鹿か猪か
数時間後、実菜たちはリードがどんな思いをしたのか知る事となる。
早く起きてしまった所為で、皆リビングでついウトウトとしてしまっていた時だった。
「バリバリバリッ、リリリリッ!!」
地響きが起きたのかと思う程の凄まじい音がリビングに鳴り響いた。
「何っ?!何事?!」
飛び起きた実菜が叫ぶが、けたたましい音に掻き消され聞こえない。
テーブルの上ではあの木箱に淡い光りが点滅していた。慌ててセシルが木箱のボタンを押すと音が消え、代わりに光りがリードを映し出した。
『おい、忘れてたけど、お前んトコ使用人はいなかったよな?料理人はそっちに向かわせたけど、誰もいないと困るからシズカは屋敷にいてくれよ?』
「い、いいけど……今日は……」
音にやられて、静加がふらふらとしながら木箱に近づく。
『ああ、ミナとロイドと三人で調査に行くんだろ?来たらそっちに向かわせるから屋敷で待機していて』
「あ、実菜は今この家にいるわ」
『じゃあ、ロイドが来たら伝えるよ。じゃ……これ、意外と便利だな……音さえなければ』
そこで通信は切られた。
「……凄い……音だったわね。リュートは何を思ってこんな音がするようにしたのかしら」
「うん……頭か痛いわ」
放心した様子で静加はソファに倒れ込む様に座った。実菜も耳鳴りが酷い。静加と同じ様にソファに座り込むと指先でこめかみを揉んだ。
暫くすると玄関の方でドアノッカーの音が響く。予想よりも早く料理人が到着したようだ。
「私、出るわ」
静加が玄関に出向き、話し声がしたかと思うと料理人だと思われる男性を連れて戻って来た。
「ああ、やっぱり。ここじゃ狭くて捌けませんよ」
公爵家本邸の調理場と一般家庭のそれは規模が違うらしい。料理人はキッチンの流しを確認すると、静加を振り返った。
「仕方ないですね、外で捌きますか」
「じゃ、テーブル出すわ」
そう言って二人がリビングを出て行く。実菜とセシルがリビングに残された。
「セシル、仕事に行かなくて良いの?」
「もう少ししたら行くよ」
そう言ってセシルは優雅な所作でティーカップに口をつけた。
「ねぇ……静加の若い頃ってどんな感じだったの?」
「ぶはっ!……へっ?若い……?」
実菜の唐突な質問にセシルは口に含んだお茶を吹き出した。
「汚いわね」
「だって、突然変な質問するから。シズカは若いだろ?」
セシルはハンカチで口を拭き、服にお茶を零してないか気にしている。
「そうじゃなくて……本当に若かった頃よ。何て言ったらいいの?セシルがセシルじゃなかった時っていうか。前世?」
「ああ、その事……う〜ん、正直に言うと、もう殆ど忘れてるんだけど……頭は悪くなかった……かな?あと、体術か何かをしてたんだっけな。かなり強かったような……そうだ、子供の頃に軍人を投げ飛ばしてた記憶がある」
セシルは思い出そうと、考えるポーズで首を捻りながら答えた。
「ぐ、軍人……?でも、何か……今とあまり変わらない感じね。虐められてたとか、本人は言ってた気がするけど」
セシルが目を見開いた。
「虐め?……あ、あー?そう言えば……ガキ大将が彼女の瞳の色をからかった瞬間、そのガキ大将が空を飛んだ事があったかな。確かに彼女、その手の事でからかわれる事が多かったみたいだから、それを虐めと言えば虐め?かな」
話をしながら色々思い出してきたらしく、セシルはそう話しながら「そうそう」と頷いている。
「空を……飛んだ?」
「そう。名前はタケト……タケオ?そんな感じの名前のガキ大将がいてさ。ソイツが何か言ったんだよ。そしたらソイツが空中で一回転してた。シズカが動いたのは分かったけど、どうやって投げ飛ばしたのかは見えなかった」
眉を顰めた実菜にセシルが遠い目をしてニマニマしながら説明した。
「シズカがソイツを投げ飛ばした後「これは警告。次は容赦しないから」って言ったんだ。それが物凄く格好良くてさ〜……一目惚れだっんだよね」
手を出してしまっているところで警告でも何でもない。しかし、静加らしいといえば静加らしい。
馴れ初めを聞いた訳じゃないんだけどな。
締まりのないセシルの顔を見て、実菜はバカバカしい気持ちになってしまっていた。
「ちょっとセシル?!あなた、まだ居たの。もうロイドも来たっていうのに」
パタパタと小走りでリビングに戻って来た静加は、おどおどとしたロイドを連れていた。
「あれ?もうそんな時間?」
「そんな時間よ!」と、静加に追い立てられる様にしてセシルが屋敷を出て行くと、ロイドが「はぁーっ」と長い息を吐いた。
「ロイド?どうしたの、気分悪い?」
ロイドがふらふらとした感じで壁にもたれ掛かっていて、若干顔も赤くなっている気がする。体調が悪いのかと実菜が声を掛けると、ロイドが勢い良く振り返った。
「今のが、第一魔導師団師団長ですかっ?!」
「そう……だけど?」
振り返ったロイドは目を輝かせている。忘れがちだがセシルは膨大な魔力量を保持し、美形師団長として知られている。内情を知らない者の中には憧れる者も多かった。
しかし実菜と静加はこの事をしっかり忘れており、彼が何故、目を輝かせているのか理由が分からずにいた。
「はぁーっ。まさか、お屋敷に足を踏み入れる事が出来るとは……御挨拶出来なかったのが悔やまれます」
「くぅーっ」と、地団駄を踏むロイドを見て二人は事情を理解した。
「……今の気持ちのままでいたいなら、言葉を交わさない方が良いかもしれないわ」
「自分の旦那を悪くは言いたくないけど、実菜の言うとおりよ」
「……何の話ですか」
二人の警告は、今のロイドには理解出来ないだろう。しかし、いずれ分かる時が来る。二人は多くを語らない事にした。
「奥様……終わりましたけど、どうしますか?」
リビングでやっと人心地が付いた頃、仕事を終えた料理人が遠慮がちにリビングに顔を出した。
「えっ?もう終わったの?早くない?!」
料理人は「有難うございます」と、嬉しそうに頭を掻いている。
「じゃ、取り敢えず冷凍するからここに入れてくれる?」
静加は、いつの間に用意したのか大きな木箱をキッチンの横に置いた。そこへ肉塊が次々と入れられていく。
最後の一つが入れられると箱は一杯になった。
「流石、二頭分は凄いわね」
そう言いながら静加が中身を凍らせていると、ロイドが何故か目を泳がせているのが気になった。
実菜の視線に気付くと、怯えた様子で何かを訴える様な視線を実菜へと向ける。
「聖女様……あれは……人……」
「じゃないわよ!!鹿と猪!」
どうやら箱に入れられている肉塊を人間ではないかと疑ったらしい。
「想像力が豊かなのも考えものね。……あ、有難う。助かったわ」
箱に蓋をした静加がそう言って笑うと、料理人を送りに玄関に行ってしまう。
「はぁ……。これから幽霊屋敷に行くかと思うと……思わず変な妄想をしてしまいました」
「あっ、そうだった。調査に行くのよね」
昨夜から色々あって、今日はもう仕事が終わった気分になっていた実菜だったが、よく考えたらまだ午前中である。
「じゃあ……少し早いお昼を取ってから出掛けますか!」
静加がリビングを通り越してキッチンへと入って行くと、一つだけ凍らせず残して置いたのか肉片を掲げて見せた。
「うわ!やった!ジビエなんて初めてよ」
実菜は小躍りして喜んでいるが、ロイドは戸惑っている様子だ。
「え……それ、鹿ですか、猪ですか?それに、三人でそんなに食べられます?」
「子供がそんな細かい事を気にしないのよ。素直に喜びなさい……そこの実菜みたいに」
つまり、静加もどちらの肉かは分からないのである。料理人は教えていってくれたのだが、そんな事は静加は覚えちゃいない。なぜなら、どちらでも良いから。
「今、私の事を馬鹿にしなかった?」
「してないわよ。素直なのは良い事でしょ。それに、三人じゃなくて三人と一匹だからこれくらいで大丈夫よ」
静加が実菜をあしらうようにそう言うと、その言葉を待っていたかのようにリビングの扉から白い豆柴がぴょこんと顔を出した。
「あ、犬!もしかしてリードさんが言っていた犬ですか?」
「血抜きに時間がかかるから、それまで遊んでいてくれる?」
豆柴メイメイがトコトコとリビングに入って来るとロイドが近づいて行った。
「名前は何というんです?」
「メイメイよ」
静加は魔法で氷を作り出したりして肉片と戦っているので、実菜が変わりに返した。
ロイドはポケットを弄りメモ帳を取り出すと、徐に何枚かページを破り取った。それをぐしゃぐしゃと丸めてボールを作ると「メイメイ」と、声を掛けながらその紙ボールをメイメイに向かって投げた。
「ぺしっ」
しかし、メイメイは投げられたその紙ボールを叩き落とすと、ぴょんとソファに飛び乗る。
……何か、思ったのと違う。
犬はこういう物にじゃれるもの。という実菜の概念が覆された。そもそもメイメイは犬ではないが。
「……あれ?」
ロイドも実菜と同じ様に思ったのか、もう一度その紙ボールをメイメイに向かって投げてみた。
「ぺしっ」
メイメイは面倒臭そうに、今度はロイドに向かってその紙ボールを叩き返した。
「……凄い!何だか分からないけど凄いです!流石、セシルさんが飼っている犬です!」
メイメイは自分を絶賛しているロイドが面倒臭いと思ったのか、ソファに座る実菜の足元へ隠れるように移動すると、寝た振りを決め込んだ。
狐なのに狸寝入り。この場合は狐寝入りと言うのかしら。
そんなやり取りをしていると、キッチンでは肉を焼き始めたらしく、「ジュウッ」という音と共に肉の焼ける良い匂いが漂って来た。
「そう言えば、朝ご飯食べてなかったからお腹空いたわね」
気付けば実菜のお腹は鳴りそうになっていた。
「俺は朝ご飯を食べて来ましたが、この匂いを嗅いだらお腹空いてきました」
そう言ってお腹が鳴らないようにお腹を押さえ、ソファでうずくまっている二人の姿は、キッチンから見ている静加の目には滑稽に映っていた。
「食べる前から食中毒でも起こしてるように見えるから止めてくれる?……実菜、もう焼けるから食器棚からお皿を出してよ」
静加に言われ、実菜はお腹が鳴らないように慎重に立ち上がったが「グゥ~ッ」と、盛大にお腹の音が鳴り響いた。
「はははっ!!お腹の音で返事しないでよ」
「静加が私を動かすからでしょう!」
静加だけであれば特に恥ずかしくもないのだが、今ここにはロイドもいる。音が聞こえなかった振りをしているロイドが目に入ると、更にその恥ずかしさが増した。
「何で私が怒られるのよ?!働かざる者食うべからずでしょ!早くお皿出して!」
「あ、俺がやります!」
顔を赤くしている実菜を見て、ロイドはロイドで気まずかったようだ。棚から白いお皿を取り出すと、肉を焼いているコンロの近くに置いた。
「……これは」
ロイドは目の前に置かれたお皿の上の肉を見つめた。分厚く切られた大きなステーキ肉が2枚。ドンッと存在感を放っていた。
「味付けは塩だけだけど、新鮮だからきっと美味しいわよ」
つまり、フライパンでただ肉を焼いただけの、男の料理とも言えなくもない料理だ。
三人は揃って一口その肉を頬張った。
「う、まぁ〜い!!」
三人の声が合唱する様に揃う。
「こんなに美味しかったらこの量でもペロリね!」
その言葉通り、三人共あっと言う間に二枚のステーキ肉を平らげた。
「よーし!英気も養った事だし、この勢いで幽霊屋敷に突入するわよぉ!オー!!」
食後のお茶を飲み終わると、静加が立ち上がり拳を振り上げた。
静加の言葉にロイドはティーカップに口をつけたまま固まる。
「……調査が無くなる事はないですよね、やっぱり」
「当たり前じゃない!仕事よ?!そんな甘くないわよ!……ほら、オー!って、元気良く言うの!」
静加は一気に暗い顔になったロイドの拳を無理矢理振り上げさせる。
「ほら、聞こえないわよ!オー!は?」
仕方なくロイドは「オー」と、口の中でモゴモゴと言っている。
これって、パワハラ認定されたりしないかしら。
二人の様子を見ながら実菜は静かに心配した。
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