は水晶のようだ。美しいピンク色のドレスを着ている。彼女が着てみると、まったく違和感がない。
「あら、セリア様! いらっしゃったのですか? この前のお怪我はもう大丈夫なのですか?」
リーリエが周りの貴族たちの間を抜けてセリアの元へ駆け寄った。彼女のセリアを気遣う言葉に、事情を知っている周りの貴族たちは感心した。リーリエに非はないのだ。それなのに、セリアのことを気遣っている。リーリエの器はなんと大きいのだろう、と彼らは彼女を評価した。
今までのセリアならば、この気遣いで逆上していたのかもしれない。憐れんでいるのかと。しかし、今のセリアは別人なのだ。当然、返す言葉も変わってくる。
セリアは深々と頭を下げたのだ。もうこれ以上伸ばせない所まで頭を下げた。
「本当に申し訳ありません、リーリエ嬢。以前の件は、私に非がありました。無礼を働いたことを謝ります」
周りの貴族達がざわついた。なにせ、誠実な態度など、以前のセリアは一度も見せたことはなかったのだ。それが今、リーリエに対して誠実に謝っている。これには貴族たちは動揺した。
そして、貴族たちが動揺している中、リーリエは考えを巡らせていた。
「セリア様!頭を上げてください。以前の件は、私の方こそ至らず……セリア様が頭を下げる必要はありません」
セリアの肩に手を置いたリーリエ。その手は、恐ろしいほど冷たかった。リーリエの性格を反映するかのように。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい」
「大丈夫ですから」
戸惑う仕草を見せるリーリエ。セリアはようやく頭を上げた。
「今日はせっかくの音楽会ですから、楽しみましょう」
笑顔になったリーリエ。
「はい。こんな大規模な演奏が聞けるなんて、なかなか無いでしょうから……あ、そういえば、門のところでフィゲル様に会いました」
「フィゲル様に?あの方も招待されているのですね」
そう言ったリーリエは、内心不機嫌さと、人を見下す心情をしていた。セリアは何度もフィゲルにアプローチしているようだが、性格も悪く、頭も悪い。何回セリアがフィゲルにアプローチしようが、無駄なことだ。セリアでは、女として、自分には敵わない。そうリーリエは思っていた。愚か者のする事など、すべて無意味だ。フィゲルと一番仲が良いのは自分だ。誰にも負けはしない。フィゲル・ブリッツの婚約者になるのは、リーリエ・ストライドなのだと。
「招待されているみたいです。リーリエ嬢はフィゲル様とお似合いですから、きっと今日は楽しい日になると思いますよ」
セリアはリーリエに笑顔を向けた。
驚くリーリエ。セリアは嫉妬など微塵もないようにリーリエを応援している。
悪女の気まぐれかとリーリエは思った。セリアは計算高い性格ではないはずだ。だとすると、セリアが別の男を見つけて、フィゲルに興味を無くしたと考えられる。人の気持ちは移ろいやすいものだ。
リーリエにとっては、ライバルが消えたことになる。美しい美貌のセリアが敵ではなくなる。それは、リーリエとフィゲルの間に何も障害は無くなることを意味していた。
しかし、彼女は何故か気に食わなかった。セリアが引いてくれるなら、自分にとって有利になるはずなのに。
何故気に食わないのか。それは、決して実らないフィゲルへのセリアの想いを嘲笑うことに、面白さを彼女が感じていたからであった。
容姿だけの女。無能。愚者。それがリーリエのセリアへ対する評価だった。
「リーリエ嬢がフィゲル様と婚約なされたら、リーリエ・ブリッツですね。美しいお名前です。応援してますからね」
セリアは笑顔でリーリエの冷たい手を取った。その笑顔には一点の曇りもない。
「いえ、そんな、私はフィゲル様とは釣り合いません」
リーリエは謙遜するかのように言った。もちろん、そんなことは微塵も思っていない。
「恋愛に、釣り合うか釣り合わないかなんて、関係ありますか?」
セリアは首を傾げた。
「ありますよ。身分の差で、決して実らない恋もあります。それは、この貴族制度で生きていく我々の運命です。例えば、平民と貴族の恋は実らないでしょう」
「わからないんじゃないですか?諦めなければ、想い続ければ、たとえそれが無に帰したとしても、その恋に意味はあるのではありませんか?」
セリアは凛とした表情だった。自分の発言に疑問を持っていない。
心の中でリーリエは舌打ちした。やはりセリアは頭が悪い。何もわかっていない。絶対的な壁というのは、この貴族制度において、存在するものなのだ。
「素敵なお考えだと思いますわ」
「ありがとうございます、リーリエ嬢」
そう言っている間にも、音楽会の準備は整っているようだった。すでに、ほぼ全員の演奏家が一階に集まっている。その中には、コーラル・ベインスもいた。バイオリンをもつグループに属しているコーラル。一方、二階にはフィゲルの姿が見えない。演奏を鑑賞する気はないのだろうか。
セリアはコーラルの手紙を思い出し、少し恥ずかしくなった。コーラルは純粋な人間に思えた。今のセリアは、コーラルのことを詳しくは知らなかったが、彼のことを応援してあげたいと思っていた。きっと、バイオリンの練習をたくさんしたのだろう。努力する姿を想像するだけで、セリアは穏やかな気持ちになった。なにかにひたむきな人間というのは、どこか愛おしい。




