この人物は馬鹿なのではないか?
城野 藍という、ごくごく平凡な日本の女子大生がいた。
しかし、彼女は電車に轢かれて死んでしまった。
ホームで電車を待つ間に、何者かに背中を押されて線路に倒れ、死んでしまった。殺されてしまったのだ。
だが、彼女の人生はそれで終わりではなかった。
薄れていったはずの意識の中、目を開けたら別世界に飛び込んでいたのだ。
白く柔らかいベッドに横になっている、美しい容姿の人間になっていたのだ。
藍はゆっくりと身体を起こした。
「(電車に轢かれて、死んだはず……助かった?病院?)」
まず藍は自分の身体を確認した。しかし傷跡がどこにもない。電車に轢かれたのに不可解だと思った。
違和感。藍は自分の腕の色の白さに違和感を覚えた。
両手を上げて、再度確認。やはり自分とは思えない腕の美しさだ。
藍を包み込んでいるのは、白く綺麗なベッドと毛布。
不審な表情で周りを見渡す藍。そこで声が聞こえた。
「セリア様!! お目覚めになられたのですか!?」
よく通る声だった。その声の持ち主は藍の方に足早に近寄ってきた。
「ああ、セリア様……ずっと心配していました。本当に目覚めてよかった。まだ動かないでくださいね。何か必要なものはありますか?」
茶髪を纏めてメイド服を着た女性が、安心したというような表情をしている。年は五十くらいだろうか。
藍の心の中は動揺でいっぱいだった。漫画で読んだことがある。もしかするとこの状況は、転生という事象かもしれない。夢にしては周りの景色が鮮明すぎる。
「ええと、貴女の名前はなんでしたっけ」
「セリア様、ショックで混乱しているのですね。私はノイフですよ。お茶を持って参ります。どうか横になっていてください」
「あ、ついでに鏡を持ってきてくれますか?」
「かしこまりました」
そう言うなりノイフというメイド服の女性はその場から立ち去った。
ノイフが去って、藍、いや、セリアの周りからは誰もいなくなった。
藍は考えた。おそらくこれは、漫画で読んだ異世界転生で間違いない。天国というには何か違う気がする。把握出来たのは、セリアという人物に転移したということ。そして、ノイフという人物がセリアに仕えているということ。態度でわかる。
そして、藍は自分の目で認識するまでもなく、状況を確認できる手段があった。
自分の経験していない人生、セリアという女性の記憶を思い返すことが出来たのだ。
しかしその記憶を辿る前に、ノイフが扉を開けて部屋に戻ってきた。トレイに紅茶と鏡が乗っている。
「セリア様、鏡をお持ちしました」
「ありがとう」
セリアに乗り移った藍がノイフにお礼を言うと、ノイフはぱちぱちと瞬きをした。その反応は不自然なように思えた藍。とりあえず、状況をまとめる時間が欲しいと藍は思った。
「少し一人になりたいのですが」
「わかりました。何かあればすぐお呼びください」
ノイフは深く一礼し、華麗に振り返り部屋を出ていった。再び部屋にはセリア一人になった。
「さて」
セリアはまず、ノイフが持ってきてくれた鏡を手に取った。その鏡に映っていたのは大学生の自分ではなかった。
華麗に伸びた漆黒の髪。瞳は赤く、人を飲み込むかのような深い色だった。おそらく寝間着であろうと思われる白い服はいかにも高級そうだ。
鏡に映った己の姿は、とても美しかった。
「記憶を辿って、不自然な動きをしないようにしないと」
セリアはそう呟いた。そして、セリアの記憶を辿り始めた。
だが。
「は?」
部屋に響く声。セリアの声である。
何故驚きの声を上げたのかというと、セリアの記憶があまりにも酷すぎたのである。
セリアが酷い仕打ちを受けていた、という意味ではない。『セリアが』周りに酷い仕打ちをしていたのである。
紅茶が不味い。入れ直せ。カップを叩き割る。
服が気に入らない。不愉快だから破り捨てる。
他の女性が気に食わない。相手の顔を叩く。相手の陰口を言う。
嘘をつきまくる。自分の利益のためなら嘘をつきまくる。反省しない。
貴族であるのをいい事に、身分の低い者にマウントを取りまくる。身分の高い者には媚びる。
「なんなのコイツ」
セリアは呆然とした表情で呟いた。
セリア・フランティスは悪女だったのだ。藍はそのセリアとして生きていかなければならないのだ。
故郷の日本で両親に愛されなかった藍は、常に人の顔色を伺うことに長けていた。空気を読むのが上手く、人に親切にせずにはいられない性格だった。
故に。
「こいつバカなのーーーー!?」
心の叫びだった。セリア・フランティスの性格は意味不明だ。しかし、セリアとしての立ち振る舞いを要求される現状。
状況は厄介だった。セリアの記憶があるが故に、それなりに立ち回ることは出来そうだったが、いつ背中から刺されてもおかしくないセリアの性格。おそらく、周りは敵だらけだろう。
頭を抱え込むセリア。
「まず、迷惑をかけた人に土下座して……いや、土下座なんて文化はないか……それに謝っても、この性格じゃあ相手に誠意が伝わるわけがない……酷すぎる……同じ人間なのか……」
考えているうちにセリアの頭に一つの事が思い浮かんだ。
それは『歌』のことである。
「らー……らー……。あ、歌える……」
美しい声だった。セリアの特技ではない。大学生の藍は歌うことが人生で一番大切だったのだ。
何度も何度も歌の練習を積んだ。技術的にも実践的にも、藍の歌は誰しもが認める実力だった。
その努力が消え去ってしまうのかと藍は思ったが、セリアとなった今も歌唱力は健在のようだ。
「とりあえず、ノイフは一番の味方ね。記憶を辿っても、ノイフに酷い仕打ちをしているのにもかかわらず、懸命に尽くしてくれている……それに父も母も優しい。この家の中にいる分には安全か……」
考えを巡らすセリア。記憶を頼りに今後の作戦を練っている。
人に優しく接したいが、今までのセリアの悪行を考えれば、相手は何か裏があると思うだろう。
難しい。
しかし、しばらく考えた後に一つの考えに至った。
セリアは思った。
いいじゃないか。
どうせ死んだんだから。
誰にも愛されていなかったのだから。
自暴自棄で生きてみてもいいじゃないか。
セリアは自嘲気味に笑った。
そう、夢が醒めるまで勝手をする権利くらいあってもいいじゃないか。
日本では誰にも必要とされなかったのだから。
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